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尾張元興寺跡

2015年08月27日 | 万葉集と風土
桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る

万葉集を詠むために、同時代周辺の歴史も知らねば万葉集が読み解けない、、、ということで東海地方最古(7世紀中頃創建)の寺院『尾張元興寺』跡を訪ねてみました。

『日本紀略』(平安時代に書かれた史書)によると、元慶八年(884年)尾張国分寺(稲沢市)が焼失したので、定額寺(朝廷が保護した準官寺)であった願興寺(がんごうじ)を国分寺にしたと記載があります。

JR、名鉄金山駅前、名古屋ボストン美術館から19号線を渡った右手辺り一帯、金山駅から徒歩3分程にあるのが尾張元興寺跡です。

(名古屋ボストン美術館)


(この付近一帯が尾張元興寺跡となる。正面がボストン美術館。この辺りは熱田台地の西端縁にあたり標高7〜10Mほど。古代この西側辺りには干潟がひらけていた)



現在この場所には、江戸中期(亨保3年)からの「元興寺」(がんこうじ)があり(現在の建物は近代的な建築)、願興寺は室町時代に中川区へ移転。

よって、尾張元興寺は廃寺となり、『尾張元興寺跡』となったわけです。
ややこしいです。
残念ながら、伽藍に直接関わる遺構は出土していない。
では、なぜ創建が7世紀中葉だとしているのか。
出土遺物である最古の軒丸瓦(舟橋廃寺式)の年代が7世紀第3四半期であることから想定していると史料に書いてあった。
なるほど。
付近からは、マンション建設の際の調査で水煙が土に突き刺さって発見されており、その大きさから高さ30M以上の五重塔であったことが推測されるそうだ。
現在は、既にマンションが立っており、マンションを五重塔に置き換え、更にその上にそびえ立つ水煙に思いを馳せれば、都会の中に残るわずかな万葉の息吹を感じることができる。

(このマンションを五重塔に見立てると。。。)

この日訪れたのはちょうどランチタイム時。
パラパラと雨が降る中、都会のど真ん中で傘をさしながら工事現場(元興寺跡の一部=元興寺ビルの建て替え中)の写真をとり、マンションを見上げ、更に本と地図を片手に石標を探し回り付近を何度もうろつく私は、大和での遺跡探し以上に怪しかったに違いない。周辺の突き刺さるような視線を尻目に、尾張元興寺跡を堪能した大満足のプチ旅となった。

(元興寺ビルとは、なんとも名前がいい!)


(ボストン美術館のある11F、名古屋都市センターからみる市内全景。360度のパノラマとなっています。こちらはあゆち潟方面を望む)

(空からみた現在の地形図)


立派過ぎる、、、いえ、立派な施設でした!









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