百醜千拙草

何とかやっています

虚しい作業

2014-06-02 | Weblog
もう、半年足らずで、忘却の彼方へと消え去ろうとしている理研のSTAP事件でしたが、細々と毎日新聞が、実験動物計画書と実験内容の間に矛盾があることがわかったとかいう、調査内容に関するニュースを出してました。

ちょうど今、動物実験プロトコールの修正をしようと、書いていますが、動物実験プロトコールを書くことほど、砂を噛むような虚しい作業はないと、やる度につくづく思います。生命科学で、実験に動物を使う以上、動物の扱いは慎重に行われるべきですから、動物実験に規制があるのは当然であると思います。しかし、この作業は本当に気が滅入ります。数年間にも渡る動物実験の詳細を延々と書いて、使う動物の数を勘定して、実験を計画して認可を貰うわけですが、実際は、計画通りに実験するというのはムリです。実験動物ですから原因不明で病気になったり、死んだりします。遺伝子変異動物を使う実験では、交配によって変異動物を何匹つくる、という計画を作った所で、何匹そういう動物ができるかどうかは動物任せですから、計画通りに動物が得られるワケでもありません。それでも、あたかも数年先まですべてお見通しで、全て考えた通りに事が進むかのように計画書を書いて、まだ生まれもしていない動物の数を計算しないといけません。大変、時間を喰う上に、科学の成果に何らつながるものではなく、実際は計画書の通りには進まないことがわかっている、空想上の作文をするわけですが、この作業をしていて、一日が終わったりすると、とても情けない気分になってきます。しかし、思うに、この計画書を読む方はもっと虚しいでしょう。読む方も同じ研究者ですから、わかっているのです。しかし、レビューして会議で認可するかどうかを決めないといけないので、読む方も全く面白くない空想計画書をイヤイヤ読むわけです。気の毒です。

そういうわけで、動物実験は規制に従って行われるべきではあるが、実際には、厳密に実験計画書の通りに規制すれば、違反しない実験計画は一つもない、ということになります。そもそも、制度を作る方が現実を無視して作った規制であるのでルールの方がおかしいのです。道路の制限速度のようなものです。あるいは、政治資金規正法みたいなものです。ルールが現実に即して正しく作られていないわけですが、それでもルールである以上、それに従う義務がある、そこに実際的な問題が出てきます。

つまり、悪意のある人間が悪法を悪用すれば、警察のネズミ取りや検察の政治事件のように、標的の人間を恣意的に糾弾して追い込んだりすることが可能になります。実験プロトコールを調べて、現実の実験との間に差がでるのは、本当は仕方がないことです。動物実験をしている人間なら誰でも知っていることです。その辺の問題があるのは承知で、しかしよい代案がないので、やむを得ず、現行のルールを踏襲しているというのが現実でしょう。

しかし、こうした問題のある規制制度は、本来、放っておくべきではないと思います。政治資金規正法もそうですが、どうとでも解釈できるようないい加減な法律は、悪意を持つ人間にとっては、これとない攻撃のための道具になりますから。

そんなことをSTAPの動物実験計画書のニュースを見て思いました。ただし、STAPの場合は動物実験計画書違反を問われているわけではなく、単に、マトモに実験していないことの証拠であったのでしょう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« シャコンヌとノリ弁 | トップ | 国民の生活が第一 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事