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閭丘露薇:「バイリンガル教育」のカシュガルと香港との違い

2011-06-22 21:55:41 | 中国異論派選訳
闾丘露薇:「バイリンガル教育」のカシュガルと香港との違い

カシュガルのある「バイリンガル教育」小学校を取材しました。多くのウイグル族教師は、流暢な漢語標準語〔北京語〕を話しましたが、校長は漢語を話すのに骨をおっていました。漢語のうまい教師は小さい頃から漢語で教える小学校に進み、高校も「民考漢」〔漢語で大学受験をするクラスor高校〕なので、ウイグル語を話せるのは両親が漢語を話せないからで、ウイグル語を書くことはできなくなってしまっていて、教師になって初めて一から学び始めていました。

このようなウイグル人は大勢います。すでに親になっている人も多いです。漢語で育った彼らは自分の子供を最初から漢語で教える学校に入れます。県政府所在地の漢語幼稚園にも、ウイグル人の子供が大勢通っていました。彼らは家でも自分の親と漢語で会話をしていました。もちろん一部の親は自分の子供が成長してウイグル語を完全に忘れてしまうことに不安を覚え、週末や冬休み夏休みに漢語を話せないおじいさんおばあさんに子供を預け、ウイグル語を覚えるよう仕向けていました。

子供に漢語を学ばせるのは、子供の将来にとっては、より多くの機会を得られることになり、そのため「バイリンガル教育」批判の声はあっても、政策決定者は非常に断固としています。そして私のような外来者にとっては、もし新疆でウイグル語ができなくても、せいぜい意思疎通の困難だけですが、もし漢語ができなければ生活圏は非常に小さくなり、限られた職業にしか就けず、さらには得られる情報も非常に限られことになります。なぜなら、大勢は漢語主導の体制だからです。いま新疆では多くの地方で地元の若者を沿海部の都市に出稼ぎに送り出しています。食事の問題は地元政府がコックを派遣するので問題ありませんが、言葉の障害は非常に顕著です。ほかの地方からの出稼ぎ者と比べて、彼らが出稼ぎを始めたのはずっと遅れました。もし政府の行為でなく、彼ら自身が内地で仕事を探したとしたら、他の地方の人と全く競争になりません。

新疆の「バイリンガル教育」の最終段階では、全てのカリキュラムを漢語で教え、ウイグル語もそのうちの一つの必修科目になっています。私が地元農村の人に、このままでは最終的には子供たちはみなウイグル語が話せなくなると不安にならないかと聞くと、相手は、家の中ではウイグル語を話すから大丈夫と、非常に楽観的でした。しかし、問題は次世代です。農村家庭でも、今の一部の都市のウイグル人家庭と同じように、家の中での言葉も漢語に変わってしまい、もしくは両者ちゃんぽんの会話になってしまうのではないでしょうか? とはいえ、子供の将来を考えるのなら、あるいは地元の人の立場に立って考えるのなら、漢語を学ぶことは彼らにより多くのチャンスをもたらし、生活を改善することができるでしょう。

二言語の使用と教育について書くと、すぐに香港を思い出します。香港には多くの英語学校があり、そこに通う子供は小学校から大学まで、ずっと英語教育を受けますが、かれらはインターナショナルスクールの子供とは違って、漢語もみんな上手に話します。それは家庭内の言語環境だけでなく、学校のカリキュラムにも大きな理由があります。

香港の例を挙げたのは、〔新疆式バイリンガルではなく〕バイリンガルは実行できるということを言いたいからです。ただし、香港のバイリンガル教育がうまくいっているカギは、漢語〔法的には標準語(北京語)とは限定されていない〕と英語のどちらも法定公用語とされ、公務員も必ずこの二言語はマスターしなければならないからです。公務員が公の場で話すとき、漢語(広東語)と英語でそれぞれ1回ずつ話さなければなりません。そして最近ではときに漢語標準語も加わります。これと異なり、新疆の「バイリンガル」教育はウイグル族に対しては漢語理解を要求するのに、漢族にはウイグル語学習を要求せず、二つの言語は決して同等の地位を与えられてはいません。

