武谷敏子の自分史ノート

埼玉県比企郡嵐山町女性史アーカイブ

平和へのメッセージ 菅谷婦人会会長・寺山サキ子 1991年

2010-12-25 10:02:00 | 『しらうめ』12号(1991)

 広島に原爆が投下されてから四十五年目の昨年八月、私は広島を訪れました。
 広島は水と緑のきれいな大都市に見事復興しているかのように見えましたが、原爆資料館に展示されている沢山の当時の写真、黒こげの衣服、熱風で形が変わってしまった茶わんや家具などが、訪れる人々に原爆の恐ろしさを必死で伝えているようでした。
 平和公園を中心に街の中にある数々の碑、子を思う母の心が伝わってくる「嵐の中の母子像」異郷の地で遠い故郷に思いをよせながら無念の死をとげた朝鮮半島の人々の碑、見落としてしまいそうにひっそりと建っている無名の碑、手を合わすとこの人達の思いが伝わってくるようです。
 又、今も後遺症に苦しみながら、死と戦いながら、言葉にはいいつくせないほどの様々なものと戦いながら、私達に「平和」の大切さを訴え続けている被爆者の人達。多くの人達が広島の悲惨な出来事を忘れないようにと力を合わせていました。
 私は「平和」という言葉は十分理解しているつもりでしたが、広島の三日間で大きな衝撃を受けました。「平和」という言葉の重さ、深さ、大切さが心の中に大きく染み渡ってきました。いくら流しても流したりない位涙を流しました。
 湾岸戦争が報じられた時、まっ先に広島の人々の心を思いました。悲しそうな顔が浮んできます。思いの届かぬくやしそうな顔が浮んできます。
 戦争が終末した今、報じられているのは無残な戦争の傷跡、家を焼かれ、身寄りを殺され食べる物も満足にない人々の姿と、世界に与える自然破壊の大きさです。今のままでは美しい地球を次の世代に残す事ができないのではないかと心を痛めています。
 海に流れ出た原油、それに汚染された生きものたち、火のついた油井から立ち登るまっ黒な煙、風に乗って世界各地に広がりどれだけ自然に影響を与えるのでしょう。
 今、平和な日本に暮す事ができるのを、とても幸せに思っています。そして世界の国に一日も早く本当の平和が訪れるように願っています。
 「私は平和を愛しています。」被爆者のこの声を皆さんにお届けします。

   菅谷婦人会『しらうめ』第12号 1991年4月