京のたんぽぽ日記

海外旅行や日本旅行を中心に、京都の美味しいお店の紹介なども。
穏やかで自分を活かせる日々にしたい。

2019年クロアチア他2国の旅9ドブロブニク アドリア海ミニクルーズ

2021-08-30 12:17:00 | 海外旅行2019 6月 クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニア

2019年クロアチア他2国の旅8ドブロブニク
旧港・カフェ・戦争没者記念館
の続きです。

2019年クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニアの旅程
1クロアチア ドブロブニクへ 2ドブロブニクホテルへ 
3ドブロブニク・朝散歩 4ドブロブニク・スルジ山 
5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場
6ドブロブニク プラツァ通り~オノフリオ噴水 
7ドブロブニク オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)
8ドブロブニク 旧港・カフェ・戦争没者記念館 
9ドブロブニク アドリア海ミニクルーズ

2019年6月27日

アドリア海ミニクルーズ 出港

さて、いよいよアドリア海のミニクルーズに出発です。

1時間弱のミニクルーズ。
旧港から旧市街の城壁沿いを、聖イバン要塞、ボカール要塞、
ロブリイェナッツ要塞の先まで行き、
ロクルム島を一周して帰港するコースです。

    船酔いしやすい私は、酔ったらどうしよう。。と
    心配していましたが、この日は波も全くありません。

    これなら余裕で大丈夫。。かな。さぁ、いよいよ出航です。

    聖イバン要塞とロクルム島

    横にあるのは、聖イバン要塞。
    旧港側は垂直の側面になっていますが
    海に面した部分は丸くなっています。

    向うに見えるのはロクルム島ですよ。



    ドブロブニクの城壁

    船から見るドブロブニクの城壁。
    ドブロブニクの街をしっかり守ってますよね~。

    城壁野高さは20メートル。一番高い所は25メートルもあるそうです。

    旧港が後ろに見え、船が通った跡、
    アドリア海の紺碧の海に白い波の筋が残ります。

    周囲に強固な城壁を造り、オスマン・トルコの支配や
    隣国の侵略から街を守ってきたドブロブニク。

    その城壁を海から眺めているんですね。

    城壁から岩場に下りる階段があり、岩場で遊ぶことができます。
    なんか、賑わってますよね~。

    シュノーケリングしたら、きっとすごく楽しいだろうな~。

    ボカール要塞

    海に突き出すように建ち、西の入口であるピレ門を守ってきた
    ボカール要塞です。

    その横の小さな入り江。この辺りは新市街地です。
    後ろはスルジ山ですよ。

    オレンジ色の屋根の家々、可愛い~。
    カヌーを楽しむ人たちもいますね。

    ロブリイェナツ要塞

    その隣にロブリイェナツ要塞。
    左端の急な岩山に建つ四角い建物です。
    この要塞は西からドブロブニクの街を守ってきました。

    クルージング

    この日は本当に暑くて、暑くて、歩くのも大変だったので
    ちょっとぬるいけど、風を受けながらのクルージングは、
    ほんといい気持ち。

    ほっとした気分で涼めます。

    海の青と空の青。ブルーで染められた一面の世界。
    同じブルーでも、海の方が紺碧の青ですね。

    いいな~。ほんと気持ちいいです。

    紅の豚

    1992年スタジオジブリで制作されたアニメに
    紅の豚というのがありました。

    アドリア海上空を舞台に、飛行艇を乗り回す空の海賊と、
    それを相手に賞金稼ぎをするブタの姿をした退役軍人ポルコの物語。

    紅の豚のモデルの海や町は、このドブロブニクとも言われているんですよ。

    なんか、向うの空からポルコの乗った飛行艇が飛んできそう。

    リソス リベルタス ドゥブロブニクホテル

    ロブリイェナツ要塞の先にあるお洒落なホテルは、
    リソス リベルタス ドゥブロブニク。

    5つ星の最高級ホテルだそうです。

    さて、この辺りで、ボートは方向転換ですよ。

    記念写真

    私達が、船の先でお互い写真を撮り合っていたら、
    添乗員さんが、お二人で撮りましょうと言って
    撮って下さいました。

    皆の注目を浴びながらで、ちょっと恥ずかしかったけどピース。

    皆さんもどうですかと添乗員さんが声をかけられて、
    色々な方が同じように写真を撮られました。

    皆、すごく楽しそうで。。

    中には、タイタニックみたいにしようか。。とか、

    添乗員さんだけでは手が足りなくなって、私もカメラマン役を。
    面白くってずっと笑いながら撮っていました。

    でも、あれ。。その間にボートはロクルム島をぐるっと回って
    もう反対側にきてしまったようです。

    しまった。。ロクルム島の写真を撮るのを忘れた。。
    でも、皆いい記念写真がいっぱい撮れたようだし
    楽しかったのでOKですね。

     

    素敵なクルーズ

    アドリア海ミニクルーズなんて名前がついているので、
    どこまで行くんだろう。。と思っていましたが、
    内海をくるっと回るだけのようで。。

    あっという間にやってきていた旧市街地の東側。

    もっと、もっと、碧い大海原が見たかったな~。。なんて、
    初め酔う事におびえていたのに、今はえらい強気ですよね~。

    でも、やっぱり小型船なので、風のある日には波も大きく
    そんな日は結構揺れるみたいです。
    波がなくて、本当に本当によかった~。

    東側の海から見たスルジ山です。

    旧市街地の東側


    旧市街地の東側、この辺りは高級ホテルが建ち並んでいるそうです。

    海岸線ぎりぎりまで大きなホテルが建っていますね。

    ホテルアルゼンティーナ

    このホテルも5つ星ホテルのアルゼンティーナ。

    海岸沿いに白いたくさんのパラソルと
    日光浴を楽しむ人たちが。。
    プライベートビーチでしょうね。


    街を観光するだけでなく、こんな風にゆっくりドブロブニクを
    楽しめたらいいですよね~。

    バニェビーチ

    こちらは公共のビーチ。観光客も利用できますよ。
    岩場の多いドブロブニクでは珍しい砂のビーチです。

    でも、砂といっても石が多いらしくビーチサンダルは必需品の様です。

     

    穏やかな内海。ぷかぷか浮かぶボート達。
    スルジ山の頂上の十字架が小さく小さく見えています。
    もうすぐ旧港です。

    レヴリン要塞

    レヴリン要塞は、城壁の中にある要塞でなく、
    プロチェ門と石橋で繋がる城壁外の独立した要塞。
    ドブロヴニク旧市街の東北の砦でとして街を守ってきました。

    。。という事は、

    旧市街地のプロチェ門がもうそこってことです。

    旧港に戻る

    そして、旧港に戻ってきました。
    ほんと1時間くらいの乗船でしたが、
    なんか、早く感じたな~。 もっと乗っていたい感じ。

    ルジャ広場の時計台(鐘楼)や、
    アーチがあるアルセナルという旧造船所が見えています。

    ガレオン船ティレナ

    あ。。これは例の海賊船かな。?

