AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

なかにし礼が評する70年代 と AKB48 の 本質的な違い アイドルが手段でなく目的である(KC)

2009-09-17 05:30:02 | アイドル論
なかにし礼のアイドル批判の発言を、引用しながら、70年代のアイドルと、AKB48の本質的な違いについて、考えてみた。

なかにし礼:音楽の力以外に、強力な宣伝と露出で、テレビ局が作り出すヒット曲。

私の解釈:テレビのための音楽ではなく、音楽そのものが好きというのがなかにし氏の発想。音楽そのものが目的であって欲しい、テレビのための音楽、CMのための音楽、商品のための音楽のように、音楽が何かの手段となるのは、好きではない。

AKB48:例えば、おニャン子クラブが、テレビのためのアイドル (テレビの視聴率を上げることを目的としたアイドル) であったのに対して、
AKB48は、新しい・現代のアイドルを作る、世の中に「これがアイドルだ」というアイドルを世の中に提供することが目的である。

なかにし礼:その中には、「えー?」という作品もあったが、パワーで売り切ってしまう。

私の解釈:音楽そのものがよくないのに、売れてしまう。おそらく、なかにし礼は、曲の質が悪いこと、一曲一曲丁寧に作っていないこと、粗製濫造であったことに否定的な意見を表明している。私は、最初に発言を聞いた時に、歌が下手なのに、アイドルとして売れていれば、曲が売れてしまうことを、「えー?」と表現したのかと思ったが、VTRで聴きなおしてみたら、それを指しているわけではなかった。

なかにし礼:アーティストと呼べない歌手が、テレビのブラウンカンの価値観の中で、笑ったり、怒ったり、騒いだり、騒がれたりしながら、作り出されている、持てはやされている音楽的世界へのアンチテーゼとして、「時には娼婦のように」を書いた。

私の解釈:自分の曲は、魂のこもった音楽、テレビのアイドルは、魂がこもっていない。

AKB48:「これが、アイドルの音楽である。」というテーゼ。アイドルとしての魂はこもっている。
これを、音楽として魂がこもっている、と解釈するか、できるかは、聴く人の見解によって、別れると思うけれども。

私の意見:なかにし礼の意見は、考え方としては、理解できる。彼の音楽に対するこだわりと同じこだわりを、私はアイドルに対して持っている。

私がなかにし礼と意見が違うのは、二点。
まずは、彼が指摘した質の悪い音楽が、どれだけあったのかということ。たった10%だったのに、それが目立ってしゃくに障ったのか。それとも、50%を超える音楽の質が悪かったのか。テレビ番組の発言を聞くと、多数の音楽の質が悪かったように聞こえたが、そうではなかったと思う。

次に、粗製濫造によって、アイドルの名曲が多数生まれたということ。
なかにし礼は、世の中に音楽を作品として出すなら、少なくとも合格点(例えばこれを70点とおく)はクリアすべきという意見。
私は、95点、100点の曲を生み出すのは、0点の曲があってもかまわないから、粗製濫造でもかまわないから、世の中に、なるべくたくさんのアイドルの曲が提供された方がよい。
実際に、識者からの見方からは、聴くに耐えない音楽が世の中にあふれたのだろうが、アイドルファンとしては、至福の時代だった。

「パワーで売ってしまう」というなかにし礼の表現は言いえて妙である。
パワーでは売れない時代のアイドルが、AKB48。

「AKB48も、本質的には、売れて儲けることが目的ではないか」という指摘があるとしたら、その通りで、古今東西全ての芸術は、本質的には同じ。

AKB48は、アイドルとしての魂がこもっている、志が高い。
ここに、素晴らしさと、面白さがある。

KC
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 週刊AKBの出演者 チーム... | トップ | プロ野球を見て気がついたA... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ピーナッツ)
2009-09-17 20:44:47
僕は、カラオケの登場が(日本の)芸術文化の大きな分岐点だったような気がする。あのインスタントな感じ…。歌や演技の基礎を全く積んでいない人が、ある日、突然、スターになる。(そりゃ、しゃーないって…)。なかにし礼さんは、そういう事を言っている様な気がする。
ところで、ハリウッドの俳優って、みんな、経歴に「○○大学で演技を学び…」とか、「演劇学科専攻」って、入っている。(僕の知る限り、ウィル・スミス以外は、ほぼ全員…そう)。あのシルベスタ・スタローンだって、物凄い長年に渡るアマチュア演技のキャリアがある。あまり、そんな風には、見えないけど…。
日本の芸能界…1980年以降は、本芸で競争して出てきてない事、多いんじゃないのかなぁ…? 「○○座出身」「○○の弟子」とか、あまり、聞かないもん。俳優座?文学座?出身の若村麻由美や渡辺徹,内海好江・桂子の弟子ーウッチャンナンチャンの世代が、最後なんじゃないかなぁ…。だから、自由な気風の中、天才は、うまれても、同時に…おびただしい数の"ばったもん"も、うんでしまう時代…それが、今、なのかも知れない。
アイドルの世界では、1980年代、"素人さ"が、売りの「おニャン子クラブ」に影響を受け 、二匹目のドジョウとして登場した「チェキっ娘」は、本人たちに、志はあっただろうけど、プロデュース力の果てしない"うすっぺらさ"と芸能界ナビゲート役としての「ドロンズ」の実力不足(とんねるずとの圧倒的な差)の為、撃沈。 1990年代は、小室哲哉の成功に、間違いなく刺激を受けた、つんく♂が、負け組をプロデュースして、「モーニング娘。」を導いた(平家みちよは、どこいった?)。 素人性を見せながらも、"お前らは、アーティストなんだぞ!"って、毎日、言われ続けた彼女らが、後藤真希+「Loveマシーン」で、思いがけない大爆発!そして、その後は…。
さて、確実に、その流れを汲んでいるAKB48は…。僕は、メディアじゃなく、毎日の公演に原点を置いている部分が、崩れなければ、ずっと、続いていくと思う。メジャーであっても、ビミョーなマイナー感、アンダーグラウンド感…。
昔々、コント55号時代の欽ちゃんが言ってた。 「本当に面白かったら、TVは、来ちゃうの…。でね、ビックリして、ボク、逃げたの…舞台の端に。 でも、カメラは、追うの。 ボクね、カメラのフレームから飛び出したの…。でも、メディアは、来るの…」。 AKB48の目指すトコロは、そこだと思う。
「会いに行けるアイドル」…この軸がブレなければ、大丈夫!成長し続ける事が出来ると思う。
最後に、秋元P…なかにし礼さんを招待したらいいのに、聖地に…。今、そう思った。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

アイドル論」カテゴリの最新記事