職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

保養再開の朗報

2021年05月31日 | ヤスさん日記
昨日は
秋葉区にある
ささえ愛よろずクリニックさんでの
第14回こらん処よろず相談会に
スタッフとして参加させてもらいました。
ずっと続けている
風フェスと共に
こらん処さんも医療関係のみなさんを中心に
ずっと続けられている活動。
中心メンバーのドクターは
風フェスにも参加してくれていて
信頼できるみなさん
なのです。

そんな
こらん処さんも1年半ぶりの再開
とゆうことで
保養が再開される大切さを
改めて感じた時間となりました。
風フェス自体も
形を変えて
少しずつの再会をしていますが
全体で集うことの難しさを
感じる日々は続きます。

今回参加させてもらい。
ほんのひと時でも
安心してなんでも話せる場所があること
私自身が心強く思います。
参加者さんスタッフさん
垣根を無くしたいとゆう願いと共に
私たち全てに
安心できる場が必要なのだろうと感じます。

感染症の影響で
様々なことが複雑になる昨今
しかしながら
心根で集い合う大切さを思います。
風フェスも
より佳き形で想いを持ち寄り
より佳き形で活動を継続したい。
その願いを形にしますよ。
ながさんも
いつも応援をありがとうございます。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緩急をつける

2021年05月30日 | ヤスさん日記
緩急をつける。
改めて
最近の仕事で
思っていることです。
1ヶ月の流れでもそう
1日の流れでもそう
ひとつの器の工程でもそう。
そうすることによって
技術的な成長が
あるように感じます。

昨日は
三つの湯沸成形の最終段階。
今まで修正を加えなくてもよい
と思えるのが
3つのうちの1ぐらいですが
今回は
3つ中3つが
修正なく完成することができたのです。

ほんの少し
いつもより回す作業を
細かくする
そんなことだったのですが
それが
平均的のレンジ精度を上げてくれた
のだろうと思います。

緩急の差
精神的にも必要なこと。
1ヶ月の流れ
なかなか緩急がつけられないものですが
でも
意識はし続けたいと思います。

梅雨空の新潟の日曜日。
ながさん
佳き一日をお過ごしくださいね。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男子四人の宴

2021年05月29日 | ヤスさん日記
気の置けないみなさんと
ものづくり談義は
なんとも豊かな時間となります。
お酒とおつまみ
際限ない時間。
考えていることを言葉にして
また
自分として考える。
深まってゆく時間。
ながさんとも
そんな時間を持ちたいものです。
東京はいかがお過ごしですか。

メルカリ
の話になったのです。
一億総転売
とゆうような言葉で表現される
こともありますが
私も買い手として
活用させてもらうことがあります。

なんの活用か。
金工に於いて
過去の作家や職人のものが
どうもおかしな評価で
掲載されているのです。

確かに
知識が無ければわからないもの
なのでしょう。
けれども
余りにもの無理解に
それを掬い上げたくなる。

いや
掲載されればいい方で
技術の詰まったものたちが
打ち捨てられている
なんてこともあるでしょう。

その一部でも
私の手元に受け取り
ちゃんとして評価で
次世代に繋げてゆければ
と思うのです。

そうやって
生活手仕事研究所に
備品が増えてゆきます。
いつか
どこをどうよいと思ったのか
文字でまとめたいと思います。

何を残さなくても良いのでしょうが
少しでも
ものづくりが汗したものに
その汗の理由を付したいものです。
そうやって
歳を重ね
私も消えてゆく。
それが人生ってものでしょうか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やるなら今しかねぇ

2021年05月28日 | ヤスさん日記
昨日は
ZOOMでの
第1回風フェス交流会
とゆうものを開催してみました。
感染症の影響で
なかなか集ない現状で
それでも
何か集いの場を持ちたいとゆう
切なる願い。
私もまだ未知の
ZOOMとゆう仕組みを使い
安心して話せる場の創出を
どうできるのか。

西新宿の親父の口癖を思い出しました。

とゆうものに合わせて
変化してゆくことも必要で。
それは
経験の中から
磨き上げられてゆくものでしょう。

今回のZOOMでの体験を通して
読書会を開きたいと思いました。
まずは
小熊英二さんの
「社会を変えるには」を。

「やるなら今しかねぇ。」
その言葉を噛み締めながら
今日も叩き始めるとします。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理想の自分とゆう欲望

2021年05月27日 | ヤスさん日記
ZOOMで
大学の授業に参加させてもらえる
って
なんとも有り難い。
中卒で
ぶらぶらしていて
系統だって学んでいない私には
コンプレックスがある
と感じます。
それが
前向きな方向と押し出し
学びの欲求が
業のように深いとも。

仲間たちと集い
議論を深める。
知人との読書会に
参加してみる。

様々な形で
コンプレックスと向き合っている
のかもしれません。

昨日は
午前中に県議会での県政勉強会
午後は新潟市内でZOOM授業。
「何になりたいんですか?」
とゆう問いをもらうことも想定していると
職人も学びも活動も
理想の私に近づきたい
とゆう切なる想い
なのだろうと思います。

それが
欲望とゆうものなのだろう
と。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欲望と欲求の違い

2021年05月26日 | ヤスさん日記
この月曜日
いつものつばめのメンバーと
哲学者の仲間から
欲望とゆう概念について
講義をしてもらい
そして
一緒にそれぞれの捉え方を考えました。

現代で欲望とゆうと
どろどろとした
なんだか世俗に塗れた表現のように
多くの人が感じると思いますが
ギリシア時代
欲望はエロースに繋がり
エロースは愛であり神であり
崇高なイメージすら持っていたようなのです。

