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「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

高槻先生の思い出 藤本

2015-03-07 21:26:00 | つながり

藤本 彩乃

 早いもので、私が麻布大学野生動物学研究室を卒業して4年が経とうとしている。学生時代の記憶は薄れつつあるが、研究室で過ごした時間は本当に楽しかった。宮崎から上京し、一人暮らしをしていた私にとって、研究室のメンバーは、大切な研究仲間であるとともに家族のようでもあった。もちろん、高槻先生は一家の大黒柱。みんなで研究室の大きなテーブルを囲んで、昼ご飯を食べたり、誕生会をしたり、真面目に議論したり。あの空間は、かけがえのないものだ。
 他の研究室の学生は、高槻先生のことを気難しそうと話していたように思う。実際のところ、それも間違ったイメージではないと思うのだが(職人気質みたいな感じだと思う)、高槻先生の近くで過ごしていると、それ以上に人情味あふれるところやチャーミングなところが見えてくる。
 どうしても忘れられない光景がある。モンゴルに行っていたとき、昼食だったか、打ち合わせだったかで皆でしゃがみ込んで話していると、先生が唐突に立ち上がり、猛ダッシュし始めたのだ。あの後ろ姿。靴もきちんと履いていなかった気がする。何事かと驚いたのだが、子供の頃からあこがれていた珍しいチョウを見つけて、捕まえようとしてのことだった。同じようなことは、滞在中に幾度となく起こり、最後には、先生が突然走り出しても特に驚かなくなってしまった。なんと言うか、少年のようだ。
 高槻先生は少年みたい、という表現は誰かが言っていたことのような気がするのだが、本当にその通りだと思う。それは、このエピソードのように何かをしている最中に、急にスイッチが入って没頭する姿のことだけではない。研究に対する考え方だったり、人との付き合い方だったりが、子供のように純粋でまっすぐなのだ(これは決して悪口ではなく、褒め言葉です!)。
 おそらく、先生は私たちを指導しながらも、ずっと対等に向き合って下さっていた。とてもありがたいことだ。当時は、それを深く考えずにいたが、先生のそのような姿勢を本能的に感じ、先生にも研究にも自分自身にも誠実でないといけないという緊張感が常に私の中にあった。これは研究だけでなく、仕事や人に対して、これからも大事にしていきたい。
 とうとう高槻先生が退官される。ご自身も実感が湧かないと言われていたが、私もだ。卒業してからも研究室に遊びに行くと、先生は仕事の手を止めて下さり、テーブルでお菓子をつまみながらお互いの近況報告をする。そうしているうちに、学生も集まってきて、自分の研究の話を聞かせてくれる。先生からのアドバイスが入ることもある。私が学生だった時からある風景だ。あの空間から高槻先生の姿がなくなってしまうことは、なかなか想像できないし、想像するととても寂しい。しかし、きっと南先生や残った後輩たちが、高槻先生の作り上げた研究室の良い伝統を引き継いで、また素敵な研究室を作ってくれると信じている。
 最後になりましたが、高槻先生、これまで本当にお疲れさまでした。私は、先生の研究室に入れてとても幸せでした。できればまた、一緒にモンゴルで調査できる日を夢見ております。
(2011年 麻布大学卒業)

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