九月二十七日の読書会は大原富枝作“婉という女”を通して女性の生き方について話し合った。婉のすさまじい気迫に感服すると共に封建社会における女性の悲哀を今更の如く思い知った。この作品は事実に基づく著書であるだけになお更私達の心に迫るものがある。
「婉」一五七三年、天下の政権が名実ともに織田信長となった時代に生まれ*、四才より四十年の永きにわたって獄舎生活をしなければならない運命を背負った女性の物語である。その理由は、土佐の執権を握っていた婉の父、野中兼山が王道楽土の理想を追求する為に過酷な税や夫役を四民に課し温情に欠ける政治を行ったことによる。理はいかなるものにせよその為に家族が四十年間も獄舎につながれる事など私達には到底納得出来ない事柄である。
獄舎生活の中で婉は成長し青春時代を過ごし、やがて四十を過ぎた老嬢(おんな)となる。その過程に於ける心の変遷、葛藤が読者の胸を打つ。
・獄舎で次々に死亡していく兄、弟
・学問をすることのむなしさ、政治への反発
・正常な心理が失われていく悲しさ
・外界への憧れや希望
様々な悩みや苦しさの中で唯一つの夢は、谷秦山との文通から生まれた恋情であった。だが四十四才となって赦免された婉の恋も実らず、婉の心は氷の様にとざされていく。
『どの様なお仕置(政治)が私のまわりにひしめこうが渦巻き荒れようと私にはもう一切関わりがない。私はもうあらゆる人にも、あらゆる物にも全く他人であった。誰ももう私をこれ以上こわす事は出来ないかわりにどんな人の情も私を温める事は出来ない。私はもう人であるよりもむしろ物に近かった』
これは六十才になった時の婉の心境である。
大原富枝氏が読者に訴えたかったものは、政治に対して無力な女が男の死を近々見ながら、しぶとく強く冷酷に生きていく、絶望の底から冷たい笑いと共に湧き上がってくる女の凱歌といったものではなかろうか、と思う。
菅谷婦人会『しらうめ』第10号 1989年4月
*:野中婉【のなか・えん】は、万治3年(1660)土佐藩(高知県)首席家老野中兼山の4女として高知に生まれる。没年は享保10年12月29日(1726年1月31日)なので、1573年生まれは誤り。婉の父、野中兼山は元和元年(1615年)生まれ、土佐藩の藩政改革にあたったが、失脚した寛文3年の12月20日(1664年1月18日)に死亡。