【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

イタリア&スペイン放浪2023晩夏 『 強い陽射しを背に受けて歩く毎日15000歩 』

2023年09月12日 | 旅三昧!釣り三昧!
今秋のアリカコレクション展に向けてヨーロッパ旅に出た。

今回はヨーロッパ最大の国際宝飾展であるVICENZAOROに重ねてリスボンに入るか、パレルモに入るか、はたまたバルセロナに入るか迷ったのだが、既存の取引先が3社あるバルセロナに6年ぶりに入る事にした。

今回、スカイスキャナーでフライトを探すにあたり初めてミラノマルペンサ空港に台北からの直行便があるという事を知りそれを利用した。

いつも通り、先ずはエコノミーシートを取り乗る直前でビジネスクラスへのアップグレードを目論んでいたのだが思うようにはいかないようだ。結局、ビジネスクラスは満席との事で久しぶりのエコノミークラスでの訪欧となった。






プライオリティパスにて関空のANAラウンジが利用できるようになっており名物のANAカレーを食べてみたらなかなか美味かった。また台北へのフライトでビールで機内食を食べたのでトランジットの台北ラウンジではお腹が空かないのであった。ただ時間だけは余っているので台湾ビールを飲みながら、重いけどどうしても今回の旅の途中で読みたくカバンに入れてきた沢木耕太郎著の『深夜特急』を読んで過ごした。



かつてエコノミークラスが常だった頃は空気枕をよく使っていた事を台北ラウンジで思い出し免税店を探して台湾と刺繍された決してセンスが良いと思えないクッション枕を求めた。

台北からミラノまでは13時間半、その半分くらいは寝ては起きて寝ては起きて、同じ姿勢で首や腰が痛くなり体勢を変えたりして過ごした。iPadにダウンロードしておいたマッドマックスを観たり、深夜特急を読んだり。深夜特急の沢木耕太郎の行程を読んでいると僕の長いフライトも大した事ないように思えてくるから不思議だ。

飛行機から見た久しぶりのイベリア半島はいつも通りの土色であった。

バルセロナに到着し投宿するホテルにスーツケースを預けるとそのままサグラダファミリア大聖堂を抜けて一つ目の取引先であるAS社へ。




BEATRICEとは恐らく10年以上ぶりの再会となった。彼女の会社もコロナや様々な影響により全体的に製作するアイテムがリーズナブルでクラシカルな物が中心になっており僕が望むラインは少なくなっていた。

ホテルに戻りチェックインしてシャワーを浴びたら短パンに履き替えてランブラ通りをカタルーニャ広場の方へ歩いた。

バルセロナに来たら必ず訪れるSt.ジョゼっぺ市場にて美味いマテ貝を食べると決めていたのだ。




















アジアのローカルな市場とは異なり、この市場は完全に観光地化しているが、それでも旅先で市場を訪れる最高の醍醐味は味わえるのだ。

マテ貝と共にホタルイカの唐揚も頼む。美味






空港からのタクシーでも感じだがやはり為替相場もプラスして物価が高くなっている。明らかに日本は置いてきぼりになっている事がわかる。いくら日本の物価が上がっていると巷では云われるが海外と比べると全くそうでもないと感じる。これは今年訪れた香港でもBKKでも全く同感であった。

今から18年前、初めてバルセロナに訪れた際にコルテエングレス百貨店の地下の食品売場で目の前で絞ってもらったオレンジジュースが僕の人生最強のオレンジジュースなのだが、今回は機械が置いてありそれで絞ったオレンジジュースも変わらぬ美味さであった。搾りたて最高である!(結局、滞在中の2日間ともこのオレンジジュースを買いに行ったのであった。)




翌朝、FC社にてパリからのROYと2時間ほど商談しながら情報交換と関係構築に努めた。彼は僕より2つばかり年上と近い世代故に何もかも話しやすかった。

昼にホテル近くで待望のパエリアでビールだ。




午後はRM社のCARLOSとALBERTOとの商談。知り合って18年、初めてバルセロナにやってきた僕のホテルにCARLOSが迎えに来た時の遠い記憶をCARLOSは懐かしそうに話した。長い付き合いの彼らには感謝しかない。信用の構築とはこういうものであるという事を改めて感じる。

早めの夕方、また私服に着替えてコロンブスの塔までてくてくと歩いた。ふとコロンブスはイタリア人だと思っていたが何故バルセロナにコロンブスの塔があるのかと疑問に思い調べてみるとどうやら当時はカタルーニャはイタリア領土のようで彼はカタルーニャ人だった説が強いとの記載あり。








