職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

イレギュラーの心得

2012年02月29日 | ヤスさん日記
ながさん
いかがお過ごしですか。
新潟の透き通った夜は
どこまでも見渡せそうで
半分の月も
手の届きそうな所に
輝いています。

イレギュラーを拾いつつけていると
何時の間にか
イレギュラーがレギュラーになる
ってコトもありますよね。
私のような仕事は特に
いろんな所を回って
最終的に巡るってくる
そんな仕事も多いものです。

それに対応できるのも
レギュラーがない
いつでも
柔らかく対応できるから
なのだと思うのです。

手作り
という
多品種少量生産の特徴は
隙間が多いということ。
隙間は
自分次第で
圧縮もできれば
広くするコトもできる。
頑張り次第で
どうとでもなる
ものだと思うのです。

もし
決まった仕事を
大量にこなすのだとすれば
この隙間を
持つコトは
できなかったのかもしれません。
隙間は
余裕を生んで
柔らかさを持たせてくれる
その
柔らかさが
イレギュラーを
受け入れる器をつくってくれる
のだろうなと。

レギュラーが無い
というコトが
不安につながる
といわれることもあるものですが
中心軸さえしっかりとっていれば
足腰で
いくらでも
その波に乗って行くコトもできる
はずだと。

イレギュラーの心得は
柔らかいからこそ
どんな形のモノでも
受け取るコトができる
だろうな
と思う今日この頃です。

ながさん
働くことが出来るって
なんて幸せなコトでしょうね。
喜んでもらえるコトが出来る
そんな日々がキラキラ輝いていますよ。
今夜の星も
ほんとキラキラ輝いてますね。
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大人の遊び

2012年02月28日 | ヤスさん日記
本気で遊ぶ事
してみましょう。
大人の遊びは
大人らしい本気さで
突き抜けてみたいものです。
子どもの無邪気な本気さ
とは違った
追求度の高い本気さで行きたいなと。

遊びって
誰でもできるコト
なんですが
それは
一般的に言われている遊び
とは大きく違っている
のかもしれません。

自己完結する遊び
ではなくて
広がりのある遊び

本物の遊びだと思うのです。

そして
決め決めの時があるからこその
遊びでもあって
大人の本気の遊びは
生涯をかけている仕事の中から
派生するもの
なのかもしれません。

本気の遊びには
本気の志があるはずです。

さて
今度の遊びは
どんな広がりをみせてくれるのか。
新しいコトに挑んでみます。
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鑢の声

2012年02月27日 | ヤスさん日記
日付が変わる前の汽水域あたり
鑢とのお話し合い。
この素晴らしい道具は
誰が開発してのでしょうね。
金偏に慮る
って。
金属を慮ってくれる道具なんて
なんて素晴らしい発明ではないですか。
そんな汽水域のひととき
ながさん
いかがお過ごしでしたか。

道具が話すわけない
って
当たり前ですが
確かに話すんです。
聞いた時あるような声で。

ずっとずっと昔から
心の奥の方から響いてくる
その声で
話しかけて来るんですよね。

それは
鑢に限らず
鏨も
当て金も
色水も。

対面している時
その声達は
問いかけをして来るわけです。
一対一の
タイマンですよ。

ナンノタメニ?
ダレノタメニ?
ドウシテ?

いや
これで
波立ってっしまっては
作品に反映してしまうわけで。
いやいや
反映されることが
良くないとは言い難いのですが
やはり
平らに手が動かないようでは
職人として
一段落ちるしょう。

だから
いつも答えを
一緒に探すようにしているのです。
その
何処にいるかもわからない
声の主と。

一人時間が多い職人ですから
向き合う時間は
たっぷりとあります。
どんな答えが見つかるか
その道程を楽しんでみますよ。

さて
汽水域も潮が変わりつつあります。
もう一息
潜ってみますか。
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どうでもいいコト

2012年02月26日 | ヤスさん日記
どうでもいいモノが
沢山あり過ぎる
けど
どうでもいいモノが
無ければ
私ではない
と思う今日この頃。
ながさん
東京はまだ寒いですか。

「誰かに必要とされているか?」
を考えていた頃。
でも
「自分が必要としているか?」
という問いだったのかもしれません。
そこには
自分の目線はありますが
体感は少ない
と思うのです。

視覚は
情報の8割らしいですが
感覚においてそれだけ
邪魔になることがある
ということですよね。

これも
考えることすら
どうでもいいコト
なのかもしれません。

けど
死に際の私に
会ってみたいとも思うのです。
死に際に何を思い
何を伝えようとするのか。
そして
それすらも今ここにあるのかもしれない。

死に際の私は
やり切ったと思っているのでしょうか。
それとも
まだまだ生きたいと思っているのでしょうか。
きっと
今も同じで
どちらも
思っているコト
ですしね。

そして
無性に腹の立つ自分は
きっと
誰かを認められずに
自分も認められない
そんな自分に
腹が立つ。

そんなどうでもいいコト達。

気持ちがわかる
なんって言葉に
嫌気が刺し
わからないことを
わからないなりに
探している。

探し続けるという行為が
生きているということ
なのかもしれません。
わたくしの場合。

やはり
頭でわかっている
という誤解が
自分を苦しめるのでしょう。

そんな
どうでもいいコト達を
愛おしく思う。
どうでもいいコト達に
命をかける
のでしょうね。

さて
新潟は寒さが戻ったようですよ。
あったか物でも食べて
寝るとしますか。
明日はまた
やってきますしね。
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エッセンス

