職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

共生

2011年07月31日 | ヤスさん日記

この言葉を何回聞けば
いいのだろう
と思うのです。
自然はただの営み
営み
と言ってしまえば
それまでなのかもしれませんが
人間は自然と共生する
ということを
もっと
考えなければならないのでしょう。


復興してしまえば
過ぎてしまうコト
なんて言ってしまえば
それまで
で。

私にできるコトは
目の前のコト
とともに
みんなで未来を創っていくこと
なのだと思うのです。

誰っでもない自分が
できること
を。
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人はパンのみに生きるにあらず

2011年07月30日 | ヤスさん日記
「人はパンのみで
   生きるにあらず。」


が無ければ
人間は
何をして
生きている
というのでしょう。
新潟の大雨の下
涙が出て来るのは
この雨が
教えてくれるコトの
大きさを想像すればこそ。
7月29日の朝
これから起こるコトを
しっかりと受け止める。
受け止めたら
出来るコトを
精一杯にやり切る
だけ
ですよね。

7.13
この地域では
忘れるコトのできない
日付です。
大雨が降れば心配をし
今日一日の無事を祈る。

物質世界では
どうしようも出来ないコトに
直面しても
その先にあるものを
掴み取らなければならない
はずです。

地球に裏側に
想いを馳せる。
大切な人に
想いを馳せる。
どちらも
大切な人間の営みのひとつづつ。

「人はパンのみで
   生きるにあらず」

生きている証を
手放すコトなく
今ここに立ってよう
と思う朝です。

ながさん
ご心配ありがとうございます。
今日も一日
精一杯生きます。
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積もり積もったら

2011年07月29日 | ヤスさん日記
「静かに時を祈ろう」
そんな時間を持てること。

ロウソクの灯のもと
自分ではどうにもならないコトでも
しっかりと御加護があるようにと
祈ります。
目に見えない場所で
起こっているコトが
穏やかに収まって
沢山の人の笑顔に繋がるように
と。

人間世界では計り知れないコト
でも
いつかの成長に繋がりますように
と。

大雨が続く新潟では
災害の警報も出始めています。
積もり積もったものが
一気に雪崩落ちる。
それは勢いに乗って
一気に雪崩落ちるのです。

人間が自分の都合のいいように
作り変えてきた自然が
見せるのは
積もり積もったもの

視覚化される
ということです。

積もり積もったもの
流れ出て浄化する。
人間の涙も
同じかもしれません。
涙のでない日々
積もり積もったら
涙で浄化。

人間も自然の一部なら
どこかに溜まったものが
どこかに流れでる。
きっと
当然のコトでしょうね。

さて
静かな祈りが
いつかカタチになります様に。

川の流れも
少しずつ溜まりを流してくれれば
大きくは流れないと思うのですが。
三条の天気が好転しますように。
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ジブンヲカンジョウニ入レズニ

2011年07月28日 | ヤスさん日記
陽が照り過ぎれば
農作物を心配し
大雨なら
土砂災害を心配。
人間の心配とは
尽きないものですね。
そして
その幅が最近は大きくなっている
のかもしれません。
程良さってのが
どこかにお隠れになっている
ような。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
大雨の空を見上げながら
想います。

「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」
ってフレーズが
ずっとどこかにひっかかってたんですね。
以前なら
「自分を勘定に入れずに」
と解釈するところですが
それを含めて
もう一つの意味は
「自分を感情に入れずに」
なのではないか
と。

「自分を感情に入れずに
   よく見聞きし解り
   そして忘れず。」
自分に飲み込まれない様に
感情に支配されない様に
物事をしっかりと捉えられる様に
なんて意味が含まれている
んじゃないかと思うわけですね。

中国の古典を学んでいても
リーダーの本質が孤独にあるのは
自分の感情に向き合う時間が
必要だったのではないか
と。

十八史略。
唐と晋の興亡を読みながら
ふと思った次第です。

さて
新潟の農家さんは
陽照りで困り
大雨で困っているようです。
さて
私に出来ることは。
感情豊かな賢治なら
どう思うでしょうかね。
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普通って

2011年07月27日 | ヤスさん日記
日本一の花火
だと
私は思うのですが
柏崎の水中花火。
全国を見て回らなければ
わからないでしょうけど
確実に
自分の中の日本一
なのですね。
会場から打ち上げられる
それらは
毎年の私を彩ってくれて
一年一年
変わって行くものは
ありますが
変わらない笑顔も
そこにはあります。
ひだりみぎの海上から
打ち上げられる花火は
私に力を与えてくれます。
柏崎味わう花火は
必ず
日本一の花火なのですよ。

普通
ってなんだろう
と考えたりします。
普段は
いつも意識を確認しあっている仲間
と過ごしているわけで
それが普通になっている
のでしょうけれども
一歩外にでてみれば
それが
普通ではなくなっている事実。

働くってこと
とか
生きるってこと
とか
成長するってこと
とか
楽しむってコト
とか。
とかとか。

普通
普通
普通ってなんだろう。

ひとつ言えるのは
人生には
みな限りがあって
あと
何年生きられるかわからない。
その限りがある
ってことを
感じられるかどうかは
普通
ってことに大きく
通ずるところがある
と思うのです。

肉体には限りがあるけど
それだけじゅあない
ってことは
理論物理学者のリサランドールも
証明しているほど
明確なことで。

その普通さの
認識の変化が大きい世の中で
普通を考えるわけです。

ながさん
見えないところに
本当があるって
本当にシンプルなこと
なんでしょうね。
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忘却

2011年07月26日 | ヤスさん日記
なんとなく
何となくな
一区切り。
また次のステップへと
登っている今日この頃。
ながさん
今年の夏をどう楽しんでますか?

