百醜千拙草

何とかやっています

ポモドロでんでん

2017-01-27 | Weblog
この一年、一週間が過ぎるのが異常に早いような気がします。月曜日だと思ったらもう週末。週末が終わったと思ったらまた週末。その間、何も進歩がないような時もあります。もうちょっとバランスのとれた生活をすべきだろうと、前回のグラントの時から、時間管理のためのポモドロ タイマーを使い始めました。もともとトマトの形のキッチン タイマーをコンピューターソフト化したものですが、私がフリーで使っているものはあいにくトマトのデザインではなくて残念です。これで、20 -30 分時間を、1日に何枠か確保して、その間は一つのことに集中し、他のことは考えない。というルールでやります。これは意外に良いです。実験をする時間と考え事や書物をする時間を分離することは意外に生産性を上げます。
昔は、作業や義務の合間ぐらいにしか論文を読んだり、書いたりするしか余裕がなく、机の前にじっくり座ることもできないような時代がありましたが、それでは、やはりマトモな研究は難しいと思いました。作業をこなすだけでなく、あれこれと考えたり読んだりして楽しむ時間、余裕、というものが、必要だと思います。

一流の研究者には余裕のある人が多いと思います。以前は、一流となったので先々に心配が少ないから余裕があるのだろう、と思っていましたが、どうもそういうものでもなさそうです。どちらかというと逆で、仕事を余裕を持って楽しくやっている人が自然と良い仕事を出していいっているように思います。時々、偉い研究者の人に用事でコンタクトを取ることがありますが、偉い人ほど親切だなと感じます。これも偉いから親切する余裕があるというよりは、そういう人が偉くなるのだろうと思います。

週末、YouTubeでWayne Dyerのしばらく前の映画「Shift」を見ました。人は欲しいものを呼び寄せるのではなく、自分であるところのものを引き寄せるのだと言っていました。いわゆる「引き寄せの法則」ですね。頭では理解できても実行するのは難しい。これと似た話を別のところでも聞きました。うろ覚えですが次のような話だったと思います。
「成功したい」と思っている若者が成功者の人々に会って、仲間に入れて欲しいという頼みます。「成功していない人間は仲間に入れることはできない」と成功者は言います。「それでは、どうやったら成功できますか」と若者。それに対する答えは「成功していないものに教えることはできない」でした。

なるほど。余裕のある穏やかな人間にまずなることができなければ余裕のある穏やかな人間にはなれないのかも知れません。
それで、先日の国会答弁で話題になった「漢字の読めない総理」の話でもしようと思ったのですがやめます。そんなことをあげつらうよりも、決して瞋らず、いつも静かに笑ってゐる、さうゐふもものに私はなりたい、です。日本のトップ二人が、漢字の読み書きができない、というのも愛嬌だと笑って済ます余裕もないようでは、人間まだまだです。ビデオで見ましたが、自信たっぷりに読み間違えるパフォーマンス(?)はなかなかのものです。一国の首相として恥ずかしい、と、目くじらを立てるより、ハハハ、と笑い飛ばす方がいいに決まっています。答弁にフリガナを振らなかった官僚が更迭された、とか、新しい漢字の読み方を強行採決で決定した、とか、お笑い拡大中。
コメント
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