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「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

高槻研究室での3年間 霜田真理子

2015-03-07 22:21:40 | つながり
石黒(霜田)真理子

 大学4年生から修士を卒業するまでの3年間を高槻研究室で過ごさせていただきましました。
研究のテーマは、卒業論文ではニホンジカの採食群落の季節変化について、修士論文ではメスジカの授乳の負担が採食行動に及ぼす影響についてというものでした。東京と金華山島を行き来したあの3年間から、気が付けばもう15年!思い返してみると、沢山の経験をさせていただいた3年間でした。
 高槻先生に初めてお会いしたのは大学3年生の終わり。研究室に入ることが決まり、ご挨拶に行った時です。当時の私は「アフリカに行って、ゾウとかライオンとか、何か大きい動物を観察したい!」という夢を持っていました。生態学の知識はゼロ、フィールドワークがどんなものかも全く知らずに。そんな私に先生は、「スリランカでゾウを研究している留学生もいるし、チャンスがあれば可能かもしれないよ。まあ、まずはニホンジカがいいと思うよ。」とおっしゃいました。内心「シカ、ちょっと地味だな…。」などと思ったのを覚えています。けれども、ここから貴重な経験がつまった3年間が始まったのです。

<金華山でのフィールドワーク>
 高槻研究室での3年間で一番印象に残っているのは、何と言っても金華山でのフィールドワークです。ニホンジカの観察のため、春・夏・秋・冬の年4回、それぞれ2、3週間ずつを金華山で過ごしました。フィールドワークも山小屋での生活も、何もかもが初めてで、ゼロからのスタートだった私は、色々な方にお世話になり、助けていただきました。
調査の間は山小屋に宿泊したのですが、そこで一緒になった方々には、本当に色々なことを教わりました。調査対象も所属も経歴もいろいろでしたが、楽しい事つらい事を共有し、まさに同じ釜の飯を食べ、狭い山小屋でワイワイと過ごす時間は、貴重で濃密な時間でした。
 そして、金華山での一番の師匠は、何と言ってもシカでした。長い時間シカを眺めて過ごす中で、色々なことを感じました。それはここには書ききれませんが、特に印象に残っている出来事があります。初めての調査の時の事です。調査方法を一通り教えてくれた高槻先生が東京に帰られ、あとは一人でやるしかない!と、少々心細く思いつつ私は一人でシカを探していました。けれども、下手な山歩きでは歩いても歩いてもシカを見つけられず、見つけてもすぐ逃げられるの繰り返し。あきらめて、積もった落ち葉に日が当たる場所を見つけ、ゴロンと横になりました。しばらくすると、ざくざくと落ち葉を踏む音が聞こえてきました。見ると1頭の立派なシカが、こちらをチラチラ見ながら、落ち葉の下を鼻先で探りながら近づいてきました。そして、私からたった5mほどのところに座り、反芻を始めたのです。今思えば大した事ではないのですが、その時の私には衝撃でした。必死で追いかけた時は逃げたくせに!こんなに近くに座っちゃうの!?
 「観察するぞ!」などと意気込んでいるのは私だけで、シカは全く違う世界を淡々と生きているのだ、ちょっとその様子を見せてもらえばいいのだ、と漠然と感じ余計な力が抜けました。冬の柔らかい日差しの下、シカと並んで休憩するのは何とも言えず気持ちがよく、「大変でも頑張れるかも…。」と思えた出来事でした。

<東京の研究室で>
 金華山から東京の研究室へ戻るとデスクワークが待っています。
東京での思い出と言えば、高槻先生の厳しい原稿チェックです。文章の内容や構成はもちろん、句読点の位置から図表の色使いまで、返された原稿にはいつもびっしりと先生の書き込みがされていたのを覚えています。この経験は就職してから非常に役立ちました。伝えたい事を自分の中ではっきりさせ、わかりやすいよう順を追って説明するという基本的な事を、しっかりと教えていただきました。先生はお忙しい時でも、どんな原稿も丁寧に読んで下さり、根気強く指導してくださいました。社会に出てみると、そのように指導してくれる人はもちろんおらず、とても貴重な経験だったと思います。きっとこの文章にも先生の鉛筆書きが入ることでしょう…。
 そして、もう一つ高槻研究室で学び社会に出て役立ったことは、人とのコミュニケーションが大切だということです。私の学生部屋はいくつかの研究室の学生が共同で使っていました。そのため、違う分野の学生も交えて、シカ肉パーティーやカレーパーティーをしたり近くの居酒屋へ行ったりし、そこで色々なことを話しました。それぞれが苦労や悩みを持ちつつ研究に取り組んでおり自分も励まされました。先輩方はいつでも相談に乗ってくれ一緒に悩んでくれました。積極的にコミュニケーションを、などと考えなくても自然とできていたことですが、社会に出て仕事に追われる毎日を過ごしていると、ついつい他人無関心になり、黙々と自分の仕事をしていると気付き、これではいけないと思うことがよくあります。

<最後に>
 今回この文章を書くにあたり、高槻研究室での事を色々思い出しました。修士を終えて就職する時、「研究ではない道に進むことになったが、ここで学んだことを忘れないで、新しい場所で10年間は頑張ってみよう」と思ったのを覚えています。気が付けばもう15年。今あの時の気持ちを忘れず生活できているかと思うとドキッとしてしまいます。私は仕事の忙しさに追われすぎていないか。気持ちの余裕がなくなっていないか。今回はそのことを考えるいい機会になりました。
最後に、私には2人の息子がいます。二人とも生き物が大好きです。特に長男は、「2泊3日ひたすら虫採りキャンプ!」などというスパルタ(?)キャンプに参加したり、「サメの名前だけでしりとりしよう!」と言ったりする少々オタク系の少年です。将来息子が研究者になり、アフリカへの調査旅行へついて行く日が来るかも…、などと密かに思っている私です。
(2002年 東京大学大学院修士課程修了)

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