    ほら、チケット売り場で見たGalleon Tirena。

    もう一度ポスターをお見せしますと。。

    帆を張ると、やっぱりそうですね。

    この観光客船は、16世紀の商船のレプリカで、
    長さ31メートル、幅7メートル、
    最大200人の乗客を収容できるそうです。

    ドブロブニクの諸島めぐりをしたり、
    夜のドブロブニクの城壁を巡る光と音の遊覧もあるようです。

    夜の城壁を船から見るなんて。。
    なんだかロマンティックで素敵ですよね~。

    レストラン・ロカンダ・ペシュカリア

    さて、ボートを降りて、またルジャ広場に戻ります。

    目の前に見えている赤レンガの屋根の建物は
    シーフードで有名なレストラン・ロカンダ・ペシュカリア。

    鉄なべでド~ンと出てくるムール貝やエビのグリルが
    美味しいらしいです。

    でも、残念ながら私達のランチはここではありません。
    ただ通り過ぎただけ。。ここは、ツァー旅行の辛い所です。
    ツァーでは、ツァー用のランチのお店が決まってしまっていますからね。。

    個人で行かれる方、よかったら寄ってみて下さいね。
    その時はご感想をぜひ。

    さて、次はいよいよ3度目の正直、ルジャ広場の観光です。

     

    2019年 10ドブロブニク ルジャ広場・大聖堂・昼食
    へ続きます。

    最後までお付き合い頂き
    ありがとうございました。

    たんぽぽのお花
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    2020年9月18日で、
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    2019年クロアチア他2国の旅8ドブロブニク 旧港・カフェ・戦争没者記念館

    2021-08-26 01:22:00 | 海外旅行2019 6月 クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニア

    2019年クロアチア他2国の旅7ドブロブニク
    オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)

    の続きです。

    2019年クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニアの旅程
    1クロアチア ドブロブニクへ 2ドブロブニクホテルへ 
    3ドブロブニク・朝散歩 4ドブロブニク・スルジ山 
    5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場
    6ドブロブニク プラツァ通り~オノフリオ噴水 
    7ドブロブニク オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)
    8ドブロブニク 旧港・カフェ・戦争没者記念館 
    9ドブロブニク アドリア海ミニクルーズ

     

