【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

今年のふるさと納税での戦利品

2023年09月30日 | 徒然日記
今年のふるさと納税〜

来月からふるさと納税制度が締め付けられるという国の方針もあり、今月中に大まかな返礼品を選ぶ事にしたのだが僕は自身へのご褒美として今回は雑魚釣り艇に備え付ける大型クーラーボックスという返礼品をチョイスした。




ダイワのこのクーラーボックスならブリなどの大きな魚が掛かっても収納できるはずである。

これまで使ってきたイグルーの大型クーラーも軽くて大変良かったのだが蓋を支える金属ワイヤーが切れてしまい一度は交換したのだが二度目に切れた時にクーラーボックスの内側が少し裂けてしまっているのだ。

ただ全然使えないことはないのでイグルーは万年船に設置クーラーとしていつも持ち込む小型クーラーの代わりにこの新しい物を用いるのかを今度雑魚釣り基地に行った時に考えようと思う。

先祖の掛け軸

2023年09月27日 | 徒然日記
過日、先祖が所持してきた品々の中より気になった鶴の掛け軸を色々調べていたのだが、どうやらそれが『 佐伯岸駒 (1839年没)』のサインと落款らしき事が判明した




調べると北陸に生まれて京都に移り住み絵師として名を挙げたらしい。

ウィキペディアにはこのように書かれている。

現在、一般に岸駒を初めとした岸派は認知されているとは言いがたいが、京都の社寺のみならず町家の至る所にまで岸派の作品が残っている。

確かに我が先祖の生きてきた時代と場所が合致するのだが、例えコレが贋作であろうが真作であろうが今となっては正直どうでもよくて先祖の誰かがこの絵を何らかの形で入手し所有してきた事が僕にとっては最も重要であり大切にしようと思えるのだ。



亀岡高床式倉庫の解体工事開始

2023年09月23日 | 徒然日記
今週、30年以上放置してきた亀岡にある高床式倉庫の解体工事を開始する事になり、我が家に古くから伝わる品々をクルマ一台で運べる分だけ持ち帰った。それ以外の品は全て捨てる事とした。




いろんな箱を開けると掛け軸や磁器や木椀や御膳など、明治時代の曽祖父やその更に先祖の手紙やメモがあり、昔ながらの流れ書きにてとてもきちんと読めないのだが色々考えさせられた。戦時中だけど皆んな頑張ろうというような手紙もあった。










会ったことのない先祖の手紙や直筆のメモなどである。

僕の曽祖父は宮家と祇園芸者との間に生まれ、後継のいない清水家に養子として迎えられたと聞いている。過去帳からの家系図では僕の世代が丁度10代目となる家系である。その曽祖父である清水勇助とはどんな人物だったのであろうか。

知らされているのはかつては京都上京区新町にて呉服の下地を製造して御所に納めていたと聞いているのだがそれ以上の事も以下の事も何も知らない。今その場所はブライトンホテルの玄関口の車寄せとなっている。栄枯盛衰である。

我がファミリーヒストリーを調べられないのかと思ったりしている。

さてと明日は彼岸法要である。先祖に挨拶してこよう。







立山黒部アルペンルートに行ってきた〜 2023晩夏

2023年09月18日 | 旅三昧!釣り三昧!
9月の連休を利用して家族旅行に出かけた。

『 立山黒部アルペンルート 』への旅である。




愛犬モコが旅立った今、誰かが家に留守番してモコの面倒をみる必要がなくなりまだ訪れた事のないこの旅が計画されたのであった。

旅の計画はKNTに勤めるマイにお願いして、我々は関西からそしてサクは首都圏から現地集合で富山の宇奈月温泉で一泊、そして翌日に富山側から立山へ。途中の高度2000m辺りでもう一泊、立山、黒部ダムを抜けて最後は長野側で現地解散という行程となる。

