武谷敏子の自分史ノート

埼玉県比企郡嵐山町女性史アーカイブ

六十二年度の町の事業について 嵐山町長・関根昭二 1987年

2010-05-18 17:53:00 | 『しらうめ』8号(1987)

 昭和六十二年(1987)度の町の予算は、三十四億五千七百万円であります。収入では町税が十二億九千九百万円で、住民一人当り七万五千六百八十二円になります。また国からもらえるお金が八億五千七百万円ほどを予定しています。支出の方では土木費が九億三千万円で全体の二十六・九%です。次は教育費の五億円で五番目は公債費(今まで町が借りたお金を返済するための元金と利子)で三億九千万円にもなります。
 本年は嵐山町が町制を施いてから二十年になりますので、その記念の式典、行事、事業等を考えております。四月二十四日には県の植樹祭を歴史資料館の中で実施します。二十九日には芸能大会を、三十日には式典を、またこの日午後からは、タイムカプセルの埋設を行います。これは小中学生の皆さんに作文を書いていただいて、それを埋めて二十年後に掘り出して見ようというものです。二十一世紀を担う、青少年の皆さんがどんな夢をこの作文に記すのか、考えただけでも胸躍る思いがいたします。五月五日の子どもの日には、子ども議会を開いて、民主主義の基本であります議会の様子を知っていただきまた認識を深めていただきたいと思っております。五月十二日には待望のB&G財団、嵐山海洋センターが竣工いたしますので、五月十七日を町民スポーツの日と定め、すべての町民が健康な町づくりのために、スポーツに参加していただくように呼びかけたいと思っております。
 また、ここには、一万平方メートルの運動場が整備されておりますので、老人によるゲートボール大会を予定しています。体育館の中では昨年から始めました重忠綱引大会を実施いたします。式典やスポーツ大会の模様はテレビ埼玉に撮影していただきビデオ・テープを作製したい考えであります。
 またご承知のように二瀬橋を中心に、学校橋から一キロの間、昨年多くの町民の方々のご寄贈によりまして桜の木を植えました。この土堤に芝生が植栽されましたので、やがて桜と芝生が調和した堤が出来上ることになるでありましょう。さらに本年度は八幡橋までの堤防を改修いたしますので、ここにも桜の木を植えてゆきたいと考えております。
 秩父連山を眺め、都幾の清流流れるこの地が町民の憩いの場として、またスポーツの中心地として、多くの方々に親しまれる日の来ることもそう遠くないものと信じます。
 一方、町では活力ある嵐山町をつくるべく北部地域に工業団地を建設するため力を傾注しております。幸い県企業局によりまして、総事業費二百十億一千万円の予算が計上され、本年度より七ヶ年継続事業として実施されることになりました。地権者の皆さま方の理解と協力を得ながら、何としてでもこの事業を実現しなければならないと固く心に誓っておるところであります。なおまた、これに併せまして関越自動車道東松山-花園間にインターチェンジを建設すべく運動を展開しております。
 さらに駅東土地区画整理事業も着々と進行しておりますが、将来は駅前広場ができ、十五メートルの道路がそこから北に伸び、平沢から川島に向けての十二メートル道路と区域内で交差するようになっております。また東と西を結ぶ路線橋も六十四年度までには造りたいと願っております。
 このようにさまざまな事業がそれぞれの地域で計画され、実施されておりますが、これらの事業が実現するためには、町民の多くの方々のご協力が必要でありまして、心の和と、燃え上がる意欲が嵐山町を住みよい豊かな魅力ある町として築き上げるものと思います。
 新しい明日の嵐山町のために、躍進する嵐山町のために一層のご支援を心からお願いいたします。

   菅谷婦人会『しらうめ』第8号 1987年4月