    2019年6月27日
    旧港へ

    このツァーには、アドリア海のミニクルーズが
    ついているのですが、添乗員さんは時刻を確認して
    チケットを貰わないといけないみたいで。。

    とりあえず、港の方へ向かうことになりました。
    私達も港の方へぞろぞろとついていきます。

    ガレオン船ティレナ

    こちらは個人のクルーズ船チケット売り場。
    私達は、添乗員さんが全部手配して下さるので
    必要ないんですが。。

    海賊船みたいな、こんな船に乗るのかな。。
    なんか、面白そうな船ですよね。

    旧港

    旧港は、昔はドブロブニク交易の中心でしたが
    今は観光遊覧船の発着所になっています。

    クルーズ船や個人のボートがいっぱい停泊していますよ。

    真っ白な個人のボート、なんて優雅な世界。

    ご縁はないけれど、憧れてしまいますよね。

    青い空と青い海、白いボート。。ゆっくり見ていたい気はするんだけど、

    実は。。

    6月だけど、この日はいいお天気過ぎて暑い暑い。
    真夏の気温と変わりません。もう、歩いているだけで汗だくなのです。

    港には影はないし、あつい~~

    アドリア海クルーズの為にたくさんの人が並んでいます。
    後ろに見えているのは、さっき登ったスルジ山ですよ。

    私達もこの炎天下、ずっと並ばないといけないのかと
    ちょっとめまい感。熱中症になるよ。。

    でも、私達が船にのるまでにはまだ時間があるようで、
    ここで、20分ほどの休憩時間ができました。

    よかった~。

    添乗員さんは、各自日陰で休むなり、自由にしていて下さいねと。

    カフェでコーラーとスプライト

    20分あるなら、ルジャ広場に戻って、
    個人的に観光することもできたのですが、

    暑さが勝ってしまって、とにかく涼しい所で
    休憩がしたい。。

    もう、それだけの気持ちで、
    港の近くのカフェレストランに入って、
    主人はコーラ、私はスプライトを頼みました。

    美味しい~。

    こんなに美味しいスプライトは初めてかも。

    シュワシュワッとした炭酸が、体中に広がる感じ。
    生き返りました。

    テラス席ですが、日陰に入れて、椅子に座れて、
    冷たいものが物が飲めて。。

    もうそれだけで、ほんと極楽でした。(この言い方って古すぎ

    と。。

    突然私達の席の隣で、音楽のライブが始まりました。

    ギターとコントラバスの、ちょっと民族的な明るい曲でいい感じ。
    音楽付きの極楽になりましたね。

    防衛軍兵士戦没者記念室へ

    20分くらいの休憩で生き返った後集合。

    港に行く前にまだ時間があるとのことで、
    ガイドさんが、スポンザ宮殿にあるドブロヴニクの
    防衛軍兵士戦没者記念室に連れて行ってくれました。

    こちらは、スポンザ宮殿。
    戦没者記念室には無料で入れますよ。

    防衛軍兵士戦没者記念室の美しい天井にも
    砲弾の跡が残されています。

    そして、クロアチア紛争でドブロヴニクの為戦い
    亡くなった兵士全員の肖像写真が、
    この部屋に飾られているのだそうです。

    まだ、あどけなさが残る若者や、
    小さな子供がいたであろう優しい微笑みの男性。。

    戦争がなければ、家族とともにそれぞれの人生を
    楽しんだり、時には悲しみを共に乗り越えたり。。
    もっと長く素敵な時間を過ごせたはずなのに。。

    なんだか胸が苦しくなってきます。

    二度と戦争は。。

    平和な時代の日本で生まれ、
    戦争を実体験として知らずに生きてきた私。

    今平和な日本も、多くの若者の命を戦争で奪われてきました。

    日本各地の平和記念公園などに行った時の事も思い出されます。

    2007年母と私達の3人で訪れた広島平和記念公園や

       2007年2月 広島原爆ドーム 平和記念資料館

    2010年息子たちとともに行った沖縄の平和記念やひめゆりの塔

       2010年5月 沖縄平和祈念公園・ひめゆりの塔

    2011年、主人と二人で行った鹿児島知覧特攻記念会館

       011年11月 鹿児島知覧特攻記念会館

    どこの国も、いつの時代も、戦争をしてはならない。。

    全ての国が、お互いの国を敵として見るのではなく、
    同じ地球に暮らす仲間として隣人愛を持って
    相手を認め合い、助け合えば戦争はなくなるのに。。

    簡単な事でないのは分かっていますが、
    そう思わざるを得ません。

    。。って、話がちょっとそれてしまいましたね。

    桟橋から

    そして、いよいよアドリア海のミニクルーズです。

    桟橋の方へ歩いていきますよ。

    聖イバン要塞の中にある海洋博物館が見えています。

    海洋博物館では、海洋貿易の要所として発展してきた
    ドブロブニクの繁栄の歴史を見ることができるそうですよ。

    港には色々な船が入ってきたり、出て行ったりしています。

    桟橋から振り返ると、旧市街地とスルジ山が見えていますよ。

    左側3つのアーチがある建物はアルセナルという旧造船所です。

    アーチの左端に、グラッカカバナアルセナルという
    カフェレストランも見えています。
    旧港とルジャ広場にまたがる大きなレストランだそうですよ。

    アドリア海クルーズへ

    私達の乗る船が近づいてきました。
    ツァーの貸し切りボートのようです。

    あら。。海賊船のボートではなかったのね。。
    でも、優しそうな船長さんのボートです。

    さぁ、みんな無事にボートに乗り込んで、
    いよいよアドリア海ミニクルーズの始まりです。

     

    2019年クロアチア他2国の旅9
    ドブロブニク アドリア海ミニクルーズ
    に続きます。

     

    最後までお付き合い頂き
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    2021年の大文字

    2021-08-23 01:10:00 | 日常日記

    2021年の大文字

    8月16日、大文字の日。

    今年もコロナ禍での大文字でした。

    今年も昨年同様、
    大の字の火床(願い事を書いた護摩木を燃やす場所)を
    75箇所から6箇所に減らしての点火。

    妙法や船形・左大文字は、これも昨年と同様1箇所だけ、
    鳥居も2箇所だけの点灯です。

    誰もいない屋上

    点火時刻の8時ごろ、小雨がはらはらと降ってきました。
    雨だし、コロナ禍だし。。
    もう、テレビで見ているだけでもいいかもね。。
    なんて言いながらも、主人と二人で屋上に上がってみました。

    今年、母は、もうテレビで見るわと屋上に上がってきませんでした。
    母にとっては屋上まで上がることはもう大変な大仕事なのです。

    誰もいないひっそりとした屋上。。

    数年前まで、毎年のように皆が集まって焼き肉や焼きそば。。
    ビールやチューハイでわいわい盛り上がり、
    ギターに合わせて皆で歌を歌ったりしていたのに。。

    小雨の中の大文字

    小雨の中、煙をあげながら点灯した大文字。
    それでも、大の字がちゃんと分かり、この火を頼りに
    お盆にこの世に帰ってきていたたくさんの魂は、
    無事にあの世に戻られたと思います。

    あらめ炊き

    この日の夕ご飯は、デリバリーのお寿司。
    デザートは、きなこと黒蜜のわらび餅です。

    それに、母があらめとお揚げさんを炊いてくれました。
    最近、お料理なんてしたことのない
    96歳の母が作ったあらめ炊きです。
    ちょっとだけ辛めのなんだか懐かしい味。
    久々に母のお料理を食べました。

     

    来年の大文字はどうなっているんだろう。。
    昨年と同じ事を考えながら、

    それでも家族や周りの人にコロナ感染が出ず、
    なんとか皆無事に暮らしていることに感謝して
    これからもこのパンデミックを乗り越えていかないとね。

    でも、今は寂しくひっそりとした屋上、
    いつか、孫達と一緒に屋上で、
    賑やかで楽しい大文字がしたいな~。。
    やっぱり、そう願ってしまいます。

     

    2020大文字

     

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    2019年クロアチア他2国の旅7ドブロブニク オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)

    2021-08-20 01:08:30 | 海外旅行2019 6月 クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニア

    2019年クロアチア他2国の旅6ドブロブニク プラツァ通り~オノフリオ噴水
    の続きです。

    2019年クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニアの旅程
    1クロアチア ドブロブニクへ 2ドブロブニクホテルへ 
    3ドブロブニク・朝散歩 4ドブロブニク・スルジ山 
    5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場
    6ドブロブニク プラツァ通り~オノフリオ噴水 
    7ドブロブニク オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)
    8ドブロブニク 旧港・カフェ・戦争没者記念館 
    9ドブロブニク アドリア海ミニクルーズ

    2019年6月27日
    ルジャ広場に戻る

    オノフリオ噴水を見た後、もう一度東のルジャ広場に戻ります。
    西のピレ門から入っていたら、ここが1回で済んだということですね。

     

    でも、ドゥブロヴニク旧市街のメインストリート、
    プラツァ通りと並行する一つ南の道
    オド・プチャ通り(赤線の通りをガイドさんは通ってくれる様です。

    砲弾の跡

    ガイドさんの足が止まり、指さす先を見てみると、

    ここにも砲弾の跡が。

    1995年まで長期に渡って戦争が続き、旧市街の約8割が焼けたと言われる
    ドブロブニクの旧市街。

    人々は街を修復しましたが、
    でも、全てを完全に修復せずあえて傷跡を残すのは、
    戦争で亡くなった若者への祈りと、
    平和への願いがあるからなのでしょうね。

    二度と戦争をしてはならない。。と。

    自由都市国家ドブロブニク

    ドブロヴニクは、周囲に強固な城壁を造り、
    オスマン・トルコの支配や隣国の侵略を乗り越えてきました。

    中立を一貫して守り、自分から他国に戦争を仕掛けず、
    外部からの攻撃を防ぎ、海運、商業などで経済力をつけました。

    ドブロブニクは世界で最初に奴隷制度を廃止した都市国家でも
    あるそうです。

    そんなドブロブニクに息づいている思想は
    どんな黄金をもってしても自由を売ってはならない。

    この言葉を掲げるお店がありました。
    世界各国の言語で、この言葉が飾ってあります。

    ほら、日本語でもちゃんと書いてありますよ。

    オド・プチャ通り

    オド・プチャ通りはプラツァ通りほど広くありませんが
    両サイドにお店が並び楽しい通りです。

    このランタン型の看板も可愛い~。

    ケーテ・ウォルファルトではないけれど、
    一年中クリスマスグッズを売っているお店が
    ここにもありましたよ。

    このお店以外にも気になるお店がいっぱい。
    フリータイムの時、この通りにも買い物に来たいです。

    この白亜の教会はセルビア正教会。
    閉まっているようですが素敵な教会ですよね~。

    グンドリッチ広場の青空市場

    オド・プチャ通りの東の端は、広場に繋がっていました。

    ここはグンドリッチ広場といって、青空市場で有名な広場です。

    元々は広場ではなく建物が並んでいたそうですが、
    1667 年のドゥブロヴニク大地震で建物が倒壊したのを機に
    広場になったのだとか。。

    青空市には、野菜や果物、ジャム、はちみつ、干し葡萄。。
    美味しそうなものがいっぱい。

    雑貨やお土産も売っていますよ。
    これは、皮で作ったしおりかな。

    赤と白のパラソルが可愛い~。

    新鮮な牡蠣で有名なレストランカメニツェのテラス席。
    青と白の椅子が目印ですよ。

    イヴァン・グンドゥリッチの像

    この広場には、ドブロブニクの政治家であり詩人の
    イヴァン・グンドリッチの像があります。

    すばらしき自由よ

      自由は神からの偉大な贈り物であり

        我々の掌理のたまものである

       金や銀そして我々が造り出した如何なる諸物によっても

       真の自由は得ることができない

                イヴァン・グンドゥリッチ

    そうか。。先ほど街で見たドブロブニクに息づく思想は
    イヴァン・グンドゥリッチの思想だったんですね。

     