言葉の地位は実際非常に微妙な問題で、当該言語を使う国家や民族の経済的および政治的な影響力に密接に関係しています。リー・クアンユーはかつて漢語を排斥していたことがありました。その当時シンガポールで漢語教育を受けた人は政府機関に就職できず、そのため70%の家庭で英語が使われていました。しかし、2006年になると彼は公式の場で「もしシンガポール華人が漢語を話す環境を失ったら、今後同じ環境を再建するのは極めて困難だから、華人は必ず日常生活と公共の場で漢語を使い、全シンガポール華人が漢語環境の中で生活しなければならない」と語りました。そして実際、リー・クアンユー自身も2000年から漢語を学び始めていて、2001年に私が彼にインタビューしたとき、学び始めたばかりの彼も、簡単な漢語は使えるようになっていました。

リー・クアンユーは当時一つの目標を立てました。それは、努力して3%から5%のハイレベルの漢語を話せるバイリンガルの華人を養成し、中国とのビジネスの便を図り、またシンガポールで営業する中国企業にサービスを提供するというものでした。彼にそのような行動をとらせたのは、明らかに中国の経済発展の現実でした。

ですが、シンガポールが取り組んでいるのは〔新疆のような一つの言語の消滅政策ではなく〕依然としてバイリンガルの問題に過ぎません。そして、英語と漢語の間の以前の地位は非常に大きく開いていたので、バイリンガルの結果はいまだにもたらされていません。いわゆるバイリンガルとは、二つの言語を同じように流暢に使えることです。バイリンガル政策の下での漢語奨励は、決して英語軽視を意味しません。

ここで私は方言の問題に思い至りました。バイリンガルと比べて方言の問題はずっと簡単です。なぜなら文字は同じで、話し言葉の違いに過ぎないからです。多くの国・地域でバイリンガル政策がうまく行われているのですから、方言の保護ができない理由はありません。だから、重要なのはやる気があるかどうかです。私は子供のころ上海にいましたが、授業を除いて、他の時間はいつも上海語を話していました。それでも、それが私や周りの子供たちの標準語レベルに影響を与えたということはありませんでした。

〔中国では〕方言が都市の国際化に悪影響があるとか、文化の創造力に悪影響があると言われますが、それは不必要な心配であることを多くの過去の事例が証明しています。3~40年代の上海は、文化事業が勃興していたし、広州の嶺南文化は終始広東の各種の方言を包み込んでいました。

子供のころ学んだあの詩を覚えていますか?「子供のうちに故郷を去り、成長してから戻ってみると、髪の毛は薄くなっていても、お国なまりは変わっていなかった」。お国なまりが聞かれなくなるようなことを私は望みません。

出典:闾丘露薇のブログ

〔〕内は訳者補足

原文出典:http://uighurbiz.net/bbs/redirect.php?tid=232996&goto=lastpost#lastpost
(転載自由・要出典明記)
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閭丘露薇:「二言語教育」のカシュガルと香港との違い

2011-06-22 21:31:22 | Weblog
閭丘露薇:「二言語教育」のカシュガルと香港における違い

闾丘露薇:喀什与香港双语教育的不同

採访喀什的一所双语小学,里面有不少的维族老师,说的一口流利的普通话,反到是校长,讲起普通话还非常的吃力.这些老师说,他们从小进得就是用汉语教学的小学,高中又是民考汉,能够说维语是因为父母不会汉语,不过因为这样,他们已经不会写了,现在当了老师,才开始从头学起.

