つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

末っ子・・・ガリ勉?

2013年02月27日 | 子育て

定期テストの結果が返ってきた。

こういう言い方をすると末っ子に失礼だが、思いのほかパーパーテストの結果がよかった。

仕事のこと、東京の姉のこと、彼の兄姉のことで、末っ子のテストなど私の眼中になかった。

それが・・・・・・・・・・親として、この子に頭が下がりっぱなしだ(普通でいてくれて、本当にありがとう)

春には中学3年生。いよいよ進路に向き合わなければならない。

勉強がいやなら高校進学もやめていいと口先では言っているが、

今の時代、やっぱり高校は通って卒業してほしいと腹の中ではしっかり思っている。

塾から春期講習の案内が届き、どうするか尋ねたら 「うーん、行くわ!」

正月のときは 「面倒だから、いいわ」 だったのが、少し違う思いがでてきたのかな?

ところが、春期講習にもれなく無料でついてくるという学力テストは 「あ、いいわ、受けない。面倒くさいもの」

世の中の空気や、進学という特殊な状況の中で踊ってしまう親と違い、この子はなんかすごいわ!

当たり前のようにお尻をたたいて、いろいろな思いを親子ともどもしてしまった上の子どもたちの経験から、

どんな道を進んでもわが子に変わりないということだけは学ばせてもらっている。

それならそれでいいかと、塾に断りの連絡を入れて、

行くなら一緒にと言われていたお友達のママに連絡をした。

メールが返ってきて 「優しい!うちにはいかないという選択肢はないから」

ぐっと詰まった。 優しいのかなあ・・・?

 

そういう育ち方に抵抗のない子どもと、そうでない子どもがいると感じている。

わが子の中で言うと、長女はそうでない子どもだった。

あの当時、本人も親も、周りの空気に流されてしまいそういうものだと思いこみ、遮二無二進んだ。

そして、高校の時に娘は悲鳴を上げ、ひとくくりにまとめて教育しようとする今の教育行政から落ちこぼれた。

彼女はそれでも自分なりに考えて、今がある。

受験に追われた中学校、高校時代、自分のペースで考えていいよと言ってやれていたらと思う時がある。

彼女にとって優しい親、頼りになる親は、そういう親ではなかったのかと思う。

あの時、それができなかったから、

長女だけでなく4人の子どもすべてに、自分で考えたことであるのなら、

受け入れてやりたいと考え続けている。

話を聞いて、しっかりこたえてくれたら、それでいいのではないか。

 

 

 

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盲導犬アトムのこと

2013年02月25日 | 世の中で起こったこと

読書メーターで知り合った ゆきんこさんのブログから

古い事件を知った。

あれこれネットを検索してみると、いろいろな立場の人がいろいろな考え方をこの事件に対して発信している。

身近に盲導犬関係のかたはいないし、視覚障害者もいない私があれこれ言う立場にはないが、

善意から成り立っていると聞く盲導犬の活動になじまない出来事だと思う。

行方不明になったアトム君は、動物愛護の立場をとる方が保護しているというはなしもある。

取り下げはしたが盗難届を出した盲導犬協会と、動物愛護団体が対立するというのは、

わたしには不思議な感じがする。

 

しかし、誰がどうでもいいけれど、今、アトム君がつらい日々を過ごしていないといいと思う。

だって素人目にも、盲導犬の訓練を受けたアトム君が歩きながらおしっこをするのは変だと思うもの。 

 

 

 

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訃報が続く・・・

2013年02月23日 | 日記

都会のようで都会でない札幌の新聞では、お悔やみ欄というのがある。

毎日1頁を埋め尽くすように、時にそれ以上の方の訃報が載っている。

続けて、知ったお名前を見つけた。

どちらも以前の家の同じ町内に住まわれていた方だ。

お一人は高齢で年に不足はないが、元気で暮らしていると噂を聞いたばかりだった。

ゆっくりと町内を散歩していた様子を思い出しながら、

穏やかに人生を終えられたのではないかと想像している。

もう一方はびっくりした。

前に住んでいた家はとても古い家で、暮らすのに大変な苦労が入った。

まして北海道の暮らしなどしたことがない私にとって、それは生半可なものではなかった。

初めてづくしの中で、隣近所のつきあいが色濃く残っている地域での生活は、

緊張を強いられるもので、今振り返るとよく我慢したと自分を感心する。

中通りからさらに小路を入った奥まった場所にあったその家の、

入口に住まわれていたのが、今回亡くなられた奥さん一家だった。

うちの旦那より一つしか違わず、明るくて陽気で、からからとよく笑い、情が深くて面倒見がとてもよかった。

たまたま隣に住んでいた、それだけでよく気にしてくださった。

あの人がいたから、町内になじめたのだと思う。

古いあの町内会も今はもうない。 地上げにあった。

お互いをいたわりあって暮らしていた人たちは、あの時ばらばらになった。

お通夜に旦那と二人参列させてもらったら、どちらにも、

あの頃の町内の方をそこここに見つけることができた。

 

 