    聖イグナチオ教会

    グンドリッチ像の背後には階段があり、
    この階段を登れば聖イグナチオ教会です。

    この階段は、ローマのスペイン階段に似ていると
    言われているそう。そういえば、ちょっと似ているかな。。

    2004年6月 イタリアバチカン市国・ローマスペイン階段・真実の口

    私達は聖イグナチオ教会には行っていませんが
    高台にある教会なので、ここからの見晴らしは
    とても素敵なんだそうです。

    青空市はたくさんの人で一杯。楽しそうなものも一杯。

    また、フリータイムの時、ここにも戻ってきたい。。なんて思いながら、
    ガイドさんに連れられて、グンドリッチ広場のお向かいにある
    旧総督邸(レクター宮殿)へ向かいます。

    旧総督邸(レクター宮殿)

    これは、ラグーサ共和国(後にドブロブニク共和国)の
    行政、立法などが行われたレクター宮殿。
    現在は、ドブロブニク歴史博物館となっています。

    彫刻のあるアーチが連なる正面入口が素敵ですね。

    ここの入館は予定に書いてなかったのですが
    ガイドさんがさっと案内して下さいました。
    有料の歴史博物館には入っていませんが。。

    びっくりしたのは、総督の話。

    総督は、ドゥブロヴニク貴族から選ばれ任期は1期1ヶ月
    短いのは権力を持ち過ぎない為で、無報酬の名誉職だったそうです。

    任期中は、情報を漏らして汚職につながらないように
    総督は、総督邸から1歩も外出できず家族や知人とも会えなかったそう。
    この総督邸に一月間缶詰で町の為に奉仕したそうです。

    旧総督邸の入り口の上の石には、ラテン語で

    「私事は忘れ、公事に集中せよ」と書かれています。

    すごいですよね~。

    どこの国でも、権力や富や人脈を持ち、
    それを離そうとしない政治家が多いのにね。。

    いや。。このコロナ禍、皆の為に身を削って頑張っている
    政治家の方がおられるのは分かっていますけど。。

    でも、色々な政治家さんにこの話を知ってほしいなって
    ちょっと思ってしまいました。

     

    こちらは階段に取り付けた手の形をした手すり。
    なんか、可愛いですよね。

    この手すり結構有名なんだそうですよ。

    ミホ・プラチャッツの胸像

    そんなドブロヴニクですから、独裁的な力を持つ人物を作らない為、
    個人の彫像建造はずっと許されていませんでした。

    でも、共和国の長い歴史の中で
    この人の胸像だけ唯一建造を許されたのだそうです。

    それは、貴族ではなく一人の庶民。。ミホ・プラツァット。

    ミホ・プラツァットは、元はロパド島出身の船乗りでしたが、
    商才を活かして貿易船を持ち大富豪となり銀行家にまでなった人です。

    築いた財産を、災害で家を失った人、孤児、遭難した船乗りの遺族
    など恵まれない人の為街へ寄付しました。
    貴族ではないけれど、
    1663年総督にも選ばれているのです。

    唯一造られた像が貴族ではなく、街の皆の為に尽くした庶民だった。。
    なんか、いい話ですよね。
    ドブロブニクの人達、なんか粋なことをしますよね~。

    でも、決まりで胸像は街には置けないということで、
    総督邸の内部の柱と柱の間に置かれているのだそうですよ。

    さて、この後、すぐ近くの大聖堂や聖ブラホ教会など
    ルジャ広場の観光だと思っていたのですが、

    アドリア海ミニクルーズの時間確認の為
    一旦港に向かう事になりました。

     

    2019年 8ドブロブニク 旧港・カフェ・戦争没者記念館
    に続きます。

     

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    熱かった夏・あの日から20年 

    2021-08-17 19:07:07 | 友達・仲間

    毎日毎日雨が続き、洪水や土砂災害の被害も出ています。

    コロナ感染で昨年できなかった高校野球夏の大会、
    今年は観客を学校関係者に限定して行われていますね。

    高校球児たちにとっては、開催されただけでも嬉しく、
    昨年参加できなかった先輩たちの分まで!
    と力強く思っているでしょうね。

    でも、これだけ雨の日が続くと、遠くから来られている
    チームは、宿泊の事練習の事、本当に大変だと思います。

    昨日の夜は、高校野球史上最遅のナイター試合。
    今日の第一試合は降雨コールドゲームで8回表途中終了。
    まだ可能性があるのに、負けた東海大菅生高校は
    本当に悔しかっただろうと思います。

    でも勝った大阪桐蔭は、
    相手チームの思いの分まで背負って頑張ると誓ったそう。

    今度は青空の下、思いっきりプレーさせてあげたいですよね。

     

    わかさ球場へ

    さて、今年の7月の事ですが、、20年ぶりに、
    高校野球の京都大会、次男の母校の野球応援に
    わかさ球場まで行ってきました。

    2001年、次男高3の夏、高校野球京都大会、
    ベスト8で敗れてから20年が経つんです。

    白球を追いかけた息子達の高3の夏が終わり、
    その息子達を追いかけ、一緒に喜び一緒に泣いた
    私達親の熱く楽しい6年間が終わった日でした。

    甲子園を夢見ながらも、
    その夢に手が届くことがなかった息子達。

        

    あの日から、西京極球場(今のわかさ球場)に行くチャンスは
    何度もあったのに、なんだか足が向きませんでした。

    ちょうど主人も私も現役の真っただ中、
    仕事が忙しい時期でもあったのですが
    多分,あの時見た夕焼けの景色が忘れられず、
    色々な思いがあふれ出し過ぎて。。
    足が遠のいていたのだと思います。

    20年ぶりの高校野球観戦

    今年の大会もコロナ禍もあり、球場に行く気はなかったのですが
    主人に久しぶりに行ってみる?と誘われ、
    20周年やしな~。。と思って、二人で出かけてきました。

    思い出の野球部Tシャツとタオルを引っ張り出し、
    主人は悩んだ挙句Tシャツも着て。。
    私も野球部のタオルを持って行きました。

     

     

