つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

「人生フルーツ」で考え方こと

2018年11月26日 | 徒然に、

うむ、やっぱり印象がある映画なんだよなあ…「観たよ」と言うと、

皆さんからいろいろな感想を聞きます

そのたびに己の心の中の何かが揺れ動き、ああでもない、こうでもない、

 

「金あるからできるんだ」そーなんです!

誰に話しても、それが一番かな?

ああいうことは、生活していくほかにお金が無ければできませんし、

お金だけあっても言ってみれば“偏屈”でなければああいう方向へはいきません

“偏屈”ではなく言葉を選ぶと、“意志”がなければできません

 

 

お金が無ければ庭など求めようもなく、この頃は建蔽率も容積率も大分に緩和されているから、

敷地一杯家を建てることも不可能ではなくなっている

お家の中が広いのはゆったりするからいい!

庭なんて、維持がとても変で、時間と労力とお金がかかる

私の東京の家 できるだけ庭を残してほしいと希望を出した…

区の保護樹木の指定を受けている木が1本あるし、ほかにも、

素人が脚立に乗って始末できるようなのでないのが何本かある

植木屋さんを年に一度くらい頼むようにしているが、請求書が届くたびに心臓が痛む

身の丈に余る贅沢なんだとひしひしと感じている

 

私が小さい頃、あの地域には大きな家が並んでいた

代が変わると形が変わる家があり、

一つの大きな家が割られて、三軒も四軒もになったり、

それが又代替わりを迎えてまた半分に割られて、

今では20から25坪程度の今風の家が並んでいたりする

そんな家並みは最新の施工技術をもってしても、

日当たり風通しを十分にと望んでも、なかなか難しいようだ

 

私は家に夢を見ます

夏は風が通り、冬はお日様の光でぽかぽかとして、

木陰で本を読み、うとうととまどろみ

野良猫が時折顔を出し、季節の花をめでる

香りのよいお茶を飲み、鳥が飛んできて、

季節によって様子を変える自然がそばにあってほしい

 

多分、それを都会でやるのはとても贅沢なのだろう

私は、お金がそれほどあるわけでないから、

お金がかからずに津端さんのような、ああいう生活ができればいいなと思う

そうするとやはり地方か…

地方ならなんでもなく手に入る生活が、都会ではお金をかけないと手に入らない

ああ、そういうことなのか…なるほど、そうかあ、

 

我が家の利用する地下鉄の駅

その二つ先の駅の近く、歩いて5分ほどの場所に畑がある

一丁歩ほどの広さがある

周りは次々と高い建物に変わっていく中、変わらずに

ジャガイモ、玉ねぎ、トウモロコシなどが生産されている

それぞれの考え方だからなんとも言えないが、

どうなんだろう?

畑はそこでなくてもいいんじゃないか?と思うときがあるし、

いやいや、こういう場所だからこそ畑をやる意味があると思うこともある

 

いずれの生き方にせよ、頑固でなければやり通せない

さあ、私はどちらに向いて頑固であるべきか…

身の丈にあう選択をしたいと思っている

 

 

 

 *札幌は車で30分も行けば、いろいろな畑があります

 ですが、そこは、公共交通機関がほとんどありません。

 

 

 

 

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ビブリア古書堂の事件手帖

2018年11月24日 | 映画

 

実は「人生フルーツ」を観に行く前に、

旦那に誘われて「ビブリア古書堂の事件手帖」を観に行った

黒木華ちゃんが出ているから、結構楽しみにしていった

 

うむ、テレビの時も些かだったが、

映画もなあ今一つ乗れなかったなあ…

あ、私、剛力彩芽が“嫌い”で、それでも物語が面白ければと、

何度か挑戦したのですが、ダメでしたねえ…

彼女は俳優ではないのでかわいそうなのですが、

それを差し引いても面白くなかった!!

 

今回の映画は、何と申しましょうか…

ううううむ、なんかほかの映画のいいところを寄せ集めたみたいな感じかな?

