スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

棋聖戦&真理一般による脱却

2007-06-29 22:20:16 | 将棋
 棋聖戦五番勝負第三局は,佐藤康光棋聖の先手で相矢倉・森下システムの戦型になりました。今日は平日ということでネット中継をほとんど見られませんでしたし,また,常々いっていますがプロの矢倉は一手一手の意味が難しすぎますので,端折ります。前半は先手が左辺に手厚く構えて,悪いという感じではありませんので,無理に細い攻めにいったのが問題だったのではないかという気はしますが,見た目ほどには先手がよいという形勢でもなかったのかもしれません。おそらく後手の渡辺明竜王から何らかの解説があると思いますので,そちらを参照してください。
 僕がちゃんと見たのは100手目に△6九角と打ち込んだ局面。しかしここはもう後手の勝ちになっています。▲6八金引に△7八角成と切り,▲同金に△8五銀が好手順。▲3三歩の反撃を放置して,△7六銀▲3二歩成△同飛となった局面は,詰めろが続けばよいので,△6六桂。
 実はこれで程なく終了と思っていたのですが,▲6七角という詰めろ逃れの詰めろがあったのでちょっと驚きました。しかしこれには△7八桂成▲同角に△2八飛と打てば,▲2三角成とはできません。ここで▲5六角打のような手が利けば本当に逆転しそうですが,それは△7九銀で詰んでしまうので▲4六角。これには打ったばかりの飛車を見捨てて△7七歩が好手。取るのは詰みなので仕方のない▲2八角に△7八歩成から再度の△7七歩。ここからは即詰みでした。投了以下,▲7七玉なら△6六金から銀を取って△6八角成で,▲7五玉に8五馬以下の詰め手順は作ったような美しさです。
 これで渡辺竜王がひとつ凌いで1勝2敗。次が先手ですので奪取に視界が開けたといえそうです。第四局は7月6日です。

 明日から前橋競輪場でGⅠ寛仁親王牌。初日の日本競輪選手会理事長杯を予想します。並びは,大森-渡辺一成-山崎-有坂の北日本,武田-神山-兵藤の関東,残った小嶋に渡辺晴智。やはり山崎選手◎と渡辺一成選手○が有利そう。小嶋選手△より武田選手▲という気がします。

 Xの十全な観念が人間の精神のうちにある場合には,いくら同じ人間の精神のうちに混乱した観念が生じることがあっても,このXの十全な観念によって,Xの混乱した観念を十全な観念ではないと認識することができますので,この人間がXについて誤るということはありません。これが十全な観念による人間の精神の誤謬からの脱却ですが,このことから分かるように,真理一般なるものが実は個々の真の観念の総体であるように,誤謬というのは,現実的には個々の誤謬であるといえるわけです。これは,このような意味で人間が誤謬を犯すという場合に,個々の観念,個々の混乱した観念について,それが混乱した観念であるということを認識しないという意味であるということからも明らかであるといえるでしょう。したがって,一口に誤謬からの脱却といっても,現実的に人間にとって問題となってくるのは,いかにしてそうした個々の誤謬から逃れることができるのかということになります。
 人間の精神のうちに,Xの混乱した観念が生じ,かつそのときに,Xについて何の十全な観念もこの人間の精神のうちにない場合でも,もしもその人間が真の観念に共通の性質,すなわち真理一般の性質というものを理解しているのであれば,確かにこの混乱した観念が,真理一般の性質を有さないということを認識することによって,この人間がXについての誤謬から脱却できるであろうということは予測できます。しかしこの予測の正しさを証明するためには,いかにして人間の精神のうちでそれが可能となるのかということを検証してみなくてはならないと思います。
コメント
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