武谷敏子の自分史ノート

埼玉県比企郡嵐山町女性史アーカイブ

雑感 前会長・村瀬信子 1985年

2010-04-26 00:41:00 | 『しらうめ』6号(1985)

 会長を辞めて一年足らず、まだ振り返る暇もないうちに、今年度しめくくりの『しらうめ』編集の時期がまいりました。第一号から、菅谷婦人会の会長をなさった方に、想い出、感想を一筆お願いして来ましたが、第六号でもう私の番になりました。伝統のある婦人会としては、もっと古い昔話が聞かれたらとも思います。
 十五年も前、誰一人知人もいないこの土地に来て、自然と自由を満喫し結構楽しく暮していましたが、それだけでは一寸物足りなくなった頃、近くに国立の婦人教育会館が出来て、地元の婦人会を盛り上げようとの、おさそいに入会しました。二年目に順番だからと支部の役員会に出て、今迄の事を知らぬまま副会長になり、一年後会長になりました。
 そして五年、失敗を重ねつつ、会員の皆さんに支えられてなんとか過す事が出来ました。
 会館のプールを、毎年変る条件の中で、体育部長さんと苦労しながら使用して、やっと自主グループが出来ました。年度末に会員の声をまとめた『しらうめ』等、これからも続いたらと思います。若い会員がふえて、事業内容も変るでしょうが、年輩の経験が役立つ事もあり、巾広い年齢層が助け合ってゆくのが、婦人会のよさでしょう。
 短命だった昔と違って、心がまえ一つで、人の一生は随分変ります。私の生きがいは、ある時期には子供や家族であり、趣味であったり、ボランティア活動だったりします。
 これからも、未知の世界を求め続けて生きていきたい。本を読んでも知らなかった事が余りに多いのにびっくりします。せめて日本中を見て歩きたい。自己満足だけでなく、人のために役立たなくては生きる甲斐がない。ともすれば、安易な道をたどりたい気持を戒め、自分自身に言いきかせます。
 菅谷婦人会は、婦人会館の地元と云うだけでなく、県婦連の中でも、自主的に活躍していると、注目されています。人間関係も大へん良いので、視野を広く持って、よく学び行動する会でありたいものです。

   菅谷婦人会『しらうめ』第6号 1985年4月