巷はまだまだ残暑厳しい日々が続いているが、上手く行けば本州1番早い紅葉が臨めるかもしれない。また雲の上から下界を望むような雲海が見れるかもしれない。

ヨーロッパから帰国しまだ時差ボケが残るカラダをゆっくり温泉で整えて旨いもん食って楽しみたいと思っている。

朝早く京都駅からサンダーバードで金沢へ、そこで生まれて初めて北陸新幹線に乗換えて黒部宇奈月温泉駅へ。




そこでサクと待ち合わせて富山地方鉄道を乗り継いで宇奈月温泉へ。




宇奈月温泉駅に到着し駅で予約していた弁当を食べると、そこからトロッコ列車に乗って黒部峡谷巡りへ。







黒部峡谷は壮大であった。昭和初期から黒部峡谷に関西電力が数カ所にダムを建設したのだがこの過酷な環境下でのその事業が如何に大変であっただろうか…










やはり山の天気である。途中から突然かなり強い雨に見舞われレインブレイカーを着てもビチョビチョになった。

雨が降るとエメラルドグリーンだった黒部川の水が途端に泥水と化した。きっと魚は大きな岩の下に身を潜ませて堪えるのであろう。そして霧がかかり山々は水墨画のようにボンヤリ幻想的となり、そんな中をトロッコ列車の車輪の軋む音を増調させるようであった。

宇奈月温泉の『桃源』というホテルに投宿。開湯100周年らしい。

温泉は無色透明で肌がスベスベになる感じであった。露天風呂から眺める黒部川は美しかった。

白エビや山菜といったこの地特産の旨い物を朝晩頂いてきた。








翌朝ホテルを出て立山に向かう。さあこれからがアルペンルートである。

立山よりケーブルカーにのり一気に標高1000mにある美女平へ。そしてそこから更にバスで標高2000mの弥陀ヶ原まで上がる。だんだん酸素が薄くなってきた気がしないでもない。











山々は美しいの一言に尽きる。

ホテルに着き荷を解いたら早速、弥陀ヶ原平原をハイキングで2.5kmほど歩いた。

冬になると雪で埋まってしまうこの辺りも今は歩きやすく木道が設けてあった。標高2000mになるともちろん高山植物となりあまり普段見た事のない植物が見受けられた。

本当にだだっ広い湿原のようである。

一度ホテルで休憩して夕方、日没のタイミングで落ちゆく太陽を見にまた平原へ。











大平原に沈みゆく太陽は素晴らしく美しく、また富山市街の方向の足元には雲海が現れた。

見れてよかった。

夕食の後、天の川がぼんやり流れる満天の星を眺めた。ちょうどこの時期は頭上にカシオペア座、木星も見る事が出来た。流れ星も見れるようだが生まれてこの方一度も見た事はないのだ。

弥陀ヶ原から見下ろせる富山市街の夜景も美しかった。




翌朝も早く起きて風呂に入り朝飯を食べる。






因みに今回の2泊の両ホテルともに僕は晩2回朝1回の計3回大きな風呂を利用したのだが、宇奈月温泉の初日の男湯が1番良かった。宇奈月温泉の湯は無色透明でスベスベであった。

この日は更に標高2500mにある室堂まで向かい2時間ほどハイキングを楽しんだ。目の前に広がる立山連峰は3000m級でありそれに挑む人々はかなりの重装備であった。












山にハマる人はこうなるんだろうな。

室堂からは下りとなる。バスやケーブルカー、ロープウェイを乗り継いで信州サイドに向かう。

途中の黒四ダムにて放水される水の量は圧巻であった。僕が生まれる前にこのようなすごいダムが建設されたという事も驚きである。




黒部平より富山とは逆側である信州サイドの信濃大町駅に出て、そこで特急あずさで東京へ帰るサクと別れ、我々は鈍行列車で19駅先の松本駅まで今移動している。

ローカル線の鈍行列車には缶ビールがぴったりなのである。

これまで色々と海外を中心にバックパック旅に出向いてきたが国内にもまだまだ今回のようにスケールのデカい感動もんの旅先がたくさんあると改めて認識した旅であった。

アルペンルートも季節が変われば間違いなくまた今回とは異なる感動があるはずである。

国内バックパック旅をこれからも色々と楽しみたい。

密かに次は鹿児島メインの南九州旅を目論んでいるのだ。

アルペンルート旅万歳!