初めてバルセロナに訪れた時はアリカンテに住む旧友CESARにこの辺りのホテルを取ってもらい投宿した記憶があるのだがどこにそのホテルがあるのか結局見つけれなかった。

この日も最強オレンジジュースと赤ワインを求めてホテルに帰る途中、バーカウンターでタパスを食べてビールを飲むつつ晩メシとした。

翌朝は3時半にアラームなしに起床、心配していた予約のタクシーだがちゃんと来てくれており4時半に空港へ向かう。プライオリティバスを用いVIPラウンジで昼メシを摂れない可能性があるのでたっぷりと朝メシを食っているとCARLOSがやってくる。かなりスマートになった62歳のCARLOSに聞くと、18年前より20kgは体重を落としたとの話であった。どうやら血糖値が高いらしい。

初めてバルセロナを訪れた時の僕は37歳、街に活気がありヨーロッパ随一に魅力があると感じた記憶があるが、今この歳になりその感覚は若干変わってきておりもう少し静かで長閑な田舎町の方が好ましく思うようになった気もする。

バルセロナは国際色豊かな街、人々も大らかで優しい感じ。今後は最低でも年一は訪れる必要を感じたバルセロナ滞在であった。

結局、ベネチア空港よりシャトルバスでVICENZA OROの会場へ入り早速仕事に取り掛かった。




PADOVAでの2日目の夕方、街の旧市街をてくてくと散策。ここは駅前は何故か黒人が多いのだが街の真ん中に入るとそうでもなくなるようだ。朝方と夕方くらいになると秋の訪れを感じる事が出来る。






PADOVAではホテル近くのピッツァリアにて晩飯を食ったのだが、マルゲリータはシンプルに美味かったが、2日目に食べたスパゲティプリマベーラは更にその上をいく美味さであった。しかしスパゲティプリマベーラとスパゲティペスカトーレは共にシーフードパスタ、一体何が違うのだろうかとふと思った。またロレンツォに聞いてみよう。




丸2日間、”VICENZA ORO”でのタスクをこなした翌日、VERONA観光に翌日を充てることに決めた。

VERONAには恐らく20年程前に訪れた事があるだけでほとんど記憶に残っていない。イタリア北部屈指の旧い街だった事しか記憶にない。

僕はヨーロッパ国内での電車チケット購入には『Omio』というスマホアプリを利用しておりこれ以上に便利なアプリはないと思っているのだが、今回のVERONA行きは敢えて特急列車ではなく時間をかけて走る列車を選んだ。1時間半、車窓からの風景を眺める事が出来るのだ。

イタリア北部の広大な田園風景の中にポツリポツリと点在するオレンジ色の屋根の家々。その風景はとても美しい。

しかし僕は電車に乗ってから各駅停車に乗った事を悔やんだ。駅で抜かされるために待つ時間が異様に長すぎるのだ。イタリア北部の小さな駅でも降りていく人や乗ってくる人がいる。観光客らしい人々はまず見受けられない。

VERONAの街は美しかった。
















しばらく歩くとアレーナ(コロセウム)に辿り着いた。せっかくなので中に入る。出来た頃は人対人、その後は人対猛獣の闘いだったらしい、

陽射しがきつい。日陰を選んで歩く。

かつて訪れた記憶はあるが全く覚えていないジュリエッタの生家へ。

イカ墨のリンギーネを食べる。山の向こうにお城の様な建物が見える。




訪欧した日から大体毎日15000歩ほど歩いている。着いた日に出来た右足の裏の水ぶくれだが消毒液も手元に無く化膿したら嫌なので放ったらかしにしておいたのだがもようやく治ってきた。

最終日の朝、PADOVAを発ちMILANへ。今日はVICENZA OROの最終日故に、仕事のために訪れるのはSG社のみである。

久しぶりにミラノ市街を散策した。




久しぶりにミラノにて地下鉄を利用したのだが、かつて初乗り1ユーロだった地下鉄は2.2ユーロに。今回宿泊のIBISホテルは冷蔵庫すらない部屋に素泊まりで35000円と物価の上昇には驚いた。今回の旅でも昼夜レストランではだいたい1食5000円ほどである。

日本国内で生活を楽しんだ方が間違いなく良い暮らしが出来るはずである。

帰りのミラノから台北のフライトをアップグレードしようかと思ったが、聞けば追い金36万円との事。流石に12時間過ごす為に36万円支払うのは気が引けてあきらめてエコノミーのまま帰国する事にする。

次回の1月訪欧に関しては今ならアブダビ空港経由だと往復35万円であるようだ。早めに検討しようと思う。

今回の訪欧中にお世話になった取引先の要人達に心から感謝している。





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