    試合は、始め負けていたもののフォアボールをきっかけに逆転。

    喜んだのもつかの間、またまた逆転されるシーソーゲーム。

    でも、逆転されたあとすぐに点数を取り返し、

    その後も追加点を入れ勝利することができました。やった~。

    ハラハラドキドキのゲーム展開。

    もちろんマスクをして、大きな声での応援はできないけれど、
    同期の保護者で作るラインに実況を入れて皆で盛り上がったり
    20年前を思い出す楽しい野球観戦でした。


    残念ながらこの後の試合で負けてしまい、今年も甲子園には
    手が届きませんでしたが。。

     

    あの日から20年

    息子たちの最後の試合が終わった10年後の
    2011年には、10周年記念アルバム作りをしたり
    試合後打ち上げをした同じレストランで
    10年後の再会をしたりしました。

     10年目の約束1あれから10年 
     
     10年目の約束2記念のアルバム作り

     10年目の約束3 しょうざんでの再会

     

    20年後の2021年夏にも皆で集まろうね。
    そのころには息子たちの子供もたくさんいて、
    賑やかな集まりになるねと楽しみにしていたけど。。

    コロナ感染の拡大はそんな思いも奪ってしまいました。
    今また感染が拡大し始めているこの状況下では何もできません。

     

    息子たちは、30代後半の現役世代として、コロナ禍でも
    今それぞれの分野で一生懸命働いている事でしょう。

    私達親世代は、ほとんどがリタイヤして年金生活組です。

    直接は会えないので、ライングループで、
    いつか会いたいね~、
    会って美味しいビールが飲みたいね~とつぶやく日々。

    コロナが収束しても、しばらくは大人数での宴会はできないでしょうが、

    でも、きっといつか皆でわいわいしながら、
    あの時はお互い大変やったな~なんて笑いあえる日がくると信じて、

    毎日をそれなりに頑張っていきますかね。

     

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    海外旅行(ヨーロッパ)ランキング

     主人や家族と行った海外旅行や国内旅行の思い出を
    忘れない様に残しておきたいと記録に綴っています。

    また、これから行かれる方の参考に
    少しでもなったらいいかなとも。。 

    ありがとうございました。
    これからもよろしくお願いします。 

     

     

     

     

     

     

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    2019年クロアチア他2国の旅6ドブロブニク プラツァ通り~オノフリオ噴水

    2021-08-15 14:55:39 | 海外旅行2019 6月 クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニア

    2019年クロアチア他2国の旅5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場
    の続きです。

    2019年クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニアの旅程
    1クロアチア ドブロブニクへ 2ドブロブニクホテルへ 
    3ドブロブニク・朝散歩 4ドブロブニク・スルジ山 
    5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場
    6ドブロブニク プラツァ通り~オノフリオ噴水 
    7ドブロブニク オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)
    8ドブロブニク 旧港・カフェ・戦争没者記念館 
    9ドブロブニク アドリア海ミニクルーズ

    2019年6月27日

    プラツァ通り

    ルジャ広場には後で戻ってきて観光するという事なので
    私達は、まずプラツァ通りを歩き始めました。

    プラツァ通りは西の入り口であるピレ門とルジャ広場とを繋ぐ
    メインストリートです。



    ドブロブニクの旧市街の真ん中を南北に分ける通りで
    ストラドゥンとも呼ばれています。

    でも、向うに見えているのがピレ門側の端。
    フランシスコ会修道院の塔も見えています。

    そうなんです。。

    プラツァ通りは、200メートルくらいしかない
    とても短い通りなんですよ。

    石畳の両側には、石造りの同じような建物が
    並んでいます。
    これは、1667 年のドゥブロヴニク大地震の後に
    建てられたものだそうです。

    その建物にはカフェやレストラン、ショップが軒を連ねていて、
    プラツァ通りは、ドブロブニクの人気観光スポットになっています。

    大きなパラソルの下に、カフェのテラス席もありますよ。

    プラツァ通りからは、狭い路地が左右にいくつも延びています。

    こういう生活感の漂う狭い通りを歩くのも
    楽しいでしょうね。

    砲弾の跡

    ガイドさんが、プラツァ通りの途中で立ち止まり、
    ここを見て下さいと傘で道を指しています。

    ここも、内戦の時、砲弾を受けて損傷した跡だそうです。

    二度と戦争をしない事を誓う為、ドブロブニクの旧市街には
    このような戦争の傷跡がそのまま色々な所に残されているのですね。



    記念写真

    プラツァ通りでちょっと記念写真。
    背景はルジャ広場の時計台(鐘楼)です。

    私達の後ろの若者たちも記念写真を撮っている様子。
    彼らは、ピレ門側のフランシスコ会修道院が
    背景のようですね。

    フランシスコ会修道院

    そのフランシスコ会修道院がもうすぐです。

    ところで、このプラツァ通りの石畳、すごく輝いていると
    思いませんか。

    通りに敷き詰められた大理石の石畳は、
    数百年に渡って人々がその上を歩いたことで
    ピカピカに磨き上げられ、
    今では鏡のように美しい輝きを放っているのだそうです。

    夜にライトがつくと光を反映して
    この通りは幻想的な世界になるのだとか。。

    夜も見たかったな。。と思っています。

     

    そして、こちらがフランシスコ会修道院。

    1317年に着工されたフランシスコ会修道院は、
    1667年のドゥブロヴニク大震災後に、ほとんどが改築されたそう。

    一見地味な歴史的建築物ですが、中には美しい庭があるそうです。

    この修道院には、1317年創業で今も営業中の
    マラ・ブラチャ薬局があります。

    ヨーロッパで3番目に古く、
    クロアチア国内最古の薬局で、
    この通りから入っていったところにありますが
    店内は写真撮影禁止でした。

    オリジナルのハーブやローズを使用した自然派コスメが
    有名なんですよ。

    ピレ門側の城壁

    その隣はピレ門側の城壁です。
    城壁の上に観光客が登っているのが見えますか。


    アップすると分かりやすいかな。
    私達もあとでフリータイムの時にここに登りましたよ。

     

    この細い階段がピレ門の城壁への出入り口です。

    オノフリオ大噴水

    フランシスコ会修道院前にオノフリオ大噴水という
    大きな噴水があります。

    これは、12 km 離れたドブロヴァチュカ川から、
    水路を造って飲料水を街の中へ送り、
    ドブロブニクの人達の水源にするため
    1438年に建設された噴水だそうです。
    それ以後ずっとドブロブニクの人達の生活の拠点になったそう。

    そんな昔からしっかりとした給水施設があったなんてちょっと驚きです。

    元々は多くの彫刻や装飾で飾られていましたが、
    1667 年の大地震でたくさんの装飾は失われてしまったそうです。

    でも、今も16枚のレリーフが飾られていて、
    その顔の口から水が出ています。

    このお水は、観光客にも恵みの水。
    顔を洗ったり、ペットボトルに冷たい水を
    入れたりしている人もいます。

    プラツァ通りのもう一方の端、
    ルジャ広場の鐘楼の隣には、
    オノフリオ小噴水もあるそうですが、
    それは、あとで。。

     

