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于建:社会安定のベースラインを守るために(5)

2010-03-25 20:06:06 | 中国異論派選訳
 鬱憤晴らし事件の第三の特徴は、権威ある情報がないことです。インターネットが広まってから、携帯のSMS〔ショートメールサービス〕が広まってから、中国には権威ある情報がなくなりました。(PPT)これは2006年8月の浙江省瑞安市です。瑞安は温州市の管轄下の小さな市ですがとても豊かです。この人が飛び降り自殺をしました。彼女は誰でしょう? 英語を学んだ大学卒業生〔の高校英語教師〕で、瑞安の金型会社の社長の息子に嫁ぎました。シンデレラが白馬の王子に嫁いだのですから、彼女は幸せなはずだったのに投身自殺したのです。彼女が自殺してすぐに夫が〔実際は発見した警備員が〕警察に通報しました。警察署は自殺として処理したのですが、彼女の家族は認めず、特に彼女の教え子が認めませんでした。教え子たちはこの写真をネットに掲載し、ネット上で全国人民、温州人民、瑞安人民に問いかけました「こんなにきれいな女性が自殺するでしょうか?」。全国のネットユーザーはすぐに「あり得ない」と返しました。「こんなにきれいで、こんなに輝いていて、まなざしも素晴らしい生活にあこがれているのに、何で自殺なんかするもんか!」。そして大勢の人がネット上で彼女は他殺に違いないと分析し、その殺害方法を議論しました。彼女の教え子はその分析を見て、「全国人民がみな自殺ではないと言っている、僕たちはどうすべきか? 先生のために真相を糺さなくてはならない」となりました。真相をただすために何をしたかと言うと(PPT)夫の親の工場を襲い、政府に押しかけました。

 ですから、現代の科学技術は中国の政治形態を変えたと思います。例えばある人が高級な時計を身に着けていたとします。携帯電話にはほとんどカメラ機能がありますから、写真を撮ってネットにアップロードし、「この人は国家公務員で某部門の指導者だが、彼の給料でこの数十万元の時計を買えるだろうか?」と書きます。ネット上で検索すると、十八代前の先祖まで探し出せます。妻の仕事、息子の仕事まで調べられます。そして最後に汚職官僚だという結論を出します。この結論は面倒なことを引き起こします。以前ネットの無かったころは時計を証拠に汚職官僚を告発しても、市共産党委員会書記が荒唐無稽なことだと言うでしょう。今庶民がネット上で汚職官僚だと言う見解を発表したら、その役人には面倒なことになります。市共産党委員会書記が調べないと言っても、民衆は許しません。民衆は、彼は汚職官僚なのに市共産党委員会書記はなぜ彼を調査しないのかと言い、市共産党委員会書記も調べられます。この書記は何をやってきたのか、検索して、この二人が以前一緒に仕事をしていたことも見つけるでしょう。そうなると市共産党委員会書記は自分が調べられないように、彼を調べるしかありません。そこで市共産党委員会はすぐに調査することを決定します。調べると確かに汚職官僚でした。今の人はみな調べたらぼろが出ます。インターネットが普及してからは、人を陥れるのも簡単になりました。私たちが会議を開いている時、1カートン200元のあなたが高級なタバコを人に贈るとします。彼が入ってきて席に座ると、タバコを渡し、写真を撮ってネットにアップロードする。国家公務員なのに何でこんなに高級なタバコが吸えるんだ? 調べたら汚職官僚の同じような物語が出来上がります。少し前にある検事長が高級車を運転している写真がネット上に載って汚職官僚ではないかと騒ぎになりました。ですからインターネットが普及してからは以前だったら「細かなこと」が「事件」になるのです。

