心身徒然話

治療家から観た心身や日頃感じた事柄を書きとめました。
(左にあるブックマークの「創健整体治療室」から概要に飛びます)

空想

2020-09-25 10:38:14 | Weblog
意志は体に対して脈一つ多くすることも出来なければ、泪一滴流させる働きを持たない無力なものであるが、空想すれば血行を変え、泪を出し、胃液を分泌し、体中の働きを色々と方向づけルことが出来る。
 楽しきことの空想、嬉しくなるようなことの空想、元気な空想、それぞれその空想している如き体の状態を創り出す。
 空想は創造する力である。
                         晴哉


治療家から見た眠りについて

2020-09-12 11:54:17 | Weblog
 眠りは弛み現象そのものです。しかし、何時間眠らないといけないというような、努めて眠ろうとする緊張の眠りは質が悪く、眠っても疲れるだけで身体は弛むことはありません。眠りは量の問題ではなく質の問題で、長さの問題ではなく、深さが問題です。眠ろうとしてもなかなか眠れない人は、眠ろうとすることを忘れると眠れるものです。
 眠りの問題は後頭部に現れます。質が悪いうえに、いくら眠ろうとしても眠れない人の後頭部は、飛び出し頭皮がピタッとくっいています。また眠りの質が悪い状態が続いている人は、後頭骨の片方の骨が下がっています。その片側を上げてあげれば深く眠れるようになります。
 眠りに中で、よく夢を見るという人がいますが、夢を見る場合は、胸の左右の厚さ薄さが極端に不揃いな場合に、暑い側の腸骨が上がって、薄い側の腸骨が下がっている時に夢を見ます。そして胸の厚さが、左右違う人は色のついた夢を見ます。また左の胸の厚みが薄い人は、襲われるような夢を見ます。自分の後頭骨が左右揃っているか、胸の厚みは左右揃っているか、腸骨は左右揃っているか、バランスチェックしPSラインアクセスで整え、質の良い眠りを取り戻し免疫力を高めてみませんか。


微笑みの力

2020-09-04 13:20:35 | Weblog
 笑いには「高笑い」「泣き笑い」「含み笑い」「作り笑い」「憶い出し笑い」「苦笑い」などがありますが大きく分けて、声を伴った笑いと声の無い笑いの2種類に分かれると思います。その中で、微笑みは声の無い笑いに属します。
 では、微笑みから皆さんは何をイメージしますか?ほとんどの人は「温かい」「心地よい」「優しい」などの「癒し」をイメージするのではないでしょうか?
そうです、今日お話したいことは微笑みには癒しの力が有ると言う事。そしてそれは、目の前の人だけではなく、自分自身にも向けられるということです。人間は心と体を切り離しては語れません。皆さんは、普段赤ちゃんをだっこして日によって重く感じたり、軽く感じたりしたことはありませんか?実は〇歳から三歳までは体調が悪いと軽く感じ、体調が良いと重く感じます。三歳以降はそれが逆になります。
 そこで私の友人の体験談ですが、いつものように赤ちゃんをだっこしたら、その日は軽く感じたそうです。何か体調でも悪いのかと思っていたら、そうではなかったそうです。実は、昨夜久々に夫婦喧嘩をした、それが原因だったそうです。
 赤ちゃんは一人では何も出来ず親に命を預けて生きている訳ですから、その環境に不安材料があれば直ちに影響されます。ましてや、お腹の中に居る時は、お母さんとへその緒を通じてシンクロしています。お母さんの喜怒哀楽の感情がストレートに赤ちゃんに伝わります。ですから、お母さんの精神的な安定が重要になって来ます。子育ては楽しくも有りますが、常に赤ちゃんのペースで動かなければなりませんので寝不足にもなり、ストレスも溜まります。それに、子育て以外の家事もこなさなければなりませんので、それは大変な重労働といえます。知らず知らずに赤ちゃんや旦那さんに辛く当たってしまう事も有ると思います。
 そんな環境ですと、一番子育てに大事な親と子の信頼関係が築けません。なんとしても避けたいものです。それには、心に余裕が必要です。
 無限大の可能性を秘めた赤ちゃんに大切な事は、過剰な栄養やハイテクな玩具やスクール通いではなく、愛情をたっぷり注いであげる、それがなにより大切です。愛情たっぷりに育てられた赤ちゃんは、いろんな物に興味を持ち表情豊かな元気溌剌とした子供に育ちます。そのためにもまず、鏡の中の自分に対し微笑んでみて下さい。最初はぎこちないかも知れませんが、そのうち素敵な微笑みを鏡の中の自分に向けられるようになっている自分に気がつくはずです。その頃には、心穏やかな自分に気づくでしょう。そしてその穏やかな心で、目の前の赤ちゃんや旦那様に微笑みを注いで下さい。それだけで相手も癒されることでしょう。



