(つづき)
このバス停の周囲にはいくつか教会があるようで、「教会前」がどこの教会を指しているのかはわからない。
ただ、個人的には「○○教会前」という具体的な名称よりは、抽象的なままのほうがイメージが膨らんで好印象だし、どこか親しみやすい感じを受ける。
固有名詞が付かない抽象的な名称の例として他にも、「学校前」(久山町、筑紫野市など)、「購買店前」(粕屋町。現在の「仲原購買店前」)、「警察入口」(宇美町。現在の「宇美町役場入口」)などなどたくさんある。
福岡都市圏レベル以上のマクロ的な視点から眺めると、「学校前って、いったいどこの学校の前なの?」ということになり、抽象的な名称は確かに「わかりにくい」のかもしれない。
ただ、その路線を利用する人たちで構成される小さな生活圏の中では、抽象的な名称であっても十分に伝わるものなのだと思う。
抽象的な名称に親しみやすさを覚えるのは、そのような背景があるのではないだろうか。
そういえば、東京でバスに乗っていて「住宅前」というバス停名を聞いて驚いたことがあった。
日本にあるバス停のかなりの割合は「住宅前」に当てはまるような気がするのだが…。
(つづく)
このバス停の周囲にはいくつか教会があるようで、「教会前」がどこの教会を指しているのかはわからない。
ただ、個人的には「○○教会前」という具体的な名称よりは、抽象的なままのほうがイメージが膨らんで好印象だし、どこか親しみやすい感じを受ける。
固有名詞が付かない抽象的な名称の例として他にも、「学校前」(久山町、筑紫野市など)、「購買店前」(粕屋町。現在の「仲原購買店前」)、「警察入口」(宇美町。現在の「宇美町役場入口」)などなどたくさんある。
福岡都市圏レベル以上のマクロ的な視点から眺めると、「学校前って、いったいどこの学校の前なの?」ということになり、抽象的な名称は確かに「わかりにくい」のかもしれない。
ただ、その路線を利用する人たちで構成される小さな生活圏の中では、抽象的な名称であっても十分に伝わるものなのだと思う。
抽象的な名称に親しみやすさを覚えるのは、そのような背景があるのではないだろうか。
そういえば、東京でバスに乗っていて「住宅前」というバス停名を聞いて驚いたことがあった。
日本にあるバス停のかなりの割合は「住宅前」に当てはまるような気がするのだが…。
(つづく)
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