2012年02月25日 | ヤスさん日記
論語
という言葉が
特に最近私の耳に飛び込んできます。
意識
しているせいかもしれませんが
何人かの方から
今年は論語を学びたいと
いうようなお話をききました。
論語
私もこの9年ほどでしょうか
学ばせてもらって
そして
思うのでは奥が深い
といったところでしょうか。
奥が深いだけに
容易に言葉が発せなくなるな
と思う今日この頃です。

エッセンスは
あると思うのです。
一般的に抜き取られている章達に
「己立たんと欲して人を立て
 己達せんと欲して人を達す」
等々
エッセンスとしては
とても響く言葉達。

そして
それは
論語を一回でも読通してみると
それが
エッセンスであり
人間孔子の生き様のベースが
一冊の本の中に詰まっている
のだなと。

エッセンス
大切です。
けれども
そのエッセンスのせいで
堅苦しさや
聖人らしさに
凝り固まってしますと
私のそばに引き寄せて考える事が
できなかったのではなか
と思うのです。

お酒が好きで
おしゃれが好きで
音楽が好きで。
そんな人間らしさ。

らしさの中から
湧き出てくる
エッセンスが
沁みてくる訳ですよね。

さて
本日もその論語。
やっぱり
論語の後の先輩方との
お酒とお話が
また
良いのですよね。
さて
今日はどんな学びがあることか。
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スムーズさから外れてみる

2012年02月24日 | ヤスさん日記
スムーズにいってる
時ほど
見失っていないかを
確認することが必要だな

当然のことを繰り返してみる
今日この頃。
ながさん
雑誌の件
おめでとうございます。
掲載された雑誌に居並ぶ方々を聞いても
徐々に徐々に
ながさんの本領発揮ですね。

見えないものと
見えるのに見ていない
ということの違い。
そこら辺を見極めなければ
ならないなと。

見えない世界を見通す素直さ
見えるものをそのままに見通す率直さ

順調に行っている時こそ
その辺りをきっちりと
再び胸に刻むことなのだなと。

1ヶ月に1回
振り返る機会は論語に学ぶコト
なのですが
その古典に基づく
人の歴史も
直さを失った時に
バランスを崩すようですね。

敢えて言えば
スムーズさの外にでてみると
その
引っかかりの部分を発見できたり
修正できたりするのかもしれません。

さて
寒さもひと段落の新潟。
ちょっとした一息を
次の製作に取り込んでみますか。
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私は誰でしょう。

2012年02月23日 | ヤスさん日記
「私は誰でしょう。」
それを
いつも肝に銘じているのです。
誰がどういった
彼がこうしたから
なんてものは
一つの影響ではあるのでしょうが
それでも
自分が
どう思って
どうしたか
そして
どうしたいのか
ということが
大切だなと。

私は私で
私が決めたこと。

誰がなんといおうと
誰の影響を受けようと
考えたことや
決めたことは
自分なのだなと。

「私は誰でしょう。」
ここに立っている私。
それを考えています。

自分の人生
親の人生
関わってくれたみなさんの人生
おじいちゃんおばあちゃん
祖先の人生
全てが集まって
今の私があるわけですものね。

自己肥大ではない
私は私を
持っていたいな
と思う今日この頃です。
ながさん
今日もやりましょうね。
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最後の作品

2012年02月22日 | ヤスさん日記
雪の結晶がきらきら光る時
夜中の散歩道
口に含んでみると
仄かな甘みを感じます。
例えどんなことがあっても
このきらきらを覚えていたいな
と思う今日この頃。
ながさん
いかがお過ごしですか。

そう
最後の作品
ってどんなものなのだろう
とふと思います。
体調が芳しくない時
身体が痛む時
さっきまで作ってモノが
そうなるのかも
と感じる事もあるものです。

もちろん
一作
一作が
そうなのかもしれない
という意識は
必ずどこかにあるもので。

ただ
やっぱり
もっともっと
納得のいくものに
近づかなければ
まだまだ
逝けないな
と思うのです。

やり込む事の時間と
癒す事の時間
そのバランスを
どうとるか
ということが
ものづくり
ひとつの命題であることは
そのあたりだろうなと。

バランス
バランス
くるくると回っている時はよいですが
それを崩したら
速く回っているだけに
調整がむずかしいのかもしれませんね。

でも
やはり
少しでもいいものに近づきたい
という気迫は
込めたいのです。

さて
今夜ももうひと仕事
するとしますか。
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寝ても覚めても

2012年02月21日 | ヤスさん日記
信じるというコト
でしょう。
信じるの中に
自分も居り
他人も居る。
その中で
一番身近な
自分を信じる
信じ得るというコト
なのだと思うのです。

自分以外なら
会って確かめる
確かめられる
というコト。
その雰囲気や熱量や
変わらないものが
そこには在る
のだと思います。

確かに
刻んできた歴史が
阻む事もあるでしょう。
けれども
今から始まる歴史も
在るということなのです。

そして
継続するということ
持続する志。

うむ。
ちょっとカラダを休めた方がよいようです。
そこから復活したら
また
最近見た夢の話でもしましょう。
夢は寝ても覚めても。
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繰り返し

2012年02月20日 | ヤスさん日記
諦めない心
諦めないでほしいという心

念仏のように
繰り返し

紡いだ
大切な時間を
繋げられるように

念仏のように
繰り返し。
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