这样的维族人很多,不少人当了父母,也会选择让自己的孩子从小进入汉语学校读书,县城里面的汉语幼儿园里面,不少是维族孩子,他们甚至在家里面和自己的父母都开始用普通话交流.当然有些父母还是有点担心孩子长大了会把维语彻底忘记,於是会在週末,或者是寒暑假,把孩子交给不会讲普通话的老人,逼者他们学习.
让孩子学习汉语,当然是从孩子未来发展的角度考虑,毕竟,学好了汉语,意味著更多的机会.也因为这样,虽然有批评双语教学的声音,但是对於政策制定者来说非常的坚定,而对於像我这样的外人看来,在新疆,如果不懂维语,最多面临和別人交流上的困难,但是如果不懂汉语,则意味著只能够生活在一个很小的范围內,从事有限的行业,甚至获取的信息也会非常的有限,因为大环境,还是以汉语为主导的体系.现在新疆不少地方组支当地的年轻人到沿海城市打工,吃的问题可以解决,因为当地政府配备专门的厨师,但是语言的障碍就特別的明显,使得他们和其他地方的工人相比,上手往往要慢很多,如果不是政府行为,让他们自己到內地找工作,无法想像如何和別人竞爭.
双语教学到最后阶段,会实施所有课程用普通话教授,而维语则成为一门必修课.和当地人討论,这样的话会不会担心,最后孩子们都不说维语了.对方显得很乐观,因为毕竟家里面还是使用维语,但是问题是到了在下一代呢?这些农村的家庭,会不会就像现在的一些城里面维族家庭那样,家里面的对话语言已经变成了普通话,或者是两者混合的交流了呢?只是,如果为孩子的前途著想,甚至为当地人著想,学习汉语,会让他们发现太多的机会,从而改善自己的生活.
说到双语的使用以及教学,马上想到了香港,香港有不少的英文学校,这些学生从小学到大学,一直接受的是英文教学,但是这些学生又和国际学校的学生不同,他们的中文一点也不差,除了家里面的语言环境之外,学校的课程设计当然也有很重要的原因.
举香港的例子是想说,其实使用双可以做到的.但是香港的双语之所以行的通还有一个关键的原因,中文和英文都是法定语言,政府官员还有公务员,本身都必须懂得这两种语言的.官员公开讲话,经常需要用中英文两种语言分別讲述一次,现在有些时候还要加上普通话版.但是新疆,在双语教育让维族人懂了汉语,但汉族人却未必懂得维语的情况下,两种语言其实並没有处於同等的地位.
语言的地位其实是非常微妙的事情,往往和使用这种语言的国家以及民族的经济以及政治影响力有直接的关係.李光耀曾经是排斥华语的,当年,在新加坡接受中文教育的人是没有机会进入政府机构工作的,百分之七十的家庭是用英文,但是他在2006年公开表示,如果新加坡华人失去讲华语的环境,今后要再造同样的环境将极为困难。华人必须在日常生活中和公共场合讲华语,让全体新加坡华人能生活在讲华语的环境之中。而事实上,李光耀自己从两千年开始学习华语,2001年採访他的时候,才学不久的他,已经能够使用非常简单的华文.
李光耀当时提出一个目標,必须努力促使百分之三,甚至是百分之五能通晓双语的华人掌握高层次的华文,以方便到中国做生意,以及为在新加坡营业的中国公司服务.可以看到,趋使他这样做的,正是中国的经济现实.
不过,新加坡面临的,依然只不过是双语的问题,因为英文和华文之间,之前的地位相差太远,所以其实併没有达到双语的结果,所谓的双语,应该是同时流利的掌握和运用两种语言.鼓励华文,並不意味著英文从此遭到了忽略.
这不禁又让我想到了方言的问题,和双语相比,方言问题要简单的多,因为文字是相同的,只是语言的听说而已.既然很多地方双语可以做得很好,保护方言,更是没有理由做不到.所以关键在於,是否想去做.我记得小时后在上海,除了上课,其他时间都是说上海话,这並没有影响到自己还有周边同学普通话的水平.
至於方言是不是会影响一个城市的国际化,或者是妨碍文化的创造力,我想有太多的过去可以证明,这是一种不必要的担心:看看三四十年代的上海,蓬勃的文化事业,还有广州,岭南文化从来都是包含了广东各种不同的方言.
还记得小时后学的那首诗吗?少小离家老大回,乡音无改鬓毛衰.不想乡音有一天成为绝唱了.