一本筋が通った演出というのが感じられず、

役者さんたちは場面場面で指示通りの演技をしているのでしょうが、

つなぎ合わせるとどこかちぐはぐな感じ?

映画って難しいもんですね!

もう少し映画らしいふくらみがあったら、

心地よさが出たのではないかと感じましたの!!

 

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“人生フルーツ”を観に行った

2018年11月24日 | 映画

「あしたも、こはるびより」

「ひでこさんのたからもの。」

「ふたりからひとり」

 

本屋の棚で見つけ、はじめは、立ち読み…ゆっくり読みたくて図書館を探し、

今は手元に残したくている…状況が許すようになったら、私の本棚に迎えようと思います

 

この本に映画があると知ったのはいつのことだろう?

ナレーションを樹木希林がやっていると知りますます観たくなった

気が付いて、探したら、札幌では月一回の上映しかなかった

決まった日程ではなく、毎月その予定が発表されるたびにチェックを重ね、

ようやく行ける!日がやってきた

そんなに早くにいかなくても大丈夫だろうとのんきに向かったら、

100名ほど収容できる会場は、

もう立見席か一番前のベンチシートしかありませんという……

そうですよね、月にたった一回しか上映しないのですから、

 

覚悟を決めて仰ぎ見る最前列に座った  そして、

 

考えるべきこと…本当の贅沢とは何か?

 

修一さんは映画の中で「生きることが好きなんだ もっと生きていたい」

と言われていた

ああ、いいなあと思った…こういうことなら、長生きしていいと思う

“人生フルーツ”という題名も、フルーツの意味が果実ということで、

すとんと胸に落ちた

果実と言わないところが“モダン”で“おしゃれ”じゃないか…

英子さんが本の中で

「こういう生活はお金がかかるんです」と言われている

金の嵩で物を判断する風潮が高くなっているように感じる今、

本当の贅沢って、なんだろうと思う

お二人はご自分で考えることを長い時間をかけて具現化いらっしゃる

その長い時間が、とてもとても美しい

 

 

修一さんの迎えられたその最期にびっくりもしたが、

これはすごいやと思い、

そして、

英子さんがまだまだお元気であられますようにと、

あまり早めにお迎えに来ないでくださいと、

修一さんの一番のガールフレンドをもうしばらくこちらに貸して下さい

 

そう心より願います

 

いつか、わがやの小さな庭にも 鳥さんたちが使用していい水盤を置きたいと思った

 

 

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ゲーリーの思い出

2018年11月19日 | 徒然に、

旦那が学生さんのミニテストの採点をしていた

旦那が担当している学生さん達は、問題を抱えていると感じる子も多く、

出来不出来が大きい

だから、

こんなこともできないのか!とびっくりしたり、腹が立つことも多いようで、

ま、仕方がないのです!!

でもその時は旦那が言った言葉にちょっと引っかかった

何が引っかかったのかその時はわからなかったが、

洗濯物を干していてふっと、高校時代の日本史の教員とのやり取りを思い出した

 

小柄な少しおちゃめな感じのする女の先生、

チョークで服が汚れるからといつも青い上っ張りを、

そうあの理科教員が使うあれの青いのを使っていた

あだ名は“ゲーリー”

どこかの時代に「ゲーリー・クーパーが好きなの」と授業で話したことから、

代々生徒が親しみを込めて“ゲーリー”と呼んでいた

授業が分かりやすく、生徒に近い感性があって、

教室での思いもよらない失敗も数々あったが、

それが不思議に人としての魅力に感じられ人気のある先生だった

あの先生の授業で日本史に興味を持つようになったんだろうなあ?

一生懸命勉強したもの! 定期テストの前の授業で、

ゲーリーが「テスト範囲の中でわからないことがあれば質問受け付けます」と言った

何人かが質問し、

前の日に教科書を開いてなんでだろうと感じたことを私も聞いてみた

ゲーリーが私の質問を理解し、教科書のその部分をあけて説明を始めたとき、

電撃のように私の中で何かが走った

それは、それをとりあげた以前の授業風景だった

 

あ、ゲーリーに授業で説明してもらってる!!!

