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「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

高槻研での想い出 内海有希

2015-03-07 22:28:50 | つながり
富家(内海)有希

 高槻先生、ご退官おめでとうございます。
 私が高槻研に在籍したのは、修士の二年間だけでしたが、高槻先生には大変お世話になりました。
まずは植物の名前など全く知らなかった私に、シカフンだらけの芝生に一緒に這いつくばってくださり、たくさんの草の名前を教えてくださいました。
 それまで山道を歩いても、ただ頂上に着くことを目標に歩き、周りの木や草はせいぜい風景としてしか見ていなかった私でしたが、高槻先生と一緒に歩き、木の名前、草や花の名前を教えてもらうことができ、また名前だけではなくその名前の由来や季節による変化なども話していただけて、全く違った目で周りの植物を見ることができるようになりました。今でも仕事で山に行き先生に教えていただいた草や花に出会うと、懐かしく思います。

金華山の桟橋で. 左から岸、著者、カロリーナ、高槻

 また、実験に使う道具を手に入れられず困っていると、先生自らホームセンターに連れて行ってくださり、道具の一つ一つを一緒に選んでくださり、金華山への配送についての手配まで、本当に何から何まで教えてくださいました。今思うと一人で何も出来なかった自分が恥ずかしいですが、そんな学生にもいやな顔をせず丁寧にご指導くださった高槻先生には感謝の気持ちでいっぱいです。
 そんな先生のお人柄もあってか、高槻研は大変アットホームな研究室でした。先輩方も留学生のみなさんもとてもフレンドリーで、研究の事についてたくさんのアドバイスをくださったのはもちろんのこと、研究を離れても一緒に登山をしたり、誰かの誕生日には材料を買ってきてみんなで料理をしてパーティをしたのもとても楽しい思い出です。
 特に留学生のみなさんが作ってくださった、レストランでは食べられない各国の家庭料理の味は今でも忘れられません。
 そんなパーティの時には高槻先生はよくリコーダーの演奏をしてくださいました。修了の際にはそれぞれの修了生に短歌をプレゼントしてくださったり、研究だけではない豊かな人生を歩まれていることを感じました。
 退官され、研究にまたそれ以外のいろいろな分野に、今後ますます豊かな人生を過ごされることと思います。これからもお元気で、ますますのご活躍をお祈りいたします。
(2001年 東京大学大学院修士課程修了)

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