 場合によっては私たちは確かにネットの力を利用する必要があります。腐敗現象を白日の下にさらし、さらに法的な処理にゆだねる。私はいつも思うのですが、現代社会の化学技術は政治生態の多くを変えてしまいました。今日は張居正という名の陳情農民が来ていますが、私が政法大学で講演したとき、彼は一つの包みを持ってきました。その中からペン型ボイスレコーダーのようなものを取り出したので、私は何かと聞きました。ペン型ボイスレコーダーはたくさんありますが、それはビデオカメラでした。私は驚いて「あんたはスパイ稼業かね」と言いました。彼は「何がスパイなもんか中関村で200元で買ったんだ」と言いました。私は信じられなかったので、彼にお金を渡して「俺にも買ってくれ」と言いました。彼は二三日後に1本送ってくれました。そして、他にもボタンぐらいの大きさのもあって、やはり200元ほどだと教えてくれました。私はその時驚いて中関村に行ってみました。確かにあちこちでそれを売っていました。腕時計型、ボタン型なんでもあります。その後私が家内と話すときはまず彼女がペンを持っていないかどうか、ボタンはカメラじゃないかとチェックしています。元々ハイテクで、トップクラスのスパイが持っていた装置を今では普通の庶民が使えるようになっているのです。いつ撮影されているか分かりません。

 私はかつて複写機が中国農民と政府の関係を変えたと言ったことがあります。ご存じでしょうが、裁判を起こす農民は、ポケットの中にたくさんの中央通達のコピーをもっています。複写機を馬鹿にしてはいけません。もしそれがなければ、農民と政府の関係は違っています。私はある時、当時は湖南省で調査をしていましたが、現地湖南の農民が政府に行って、通達を机に叩きつけて「あんたは中央に反対している。我々こそ中央の政策の執行者だ」と言っていました。政府の人間は驚いて「我々がいつ中央に反対したと言うんだ?」。農民「中央通達を見てみろ。税は頭数で徴収してはならないと書いてあるだろう。何で頭数で徴収するんだ」。その役人は通達に確かにそう書かれているのを見て、緊張しました。彼にとって面倒なことになりました。「いつこの通達を手に入れたんだ。俺は見てないぞ」。麻雀をやっていて見逃したのでしょう。ですが、農民は裁判のために毎日この問題を考えています。多くの農民がコピーしている通達は時に私たち弁護士より多いくらいです。もし複写機がなければ、農民はこんな啖呵が切れますか? できません。通達を指導者の前に示しても、指導者は机をたたいて「中央通達の偽造だ」と言うでしょう。どんなにうまく転記しても、1字ぐらいは間違うでしょうから。

 私が湖南省会った農民の一人について、私の本の中で農民宣伝家と紹介しました。彼はどんな農民でしょう? 彼に会う前は、私は彼のことを弁の立つ、恰幅のいい人だと思っていました。会ってみると、彼はこれ以上ないぐらい実直な農民でした。彼は何をしたのでしょう? 当時は税手数料の徴収時期でしたが、彼は広東省に出稼ぎに行っていて不在でした。地方政府の役人は彼の棺桶を現物徴収で持ち去りました。彼が戻って棺桶が持ち去られたことを聞くと、出稼ぎを辞めて、拡声器と録音機を買って、中央の農民負担軽減の通達を人に読みあげてもらって録音しました。それから彼は毎日天秤棒を担いで政府庁舎の前に行き、どこかで徴税があるとそこに行って拡声器で中共中央の農民負担軽減通達を流しました。現地の地方官吏は彼を非常に恨みましたが、彼を取り締まることもできませんでした。彼は中央の政策を宣伝しているのですから!

 以前私は彼に、「あなたはなぜ録音機で録音したんですか?」と聞きました。彼は「第一にわしは年をとって字が良く見えないし、すらすら話せないから、毎回読むのは大変だ。第二に一番大事なのは、わしは先生に録音してもらった。録音してから、地方政府にこの通達の録音テープはたくさんあって、あちこちにバラバラに置いてあるから、取り上げようとしても無駄だと言った。この録音テープはみんな中央の政策の通達だから間違ったことはいていない。たとえいつか逮捕されても証拠があるから怖くない。わしの言葉じゃなくて、共産党中央の言葉なんだから」と答えました。見くびってはいけません。私が本を書いた時彼を何度もインタビューして、農民の知恵と農民の法律を利用して不法な政府に対抗する勇気を深く知ることができました。もし複写機がなかったら、彼らは抗議することができるでしょうか? もし録音機・録音テープがなければ、彼は宣伝することができるでしょうか? できません。なぜなら地方政府は農民が中央通達を偽造して、反動宣伝をしたと言い張ることができるからです。ですから、私たち弁護士はこの面で農民に及びません。私は皆さんに、現代科学技術をもっと利用することを提案します。証拠集めと言わずとも、少なくとも身を守るために。私は話したことをいつも録音録画しています。

