スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

書簡六十七の二&真偽の判定

2017-04-14 19:18:59 | 哲学
 ゲプハルトCarl Gebhardtが1924年に編集したスピノザ全集に,初めて収録された書簡は2通ありました。ひとつが四十八の二でこれはフロイデンタールJacob Freudenthalによって発掘されたもの。もうひとつが別に発表されたもので六十七の二でした。アルベルトAlbert Burghからスピノザに送られた書簡六十七は遺稿集Opera Posthumaに収録されていて,それとの関係が深いのでその後ろに配置されたものです。
                                     
 こちらはステノからスピノザに宛てられたもの。アルベルトから送られたものと同様に,ローマカトリックの正統性を主張する内容です。ただし,書簡の内容だけでいえばアルベルトから送られたものよりステノから送られたものの方がよほど優れた内容になっています。アルベルトはスピノザがローマカトリックに否定的な哲学をもっていることを愚かなことと思い,罵詈雑言を浴びせ掛けているだけで,読みようによってはかえってローマカトリックの信徒の品位を貶めかねません。ですがステノはスピノザの哲学の内容を部分的に尊重していますし,スピノザがカトリックに対する信仰fidesをもたないことについては反感を抱いていたと感じさせますが,同時に,自分がどんなことをいってもスピノザがカトリックを信仰するようになることはないだろうと想定していたようにも感じられ,少なくともアルベルトのような暴言を吐くことは一切ありません。ステノはカトリックの内部で地位を上げていったのですが,それに見合うだけの品位と知性とがステノにはあったということは,この書簡から窺い知ることができます。
 ですから,書簡としていえば,六十八よりは六十八の二の方が,遺稿集に収録されるには相応しいだけの内容を有していたと僕は思っています。ですが遺稿集の編集者たちがそうはせず,アルベルトからの書簡は収録し,ステノからの書簡は収録しなかったのは,単にスピノザがステノには返事を出さなかったけれども,アルベルトには出したからだろうと推測します。もしスピノザからアルベルトに宛てた書簡というのが存在しなければ,どちらも収録されなかったことでしょう。

 観念ideaの外的特徴denominatio extrinsecaは真偽の源泉とはなり得ません。すなわちある観念が真の観念idea veraであるからといってそれはその観念が真理veritasであることの根拠にはなりません。同様に,ある観念が誤った観念であるからといって,それはその観念が虚偽falsitasであるということの根拠にはならないのです。このためにスピノザの哲学では,観念がそれとは違った仕方で新しく定義され直されることになりました。いうまでもなくその定義Definitioとは,観念を内的特徴denominatio intrinsecaから基礎づけた第二部定義四です。
 ここで示されている十全な観念ideam adaequatamというのは,哲学史の中でも画期的な観念の規定であると僕は思っています。なぜならこの定義は,観念が思惟の様態cogitandi modiであるということを積極的に意味づけていると思うからです。観念が思惟の様態であるとは,観念とは,観念されたものideatumを撮影した写真のようなものではないということです。
 実際のところ,観念が思惟の様態であるということについては異論はないでしょう。しかしその場合でも,実は観念は対象を撮影した写真のようなものであると思われがちなのです。というのも,観念が対象と一致することによって真であり,対象と一致しないのであれば誤っているという見解は,観念を写真のようなものとする見方と同じです。なぜなら,対象が正しく撮影されているならそれは真であり,正しく撮影されていないならそれは誤っていると主張しているのと同じことだからです。この場合には,観念が観念されているものを明瞭判然と写し出しているなら真であり,そうでないなら偽であるということになるでしょう。そして観念は基本的にこのような観点からその真偽を判定されてきたのです。あるいはこの種の判定は,現在でも通用するようなものなのかもしれません。ですがスピノザは観念が思惟の様態であるということを積極的に示すことによって,この見解を真向から否定したのです。だから僕はこの定義は画期的だったと思っているのです。
 思惟する力の源泉が思惟する力それ自体であるということは,思惟の様態は思惟の様態として真偽を判定されなければなりません。あるいは思惟の様態は思惟の様態から真偽を判定されなければならないのです。
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