職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

育まれた殻や壁

2021年09月20日 | ヤスさん日記
いつもと変わらない朝。
今日で
職人として丸24年
独立して丸14年が経とうとしています。

振り返れば
2007年の震災があったので
独立を決めたのでした。
その時求めていた自由が
今手元にあるのか
とゆうことを
今朝も問うています。

そして
この頃考えている
中学生の頃に育んだ
自分を守るための強さ

今は殻や壁になっているのではないか
とゆうこと。

私が中学入学の際
詰襟からブレザーへと変わりました。
3つ上の兄の時代は
相当なやんちゃな時代で
兄は学校唯一の変形なしの詰襟を着ていた
そんな兄でした。

詰襟からブレザーに変わった
と言っても
3年間は移行期間として
どちらを着ても良いことになっていました。

私の街は旧燕市のベッドタウンで
4つの小学校が
1つの中学校に入学し
1学年360人程の同級生。

小学校の卒業式
詰襟は私だけ。
ほぅほぅ
そんなものか
と思っていましたが
中学校の入学式でも
詰襟は私だけ。

先輩に目をつけられるのは良いとして
教師に目をつけられるのは
12歳の子供には
厳しい世界でした。

そんな世界で育んだ
自分を守るための殻。
その中に閉じこもっていなければ
今の感性は保てなかったでしょう。
多分
ですけれども。

それ殻が
今になって
破ることのできない壁
になっているなとも感じるのです。
大切に想う人と
一緒に居たい時の壁に。

40も後半になると
この殻や壁の強さに
自分が怯むこともあるのですね。

しかし
そのお陰で
独立できたし
今も職人として歩み続けられる強さを持てた
と感じます。

今日も
相変わらずな仕事時間を過ごし
良き日になるでしょう。
コツコツコツコツ
小学校の文集に書いたように
コツコツする仕事に就けて
それを続けられる喜びとと共に。
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新鮮で懐かしい空気

2021年09月19日 | ヤスさん日記
長野の旅は
やはりよかった。
車の中で
動画を聞くのもよいですが
頭の中で溜まっていた澱を
自分なりに確認する
丁寧な価値ある時間。

記憶とゆうものは
曖昧なものですから
振り返ってみても
それが本当のことなのかはわかりませんよね。

そして
今も現在も
実際に本当のことはどこにあるのだろうか
とも考えます。

目の前に起きていること
そして
認識できること
それが
本当である理由は
誰にもわからないものだろうな
と。

そして
自分なりの本当を
そこに見つけてゆき
共有したくなるもの
なのでしょうね。

さて
新潟に帰りました。
穏やかな日曜の空気を取り込んで
今日も
叩き始めます。
旅に出て戻った時の
この新鮮で懐かしい空気と共に。
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それを乗り越えられるのか

2021年09月18日 | ヤスさん日記
「愛とは傷を乗り越えること」
今は
そう捉えています。
いや
捉えられるようになった
と言った方がよいでしょう。

そして
それを乗り越えられるのか。
私は愛を知らないと
いつだったか
伝えられたことを思い出しました。

だからこそ
今はそれを乗り越えたい。
そんな雨の朝です。

雨の音が優しく響きます。
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車の中での楽しい時間

2021年09月17日 | ヤスさん日記
久しぶりの
銅鍋づくり体験で長野へ。
久しぶりだけに
この準備のワクワク感が
私を元気にしてくれるな
と感じます。
荷物いっぱいを
車に積み込んで。
ながさん
東京の週末はいかがお過ごしですか。

出張の道中。
動画を聴きながら車を走らせるのが
お気に入りです。

今回は
実在主義からの生きる意味について
考えていました。

生きる意味があるのかないのか
それがどちらだとしても
自分で決めるとゆうこと。
そして
自分で決めた生きる意味を
人に押し付けないこと。

ただ
現代
生きることが多様化した時に
様々な選択があるだけに
生きる意味があるとした時に
自分で決めるとゆうことが
できるのかどうか。

価値がない
とゆうことではなく。
意味とゆう上で。

ちょっと
まだまだ思考途中ですが
出張の長い道のりで
この辺りを考えてみます。

長野はだいぶ寒いですよ。
台風も来るようですし
今日は早めに寝るとします。
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師匠の信に育てられて

2021年09月16日 | ヤスさん日記
師匠とは
ありがたいもので

幾度となく書きましたが
昨日も
寄せていただいて
数年前の記事をいただきました。
キセルの蒐集家が
長岡に居るとゆうもの。

勉強になるだろうから
と。

きっと
独立してからも
私が右往左往しながら
それでも職人として
なんとか立ちたいとゆう想いを
信じ続けてくれた方です。

信じる
とゆうことを

考えています。

そして
それは
共有時間の積み重ねでしか
育たないことも。

どうやったら
それが
育み続けられるのだろうか
と考えながら
今日も
叩くとします。

ながさん
秋の穏やかな季節
ご家族で満喫してくださいね。
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今日も燕は秋晴れです。