「うちは一匹いるから、あんたんとこで飼わない?」

不用心だからとそのお宅で飼っていたビーグルの血の混じった犬が、いつも玄関前につながれていた。

あるとき犬の姿が二つになった。似たような犬だったので、増やしたんだと思った。

うちの子どもたちはたいそううらやましがった。

ところが聞いてみると、どこかのふとどき者が捨てていった犬だったようだ。

しばらく周辺をうろついてから、隣の犬のそばに座っているようになったという。

「ほおりだすのもかわいそうだから、ご飯はやっているんだけれど・・・」と明るかった。

うちの旦那の後ろで次女が目を輝かせた。

http://blog.goo.ne.jp/sonomi-3341/e/d410b57da633ecf141dae96af44e6c9a

 

そんな、こんな、いろいろな思いが巡って涙があふれた。

ありがとうございました。 合掌

 

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八方ふさがりだなあ・・・

2013年02月21日 | 子育て

いろいろなことが重なって、思いがぐちゃぐちゃです。

始めたばかりの仕事の緊張感の中、ちょっと東京から意識が外れると何かトラブルが聞こえてくる。

『家族』という枠の中で、当たり所を失った不満が行き場を失ってぶつかり合ってしまうのだろう。

それは婆と姉と私の積年のすれ違いの上に、長男の思い、長女の思いが重なって、

とんでもない様相を示した。

姉の次に大爆発をしたのは長女だった。家を飛び出し、連絡がつかなくなった。

だが自分の気持ちを持て余して、頼った友達ともいさかいを起こし、

「私は生きていくのがつらい」とSOSをよこした。

高校時代、そういうことのあった娘だったので、

その晩は旦那と二人で、どんな連絡があっても覚悟しようとまんじりともせずに朝を待った。

幸い翌日には「連絡しておくから、何も言わなくていいから、家に帰りなさい」という親の指示に

素直に従ってくれた。あの家にいたくないのだろう。今も外泊は多いようだが、家にも帰っているらしい。

次は態度が悪いと非難された長男がストライキを起こした。

彼はいろいろ文句を垂れていたが、こちらも幸いに卒業旅行の予定が組んであって、

昨日、トルコに向けて出発した。気晴らしをしてきてくれるといい。

実家を出せばいいのかとも考えるが、それが解決になるのかという疑問もある。

堂々巡りを繰り返している。!

 

ただ一人音無しの構えだった次女が電話をよこした。

「私が何か言っちゃうと、もうどうしようもないでしょう。

だからテレビ観て、うん、あのくっだらないバラエティのおバカキャラ観て“ばかだなあ”てすっきりしている。

ああいう人ってね、うるさくて、あんまり好きじゃなかったんだけれど、

必要なキャラクターなんだって今感謝の心まであるよ。

大丈夫だよ!私はわかってるから」

 

そんなこんなで、あっちの気持ち、こっちの気持ちを聞いて、うんうんとうなづいて・・・・

それぞれの気持ちのおさまりどころをなんとなく見つけて、いくらかホッとすると、

気持ちが十分に回らないまま動いている仕事で、少し面倒が起る。

この二か月、自分の気持ちの休まるときがない。

不慣れな私を我慢して使ってくださっている利用者さんにも申し訳ないという気持ちばかりだ。

 

多分これから先、姉の状況次第では、私の東京行きは避けられないことだろう。

仕事との両立を考えると、自信がない。

せっかく初めたことだけれど、全部は持ちきれないんだろうなあと考え始めている。

一番大事なのは自分。それから家族。

それがはっきりしていれば取るべき道は見えてくるのだろう。

 

 

 

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子どものような人

2013年02月14日 | 徒然に、

実家をめぐるいろいろなことに、体調のおもわしくない姉が悲鳴を上げた。

あれやこれや、あちこちに連絡をして姉のサポートの道をつけている。

当然、継母や寄宿させてもらっている子どもたちにも電話をした。

離れている ということが災いして、子どもたちが黄色信号がともってしまった。

それでも、病人が優先とあれこれ手はずをしているうちに、

見えてきたもの、感じてきたものがあった。

 

ばば の子どものようなやり口だ。

 

謝罪も含めて婆に電話を入れた。

その話の接ぎ穂に「ところで●●に行くって、聞こえてきたんだけれど」と口火を切った。

やっと教えてもらえた。来月半ばに引っ越すということだった。

その話の流れで、親戚には連絡しているのかと確認した。

私たちに話さないで他に話しているとは、その時には思いもよらなかったから・・・

私も人がいいと思う・・・。

「私があいさつするから、あなたはしなくていい」と執拗に婆は抵抗した。

だが、姉の今後のことなど私一人でこらえきれるものではない。

相談したいから電話をしますと、半ば強引に打ち切った。

親戚に電話をして感じたのは、

知らされていなかったのは私たち姉妹関係だけだったのだということ。

そして、うちの子どもたちの有様がひどいから我慢ならなくて、自分の親戚のもとへ行くことにした。

という流れだった。

なんとも、絶望的な様相だったし、これが最後まで通用すると思っていたんだと呆れかえった。

そーかあ・・・そうだったのかあ・・・・。

笑ってわかれると、心に言い聞かせている。

とりあえず仕事先に来月の休みの調整を頼んでみようと思う。

 

物事はその立場から正義が違ってくる。

私がこれくらいは許されるだろうと甘えてしまったことが、あの人には許せなかったのだろう。

私の甘えがすべてのもとだ。でも、と思う。

じゃあ、あなたは何をしに私たちのところに来たのか?

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