宇奈月温泉のホテルでもらった小さな自由帳に見つけるたびに朱印帳のようにスタンプを押してきたのであった。




イタリア&スペイン放浪2023晩夏 『 強い陽射しを背に受けて歩く毎日15000歩 』

2023年09月12日 | 旅三昧!釣り三昧!
今秋のアリカコレクション展に向けてヨーロッパ旅に出た。

今回はヨーロッパ最大の国際宝飾展であるVICENZAOROに重ねてリスボンに入るか、パレルモに入るか、はたまたバルセロナに入るか迷ったのだが、既存の取引先が3社あるバルセロナに6年ぶりに入る事にした。

今回、スカイスキャナーでフライトを探すにあたり初めてミラノマルペンサ空港に台北からの直行便があるという事を知りそれを利用した。

いつも通り、先ずはエコノミーシートを取り乗る直前でビジネスクラスへのアップグレードを目論んでいたのだが思うようにはいかないようだ。結局、ビジネスクラスは満席との事で久しぶりのエコノミークラスでの訪欧となった。






プライオリティパスにて関空のANAラウンジが利用できるようになっており名物のANAカレーを食べてみたらなかなか美味かった。また台北へのフライトでビールで機内食を食べたのでトランジットの台北ラウンジではお腹が空かないのであった。ただ時間だけは余っているので台湾ビールを飲みながら、重いけどどうしても今回の旅の途中で読みたくカバンに入れてきた沢木耕太郎著の『深夜特急』を読んで過ごした。



かつてエコノミークラスが常だった頃は空気枕をよく使っていた事を台北ラウンジで思い出し免税店を探して台湾と刺繍された決してセンスが良いと思えないクッション枕を求めた。

台北からミラノまでは13時間半、その半分くらいは寝ては起きて寝ては起きて、同じ姿勢で首や腰が痛くなり体勢を変えたりして過ごした。iPadにダウンロードしておいたマッドマックスを観たり、深夜特急を読んだり。深夜特急の沢木耕太郎の行程を読んでいると僕の長いフライトも大した事ないように思えてくるから不思議だ。

飛行機から見た久しぶりのイベリア半島はいつも通りの土色であった。

バルセロナに到着し投宿するホテルにスーツケースを預けるとそのままサグラダファミリア大聖堂を抜けて一つ目の取引先であるAS社へ。




BEATRICEとは恐らく10年以上ぶりの再会となった。彼女の会社もコロナや様々な影響により全体的に製作するアイテムがリーズナブルでクラシカルな物が中心になっており僕が望むラインは少なくなっていた。

ホテルに戻りチェックインしてシャワーを浴びたら短パンに履き替えてランブラ通りをカタルーニャ広場の方へ歩いた。

バルセロナに来たら必ず訪れるSt.ジョゼっぺ市場にて美味いマテ貝を食べると決めていたのだ。




















アジアのローカルな市場とは異なり、この市場は完全に観光地化しているが、それでも旅先で市場を訪れる最高の醍醐味は味わえるのだ。

マテ貝と共にホタルイカの唐揚も頼む。美味






空港からのタクシーでも感じだがやはり為替相場もプラスして物価が高くなっている。明らかに日本は置いてきぼりになっている事がわかる。いくら日本の物価が上がっていると巷では云われるが海外と比べると全くそうでもないと感じる。これは今年訪れた香港でもBKKでも全く同感であった。

今から18年前、初めてバルセロナに訪れた際にコルテエングレス百貨店の地下の食品売場で目の前で絞ってもらったオレンジジュースが僕の人生最強のオレンジジュースなのだが、今回は機械が置いてありそれで絞ったオレンジジュースも変わらぬ美味さであった。搾りたて最高である!(結局、滞在中の2日間ともこのオレンジジュースを買いに行ったのであった。)




翌朝、FC社にてパリからのROYと2時間ほど商談しながら情報交換と関係構築に努めた。彼は僕より2つばかり年上と近い世代故に何もかも話しやすかった。

昼にホテル近くで待望のパエリアでビールだ。




午後はRM社のCARLOSとALBERTOとの商談。知り合って18年、初めてバルセロナにやってきた僕のホテルにCARLOSが迎えに来た時の遠い記憶をCARLOSは懐かしそうに話した。長い付き合いの彼らには感謝しかない。信用の構築とはこういうものであるという事を改めて感じる。

早めの夕方、また私服に着替えてコロンブスの塔までてくてくと歩いた。ふとコロンブスはイタリア人だと思っていたが何故バルセロナにコロンブスの塔があるのかと疑問に思い調べてみるとどうやら当時はカタルーニャはイタリア領土のようで彼はカタルーニャ人だった説が強いとの記載あり。








初めてバルセロナに訪れた時はアリカンテに住む旧友CESARにこの辺りのホテルを取ってもらい投宿した記憶があるのだがどこにそのホテルがあるのか結局見つけれなかった。

