東京での今年最後の休日〜
さて何して過ごすかを考え、初めて社会人となった32年ほど前から3年間のKODAK社勤務時代に住んだ南行徳駅界隈を訪ねる事にした。
確か以前一度同じように行ったことがあったとこのブログを検索してみるとちょうど10年前の昨日に訪れていた事を知りすごく驚いた。
10年ひと昔とはこの事である。
読み返してみたが更に記憶が希薄化しているようだ。
とりあえず電車を乗り継ぎ行ってみた。
やはり30年の月日は長い。南行徳駅前のロータリーがほんのり記憶に残る程度である。
高架下にあった世話になったクリーニング屋はもうなくなっており、唯一『 とんき 』というトンカツ屋は記憶に残っていた。しかし店構えは記憶と異なり店は大きくなった気がする。当時は壁片側に狭いカウンターが並んでいたような記憶である。
当時のコダックの寮まで歩くも中古車屋があの頃と同じようにある事を除けば全く何も思い出せない。
でもあの頃住んでいたエメラルドコーポとその向かいにある酒屋は記憶のままであった。
入口の扉を開けて中に入る時、なんだか少しだけその扉の重さに懐かしさを感じた。
僕がいた302号室のポストにはうっすらと「清水」と書かれ、それを横棒で消されている跡が残っていた。
寮から浦安駅までてくてくと歩く。浦安駅高架下にはたまに訪れた寿司屋がそのまま健在していた。
当時、コダックの同僚と休日や祝日の夜、暇な時に飲みに行ったスナックやラウンジの入ったビルがどうしても思い出せない。当時はそのビルに入っていたそんな店何軒かと顔馴染みだったのだがそのビルが何処にあるのかわからなかった。きっと当時の同僚に話せば思い出すのであろう。
当時3年間というサラリーマン生活だったがその半分以上は出張で全国津々浦々回っていたので記憶が薄いのかもしれない。
浦安の懐かしい寿司屋に行こうかと思ってやってきたがまだ11時前であり、店も開いておらずまた僕も腹が減っていないのであった。いつかまたの機会に。
浦安駅より東西線に乗りまた新橋まで戻る。
今度は今朝NHKで初めてその街の存在を知り気になった鶴見にある『 沖縄タウン 』に行ってみる事に。
そこは戦後4万人近い沖縄からの移住者を受け入れた街らしい。当時は仕事的にも沖縄移民にとっては苦渋の生活を余儀なくされた時だったらしい。今では全く考えられないが昔は沖縄人に対する差別が強くこのような部落を作らなければ移民の方々は生きれなかったようだ。
そうだ!本場の沖縄そばを食べよう!出来たら昼呑みしたいなぁ。
JR鶴見駅からバスに乗って「本町通4丁目」を目指した。
適当に歩いていると沖縄物産センターに着いた。建物の前のベンチには今朝TVにまさに出ていたおばあちゃんが座っていた。
沖縄物産センターにある『 ゆうなの花 』という喫茶店で沖縄そばとビールを頼んだ。
小さな店だが隣の方々が熱く沖縄を語っていた。とろける豚肉がとても美味い。
店を変えてまた食べる。
ポーク焼とゴーヤチャンプルでオリオンビールだ。
最後にダメ押しの沖縄そばもう一杯。
こんなに腹パンは久しぶりかもしれない。今夜は晩飯は要らないくらい沖縄を楽しんだ。
新橋のホテルに帰り、もう少し歩いた方が良いと思い1時間ほど東京タワーから浜松町、そこから増上寺にお詣りして帰ってきた。
今日1日で20000歩近く歩いた事になる。15kmくらいかな。
そしてようやくお腹いっぱいが収まったのであった。