つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

わんわんのしっぽ

2011年02月10日 | 文章

まだ我が家の子ども達が小さかった頃、隣の家で小型のビーグルを飼っていました。

ある日、その家の犬が増えているのを子ども達が買い物帰りに見つけ、吸い寄せられるようにそばに寄って行きました。それをみてその家の奥さんが言いました。

「迷い犬なのよ。うちで二頭も飼えないから、あんたの所で飼わないかい?」

同じような小型のビーグル犬なのですが、いくらかおどおどした様子があり、のんびりと座る家主の犬にぴったりとくっついているように見えます。

「うちは貧乏だぞ。子ども多いからうるさいし、大したもの食えないぞ。それでもいいか?」夫が、その犬をなぜながら言い、荷造り用のひもを持ち出して散歩に連れ出しました。古びた青い首輪をしています。

「それ、つけていたのよ。飼い主がわかるようなものはないけれどね。」

子ども三人と夫と、素直についていく犬の後姿を見ながら、その時、突然始まった犬がいる生活を私はぼんやりと考えていました。

「あの子ね、四五日前からこの辺をちょろちょろしていたのよ。」

「引っ越しで置いてかれたのかしら…。」

そんなことをしばらく立ち話していたら、子どもの騒ぐ声が聞こえてきました。

「もう、戻ってきたわ」と振り向くと、道の向こうはしから犬と2歳になる娘がかけてきます。それを追いかけるように上の二人が走っています。そのさらに後ろから夫です。

見ると、ちょうど娘の手の高さになる尻尾をしっかりつかんで、つかまれて犬と娘は並んで走ってきます。にこにこと笑いながら、楽しそうに勢い込んで走る娘が転ばない程度に、犬が合わせて走ってくるのです。私のそばに来て娘が叫んでいいます。

「わあわあちっぱあ!わあわあちっぱあ!」

あとから息も絶え絶えの夫が言いました。

「そうだ、わんわんのしっぽだなあ。チッパー、名前も決まったな」

なるほど、娘に握られた尻尾は、その小さな手もつけてゆっくりと振られています。

「これなら、大丈夫だな。かわいがられていただろうに…お前はどうして迷子になったんだ?」

ずいぶん探したのですが、チッパーに青い首輪をつけた人は見つかりませんでした。でも、だから、ずっといてくれました。チッパーのいうことが理解できたら、それは映画になるような大冒険だったのかもしれませ。                    (2009年8月)

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わが愛しの町“新宿ゴールデン街”

2011年02月09日 | 文章


 仕事で知り合った山口小夜子ヘアの、少しうつむいてしゃべるその女性が連絡をくれた。

「新宿のスナックでバイトしているの。高くないから飲みに来て」

縁が切れるのが寂しくて、日にちを置かずすぐ尋ねたその場所が歌舞伎町のはずれ、花園神社裏の一角「新宿ゴールデン街」と呼ばれるところだった。

小さな同じような路地が何本も並び、小さな看板がずらりと顔を並べている。もとは “青線”に使われた棟割り長屋で、二階建てから三階建ての古びた小さな建物がお互いに寄りかかるように建っている。三坪から四坪の店がほとんどでボックス席があればいいほう、たいていは十人も入れば満員のカウンター席だ。ドアを開けるといきなり階段で、はしごに近い、狭いその段を勢いで登るという店も多い。「会員制」と札が貼られている店もあるが、そこまでいかなくても、たいていの店はママさんが作り出す時間を共有したくて現れる常連で占められているから、一見で気楽に入れるという雰囲気はない。だが、一度店につながりができるととても居心地よく飲むことができる。サラリーマンもいたが、編集者、カメラマン、役者といった自由業に近い生業を持つ人が多く集まり、激論を戦わせている場面に出くわすこともあったし、気持ち良さそうに外を流している顔を見ると、テレビで見覚えのある芸人さんや、俳優さんだったりした。

山口小夜子ヘアのママさんの店はうす暗い造りで、カウンター内の壁一面にボトルが並べられ、ママの趣味でジャズが流されていた。この町では珍しく三階建てのすべてを使う店で、大人数で訪れると上階に導かれた。店で「ペコちゃん」と呼ばれたママがかまってくれているうちに、行けば座る席が決まり、1000円札を握りしめてやってきては「親がうるさくて」と終電に間に合うように退散する私を、常連客達が子ども扱いながらも飲み仲間として認め、はしご酒に誘ってくれるようになった。

