summer diary

日記らしきページ

ちょっと気にくわないけど

2018年09月10日 | Weblog

 気にくわないけど・・・。 と言っても誰かでもないし、何かでもない。 ちょっと天候が気にくわないのだ。 今朝早くには激しい雨が降っていた。 今は何とか雨は止んでいるものの、この先1週間程度は曇りや雨の予報が続く。 台風22号も発生しているし、まだ日本列島に接近するかどうかも知れないけど、何となく、このまま太平洋高気圧の勢力が衰えていると再び日本に上陸するのではないか?と懸念材料が増えたことになる。 

北海道地震のニュースは連日報道されていて、死者も連日増え続けている。 現在では行方不明者のリストが増える様子はないので、これ以上の犠牲者が増えるニュースを聞くことは無いかもしれないけど、それにしても遺族や残された家族の泣き崩れる様子を全国的に流すのはちょっとどうかな?と思わざる得ない。 涙無くして身内の不幸を受け止めることなど出来る訳もなく、それを報道する側はもちろんだが、報道される遺族にしてもプライベートな内容を詳細に報道されるのはどうだろうか? 私ならそうした報道を差し控えて欲しくもなる気がする。 涙を流して嗚咽している自分の姿をTVの画面から流れていることを想像するとちょっと受け入れがたい気もするのだ。 決してメディアのために泣いている訳でもなく、誰かに訴えたいのでもないだろう。 ただ、ひたすらに悲しい、空しい、寂しいのだ。 その瞬間は静かに自分と向き合いたいと思うだろう。 ましてや、家族なら余計に自分の胸の内にあるものをそっとして置いて欲しいだろうと思う。

なんてもかんでもただ事実を報道するのが本当の報道ではない。 ましてや、こうした個人的な内容を扱う時にはより一層同じ立場に立った取材が肝要だ。 単純に悲しみを画面に映し出すのはいかがな物だろうと思ってしまうのは私だけではないだろう? ドキュメントをどのように放映するのかは難しいだろう。 私は現実を淡々と特別なナレーションや説明を付ける必要はないと感じている。 悲しみや楽しさや怒りや不安や安心感や憎しみや悲しさ寂しさなどを言葉にする必要はないだろう。 TVで放映するなら映像そのものが見ている人に伝わるカメラ目線があるはずだ。 それがプロの仕事ではないのか? 特に人の感情を言葉にするのはナンセンスだ。 

今日は一日中雨の空模様で今の雨は止まずに降り続けている。 気温はこれまでより低いけど、やはりまだ蒸し暑さがあり、エアコンが無い状態では部屋にはちょっと長くは居られないだろう。 今日は午後からのんびりと過ごすことにしている。 ジムも休みだし、特に行くところもないし。 夜勤明けなので、午前中に仮眠をしっかりと取れる時間があり、午後からは通常通りに身体も動くし、何かしようと思えば出来るのだけど、何も用がある訳でもなくネットで映画でも見て過ごすことになるだろう。

台風22号も日本列島に接近する様子もなさそうだ。ただし、秋雨前線が影響を受けてこの先しばらくは雨が降る毎日になりそうだ。 折角、気温が落ち着いて来て、バイクや自転車を乗るには良い季節になりそうだと思って居たけど、こんな天候ではちょっとどうしようもない。 猛暑が通り過ぎたらお遍路を再開する心算で居たけど、後は天候がどうなるかだ。 雨上がりすぐにはバイクも自転車も乗れない。 雨水がある程度乾いて道路などにも水たまりや道路脇の側溝などからの汚水が流れ出ない程度には乾いてくれないと走る気になれない。 公休日に毎回天候が良いとも限らないし、午後にはジムにも通いたい。 連休が無い今の仕事では一日の休日をどれほど有効に過ごすことが出来るだろうか? 休日を丸々一日自分のためだけに使うことも難しい。 妻が仕事の時には家事もあるし、洗濯物などを朝早くから終わらせて、夕方には取り入れる必要もあるし、時には買い物も必要な時もある。 以前のように週に必ず2日の連休がある休日なら土日のどちらかを家事、もう一日を自分の時間と言う風に分けることも出来たけど、1日単位の休日となるとどうしてもいろんなことを一日でやる必要がある。 

さてと、今日はこれから昼の食事を済ませてからはネット映画を見て過ごそう。