    2019年クロアチア他2国の旅7ドブロブニク
     オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)

    に続きます。

     

     

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    今年のお盆

    2021-08-14 12:31:00 | 日常日記

    オリンピックが猛暑の中、大きな感動と感激
    そして、たくさんのメタルとともに終わりましたね。
    ボランテイアの方たちの日本のおもてなしも素晴らしく
    海外からも大きな称賛を頂いているみたいで、
    同じ日本人としてなんだか誇らしい気がします。

    ところがオリンピックが終わったとたん
    雨の日がずっと続き、洪水災害の危険が各地に迫っています。
    コロナ感染も過去になかった拡大を見せているし、
    今年のお盆もパンデミックの中。

    我が家も、もちろん息子たちの帰省もなく、
    この雨ではお墓参りにも行けないし、
    静かでゆっくりとした時間の中のお盆。。と思っていたら

    今朝ベランダの排水溝が落ち葉で詰まっていたのか、
    大雨でベランダに水が溜まってしまっていてびっくり。

    雨が少しましになったのを見計らって
    主人が合羽を着て排水溝の落ち葉取りをしてくれ、
    なんとかベランダの水が流れてくれてほっとでした。

    でも、朝から二人でばたばた。。
    疲れてしまった。。

    そうそう。。こんな時に食べようと買っておいた、
    マールブランシェのきよみの滴を冷蔵庫から取り出して、
    ちょっと休憩。

    きよみおれんじ100%のゼリーです。
    爽やかなオレンジンの香りがお口に広がって美味しい。

    ビタミンCでちょっと疲労回復するかな。

     

    来年こそは、災害も感染もない楽しいお盆になってほしい。。
    今また、激しく降る雨の音を聞きながら、そんな風に思っています。

    皆様も、どうか、洪水・土砂崩れ・コロナ感染に注意して
    お過ごしください。

    それと、ベランダの排水溝のチェックもですね。

     

     

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    2019年クロアチア他2国の旅5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場

    2021-08-10 00:21:00 | 海外旅行2019 6月 クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニア

    2019年クロアチア他2国の旅4ドブロブニク・スルジ山
    の続きです。

    2019年クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニアの旅程
    1クロアチア ドブロブニクへ 2ドブロブニクホテルへ 
    3ドブロブニク・朝散歩 4ドブロブニク・スルジ山 
    5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場
    6ドブロブニク プラツァ通り~オノフリオ噴水 
    7ドブロブニク オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)
    8ドブロブニク 旧港・カフェ・戦争没者記念館 
    9ドブロブニク アドリア海ミニクルーズ

    2019年6月27日

    スルジ山から降りてきました。

    通りはドブロブニク旧市街地に行く観光客で賑わっています。

    私達もこの辺りで車を降りて、旧市街地の観光に向かいます。

    プロチェ門とピレ門

    ロープウェー乗り場に近い門はプロチェ門です。

    本来ドブロブニクの旧市街地の観光は、
    反対側のピレ門から入るのが普通なのだそうですが、
    ピレ門側の駐車場がいっぱいで車が止められず、
    プロチェ門からの観光という事になりました。

    ガイドさんは申し訳なさそうでしたが、
    私達はよく分かっていないので
    別にどちらからでもかまわないという雰囲気です。。

    こちらの写真は先ほどのスルジ山から見たドブロブニクの旧市街地。
    アドリア海に面した方の門がのプロチェ門。
    反対側はピレ門で、その間をプラツァ通りというメーンストリートが
    繋いでいます。

    下の地図は上の写真と左右が反対ですが、

    ピレ門から入ったら、プラツァ通り(メインストーリー)を
    通って、そのまま大聖堂や港など観光名所が多く集まるルジャ広場側に
    で行けるけど、

    プロチェ門から入ったらプラツァ通りを通ってピレ門まで行った後、
    もう一度ルジャ広場側に戻らないといけないんですね。

    それで、ガイドさんが申し訳なさそうにされてたんです。

    でも、戻る時は違う道を通って下さったので、
    色々な道を案内してもらえて、却ってよかったですよ。

     

    プロチェ門

    さて、跳ね橋であるこの門がプロチェ門です。
    ここから旧市街地に入っていきます。

    城壁にある門には守護聖人である聖ヴラホの像があります。

    連絡橋の上から、聖イバン要塞とアドリア海、
    港に停泊する白いクルーザーが見えています。

    素敵~、これも絶景ですよね~。

    橋の四つ葉のクローバーのような窓から写真を撮る人を見て
    私も撮りたかったですが。。

    皆がどんどん進んでいくのでだめだめ。。置いていかれる。。

    ドブロブニクの旧市街


    プロチェ門を下りたらドブロブニクの旧市街に入ります。

    旧市街地が高い城壁で囲まれているのがよく分かりますよね。

    中世、ドブロブニク共和国(ラグーサ共和国ともいう)は、
    アドリア海に面する港で、海外貿易(特に塩貿易)をし、
    経済面・文化面で、飛躍的な発展を遂げていったそうです。


    この堅固な城壁は、ドブロブニクの自由と自治を、
    他者から守るために築かれた城壁だそう。

    こちらは、その城壁への出入り口ですよ。

    後でフリータイムの時にここから城壁に登るので
    よく覚えておかないと。

    内戦の傷跡・危機遺産

    1991年からの内戦で、ドブロブニクの旧市街地は
    旧ユーゴスラビア軍の砲撃を受け、瓦礫の山となり
    街は崩壊の危機に直面しました。

    この地図は、内戦で受けた旧市街地の砲撃の様子を
    表しています。

    この地図を見ると、旧ユーゴ軍、セルビア軍が
    山から海から空から、旧市街地のあらゆる場所を爆撃した事や
    その被害の大きさが分かります。

    戦争でドブロブニク旧市街地の世界遺産登録も、
    危機遺産(武力紛争、自然災害などで
    遺産としての価値が失われそうになっている世界遺産)
    登録に変更されたそうです。