治す力

2020-09-01 15:45:46 | Weblog
 

 日頃、治療をしていて感じることは、人は自らの力で快復する術を備えているということです。ただ人は、何らかの理由で本来備わっている能力を封印してしまっているのではと思うのです。そして、それに気がつくこともなく日々生活しています。
 
 野生の世界では、医者もいないし患者もいません。日本では、出産にあたりお産が軽いと言われている犬にあやかり、戌の日に神社で安産祈祷をし、腹帯を巻いてもらうという風習があります。神社で安産祈祷しない人でも、犬の日に神社にお参りをして安産のお守りを買ったり、腹帯ガードルを着けはじめたりします。犬の世界では、産科犬も産婆犬もいません。みんな、自分一人(一犬)で出産しその後の処理までしています。
 
 それに比べて人間は、自分のことを自分で治そうとせずに病院に行き治してもらおうとします。本来、感覚として自分の体のことは自分が一番知っていなければならないし、知っているはずです。それが分からなくなって来て人任せになり、自身の感覚の鈍さを補うために検査のための医療機器や検査方法が発達して来ました。その結果、自分の感覚より検査データーを信頼し、診察室では患者の顔さえ見ないで、パソコンばかり見ている医者も中には居るという始末です。そのように医療に携わる医者は、検査データーがないと診断がつかず、その後の治療方針を決めれない状態です。現代のように検査機器が発達していない頃の医者は、聴診器一つで患者の異常を的確に診断したり、レントゲン写真一枚で内臓異常まで的確に診断したと聞きます。
 確かに、科学の進歩はすばらしく昔は助けることが出来なかった病気も、今では助けることが出来るようになって来ました。しかし、その中で私達は本来備わっている能力がどんどん退化して来ていることに、気がついていません。もう少し、心を澄まし自分の体の声を聴くことも大切ではないでしょうか。
 
 昨年、治療室に居た私は、急に腹痛を覚えトイレに駆け込みました。段々強くなる痛みをこらえながら、何故痛くなったのか考えました。お昼に食べた物がいけなかったのかな?とか、または何かの病気なのかとか、いくら考えても分かりません。あまりの痛みに冷や汗が出る中、私は自分の体を信頼し、自然の働きによるこの症状の経過に身を委ねることにしました。そして、こんなに出るものだろうかと思う程、今まで経験したことが無い冷や汗は、着ている物を濡らし、トイレの床を水浸しにしていました。痛みをこらえ、一時間程経った頃にようやく腸が動き出し排泄の後、嘘のような平安が訪れました。
 この経験は、ある意味無謀な選択だったかもしれません。それくらい、途中救急車を呼ぼうか真剣に考えた程の痛みでした。しかし、自分の体を信頼し自然の経過に身を委ねた結果、何事も無かったような清々しい気持ちが訪れたことへの体への感謝、今でも忘れることが出来ない経験でした。
 
 人間関係で一番大切なことは、相手と如何に信頼関係を結べるかだと思います。そこで視点を変えて、自分の体との信頼関係も大切ではないかと思うのです。体の細胞一つ一つに意思も意識もあると思います。だからこそ、私達の意識・意思と関係なく体は、日々元気に生活出来るように働いてくれています。そんな自分の体に感謝しないで、そんな働きを当たり前だと思い、他人にだけ感謝していませんか。私達みんなには、治す力があります。しかし、そこには信頼関係が重要だと考えます。