来源:闾丘露薇的博客

出典:http://uighurbiz.net/bbs/redirect.php?tid=232996&goto=lastpost#lastpost
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『私の西域、君の東トルキスタン』正誤表

2011-06-20 18:14:37 | Weblog
以下の誤りを訂正します(2011年3月20日現在)。主に原注の番号の間違いです。
誤植の訂正を追加しました(2011年6月30日~)。

        誤       正
見返し地図 クルム   クムル
p.5    アウトゥン山  アルトゥン山
p.21上段   (1)     (4)
p.21下段   (2)     (5)
        (3)     (6)
        (4)     (7)
        (5)     (8)
p.23上段   (6)     (9)
p.34下段   (7)     (10)
p.38上段   (8)     (11)
        (9)     (12)
p.59上段   (10)     (13)
   下段  (11)     (14)
        (12)     (15)
p.60上段   (13)     (16)
p.63下段   (14)     (17)
p.64上段   (15)     (18)
p.67下段   (16)     (19)
p.68下段   (17)     (20)
p.69下段   (18)     (21)
p.71下段   (19)     (22)
p.81下段   (20)     (23)
p.226上段  バルンタイ   バルグンタイ
p.281下段  旧文字     新文字
p.304上段  二五五事件   二二五事件
p.447    Kum・raj・va  Kumārajīva
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ウイグル語における書記言語と音声言語の主な相違点

2011-06-19 22:28:41 | ウイグル語
以下に、ウイグル語における綴り(<>内に示す部分)と発音の主な相違点を示す(幸いなことに違いは英語における綴りと発音の間ほど多くはない(笑))。

★必ず異なる
●<b->:単語末尾の<b>はpと発音される。ex. kitab(本) は kitap と発音される。
●<-b->:単語内の<b>はvないしwと発音される。ex. kitabi(~の本)は kitavi ないし kitawi と発音される。
●<-ch->:<ch>はtやkの前にあるときはshと発音される。ex. achti(彼/彼女は~を開けた)は ashti と発音される。
●< é->:語頭音節の< é >はiと発音される。ex. téz(速い)は tiz 、kélidu(彼/彼女/それが来る)は kilidu と発音される。
●<-ghq->:音節末尾の<gh>に次の音節先頭<q>が続くとき、もしくは与格接尾辞 +qaが付くときは、qqと発音される。ex. taghqa(山に)は taqqa と発音される。
●<i>:tとkの前にある<i>はさややくようにゆるくhiと発音され、それにsh音が続く。ex. ikki(ふたつ)は hishkki と、ittik(速い)は hishtik と、it(犬)は hisht と、pit(シラミ)は phisht と発音される。
●<-lm->:音節末尾の<l>に次の音節先頭<m>が続くとき、mmと発音される。ex. qilma!(するな!)は qimma と発音される。
●<-nb->:音節末尾の<n>に次の音節先頭<b>が続くとき、mbと発音される。ex. peyshenbe(木曜日)は peyshembe と発音される。
●<-nl->:音節末尾の<n>に次の音節先頭<l>が続くとき、llと発音される。ex. méhmanlar(お客たち)は mihmallaa と発音される。
●<-qi>:多音節語の末尾のqに限定接尾辞iが付くとき、qはghと発音される。paypaq+si → paypiqi(~の靴下)は paypighi と発音される。ただし、短音節語の末尾のqはqのままである。ex. oq+si → oqi(~の矢)はそのまま oqi と発音される。
●<-ts->:音節末尾の<t>に次の音節先頭<s>が続くとき、ssと発音される。ex. sawatsiz(無学)は savassiz と発音される。
●<-zs->:音節末尾の<z>に次の音節先頭<s>が続くとき、ssと発音される。ex. tuzsiz(無塩)は tussiz と発音される。
★異なることがある
●<-l->:音節末尾の<l>は時として発音されないことがある。ex. bolup(起こって)は bop 、qélip(形式)は qap 、bolghan(起こった)は booghan 、qilghan(~した)は qiighan と発音されることがある。
●<o-、ö->:多音節語の語頭音節の<o>や< ö >は、それに続く音節に<u>や< ü >があるとき、しばしば母音調和を生じてそれぞれ<u>< ü >と発音されることがある。ex. oqughuchi(学生)は uqughuchi と、ötük(ブーツ)は ütük と発音されることがある。
●<-q>:単語末尾のqはよくx(χ)と発音されることがある。ex. tupraq(土)は tuprax と発音されることがある。
●<-r>:語末もしくは後ろの子音が続く音節末尾の<r>が抜け落ちて手前の母音が長母音化することがある。ex. Uyghurlar(ウイグル人)は Uyghuulaa と、bazar(市場)はbazaa と、barghan(行った) は baaghan と発音されることがある。
●<w>:<w>は特に語頭では、時に英語のvのように発音されることがある。ex. waqit(時間)は vaqt と発音されることがある(ここで i は発音されない)。


