末の息子の高校受験の朝、無事にと祈ると同時にここまで成長した後姿を見て、有難うございましたと、胸の痛くなる思いで神様に御礼申し上げた。
菅谷に嫁して二十六年経ちました。生れ故郷の父母の顔が恋しくて涙した日も幾度か……。でも、もう私の故郷とは嵐山町菅谷である。過ぎ去ってみると長い年月であったようで又短くもあった。
嫁して三年目で主人は結核で倒れ、長女は生後間もなく小児結核、そして長男が生れた。夫の闘病生活三年間は本当に長い長い一日一日であった。よろこびも悲しみも感じられないような心せわしい暗い年月であったようにおもえる。
或る日、ある方に「どんな不幸な時でも、よろこびを見出すのですよ。きっと喜びはある筈だ」と言われた。その言葉が私の頭の中を一杯にした。心を落着けて考えると、今まであらゆる不幸を自分一人で背負わされていると思い込んでいたのに気が付きました。喜べる幸せはあったのです。幾つもありました。その時の私の感激は今でも忘れない程大きなものでした。ところかまわず電車の中で嬉し涙がとゞめを知らぬ程でした。その時より私は幸せとは自己の中より発見するものゝように思えてなりません。
今年婦人会の新年会に映画「お母さんは走った」を見せて頂き、会員の方々皆涙を流して感動しました。重度障害者施設に勤務するお母さんに無理解だった家族がその人達の運動会に出席しお母さんが障害者のお世話をする姿を見、障害者の方々が精一杯の力で自己のよろこびを見出している姿に、お母さんを自分達だけのものにしておきたいと思っていた小さな心に気付き家族全部で心より協力するというすばらしい映画でした。
考えてみると障害者の方々がそれなりの小さなよろこびに幸せを感じて生きている姿に、健康な体を与えられている私達は精神的に励まされ助けられているのではないか、この映画を見ての感じでした。
この感動を一時のものとせず自分の宝として一日一日を大切に生活したいものです。
楽々の中に実はなく苦労の中にこそ実があると教えられています。
菅谷婦人会『白梅』第3号 1982年