この日も最強オレンジジュースと赤ワインを求めてホテルに帰る途中、バーカウンターでタパスを食べてビールを飲むつつ晩メシとした。

翌朝は3時半にアラームなしに起床、心配していた予約のタクシーだがちゃんと来てくれており4時半に空港へ向かう。プライオリティバスを用いVIPラウンジで昼メシを摂れない可能性があるのでたっぷりと朝メシを食っているとCARLOSがやってくる。かなりスマートになった62歳のCARLOSに聞くと、18年前より20kgは体重を落としたとの話であった。どうやら血糖値が高いらしい。

初めてバルセロナを訪れた時の僕は37歳、街に活気がありヨーロッパ随一に魅力があると感じた記憶があるが、今この歳になりその感覚は若干変わってきておりもう少し静かで長閑な田舎町の方が好ましく思うようになった気もする。

バルセロナは国際色豊かな街、人々も大らかで優しい感じ。今後は最低でも年一は訪れる必要を感じたバルセロナ滞在であった。

結局、ベネチア空港よりシャトルバスでVICENZA OROの会場へ入り早速仕事に取り掛かった。




PADOVAでの2日目の夕方、街の旧市街をてくてくと散策。ここは駅前は何故か黒人が多いのだが街の真ん中に入るとそうでもなくなるようだ。朝方と夕方くらいになると秋の訪れを感じる事が出来る。






PADOVAではホテル近くのピッツァリアにて晩飯を食ったのだが、マルゲリータはシンプルに美味かったが、2日目に食べたスパゲティプリマベーラは更にその上をいく美味さであった。しかしスパゲティプリマベーラとスパゲティペスカトーレは共にシーフードパスタ、一体何が違うのだろうかとふと思った。またロレンツォに聞いてみよう。




丸2日間、”VICENZA ORO”でのタスクをこなした翌日、VERONA観光に翌日を充てることに決めた。

VERONAには恐らく20年程前に訪れた事があるだけでほとんど記憶に残っていない。イタリア北部屈指の旧い街だった事しか記憶にない。

僕はヨーロッパ国内での電車チケット購入には『Omio』というスマホアプリを利用しておりこれ以上に便利なアプリはないと思っているのだが、今回のVERONA行きは敢えて特急列車ではなく時間をかけて走る列車を選んだ。1時間半、車窓からの風景を眺める事が出来るのだ。

イタリア北部の広大な田園風景の中にポツリポツリと点在するオレンジ色の屋根の家々。その風景はとても美しい。

しかし僕は電車に乗ってから各駅停車に乗った事を悔やんだ。駅で抜かされるために待つ時間が異様に長すぎるのだ。イタリア北部の小さな駅でも降りていく人や乗ってくる人がいる。観光客らしい人々はまず見受けられない。

VERONAの街は美しかった。
















しばらく歩くとアレーナ(コロセウム)に辿り着いた。せっかくなので中に入る。出来た頃は人対人、その後は人対猛獣の闘いだったらしい、

陽射しがきつい。日陰を選んで歩く。

かつて訪れた記憶はあるが全く覚えていないジュリエッタの生家へ。

イカ墨のリンギーネを食べる。山の向こうにお城の様な建物が見える。




訪欧した日から大体毎日15000歩ほど歩いている。着いた日に出来た右足の裏の水ぶくれだが消毒液も手元に無く化膿したら嫌なので放ったらかしにしておいたのだがもようやく治ってきた。

最終日の朝、PADOVAを発ちMILANへ。今日はVICENZA OROの最終日故に、仕事のために訪れるのはSG社のみである。

久しぶりにミラノ市街を散策した。




久しぶりにミラノにて地下鉄を利用したのだが、かつて初乗り1ユーロだった地下鉄は2.2ユーロに。今回宿泊のIBISホテルは冷蔵庫すらない部屋に素泊まりで35000円と物価の上昇には驚いた。今回の旅でも昼夜レストランではだいたい1食5000円ほどである。

日本国内で生活を楽しんだ方が間違いなく良い暮らしが出来るはずである。

帰りのミラノから台北のフライトをアップグレードしようかと思ったが、聞けば追い金36万円との事。流石に12時間過ごす為に36万円支払うのは気が引けてあきらめてエコノミーのまま帰国する事にする。

次回の1月訪欧に関しては今ならアブダビ空港経由だと往復35万円であるようだ。早めに検討しようと思う。

今回の訪欧中にお世話になった取引先の要人達に心から感謝している。