それが
現代に至るに至って
どう変遷していったのか
とゆうことが
とても興味深く。

それを紐解く
ひとつの考え方として
欲望と欲求の違いを
明確にするべき
なのではないかなと。

そこには
マズローの欲求段階説や
その先の自己超越
とゆう考え方を
参照するべきなのかもしれないし
参照するべきでないのかもしれない。

ただ
漢字の捉え方として
求は獣の皮を剥いだ象形文字から始まり
望は爪先だって先を先を見る
とゆう形から成り立っている
とゆうそれぞれの意味が
私にはしっくりとくるように思います。

さて
レポートを提出するので
この考えがどう纏まるのか。
私自身楽しみであります。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すっと切り取ってくれる姿

2021年05月25日 | ヤスさん日記
先日の
銅鍋づくり体験の続き。
今回は
取材と共に
畏友高橋トオルさんに
動画の撮影もしてもらったのです。
HPを強化するために。

阿吽の呼吸とでも言いましょうか。
彼はすっと私の空間を切り取ってくれる
その様子が好きで。

何かしなければならないとか
そうゆうことを感じず
すっと
いつもの自分でいられる場面を
切り取ってくれ
そして
伝えてくれる。

このパートナーシップが
また私を支えてくれている。

ながさんにも
完成の暁には
送らせてもらいますね。
そして
これからの力も借りて
銅鍋づくりをより多くの方へ
伝えてゆきます。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銅鍋づくり体験を始めて7年

2021年05月24日 | ヤスさん日記
銅鍋づくり体験。
初めて
もう7年になるようです。
昨日
いつもの三条ものづくり学校さんでの体験会に
地元紙夕刊の取材が入り
いろんなことを思い出していました。

始まりは
みづえさんのBarが
最後を迎えるとのことで
学びの時間をつくりたい。
との依頼から
始まったこと。

自分から何かを目指していた
わけではないですが
期待に応えたい
とゆう心持ちが
この体験会を生み出してくれました。

そして
この7年間
日本各地に呼んでいただけることで
磨き込まれた体験会。

私の
職人としての生命線を
守ってくれた体験会
でもあります。

様々な方々との
出会いを作ってくれた体験会。
いつも
つくりだす喜びを思い出させてくれる体験会。

様々な形容詞がつく
この体験会を
これからも大切に育みたいな
と。

そして
いつか
誰からに受け渡せれば。
まぁそこは期待せずに。

しかし
この体験会で観えている世界観は
職人としても
とても大切なことなのです。
それを伝えるために
私も言葉に落とし込みます。

この夕刊で
地元のみなさんに知ってもらえる
嬉しさに包まれながら。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風フェスの歌

2021年05月23日 | ヤスさん日記
昨日は
風フェス長岡交流会。
風フェスの歌のお披露目でした。
なかなか
明るいニュースが広がらないと感じる世の中で
先輩のみなさんが
熱意を込めて作詞作曲し
歌ってくれた曲にうるうるとしないはずもなく。
そう
ながさんもご存知の
あの若井家の武美さんのバンド
With Cautionのみなさんが
つくってくれたんです。

風フェスとは
放射線被ばくの影響って?
と考え続ける保養の活動。
10年続け
この数年は大きくは動けない状態。

そろそろ
流れをつくりたい
と願っている中で
このような歌ができたことを
とても嬉しく思います。
この歌が広がるとともに
保養のとゆう活動についても
理解が広がることを願いながら。

長岡のみなさんとは
2011年の原発以前から
近くに在る新潟の勉強会を重ねていて
だけに
根本の心持ちが共有できていて
安心して話ができる
ってことを改めて感じました。
そして
その勉強してきたことを
2011年を境に
学んで来たことを真っ黒な墨で塗られた
ようなもので
「100bqの違和感」に
まだ「ぽかん」としている
のかもしれないなと。

それは
戦争の後の学生たちが
自分たちの教科書に
そうせざるをえなかったように。

まだまだ
理解とゆう段階にいかない
私の違和感。
確かなことを
この手で捉えたいための
風フェス。
続きます。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感情と自分であることとは

2021年05月22日 | ヤスさん日記
東浩紀さん
とゆう哲学者が立ち上げた会社のHP。
そこに
質問コーナーがあるのです。
そこのページが
とても豊かで。
根源的なことを改めて考えさせてくれます。

親子や恋人のコミニケーションについて
これは
私としては永遠の命題と考えますが。
東さん曰く
それらのコミュニケーションは
媒介がなければ成立しない。
腹を割って話すなどはできない
とゆうようなことを仰ってます。

媒介がある。
それは
感情を一旦横に置いておく。
とゆうことではないか
と私は考えます。

渦中に
感情が渦巻く中では
見えなくなってしまうものを。
可視化する
ための方法。

それを人間にさせる方法が
手紙にしたり
文章にしたり
一旦
自分自身でも見つめてみる
とゆうことなのではないかと。

渦中で見えないものを可視化する。
将棋の感想戦のようなもので
それができるくらいの関係性が育めるものなのだろうか
と恋人同士にも思います。
また
感情を一旦置いておく
それができたら恋人であるのか
との問いも生まれてくると思いますし。

さて
この親子や恋人のコミュニケーション。
未だに右往左往。
きっかけを掴んだと思ったら
蜃気楼のように
遠のいてゆくもの。

感情であるから親近者である。
それを一旦横に置いておくような
科学者の目があったら
私で有り得るのでしょうか。

さて
こんなことを考えながら
今日は風フェスの集い。
なかなか動けない現状で
でも
なにか動きをつけてゆきたい。
そんな始まりです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする