武谷敏子の自分史ノート

埼玉県比企郡嵐山町女性史アーカイブ

信頼 嵐山町教育委員会教育長・飯島留一 1990年

2010-07-12 23:50:00 | 『しらうめ』11号(1990)

 窓外に見える緑がひときわ美しい季節になって参りました。とりわけ雨に洗われた緑の葉は陽光にまぶしく映えます。
 それと同時に、待ちに待っていたスポーツシーズンの幕開けです。プロ野球のファンであるわたしは、テレビを観ながら一喜一憂します。
 それにしても不思議なのは巨人軍の強さです。昨年は日本一に輝きました。しかも、三連敗のあとの四連勝です。勿論、運やつきもあったのでしょうが、それだけでは、あれだけの劣勢をはねかえすことは到底できないことのように思います。その強靭なねばりは、監督と選手の信頼の絆であったように思われてなりません。
 野球解説者の佐々木信也さんは藤田監督と王監督の違いをこのように言っています。
 「藤田は選手を信頼し、王は選手を信頼しなかった、それだけの差です。これはちょっとキツイ言い方です。もう少し正確にいうと藤田は選手を一〇〇%信頼し、王は六〇%ぐらい信頼したということです。」
 では、監督が選手を信頼するというのはどういうことでしょうか。それは試合中に選手を替えないということだと思います。四月十六日だったと思いますが、広島との三回戦で巨人軍の大森、ブラウンが、広島の長富の前に全く手が出ず、二、三振を喫していました。それを次のチャンスに藤田監督は選手交替をせずにそのまま打席に立たせました。二人は見事にその期待に応え、適時打を放ち、更に最終回ブラウンは逆転のホームランを打ち、巨人軍を勝利に導きました。まさに選手への信頼が生む勝利だったように思われます。
 しかし、そこまで選手が信頼できるのは、ふだんの選手を見る目が確かでなければならないと思います。
 選手一人一人の特性や力量、それを見抜く力がなければなりません。なみなみならぬ努力が必要なわけです。そういった努力の積み重ねが確かな目をつくるものと考えます。
 教育の場も同じだと考えます。子供を見る確かな目があって、はじめて信頼され、保護者の期待に応えられるものだと思います。
 わたしたちも、ふだんの努力を怠らず、常に研さんを積み、子供を見る確かな目を養い信頼に応え得るようにしたいものです。

   菅谷婦人会『しらうめ』第11号 1990年4月