参照:Greeting from the Teklimakan: a handbook of Modern Uyghur Volume 1
p.12
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ウイグル語動詞の過去形

2011-06-08 21:24:53 | ウイグル語
1、肯定の平叙文
過去の肯定形は、動詞接尾辞 -DI と適切な人称接尾辞によって形成される。一人称複数の人称接尾辞だけは他と異なり -Duq である。(DIは語幹によって変化する。D=d,t; I=i,u,ü)

               単数        複数
    語幹最終母音 語幹末尾有声音/無声音  有声音/無声音
一人称 非円唇     -dim, -tim       -duq, -tuq
    後舌・円唇   -dum, -tum         同上
    前舌・円唇   -düm, -tüm         同上
二人称 非円唇     -ding, -ting     -dinglar, -tinglar
    後舌・円唇   -dung, -tung     -dunglar, -tunglar
    前舌・円唇   -düng, -tüng     -dünglar, -tünglar
二人称尊称      -dingiz, -tingiz   -dingizlar, -tingizlar
三人称          -di, -ti        -di, -ti


事例:
kel-(来る)有声・非円唇
ye-(食べる)有声・非円唇
oqu-(読む)有声・後舌・円唇
kör-(見る)有声・前舌・円唇
ket-(去る)無声・非円唇
qorq-(恐れる)無声・後舌・円唇
öt-(通る)無声・前舌・円唇


        単数       複数
一人称    keldim      kelduq
        yédim       yéduq
        oqudum      oquduq
        kördüm      körduq
        kettim      kettuq
        qorqtum      qorqtuq
        öttüm       öttuq
二人称    kelding      keldinglar
        yéding      yédinglar
        oqudung      oqudunglar
        kördüng      kördünglar
        ketting      kettinglar
        qorqtung     qorqtunglar
        öttüng      öttüng
二人称尊称 keldingiz    二人称と同じ
        yédingiz       同上
        oqudingiz      同上
        kördingiz      同上
        kettingiz      同上
        qorqtingiz      同上
        öttingiz       同上
三人称(単複同形)   keldi
               yédi
               oqudi
               kördi
               ketti
               qorqti
               ötti

2、否定の平叙文

過去形の否定平叙文は否定接尾辞 -mA (A=a,e,i) を動詞語幹と過去接尾辞 -DI の間に挿入することによって表現される。-DIが強勢(アクセント)を引き寄せるのでその前にある -mA の開音節(母音で終わる音節)は非強勢となり、狭母音化して -mi となる。否定の平叙文においては、過去形の -DI は手前に挿入された否定接尾辞 -mi は末尾が母音なので、常に -dI と表現される。過去形の人称接尾辞が動詞語幹の影響を受けたのは動詞語幹の直後に置かれていたからで、否定接尾辞が入ることで、その影響は受けなくなる。

全て -mi-d- の形になる。
        単数        複数
一人称    körmidim      kelmiduq
二人称    oqumiding      yémidinglar
三人称尊称  qorqmidingiz    ötmidinglar
三人称(単複同形)    ketmidi

3、疑問文

過去形の疑問文は疑問接尾辞 -mu を平叙文の末尾に付けることによって表現される。その結果 m が二つ続くことになる一人称単数 (動詞語幹-dim-mu? ) は会話では m 音を伸ばして発音することによって三人称 (動詞語幹-di-mu? ) と聞き分けられる。

keldimmu? 私はきましたか?
kelduqmu? 私たちは来ましたか?
keldingmu? 君は来たか?
keldingizmu? あなたは来ましたか?
keldinglarmu あなた方(君たち)は来ましたか?
keldimu? 彼/彼女/彼らは来ましたか?

