止まない雨はないと言われるように、本来治らない病はないはずです。雨のように降る必要性がなくなれば自然に雨は止み青空が顔を出すように、私たちも自然の一部として考えれば、意味があって発症した病も病としての役目を終え必要性がなくなれば消えてゆくはずです。ただしそこには条件があります。発症しなければならなかった理由に気づくこと、そしてその原因がわかったら改善の努力をすること。それから、改善に当たってなるべく自然の理にかなった行動をとることです。私たちの命も、自然のものであるから、花を早く咲かせようと蕾を指でこじ開けるようなことはするべきではありません。どう見ても、三ヶ月目での出産はやはり流産で、力づくでは花は咲きません。
ほとんどの人は、自分で作った病はお医者さんが治してくれるべきもので、専門的な知識もない者に直せるはずがないと思い込んでいて、はなから自力で治すことを放棄しているように見受けられます。それは大きな間違いです。事実、どんな名医でも患者当人が治ってゆくということが頭に浮かばないうちは治って行かないし、気力も起こらないものです。治りたいとか、治そうと思うとか言う裏には治らないという前提があるからこそ治そうとする努力をするのです。治るのも治らないのも自分の体です。治そうと頑張ってくれている細胞に感謝し、空想で治って行っていることを思い浮かべられれば、その焦りも消えて行きます。本来体は、治る方向にしか行かないものなのです。
ほとんどの人は、自分で作った病はお医者さんが治してくれるべきもので、専門的な知識もない者に直せるはずがないと思い込んでいて、はなから自力で治すことを放棄しているように見受けられます。それは大きな間違いです。事実、どんな名医でも患者当人が治ってゆくということが頭に浮かばないうちは治って行かないし、気力も起こらないものです。治りたいとか、治そうと思うとか言う裏には治らないという前提があるからこそ治そうとする努力をするのです。治るのも治らないのも自分の体です。治そうと頑張ってくれている細胞に感謝し、空想で治って行っていることを思い浮かべられれば、その焦りも消えて行きます。本来体は、治る方向にしか行かないものなのです。