 第四の特徴は、規則のベースラインがないことです。前に権利擁護運動について話した時、私は繰り返し彼らは規則を守ると言いました。しかし鬱憤晴らし事件には規則のベースラインがありません。殴る・壊す・奪う・放火するという行為がしばしば、しかもどれか必ず発生します。もしそれがなければ鬱憤晴らしとは言えません。今年一年も何回か大きな鬱憤晴らし事件が発生しました。海南東方事件や四川南充事件などです。

 権利擁護と鬱憤晴らしについて話しましたので、次に騒乱について話します。騒乱と鬱憤晴らしはどう違うのでしょう? 皆さんこれを見てください。(PPT)2008年9月湖南省で発生した騒乱です。人民政府の表札を壊しています。こういうことはしばしば起きています。この地方のこのスーパーマーケット、民衆はこのスーパーを襲いました。結局発端になった事件とこのスーパーは全く関係ありませんでした。これが人権擁護活動、鬱憤晴らし事件と騒乱の最も重要な違いです。騒乱は無関係な人を攻撃します。権利擁護運動は権利侵害者と政府を対象とし、鬱憤晴らし事件も政府と権利侵害者を対象としますが、騒乱は無関係な人に向かいます。次にこれを見てください。これはどこかカーニバルに似ていませんか。スーパーを襲い、商店を襲って、非常に楽しそうです。2008年10月の国慶節期間中、個々の商店はすべて閉じていました。結局本当に野戦軍を投入してやっと秩序を回復しました。この種の行為を私たちは騒乱と呼んでいます。騒乱にはもう一つイデオロギーが引き起こすものもあるでしょう。2008年3月のラサの問題も騒乱だと思います。最重要な問題は無関係な人に向かうと言うことです。今年新疆で発生した問題について、一部の人はテロ活動だと言っていますが、私は違うと思います。やはり騒乱です。

 以上が私の現在の集団示威事件についての簡単なまとめです。権利擁護活動の主な特徴は比較的明確な利益要求があること、鬱憤晴らし事件には明確な利益要求が無く、主に怨恨の発散です。騒乱と鬱憤晴らしの最も重要な違いは騒乱は主に無関係な人、つまり無辜の人を対象にします。ある事件が無辜の人を攻撃の対象にし始めたら、それは騒乱です。

出典:http://www.chinaelections.org/newsinfo.asp?newsid=169507

(転載自由、要出典明記)

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中国乳業労働者の告白

2010-03-25 18:20:15 | Weblog

别再喝奶了——一个奶业工人的良心话
(2010-03-22 13:06:10)

