スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

朝日杯将棋オープン&史実的根拠

2016-02-13 19:36:28 | 将棋
 有楽町朝日ホールで指された第9回朝日杯将棋オープンの決勝。対戦成績は羽生善治名人が74勝,森内俊之九段が58勝。千日手が7局あります。
 振駒で森内九段が先手になり,羽生名人の急戦矢倉。この将棋は本格的な戦いになる前に,先手が端に桂馬を跳ねた後で中央に飛車を回ったバランスが悪く,歩切れでも手なりで中央を制圧した後手が少しだけ指しやすくなっていたものと思います。
                                    
 矢倉戦ではしょっちゅう出てくる銀を打った局面。ここでは▲5四角と打って△7六金と出る手を牽制する攻防手も有力。この打ち込みは勝負しにいったという手で,先手はやや苦戦と意識していたのかもしれません。ここからは先手が攻めきれるのか後手が受けきれるのかという勝負。
 △6九銀▲7七金としてから△4二金と逃げました。△6八飛と王手で打てるようした交換で,先手が飛車を切りにくくしている意味があります。いい判断だったのではないでしょうか。
 ▲7一角△8一飛▲4四角成△4一飛の手順で銀を見捨てた先手は▲2四歩。△同歩▲2三歩△同王▲2五歩と玉頭攻めに勝負を託しました。後手は△6八角と受け▲2四歩に△同角成。
 ここで飛車を切ると後手玉が1五に逃げることができて捕まらず,△6八飛があって先手が負けのようです。ということで▲6六歩と打って金をどかしてから飛車を切る手を狙いましたが金を逃げるわけもなく△3二金と寄られました。
                                    
 攻めるなら▲2五歩でしょうが,▲2二金と打てなくなっている関係で△同桂も生じています。それでいて馬取りですからこの手が受けの決め手。第2図は後手の勝勢といってよいでしょう。
                                     
 羽生名人が優勝。第3回,5回,7回,8回と優勝していて三回連続5度目の優勝です。

 カメラ・オブスキュラのために高性能のレンズを必要としていたフェルメールが,スピノザに助けを求めることによってふたりは出会ったとする推定が,マルタンが『フェルメールとスピノザ』において示している「天文学者」のモデルはスピノザであるという推理の根拠の中で,僕には最も説得力があると思えるものです。しかし前にもいったように,マルタンが推理のために示しているストーリーというのを,そのまま史実とするのは僕には無理があると思います。レーウェンフックが親友であったフェルメールのために何の手助けもしないということは僕には考えられないので,スピノザによる援助があったと推理するのであれば,それ以前にあった筈のレーウェンフックの協力は,フェルメールにとっては技術的な意味において不十分であった,あるいは満足できるものではなかったというストーリーをさらに加える必要があるというのが僕の考えです。
 このゆえに,実際に「天文学者」のモデルがスピノザであったということは,可能性としては非常に薄いものであろうと僕は判断します。そしてこれがマルタンによる最も説得力のある説明であると僕には思えるのですから,結論からいえばフェルメールがスピノザをモデルとして「天文学者」を書いたという可能性はきわめて低いだろうと僕は考えるのです。ですが,きわめて低いというのは,皆無であるといえないという意味でもあることは僕も認めざるを得ないです。少なくとも史実だけを根拠にして,「天文学者」のモデルはスピノザではないと断定することはできないと僕は思っています。
 一方,僕がマルタンの推理に対して懐疑的である理由の最大の要素は,このような史実とは異なったところにあるのです。『フェルメールとスピノザ』というのは,このふたりの関係をただ単に史実の観点から裏付けようという動機から書かれたものではありません。むしろフェルメールが描いた絵画作品と,同時代にきわめて近い地域で生きたスピノザの哲学との間には,一定の関係があるのだということを説明しようという試みでもあるのです。これ自体は,「天文学者」のモデルがだれであるかとは関係ありません。
コメント
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