    戦争終結後、国際的な協力体制の下、
    内乱で破壊された石や煉瓦物も利用して旧市街地の修復をし、
    1998年に世界遺産に戻ったそうで、よかった~。

    でも、大切な人の命を奪うだけでなく、
    貴重な建物や歴史遺産を奪う戦争は
    絶対あってはならないですよね。

    ドミニコ会修道院

    ドミニコ会修道院は、プロチェ門のすぐそばにある修道院です。

    旧市街の反対側ピレ門側の端にあるフランシスコ会修道院と
    ペアになっている修道院です。

    修道院と言っても飾りなどはほとんどなく小窓が少しあるだけの
    まるで要塞のような建物ですが、

    事実、都市防衛に役立つよう設計されていて、
    武器の格納庫として利用されたこともあるそうです。

    先の方に小さく見えている階段を上がると
    ドミニコ会修道院の中に入っていけます。

    ドミニコ会修道院の階段手すり

    注目したいのはその階段の手すり。

    手すりをよくみると、下から 3 分の 1 ほどの高さまで、
    手すりの隙間が薄い石の板で隠されています。
    (分かりづらいと思いますが

    これ、実は、昔、階段を登る女性のドレスの下から
    足首が見えないようにと作られたものだそう。

    ミニスカートならわかるけど、
    当時は裾の長いロングドレスなのに。。
    中世においては、女性の足首を見せる事さえマナー違反だったのかな。

    時代が変わると基準も変わるってことですよね。

    私達はドミニコ会修道院の中には入っていませんが、
    中には、ゴシック様式の美しい回廊や庭園もあるそうです。

    ルジャ広場

    そのまままっすぐ歩いてルジャ広場に出てきました。

    ルジャ広場には、ドゥブロヴニクの守護聖人聖ヴラホを祀った聖ヴラホ教会や
    スポンザ宮殿、時計台。。など様々な見どころがいっぱいあります。

    でも、ルジャ広場には後で戻ってきてから観光するという事で。。

     

    私達は、まず、ドブロブニクの旧市街のメインストリート
    プラツァ通りをピレ門に向かって歩き始めました。

    その前に記念写真を一枚。

    背景は、ルジャ広場にあるオーランドの柱ですが、
    只今修復中でした。。

    2019年クロアチア他2国の旅6ドブロブニク
     プラツァ通り~オノフリオ噴水

    へ続きます。

     

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    2019年クロアチア他2国の旅4ドブロブニク・スルジ山

    2021-08-07 16:02:00 | 海外旅行2019 6月 クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニア

    2019年クロアチア他2国の旅3ドブロブニク・朝散歩
    の続きです。

    2019年クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニアの旅程
    1クロアチア ドブロブニクへ 2ドブロブニクホテルへ 
    3ドブロブニク・朝散歩 4ドブロブニク・スルジ山 
    5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場
    6ドブロブニク プラツァ通り~オノフリオ噴水 
    7ドブロブニク オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)
    8ドブロブニク 旧港・カフェ・戦争没者記念館 
    9ドブロブニク アドリア海ミニクルーズ

    2019年6月27日

    スルジ山へ

    本日は、ドブロブニクの観光。
    まずは、ドブロブニク旧市街地の背後にあるスルジ山へ向かいます。

    スルジ山は、山の頂上から見るドブロブニクの旧市街や
    アドリア海の景色が素晴らしく、
    大人気の観光スポットだそうです。

    ホテルを出たバスは、アドリア海を見ながら走ります。

    城壁がドブロブニクの街を囲っているのですよ。

    ロープウェーがスト?

    バスは旧市街地近くに到着。
    ここからスルジ山頂まではロープウェーで3~4分ほどなのだそうです。

    ところが、なんか様子が変でばたばたしている感じなのです。
    どうしたんだろう。。と思っていたら
    本日は、スルジ山へのロープウェーが、ストで運行していないのだとか。

    え~え、まさか、スルジ山に登れないの。。

    一番人気の観光地なのに。。と心配しましたが
    タクシーがチャーターできたようで、
    7台位のタクシーにそれぞれ乗り込んでスルジ山へ向かう事に
    なりました。    。。。

    でも、観光客は私達だけではありません。
    観光客皆がタクシーで山頂へ向かうので
    山頂への入口はご覧の通りの大渋滞。

    これじゃ、いつになったら山頂に着くんだろう。。
    って感じですよね。

    渋滞を回避

    私達5人位が乗ったタクシーの運転手さんは、
    若くてイケメンのお兄さん。
    それにちょっとくらいの日本語もしゃべってくれます。

    初めずらっと繋がる渋滞の道をのろのろと走っていましたが

    ちかみち、ちかみち~と言い
    突然脇道にそれて、渋滞を回避してくれた様子。

    道は確かに空いているけど、なんか近道なのか遠回りなのか。。

    でも、くねくねとした道を走ったら、海岸に面した道へ出て、
    突然、タクシーの中から、アドリア海と大きな島が見えました。
    わ~、綺麗~。

    うみ~うみ~と運転手さん。
    私達にこの景色を見せようとしてくれていたのかな。

    この緑の島は、ロクルム島。

    人は住んでいないとのことですが、旧市街から船で20分程で行け、
    美しいビーチや自然の中の野生動物(特に孔雀たち)と遊べます。
    歴史ある修道院や城砦の廃墟も楽しめるリゾートアイランドだそうですよ。

    。。って、これは運転手さんの説明ではありません。
    後でガイドさんに教えてもらったことです。

    白いヨットが何艘も紺碧の海を走っています。
    ドブロブニクの旧市街地も見えて、ラッキ~。

    これで、近道ならほんといいよね~。
    なんて、皆で盛り上がっていましたが、

    主道路に合流しようとしたら、あら。。道が全然空いていますね。。

    あの渋滞はどこにいったのかしら。。

    近道を通り一番にたどり着けるはずの頂上でしたが、
    グループの中で後ろから2番に到着。

    近道ではなかったけど、でも、海や島が見れてみんな満足でした。

    白い十字架

    スルジ山山頂には、1806年から10年間ナポレオン軍が占領した際に
    建設した帝国要塞とナポレオンが贈呈した白い十字架がありました。

    1991年から1995年のセルビアの独立戦争の時、
    主戦場の一つとなったスルジ山。

    要塞も白い十字架も銃撃を受けて壊滅したそうですが
    今はまた再建されています。

    内戦の傷跡

    要塞の一部でしょうか。。
    独立戦争の際に旧ユーゴ軍に砲撃された傷跡が生々しく残っています。

    剝き出しになった鉄骨、崩れかけたままのコンクリート壁。。
    二度と戦争を起こさない為、あえて傷跡を残しているのです。

    1969年からあったロープウェイも独立戦争の時に破壊され、
    再建されるまでのおよそ20年間は廃墟となっていたそうです。

    その間は頂上まで行くのに、車でぐるっと回りながら行くか(今日の様に
    ジグザグの山道を1時間近く歩くしかなかったそうです。

    2010年にロープウェイが再開されて以降は、山頂までたった3分半で
    行けるようになったのですが、

    今回は大人の事情で止まってしまっていました。

    バギーアドベンチャー

    内戦の傷跡の横には、バギーのアドベンチャーのアトラクションも
    ありました。

    ハワイのクワロアランチでバギーアドベンチャーを
    経験した事がある主人は、なんかちょっと気になるみたい。

    ハワイオアフ島の旅4 ルームサービス・クアロアランチ

    でも、個人旅行ではないので、もちろんちらっと横目で見るだけです。

    旧市街地を一望

    さて、いよいよドブロブニクのオレンジ色の旧市街地が
    一望できる場所まで上がっていきます。

    レストラン「Panorama 」

    スルジ山の標高は412メートル。

    素晴らしいアドリア海とロクルム島、手前に美しい旧市街が
    見えてきました。
    左端の白いパラソルは、山頂にあるレストラン「Panorama 」のもの。