面白かった。とにかく楽しかった。連れて行かれた店でいろいろなママさんや常連さん達と出会った。ゴールデン街では、ママさんに嫌われるともう店に入れてもらえない。それがここのルール。どんなに職場で地位のある人でも、お金もちでも有名人でも関係ない。ママさんに嫌われるような行儀の悪いことをした客は追い出される。だから私のようなひよっこ一人でも安心して通うことができた。おかまさんがやっている店も数多くあり

「あんた…、女はねえ…、恋をしなければだめよ!」

とカップルで行くこともなく、オシャレと無縁だった私に真剣に注意してくれた。

高橋真梨子が歌った「桃色吐息」が街に流れていたころのこと、この曲を聴くと、家鳴りがする町で過ごした、あの宝物の時間が胸にあふれ出てくる。         (2010年9月)

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ある日、娘と。

2011年02月08日 | 文章


意を決して娘の部屋に向かうと、私は一気にまくし立てました。

「母はね、いろいろ我慢していたの。眉毛を細くしたり、スカートの丈を短くして、襟元や袖口のボタンをはずしてだらしなく制服を着ているのも、まず今時の女子高生がやっていることをやってみたいんだろうし、入ったばかりの学校で緊張することも多いだろうから、あれもこれもって文句言うのいけないだろうと思っていたけれど、歩きながらもの食べて、まして制服で、くちゃくちゃやっているのだけは絶対に許せない!やめなさい!」
午後から雨が降り出して、自転車通学している娘は髪からしずくが垂れるほどに濡れ、濡れた制服を半分脱ぎながら困ったような顔をして、私のほうをみていました。少し前に玄関をはいってきたとき、生意気な表情でガムを噛んでいたのです。

恥ずかしいことですが、私にはしゃれっ気というものがありません。人間は内面を磨かず、外側だけ飾っても仕方がないなどとつっぱっているうちに内も外も飾りようがない年齢になってしまったのです。でも、この頃はまず外側を磨くことも大切だと感じるようになってきて、身の回りに気を使う娘に、こういう母親の娘にしては上出来だと感心しています。ですが、制服となるとそのさじ加減がわかりません。私の持っている感性では、娘の制服の着方はイエローカードですが、周りのお子さんと見比べて、これぐらいはいいのかもしれないと考えてもいます。老いては子に従えといいます。細かいことなど言わず、若い感性に任せることも必要なのかもしれません。

などと考えあぐねたその次の日、末っ子の通う小学校に花ボランティアとして出かけました。小さなつぼみをつけた花の苗を花壇に植えこみながら、隣で作業をする年配の女の先生に昨日の一部始終を話しました。

「私たちの育った時代はそうだったわね。制服をだらしなく着るのは不良だったし、歩きながら食べていいのはお祭りの時だけ。今は…。みいんな、普通のことよ。ふふ、そんなこと言っていたら天然記念物って呼ばれちゃうわ。お前の親は明治の生まれかってね。」

先生はそこで思いっきり雑草を抜きとり、笑いながら私のほうを見て、

「でもね、なんて呼ばれようと、お行儀が悪いことだから言い続けてほしいな。」

千の味方を得たように感じました。

相変わらず娘は眉毛を細くしています。スカート丈も私にはどうもよくわかりません。外ではどんなことになっているのか…。ですが少なくとも家の出入りの時には、襟元と袖口のボタンを留め、口にものを入れて帰ってくることはなくなりました。彼女なりに、天然記念物の母親との妥協点を探してくれているようです。                    (2009年6月)


                          

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文章を書く

2011年02月08日 | 文章
パートナーの本業は「文章を書く」こと。
一緒に過ごしている時間が長くなってきて、私も書くことが苦にならなくなった。
文章教室なるものに通ったこともある。そこで書いた文章がこのまま消えていくのも、もったいないかと考えて、カテゴリーに「文章」を加えた。他にもいくつか書いたものがある。
使い回しと思わずに読んでもらえたら嬉しい。

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