さて
今月末に控えている
東北石巻チャリティーイベント。
時間というものは
忘却させてくれる時もあれば
忘却させてしまうコトもありますよね。
でも
関わった人たちの心から
無くなるコトはない。

いつかの素敵には
まだ時間がかかるかもしれませんが
でも
そこまでに向かう時間も
素敵にできると思うのです。

そのために自分にできるコト
自分たちにできるコトの
ひとつの一歩。

今回も多くの仲間が
自分にできることを
持ち寄ってくれました。

ご縁や
繋がりや。
何もかもを無くしたとしても
失わないものがあるものです。

さて
あと数日。
目一杯笑って
目一杯走って
当日を迎えてみます。
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未来の記憶

2011年07月25日 | ヤスさん日記
沢山のご縁の中で
生きている
生かされている
と思う今日この頃。
ながさん
汗をかきかき仕事をするって
気持ちがいいモノですね。

キーワード
ってどこかでつながりますよね。
言葉であったり
日付であったり
場所であったり
また
モノだったり
想起させてくれる
キーワード。

最近久しぶりに街へ出ても
欲しいものって
無かったんです。
でも無いなりに
散策していると
そうだ
あの時はこの場所へよく来たっけ
とか
このお店でよくひとりCoffeeをのんだな
とか。


今度はあの場所へ行ってみよう
あのお店へ行ってみよう
という未来の記憶を作ってみることで
エネルギーがもらえることに
気がついたのです。

いつかのいつか
それを明確に想像すればするほど
エナジーが湧いてくる。

過去の記憶から
未来の記憶へ。

来年の今頃は
どんな場所で
どんなコトを想っているか。

さて
アイスコーヒーを飲んだら
またひと汗かきますか。
東京も暑いコトでしょうね。
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孔子の言葉

2011年07月24日 | ヤスさん日記
濃厚に幸せな時間は
積み重なりながらも
淡くすぎてゆくモノですね。
でも
だからこそ
その次の機会を
楽しみにできるのでしょう。

学びの時間
背筋を伸ばしてくれる時間
私の目指す本物に近づくために
この大切な時間を
しっかりすごしたいと思うのです。
礼節の中からの思いやり
大切さを礼の中に表現する。

古臭いといわれても
そこに本物があれば
いつの時代でも
キラキラと光るモノですよね。

論語を基本にして
その上に老子や
菜根譚や孫子がのっかってくる。
論語の中に広がる人間模様は
今の世界でも十二分に同通する世界で
みんなが滑ったり転んだり
泣いたり笑ったりしている
わけですよね。
そこで光ってくる孔子の深い言葉。

また今日も
ひとつひとつ
噛み締めたいと思います。
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人智を越えて

2011年07月23日 | ヤスさん日記
「労働即ち祈り」
とは
松下幸之助さんの言葉
ですが
最近思うのです。
仕事に対しては
個を越えた善であるべき
ではないかと。
自分が引き受けたからには
自分を越えたところでの
判断が必要で
自分の可否などを
越えた所で動いてゆく
のではないかと思うのです。

目の前のコト
はとても大切で
でも
その目の前のコト
に捕われての判断は
その先にあるモノを
見誤ってしまうのではないかな
と。

職人ならお客様
イベントならゲストとお客様
自分が人智を越えたときに
労働は祈りに変わる
のではないかな
と思う今日この頃です。

ものづくり
人智を越えるところを
目指してゆきたい
と思います。

ながさん
東京はまだまだ暑いでしょうかね。
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ハングル

2011年07月22日 | ヤスさん日記
さて。
長らく続いた暑さも
ひと段落の新潟。
ながさん
いかがお過ごしですか。

数日前から
ハングルを学び始めました。
始めるのに
遅いってことは無い人生。
以前なら
日本語で通していたところも
新しい世界を
ハングルを通じて見てみたい
と思ったのです。

そして
2度の韓国訪問を通して
個展への足がかりを
確実に感じているのです。
イメージをし
香りを感じ
温度を感じる。
個展会場に自分が立っている
というイメージ。

思うのです。
手作りの器
それが持つエネルギーを求めて
戦国時代の武将達は
茶道の世界に踏み込んでいった
のではないかと。

信長も秀吉も
茶の世界を通して
器の持つエネルギーを享受していた
からこそ
あそこまでの熱を持って
蒐集していたのではと。

挙げ句の果てには
朝鮮半島まで
手を伸ばしたのではないか
と。

まだ2度ほどの訪韓ですが
今後増えて行くはずです。
その中で学び感じた事を
初めての個展で
表現できるはずと思います。

ながさん
いつかいつかの日。
韓国
一緒しましょう。
それまでの学びに励みます。
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