百醜千拙草

何とかやっています

沖縄の戦い

2016-12-30 | Weblog
政府、辺野古工事を再開 沖縄反発、断固阻止と知事。
辺野古工事を再開 沖縄知事「絶対に造らせない」

工事再開に先立ち、翁長知事は二十七日午前、首相官邸で菅義偉官房長官と会い、再開前の事前協議を要請。菅氏は「わが国は法治国家で(辺野古移設を巡る)確定判決の趣旨に従って工事を進める」と拒否した。、、、
 翁長知事は工事再開後、東京都内で記者団に、県民の怒りと悲しみは非常に大きいと指摘。「そう簡単に物事は進まない」と述べ、政府の思い通りにはさせないと強調した。、、、沖縄平和運動センターの大城悟事務局長(53)は「県民だけでなく知事の声にも耳を傾けない。強硬姿勢が改めてはっきりした」と批判した。
 「国はやりたい放題だ」と憤るのは、第二次普天間爆音訴訟の原告団長島田善次さん(76)。「辺野古に基地ができれば、子や孫の世代にまで基地負担が残る。止める以外にない。正念場だ」とつぶやき、口を真一文字に結んだ。


トランプ会談で怒りを買ったオバマ政権へのゴマすりで真珠湾訪問したアベ氏のスピーチが、また国内とくに沖縄の人々の怒りを買っています。

首相の真珠湾慰霊 国内から注文「これで和解成立でない」

演説を聞いた国内の戦争被害者や在日米軍基地が集中する沖縄出身者からは「言葉よりも行動を」「まずアジアへの謝罪を」という厳しい声が上がった。「安倍首相は日米関係を希望の同盟と強調したが、沖縄にとっては絶望の同盟になりつつある。沖縄が置き去りにされていると実感した」、、、首相は「(日米は)共通の価値のもと信頼を育てた」と語った。元山さんは「日米が共通して持っているはずの民主主義や地方自治の価値観をないがしろにして、沖縄に米軍基地の負担が押し付けられているのに」と違和感を覚えた。、、、、首相は「和解」を強調したが「私たちは原爆被害者として政権に対して『和解』は求めていない。軽々しく和解という言葉を使ってほしくない。言葉よりも、その後の行動が大事だ」と語った。


また同紙、社説では、

首相の演説は、かつて激しい戦火を交えた両国が「歴史にまれな、深く、強く結ばれた同盟国」になった意義を強調することに重きが置かれ、反省や謝罪の言葉はなかった。、、、、戦後七十年の安倍談話でも、戦後五十年の村山談話や戦後六十年の小泉談話に盛り込まれた「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのおわび」の文言を使っている。、、、¥不戦の誓いが、先の大戦に対する痛切な反省に基づいているのなら、こうした言葉にも言及すべきではなかったか。さらに、真珠湾攻撃は日米戦争の戦端ではあるが、三一年の満州事変に始まる「十五年戦争」の一部にすぎない。日米開戦時点ですでに中国大陸への侵攻は続いており、真珠湾攻撃と同日にはアジア・太平洋各地域への攻撃を始めている。日本が真に和解すべきは、安全保障や経済ですでに深い関係がある米国ではなく、中国をはじめとするアジア諸国だろう

と当然の意見。反省も不戦の誓いも口先だけで、本音は別です。

一方、お抱え新聞、産経は3ページにもわたる提灯記事。
寛容の価値を世界に すぐに歴史問題を振りかざす中韓にも理解を迫る

中国は日本の戦争被害者であり、戦勝国、日本はアベ氏も含む歴代首相が、侵略戦争であったと反省と謝罪の談話を発表してきています。その加害者が、被害者に向かって、「寛容の価値を解いて、理解を迫る」のはスジが違うというものでしょう。

読むのもアホらしい記事ですが、そこに引かれている聞き捨てならないアベ氏のセリフ。

「これで戦後は完全に終わりになるかな。いつまでも、私の次の首相まで戦後を引きずる必要はない」


日本が日米地位協定で植民地状態にずっと置かれていて、そのツケのほとんどを沖縄一県に押し付けていることを何と考えているのか。独立国の首長のはずなのに、オバマとトランプの機嫌取りに東奔西走させられているのをどう思っているのか。国際社会の誰かも相手にされていない理由をちょっとでも考えてみたことがあるのか。
その勘違いの激しさに沖縄の人々ならずもはあきれ返っています。

戦後ではなく、沖縄ではまだ戦時中です。戦後が終わるどころか、戦争そのものが継続中だと見る方が妥当でしょう。

民主主義によってトランプ選ばれてアメリカが二つに分裂してしまったり、ヒトラーが選ばれて民主主義が独裁制を支持してしまったり、と民主主義が国民の利益と逆方向に働いてしまうことはしばしばあります。社会の構成人員の多数が必ずしも成熟した判断能力や同様の価値観を持つわけではないですから。しかし、民主主義は最善ではないが他の政治形態よりはマシである、というチャーチルの言葉には同意します。

問題は、民主主義の精神に基づいて政治を行おうを考えている政治家や官僚が国家中枢に極めて稀だということでしょう。自民党やその他の議員の多くは、民主主義というのは権力を手に入れるための方便だとしか考えていないようですし、アベ政権の強権的で雑な政権運営は、民主主義だから選挙で勝って多数を占めれば好き勝ってやっても良いのだと思っているようです。

しかし、民主主義は文字どおり、国民一人一人が主権者であり、政治家はその権利を託されているにすぎないという建前です。国家権力を嵩に着て一部の国民に不利益を押し付けるようなイジメが平気でできるアベ政権は、一刻も早く消えてもらわねばなりません。

沖縄県の人々が日本国民として他の国民と同様の権利が保障されるようにすることは民主主義、立憲主義の立場をとる人々にとって当然の願いです。辺野古の自然を破壊した上で、そこに強制的に米軍基地を新設して沖縄を恒久的にアメリカ植民地にしようとする日本政府は、沖縄県の主権者の意思を踏みにじり、憲法と民主主義を否定するものです。そして放置しておくと、同じことが本土の我が身にもふりかかってくるでしょう。

この戦いは県と国と対立ではなく、民主主義とファシズムとの戦いです。国家権力を使って、己の利益のために弱いものを利用して負担を押し付けようとする人間が政府中枢にいる限り、沖縄に起こっていることと同じことは本土の人間にも起きます(事実、起きています)。沖縄と国との戦いにおいて、我々や子孫の将来を考えれば、どちらを応援し、どちらが勝利しないといけないのかは、一般国民にとっては、考えるまでもないと思うのです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ランニングのおともに | トップ | 今年もよろしくお願いします »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事