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「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

高槻先生のご退官に寄せて 嶋本

2015-03-07 21:22:13 | つながり
嶋本 祐子
 ご退官、誠におめでとうございます。
 高槻先生との思い出は、卒業研究と修士研究の調査地であったアファンの森に詰まっています。調査中やデータ分析をしている時の寡黙で冷静な姿とは異なり、森にいる時の高槻先生は昆虫少年のように輝いた目をしており、あらゆる生きものに感動し、その感動の理由や生態の面白さを教えてくださいました。いつの間にか道なき道を行き、何かを拾い、写真を撮り、時には軽快に虫捕り網をふりかざす高槻先生。共同研究をした同級生の野口さんと一緒に、最初はひたすらに後ろを歩き、高槻先生の拾ったものをサンプル袋に詰めていたのですが、いつのまにか一緒に感動し、自分自身もどこかに吸い込まれるように歩いて、色々と拾うようになっていました。生きもの目当てに出かけてばかりいた小学生の頃の気持ちが、戻ってきたようでした。強い感動や興味を発信する方は周囲の感性を変えていくと、高槻先生からいただいた刺激により身をもって感じたことで、自分も感動を伝えられる人になっていきたいと強く思うようになりました。至らなさに反省してばかりではありますが、この想いは今も変わらずあり、私の原動力となっています。
 また、研究活動とは関係なくなってしまいますが、高槻先生との思い出を振り返る中で欠かすことができないのは、音楽です。卒業が近づいてきたある時、謝恩会で歌おうと高槻先生からお誘いがあり、実験室でこっそり練習する日々を送り、目が回りそうな程の緊張で当日歌ったこと*。研究の相談させていただいた後に、それと同じくらいの時間をかけて音楽のお話をしたこと。当時は高校時代からコーラスを続けていたこともあり、音楽が好きだったので、高槻先生とのそのようなお話しができることも楽しく、良い時間でした。
 修了後もアファンの森の職員として長野で働いていたため、高槻先生や研究室の学生さんと連絡を取ることは多々あり、研究室は変わらず身近な存在でした。調べても答えがわからなかった事などをメールで質問させていただいた際には、快くご助力くださいました。
 研究室に所属した3年生から、修士課程修了までの4年間のご指導、就職面でのサポート、また私事でご心配やご迷惑をおかけした際にも親身にご理解いただくなど、大変お世話になりまして、ありがとうございました。心より感謝しております。退官なさっても、高槻先生はいつまでも野外で生きものに向き合われ、研究活動を続けられることと思います。ご迷惑でなければ、またぜひご一緒させていただき、学ばせていただけましたら幸いです。今後もご健康で、益々ご活躍されることを、心よりお祈りいたします。
(2013年 麻布大学大学院修士課程修了)

*嶋本さんは高校時代に合唱部にいたということで歌は本格的です。謝恩会のときに「未来へ」をいっしょに歌いました。実習室で練習するときは、バレると恥ずかしいので台車にギターをおいて、被いをしていかにも実験道具でも運ぶふうにして運びました。当日はとてもうまかったので、そんなに緊張していたとは知りませんでした(高槻)。

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