    絶景を見渡せるレストランとして有名なのだそうです。

    アドリア海の真珠

    碧く輝くアドリア海とグレーの城壁、白い建物、オレンジ色の屋根屋根。

    これがまさしくアドリア海の真珠と称される場所なんですね。

    アイルランドのノーベル文学賞受賞作家
    ジョージ・バーナード・ショーが、この地を訪れた時、

    Those who seek paradise on Earth should come to Dubrovnik

    もしこの世の天国を見たいのならば、ドゥブロヴニクに来るべきだ
    と言ったと言います。

    なるほど。。さすがにノーベル文学賞受賞作家の表現はすごい。。

    ドブロブニク旧市街の正面に浮かぶ無人島、ロクルム島。

    この島は、ヌーディストビーチがあることでも知られているそうですよ。

    そのエリアは、もちろん写真撮影は厳禁で水着も禁止なのだそう。
    全ての人が裸でないと入れないビーチなのだそうで、
    勇気ある人しか入れないですね。

    山頂で絶景を背景に写真を一枚。

    ほら、展望台はこんなに賑わっています。

    レストラン横のこちらの景色も、
    広々としていい感じですよ~。

    ロープウェイー駅登り口

    さて、今度はまたタクシーで下まで降りていきます。

    もうすぐ下の道路という所で、今日乗れなかった
    スルジ山のロープウェイー駅登り口を発見。
    ストを知らない何人かの観光客の方がおられました。

    ほんと、こんないいお天気の日にストをしなくてもいいのにね。。

    さて、下の道路まで降りてきました。

    これからは、ドブロブニク旧市街の観光が始まりますよ~。

    2019年クロアチア他2国の旅5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場

    へ続きます。

    最後までお付き合い頂き
    ありがとうございました。

    たんぽぽのお花
    ぽちっと押してく.ださいね。

     

    いつもご訪問ありがとうございます。    

    2020年9月18日で、
    ブログをつけ始めて5000日目。
    これからもマイペースで頑張っていきます。

     

     

     

    コメント (6)

    2019年クロアチア他2国の旅3ドブロブニク・朝散歩

    2021-08-03 13:13:13 | 海外旅行2019 6月 クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニア

    2019年クロアチア他2国の旅2ドブロブニクホテルへ
    の続きです。

    2019年クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニアの旅程
    1クロアチア ドブロブニクへ 2ドブロブニクホテルへ 
    3ドブロブニク・朝散歩 4ドブロブニク・スルジ山 
    5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場
    6ドブロブニク プラツァ通り~オノフリオ噴水 
    7ドブロブニク オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)
    8ドブロブニク 旧港・カフェ・戦争没者記念館 
    9ドブロブニク アドリア海ミニクルーズ

    2019年6月27日(金)

    朝6時ごろ目覚めです。

    夕べ、音楽のせいで寝にくかったですが、
    でも、寝てしまえば朝までぐっすりだったので
    気分はばっちりです。

    窓の外のテラスレストラン。
    音の犯人はこのレストランだったのですね~。
    向うに見えるのはアドリア海。
    今日もいいお天気の様です。

    ドブロヴニクは、13世紀ごろから地中海交易の拠点として
    繁栄したクロアチア南部の要塞都市。

    昔は戦いの色で染まったアドリア海も、
    今は、平和で穏やかな青い海。

    朝の散歩

    朝食前に、ちょっと散歩することにしました。
    こちらが、私達が泊まったvillaの入口です。
    両サイドをライオンの像が守ってくれていますよ。

    アジサイの花がとても綺麗に咲いていました。

    アジサイの花の向こうに見えるドブロブニクの町並み。
    この雰囲気は海外に来た~って感じです。

    まだ、ひっそりしているホテルの庭園。

    プールもまだ誰も使っていませんね。

    あ。。薔薇の花も満開~。

    そして黒猫ちゃんを発見。
    観光客に慣れているのでしょう。
    人懐っこくて、全然逃げようとしません。

    くりくりお目目の可愛い黒猫ちゃんでした。

    ホテルの外へ

    少しホテルの外へも出てみることにしました。
    こちらは、ホテルのバスの駐車場。
    私達のバスは、あの黄色いバスですよ。

    ホテル内のレストラン。外からの入口ですね。

    振り向くと、グランドパークホテルが。。
    青い空が眩しいです。

    スーパーへ

    歩いて5分ほどの所に、朝7時から開いているスーパーがあると
    聞いていたので、そのまま行ってみる事にしました。

    青い空に白壁の家々がよく似合っています。

    スーパーTOMMY(トミー)

    クロアチアには、Konzum(コンズム)、PEMO(ペモ)、
    TOMMY(トミー)といったスーパーがありますが、

    クロアチアで全国展開しているスーパーTOMMY(トミー)が
    ありました。

    結構大きなスーパーですよ。

    お店の前で何人かの人が開店を待っていました。
    私達も1~2分待って開店と同時に入店し、色々と物色。

     

    色々なお菓子を買ってきました。
    お土産というより途中で私達が食べるおやつかな。

    TICTACという清涼小粒菓子。
    ミント味もフルーツ味もすっごく美味しかったです。
    もっと買っておけばよかった。。

    ホテルで朝食

    ホテルに戻って朝食です。

    遅くなってはいけないので、
    スーパーの買い物袋をもったままレストランへ。

    でも。。あれ。。なんか空いていますね。
    皆まだなのかな。。それとも、もう食べ終えた。。

    その後何人かのお仲間を見つけてほっとでした。

    朝は、いつものビュッフェ。
    結構色々なお料理が並んでいました。

    パンと卵料理とお野菜と果物。フレッシュジュースも。

    外の景色を楽しみたいので、空いている時はいつも
    できるだけ窓際の席を取ることにしています。

    レストランの窓からはプールが見えています。

    青い空と青い水、白いプールサイドチェアが光り、
    その向こうには碧いアドリア海もちらっと。

    朝食を食べながらこういう景色が見られるのは海外ならでは、
    本当に素敵だな~って思います。

    さて、部屋へ帰って、本日の観光の用意を。

    今日は、これから、ドブロブニク観光。
    まずは、スルジ山に登って、山の上から
    ドブロブニクの旧市街地を眺めます。

     

    2019年クロアチア他2国の旅4ドブロブニク・スルジ山
    へ続きます。

    最後までお付き合い頂き
    ありがとうございました。

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