文節末の -mu をつける過去形の疑問文は、現在・未来形とは異なる。現在・未来形の疑問は否定の接尾辞 -Am- を語幹と人称接尾辞の間に挟むことによって表現される。

4、否定疑問文

過去形の否定疑問文は疑問接尾辞 -mu を否定平叙文の末尾に付けることによって作られる。肯定の疑問文と同様であり、現在・未来形とは作り方が異なる。現在・未来形の否定疑問文では -mam/mem を人称接尾辞の前に挿入することによって表現される。
 また、否定の接辞は -mi に変化し、過去の接尾辞 -DI は -dI のみとなる。

              否定の疑問            否定の表明
私は行きませんでしたか?  barmidimmu? 私は行きませんでした。barmidim.
君は学んでないのか?    ögenmidingmu? 君は学んでいない。 ögenmiding.
あなたは読んでないんですか? oqumidingizmu? あなたは読んでない。oqumidingiz.
君たち怖くなかったかい?  qorqmidinglarmu? 君たちは怖がらなかった。qorqmidinglar.
彼/彼女/彼らは見てないの? körmidimu?   彼/彼女/彼らは見てない。körmidi.


過去時制のまとめ
肯定平叙文「~した」 -DI-人称接尾辞
否定平叙文「~しなかった」 -mi-dI-人称接尾辞
疑問文「~したんですか?」 -DI-人称接尾辞-mu?
否定疑問文「~しなかったんですか?」-mi-dI-人称接尾辞-mu?

参照:Greeting from the Teklimakan : a handbook of Modern Uyghur Volume 1 pp.164-167
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ウイグル語詳解辞典pdf(語釈もウイグル語)

2011-06-06 09:31:01 | ウイグル語
Uyghur Tilining Izahliq Lughiti 、ウイグル語詳解辞典、维吾尔语详解词典

pdfには飛んでいるページや折り目のついて一部見えないページもあります。



第1巻
http://www.mediafire.com/?5z5xedqsui8441i
第2巻
http://www.mediafire.com/?c23zjiux2u0jau5
第3巻
http://www.mediafire.com/?41u8n69oeoxf68t
第4巻
http://www.mediafire.com/?0o5k9bfdrfwd49j
第5巻
http://www.mediafire.com/?qmipd8r29w9quac
第6巻
http://www.mediafire.com/?ej3p5ecl7be8xdw


もしくは
http://www.wetinim.org/PDF-014/Izahliq.Lughet.pdf
から各巻ダウンロードにつながる
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冉雲飛:毎日が六四である

2011-06-04 20:47:41 | Weblog
(冉雲飛は現在獄中にある。これは2009年6月4日に書かれた文章。)

一、あの殺人の夏。89年の虐殺から20年がたった。あの殺人の夏から今日のこの息苦しく緊張した夏までの間、良識ある人々は反抗・鬱屈・沈黙によってこの長くて暗いトンネルを通利抜けてきた。多くの人はタブーと恐怖のために自らの秘めた辛い歴史を語らなかった。多くの場合、歴史はかくも無情であり、時間もまたかくも冷酷な殺戮者で、勝手気ままに残っている記憶を絞め殺す。だが結局は記憶の種子は大地に播かれ、永遠に滅びることはない。

二、殺人は罪悪である。それが民主自由の政治文明の中では常識となった今日、手に寸鉄帯ない民衆(学生を含めて)の虐殺はすべて犯罪であり、それはまともな政府なら超えてはならない一線だ。事後に私たちは運動の戦略についてあれこれと言うことができるが、学生と市民のいかなる戦略上の失敗もしくは過激さも(私は少しも過激だとは思わないが)、虐殺の運命を甘受すべき理由とはならない。暴政に対する暴力はすべて代替不能の合理性があるが、それにもかかわらずすべて彼らの暴政に対する抗議はあれほど平和的だったのだ。

三、〔略〕

四、真相・問責・賠償。この悲しみの時、丁子霖さんをはじめとする「天安門の母たち」に心からの敬意を申し上げる。彼女たちは確かに立派な母、立派な妻だ。息子や夫がもしあの世でこれを知ったら、彼女たちの勇敢さと忍耐そして人間愛に、彼女たちの子女や夫でよかったと感動するだろう。彼女たちが貫いた真相調査、天安門事件虐殺者の責任追及、誠実な謝罪と賠償は、六四の悲劇を本当に解決する三大原則だ。

