私は8月初めからお盆を過ぎる頃まで在札したのだが、
三十三間堂から京極かねよに向かっていた時…「もう時効だからいいよな…」と旦那が話し出した
前にもお話しした通り大学時代の仲の良い友人の実家が山科にあり、そこを宿に京都に何度も訪れていたという
憧れの京都に来てはあちこちをみて歩き、陽が沈むころに祇園界隈の学生でも入れるところで食べて呑んで、
タクシー代などないから山科まで毎晩歩いてもどったそうだ
話は変わるが、うちの旦那のいとこは男3兄弟でこれがなかなか優秀だ
一人っ子だった旦那を入れて4人でころころと子どもの頃は育ったそうな
もともとは北海道に住んでいたのだが、あれ、1番上だったかな?
東京の大学に進学が決まり、仕送りが面倒くさいと一家で上京してしまった
2番目の人は京都大学
祇園辺りで酔っぱらって三十三間堂の前を通って山科に帰る
毎晩そうしているうちにある日ふと
「これ〇〇兄貴(その京大のいとこ)に土産で持って帰ってやろう」と思ったらしい
酔っぱらいはろくなことを思いつかない
何を持っていこうと思いついたかというと三十三間堂の看板だそうな
「え?外れたの?」
私もおかしなことを聞いたものだ
「外れたんだな、ちょっと拳固でたたいたらぱかっと」
担いで帰ったらしい………
この話を聞いて私が思い出したのは父の似たような話
父は北大の予科時代に酔っぱらって、道警だか市役所だかの看板をかっぱらってきてしまったらしい
目が覚めたら抱いていてびっくりしたようで、まだ日が昇り切っていなかったからこっそり返しに行ったと言っていた
我が父の場合は酔った勢いの考え無しだが、大体あの年代は度胸試しでそんなことをやっている
私の友人のお父様は陸軍に腹を立てて、市ヶ谷にあった陸軍省の看板を用意周到策を練って、かっぱらって神田川にほおり投げてきたそうだ
ばれたらただでは済まなかっただろうにと娘はあきれていた
だから我が旦那の話に大して驚かなかったのだが、今ならニュースで取りざたされて大変だろうなあ???
で、最後にかっぱらった看板はどうしたのか聞いた
「ちゃんと〇〇兄貴に持っていったよ、どうしたかな??兄貴??
京大だもんな、返したよなあ??」
兄貴、今は違うところで教鞭を取っているがそれ以前は京大で教えていた
返したかなあ?
以外にまだ家にあるのかもしれない…ぜひそこを確かめてほしいと旦那に頼んだ
50年近くも経っているが、万が一出てきたらちゃんと謝って返しに行ってもらわないといかんですね、それはそれでわくわくするような出来事だわ!