 

もう何を聞いたかも覚えていないが、

授業できちんと説明してもらったのに改めて質問した自分に気が付いたあの感覚や、

ゲーリーが、何事もなかったように丁寧に説明してくれたあの感じ、

それにつながって別の生徒が質問を重ねていたから、

おかしなことを聞いたわけではなかったのだろうが、

あのざわざわっと波だったあの感じが、

洗濯物を干しながらふわっと沸き上がってきた

 

旦那がいったのは、

「授業できちんと説明しているんだよ!

何にも聞いてないんだよな!

興味が無いんだよ!意欲もないし、意味もない!」

 

私は日本史好きだったし、結構授業は真面目に聞いていたと思うのです…

だから、あの感じを旦那に伝えたいと思った

===高校の時の日本史の先生で、ゲーリーってのがいてね…

旦那は最初は面倒くさそうに聞いていたが、そのうち真剣に耳を傾けていた

学校の先生というのは、凄く勉強のできた人じゃないだろうが、

うちの旦那様も含まれると思うのだが、

そこそこ勉強ができた人だろうともうのです

だから「理解できない」「覚えられない」という実体験があまりないのだろう

と、あまり座学に良い点をもらったことが無かった私は感じている

 

 

ゲーリー  どうしているかな?

元気かな?

なんだか、とっても会いたくなった

 

 

 

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止められるか、俺たちを

2018年11月13日 | 映画

 

若松孝二 という監督を私は知らない…あ、名前程度は知っている

ピンク映画の監督で

三島由紀夫の映画つくったことや、学生運動がらみじゃなかったかな?

て、程度の知識

 

この映画 旦那が「若松孝二の映画を観に行かなくっちゃ」と熱烈だった

旦那よりも10も年上だから、かかわったことはないらしいが、

何か惹きつけるもののある監督として常に意識をしていたようだ

似たような業界を右往左往していたこともあり、

肌ざわりが直にわかる旦那は郷愁もあったんじゃないかな?

 

実際を知っていたから、旦那の評価は少々厳しめ

何とか若松孝二監督に寄せようとしている井浦新に「へたくそだなあ」

 

東大紛争、三島由紀夫の割腹自殺、あさま山荘事件という

なんだかざわざわとした事件をテレビの中継で観ていたのは小学校高学年か、

中学生だった私は、

あのころの“熱”のような、それでいて、ザラッとした感じ、

空気感という言葉あまり好きでないが、あの感じは良く描き出していたと思った

 

実際の新宿ゴールデン街の店も出てきて、

終わって「寺島しのぶがやっていたの“前田のばばあ”?」と旦那に聞いてしまった

ゴールデン街のママさん達は、若いのから年取ったのから様々だった

結構な歳のママさんもいて、

そういうママさんたちは“ばばあ”と愛情をこめて呼ばれていた

二階にあった“前田”の窓から、常連が放尿するシーンが出てくるが、

ゴールデン街ではよくあったことらしい、

私もそのバッチい場面に遭遇したことがある

 

チームナックスの音尾君が赤塚不二夫の感じを良くだしていた

赤塚不二夫という人は晩年、

私の東京の家の近くの小さな商店街に行きつけの飲み屋があり、

薄暗いその路地を行くと、昼間でもコップ酒をニコニコと飲んでいる姿を見かけた

その笑顔はなんとも憎めないもので、子どもながら面白いおじさんだなと思った

門脇麦ちゃんもよく感じを出していた

実在の人物だったらしく旦那は感無量だったらしい

 

面白かった

こういう時代があったんだ、

こういう人たちが日本にもいたんだ!!

なんか、何かを目指していたはずが、何処に来たんだろう?

本当に   夢のようだ

 

 

 

 

 

さて、次は何を観に行けるかな?

 

 

 

 

 

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