高槻成紀のホームページ

「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

高槻先生への感謝をこめて 岡田

2015-03-07 14:52:42 | つながり

岡田 あゆみ

 私が高槻先生に初めてお目にかかったのは、今から15年以上前、修士課程に在籍して金華山島に調査に行った時です。金華山島のシカの調査をしていることがきっかけになり、その後、北大の博士課程に在籍していた期間と学位取得後の数年間、東大で高槻先生に指導して頂きました。当時高槻先生の研究室には、私の他にも他大の学生や大学生ではない人などさまざまな人が出入りしていました。また博物館では他分野の研究室の学生、博物館の職員、留学生などが同じ部屋に席を持ち、自由な雰囲気のなかで研究することができました。博士課程の時期を東大博物館で過ごし、高槻研で先生の指導を受けられたことは、私にとって一生の財産です。
 今から考えると、高槻先生はよく私の指導を引き受けてくださったと思います。私は高槻先生と金華山島で研究をしているという点で接点はあったもの、東大の学生だった事は一度もなく、高槻先生にとっては指導する義務はない他大学の学生でした。また私の研究は金華山島のシカではありましたが、内容は主に遺伝分析に関するもので高槻先生にとっては専門ではなく、私の研究を指導することは先生にとって簡単ではなかったと思います。つまり私が東大に来るのを断る理由は、探そうとすればいくらでもあったはずなのです。しかし高槻先生はそんなことは一度もおっしゃいませんでしたし、先生から私の指導をいやがる雰囲気を感じた事も一度もありませんでした。私だけが特別だったのではなく、指導を求める全ての学生を当然のように指導してくださっていまた。どんな学生であっても先生の方から見捨てるという事はなかったと思います。当時は私も深く考えていなかったのですが、現在自分が学生を指導する立場になって、それがどれだけありがたい事だったか分かります。先生が当時私の指導を引き受けてくださったことについては感謝の気持ちしか浮かびませんし、今、私が不出来ながら研究を続けていられる立場にあるのは高槻先生のおかげだと思っています。
 さて、東大に出入りしていた時もその後も、高槻先生にはたびたび金華山島の調査でご一緒させていただきました。調査の常連には有名なことですので、他の卒業生もきっとこの文集に書かれると思いますが、調査地での先生は普段に増して楽しそうで、いつも上機嫌で鼻歌を(こっそりではなく、かなり堂と)歌ってらっしゃって、調査地では参加者の写真を隠し撮りするのが好きなちょっとお茶目な先生になります。先生が金華山島でうきうきと登山道を歩きながら先生が聞かせてくださる植物の話はいつも興味深く、植物や自然に対する愛情を感じる内容でした。私は先生のような植物の知識はありませんが、先生が楽しそうに山を歩く様子を拝見して、なんとなくフィールドワークは楽しいものだという刷り込みがされたように思います。また調査の夜には必ずミーティングが実施され、皆、調査の疲労でうとうとしながら議論に参加していたのも忘れられない思い出の一つです。そして最後の夜のミーティングでは先生が隠し撮りした写真をスライドショーで投影するのが慣例で、私が連れて行った若い学生達は“偉い先生”が示す意外な一面に目を丸くしておりました。
 金華山島の調査には金華山を調査地にしている研究者だけでなく、他大学や専門学校の学生、社会人などたくさんの人が参加していました。中でも高槻先生の講義がきっかけで調査に参加した学生の割合は高く、その中には何年にも渡って参加してくれた人もいました。彼らが調査に参加しつづけてくれたのは、もちろん金華山島が良い場所だから、という理由もあると思います。しかしそれだけではなく、金華山島の調査チームが作り上げた寛容さ、というか、誰にでも開かれた明るい雰囲気の効果も大きかったのではないでしょうか。そして、そうしたオープンな空気を作っていた一人は間違いなく高槻先生でした。大学でも調査地でも、高槻先生はいつも周囲の人たちを自分の身内のように扱い、わけへだてなく責任感と愛情を示してくださいました。先生が私たちにしてくださったことにはただただ、感謝しかありません。私は今のところ先生のように愛情深くも寛大でもありませんが、これから先生から教わったことや受けた恩を少しずつ後輩に返して行きたいと思います。
 この15年の間には、先生の娘さんがご結婚され、先生はいつの間に孫がいるお立場になられ、そして退官、と月日の経つ早さを実感します。先生のこれからの人生設計については伺っておりませんが、これまでアクティブに活動されてきた先生ですから、さぞたくさんのご計画をお持ちだろうと思います。簡単に研究を離れる事もできないでしょうし、これまで以上に自由なスケジュールで、さらに充実した毎日を送られるのではないかと予想しております。お忙しいとは思いますが、先生にはこれからも不出来な弟子である私たちのご指導をどうぞよろしくお願いいたします。
 最後に、先生がこれからもお元気でますます楽しい毎日を送られることをお祈りして、この文章を終わらせていただきます。高槻先生、本当にありがとうございました。
(2001年 北海道大学大学院博士課程修了)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 退職記念文集「つながり」 | トップ | あの頃の高槻さん 内山 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つながり」カテゴリの最新記事