五、忘却は罪である。1949年以降〔共産党独裁政権成立以降〕、各世代の受難の苦しみを互いに知らされなかったことで、全ての虐殺と粛清が異常に容易になった。胡適・胡風批判運動で粛清された人々は、整風運動の人道に対する罪を知らなかった。反右派の人々は紅楼夢批判、武訓批判の不当を知らなかった。鉄鋼大増産〔大躍進時代〕の全面的破壊のとき反右派闘争が知識人の粛清だったということはすでに忘れ去られていた。三年大人災(59年から62年の大飢饉)がもたらした大量死を前にして、人々は致命的破壊だった大躍進を忘れていた。四清粛清のとき君はすでに〔三年大人災の〕数千万人の餓死者を忘れていた。文革時代に繰り広げられたセクト抗争の時、君はすでにそれ以前に起こったすべての災難を忘れていた。78年に民主化運動に参加した人々は、全く右派の受難を知らなかった。89年の民主化運動に参加した人々も、ほとんど78年の西単の民主の壁を知らなかった。いますでの多くの人が89年に何があったのかを知らない。将来君が殺戮に遭った時、君は政府が以前も似たような手段を使ったことを忘れているだろう。これこそが当局が君に忘却を強いることによって得られる「美味しい果実」なのだ。

六、六四の遺産? 六四から20年たっても、当局は誤りを認めないばかりか、六四の死者について発言しようとしたり六四を追悼する人々に対する逮捕・尾行・監視・軟禁を繰り返している。子供が殺された父母は苦しみ、夫が殺された妻は声を殺して泣き、父母を失った子供は表だって泣くことができず、同級生を失った生存者は表立って追悼することができない。国民が同胞を記念することができないということが、六四が私たちに残すべき遺産だろうか?

七、毎日が六四だ。89年から20年間、社会はなるほど発展し、経済はいささか進歩した。それを私は否定しない。だが民衆に対する弾圧はそれによって減ったわけではなく、〔当局による〕さまざまな人権侵害事件はひっきりなしに起こっていて、民衆は相変わらず安全感のない、恐怖感に満ちた雰囲気の中で生活している。これら毎日新たに発生している災難は89年の六四の継続なのだ。全ての人の傷は私たちの血肉とつながっており、利益と関わっていて、私たちに傍観する権利はない。いま毎日発生している災難は、みな六四問題が解決されていないことと関係している。

八、このような政府を持っていることは私たちの国恥である。89年の虐殺に直面して『苹果日報』の社長黎智英さんは「中国にこのような政府があることは、中国人として私は恥ずかしい、恥ずかしくて顔があげられない」と語っていた。私は以前三鹿粉ミルク事件、闇レンガ窯事件、四川地震のとき学校の手抜き工事で大勢の学童が死亡した事件、繰り返される炭鉱事故などでの非業の死を目にして、昨年の7月7日〔この日は1937年に盧溝橋事件が起こった日で、中華人民共和国の国恥記念日とされている〕に「このような政府があることこそが我々の国恥だ」という文章を書いた。この表題は、もちろん政府が天安門事件で犯した犯罪についての評価にも使うことができる。

九、真相と和解を期待する。六四はこの国の永遠の呪縛であり、我が国の永遠の傷であり、政府の罪である。六四問題を適切に解決しないと、中国全体が大きな傷口を泥の中に漬けているように、傷がどんどん大きくなり、中国全体が永遠に文明的な社会と国家になることができない。ここに私は六四天安門事件の惨劇の真相を明らかにするために努力しているすべての人々に感謝申し上げる。真相がなければ正義はなく、正義がなければ許しはなく、許しがなければ和解はない。和解は祈りではなく、ましてや額ずいて求めるものなどではない。和解は必ず真相・問責・賠償を通じて段階的に実現していくものだ。

十、犠牲者を痛切に哀悼する。「アジアの孤児」を聞いて、言い難い苦しみを感じる。彼ら罪なく犠牲となった市民と学生を痛切に哀悼しよう。同時に使い捨てにされた愚昧な軍人を哀悼しよう。彼ら死者のために祈ろう。死者の家族友人に慰めの言葉を送ろう。死者たちに、私たちの生きる原動力が死者たちの正義のため、私たちの屈辱を取り除くためだと伝えよう。

2009年6月4日午後12:12

原文出典:http://is.gd/5XUncy

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