2021年09月15日 | ヤスさん日記
今年は
同じ湯沸をいくつもつくらせてもらう。
そんな機会をいただきました。
長野の湯沸
そして
仙台の湯沸。
どちらも
同じものを同じように。

この様な機会をいただけることは
独立した職人としては
珍しいことです。
同じもの同じようにつくるなら
大手の機械力を導入した方が
ブランド力があるとしても安価にできますし
私で無くてもよいものです。

でも
私のつくったものを選んでいただける。
そこで得たものは大きいです。
そして
その得たものと引き換えにしたものは。

そんなことを考えています。

ここは
今週末の小さい旅で
考えてみます。
人生の幸い繋がる
重要なことなので。

昨日
仙台の湯沸も3つ仕上がり
残るは7つ。
今年いっぱいは
かかり切りになりますね。
その間の時間で
残り何ができるのか。

今日も
燕は秋晴れです。
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何故独立したのか

2021年09月14日 | ヤスさん日記
環境のことなど
活動を誰のために続けているのか。
私は
敢えて自分の為に
と言っていますが
それは
その活動が多くの人の拠り所になれる
とゆう信頼があるからで。

そして
自分の為と言っても
誰かの為と言っても
それは円環して
同じなのだと考えます。

自律門か
他律門か。

ただ
あるのは行動。
ただ
その行動も
表面だけではわからないもの。
続けることで
観えてくるものがあります。

そんなことを
この1年ほどを振り返り
あまりの自分の忙しさを反省し。
なんで
サラリーマン職人から独立したのかを
思い返していました。

お金が無くても自由
だったあの頃。
今は
お金はある程度ある
としても時間が自由にならない現状。
ここを改善し
今在る経験とお金を活かしながら
自由を獲得したい
9月20日
14年前に退社した日を前に
と改めて思う朝です。
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気をつけつつ世の常と向き合う

2021年09月13日 | ヤスさん日記
朝から
早く早く
とゆう思考が
どこかにこびりついているのでしょう。
昨日の
ゆっくりとした日曜の朝に
窓から吹き込んでくる風を感じながら
「あぁ、そうか。」
と感じたのです。
あの
日曜の独特の穏やかな空気
と共に。

そして
今日も
朝から早く早く
とゆう思考は横に置いておいて。
今週末
久しぶりの長野出張に
想像を膨らませています。

久しぶりの出張。
あの宿をとって
このお店に寄って
あれを食べてと。

勿論
今の世の中だけに
様々なことに気をつけながら。
きっと
この気をつけるとゆうことが
肝要なのだと思います。

一定のことで
思考停止にならずに
状況により更新し続ける。

それでも
どこでどうなるかはわかりませんが
それは
世の中の常とゆうもの。

今回も
良き日にちに
あの温泉に行ってみようと
朝のひとときに計画を立てられました。
この計画の遂行を楽しみに
今日明日の納品に励むとします。

一歩一歩
何かが開いている。
そんな気がします。
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有るけど無い

2021年09月12日 | ヤスさん日記
ながさん
私の仲間に感じることは
先日の
『半島を出よ』の下巻の
共感につながるものだと思ったので
再び。
「モリはからだの中心からあたたかさが広がっていくような、不思議な気分になった。共有する感覚とゆうのは静かなものなんだ、モリはそう思った。みんな一緒なんだと思い込むことでも、同じ行動をとることでもない。手をつなぎ合うことでもない。それは弱々しく頼りなく曖昧で今にも消えそうな光を、誰かとともに見つめることなのだ。」

それは
若井家の見て見ぬ振りできる優しさであり。
日本人が本来は持っている
有るけど無い
無いけど有る
とゆう感覚を共有できるかでもあるのだ
と思います。

全てが明確になってしまい
有るけど無い
無いけど有る
とゆう感覚を知り得なくなったら
人は優しさをどこで持つのだろう
とも感じます。

ながさんが
悪夢をじっと見つめられるようになったように
私も
愛をじっと見つめられるようになれるでしょうか。
井田さんが
何もかもを持たずに
対象物をじっと見ていたように。

日曜の朝。
秋の風がとても涼やかです。
この気持ち良さを
どう伝えたら良いのだろう
と考え始めて。
いや
今は感じるだけで十分だとやめて。
あったかいコーヒーを淹れて
今日を始めるとします。
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20年目の今から

2021年09月11日 | ヤスさん日記
アメリカ同時多発テロ
と言われる事件から
もう20年が経とうとしているのですね。
そして
この事件から
アフガニスタンへの侵攻と繋がるわけですが。

日本を見回してみると
あの時の状況と
似通っている部分が多くあるように思います。

他方に敵をつくり
大きな力が様々なものごとをねじ伏せてゆく。
そして
同調圧力が強化されてゆく。

何かに縋らざるをえない人は
それでも良いのだと思います。
しかし
他者を傷つけないとゆう前提がありながら
自らの考えが他者と違っても生きられる世界があることを
私は切実に願います。

20年目の今日とゆう日に
冷静に世の中を見つめる目を
改めて持ちたいと思う朝です。
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