慶喜

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敗者の日本史(西郷隆盛)

2016年08月16日 | 歴史上の人物
西郷隆盛

幕末の最大功労者西郷は、中央政権に直接関与していなかった
西郷は、明治政府成立後藩政改革に従事していた
西南戦争では、盟友大久保は、国家を揺るがす危機と判断し、断固、鎮圧する決意を表明し実行
興味ある本でしたので、購入しノートとしてブログに記載してます
本には、綺麗な絵画が記載されています
 ☆本『敗者の日本史(歴史REAL)』記事参考&引用
 ☆詳細本で確認ください












西南戦争(ネットより画像引用)

西郷再び政局の表舞台に立つ
岩倉使節団の海外派遣で、留守政府の筆頭参議となった
西郷は、陸軍大将、加えて近衛都督に任ぜられている

明治六年の政変
朝鮮との国交樹立の交渉が暗礁にのりあげた
征韓が事案として閣議にのぼった際、西郷は遣韓使節大使への任命を渇望した
会議で、西郷の朝鮮派遣を決定
反対派の木戸孝允、大久保利通、大隈重信などが辞表を提出、岩倉もこれに同調した
天皇の裁断により事実上、朝鮮使節派遣は中止となる

西郷が西南戦争決断した原因
交渉&征韓を反対された?
廃藩置県以降、困窮する鹿児島県士族の救済も考慮
西郷は、病気を理由に辞職
副島種臣、後藤象二郎・板垣退助、江藤新平の征韓派も参議を辞し一斉に下野する
鹿児島に戻った西郷は、私学校をつくり士族子弟の教育にあった
西郷に薫陶を受けた私学校生徒が鹿児島の陸軍省火薬庫を襲撃
自らの命令では押さえ切れぬほど、士族の不満は頂点に達していた
西郷は、武装蜂起を決意し、政府尋間の名目で出兵の意志を通知し進軍を開始
日本史上、最後の内戦である西南戦争がはじまる


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