文章提交者:burier 加帖在 猫眼看人 【凯迪网络】 http://www.kdnet.net

我不想再忍了,我所知道的奶业内幕!——一个奶业工人的实心话
      我所学的专业是乳品工艺,刚毕业曾在某国内老大级乳业集团工作。职位——收奶员。
      之前的三鹿事件,沸沸扬扬。其实在我看来,没什么奇怪的,事情总是要被揭穿的,只不过是时间问题,以及是哪一家企业成为那个撞上枪口的倒霉蛋。三聚氰胺——冰山的一角。也许这个事件就要告下一个段落,也许仅仅是个序幕的开始……
      离职的员工到处去说原来公司的“坏话”,这个员工一定个没有道的人。曾经我也是这么认为的,可最近我的想法变了,一个知道内情而不去告诉别人,眼看着别人吃亏上当的人,那才是个彻底道败坏的人。
      离职后,我没喝过一滴奶!
      我先讲一下,收奶的过程。奶农的牛奶由当地附近村镇的奶站化验收集,按品质高低,分等级付给奶农钱。品质的指标不外乎PH值,蛋白质,干物质这几项。然后由奶站(当然了奶站是私人老板的)用罐装车混装后运到工厂,然后由工厂取样化验,测算指标同样按品质高低,分等级付给奶站钱。
      不知道大家看没看出来,想没想到这种操作模式会出现什么问题?
      有人说了,不是“天然牧场”“工业化收集吗”?
      有,的确有。但是我只能说:兄弟,你很傻,很天真!
      奶农想多赚钱怎么办呢?简单啊,掺水啊。那掺水指标降低就卖不上好价了怎么办?简单啊掺****啊。奶站想多赚钱怎么办呢?简单啊……。奶站的奶,是从各个散户收来混装到罐车的,有一家的突然变质了,怎么办啊,全车都倒了吗?几十吨一罐的奶,蛋白质低了怎么办?干物质低了怎么办?PH值低了怎么办?有的牛病了,用过抗生素怎么办?有的牛用了催奶激素怎么办?
       话说回来了,奶农那点小计量能瞒奶站吗?奶站那点小九九能瞒工厂吗?如果我说,奶站不知情,工厂不知情。都是“不法奶农”干的坏事,全国人要把矛头指向他们批判。那我可就真的,很傻,很天真。
       我们从来不拒收奶,因为我们知道,一件东西是要充分利用的,这样才能取得最大的价值,获得最大的利润。我们分罐储。最好的奶,供到车间做酸奶(发酵型酸奶或搅拌型酸奶),因为不是好奶做不出来。其次,做纯牛奶,高钙奶之类的。再差的奶做花色奶即花生奶,早餐奶等。还有那些发酸的奶怎么办呢,当然不能倒了,做酸性乳饮料,就是广告狂哄乱的,女人小孩都喝的***。这是本公司最大的利润所在,一盒奶的成本,还没有哪个包装盒值钱。还有那种臭的熏人的奶怎么办呢,简单,做冰激凌味道最好。还有那些又臭成粘稠状的怎么办呢,做奶粉。当然这叫工业粉,它有它的用途,不是装袋子就上市场的。
      我们有全球最大最先进的立体式仓库,媒体都赞扬过。可是,你就没想想:这快速消费品,生产出来,就要卖的,搞那么大仓库什么用?酸性乳饮料越存放,味道越好。
      那有人问了:生产日期怎么办?
      简单啊,提前一个月!你也许不信吧,因为,在你心中,那是小工厂做的事。
      那又有人问了:市场上卖的岂不是过期奶?
      我就这么告诉你吧:你手中那盒奶,就是过期一周了,你喝也没问题。因为,你所买的奶,是UHT超高灭菌液态奶。
      关于UHT超高灭乳,到底有没有营养,我不想再说了。因为,这个涉及到某人在某年为中国提出的一个口号,我们正向这个口号迈进,别管你喝的是什么奶,反正是牛奶。
      有个广告,中国某企业已经是这种超高灭菌乳全球产销量第一,难道是那些乳业发达国家真的比不上我们了吗?
      其实,是人家不生产这种乳品了。这笑话有点冷,是吧?!
      那有人说了,我们以后喝高端奶吧,广告都说想过有品位的生活就喝那种奶。
      是啊,那奶是贵啊,贵的东西就好啊,那奶蛋白质高啊?高,实在是高!这一点,澳大利亚人都服我们啊。
      我就不相信地球上的奶牛,能挤出那么高蛋白质的奶……
      此言一出,某些专家就会来“辟谣”又得列出一套数据理论,来“引导”大家。
      是啊,我嘴没人家的大,钱更没人家拿的多……
      还有很多关键的还是不说为好,知道了对大家谁都不好。生活是美好的。
      真实案例看三鹿奶粉背后的KB的行业潜规则
      目前的沸沸扬扬的三鹿奶粉事件,作为一个可能的知情者和懂点化学的人,我也来谈谈我的观点:
       1、媒体也好,厂家也好,国*家质量监督也好,还是在忽悠大家。
      为什么我敢这么说?
      因为,三聚氰氨根本不可能直接加入牛奶中,三聚氰氨的市场售价并不低,奶农不可能不计成本的提高浓度;
      其次,三聚氰氨水溶性较差,要想完全溶于牛奶,比较麻烦。
      那为什么媒体,厂家,国*家质量监督要异口同声的说是不法之徒加入了三聚氰氨,其实,就是为为了掩盖一个更可怕的问题:那就是加入的其他毒性更大的东西!说穿了,就是尿素!尿素,作为一种便宜的农家化肥,真是经济实惠的“好添加剂”。
      2、为什么要加尿素?
      因为各乳品公司收购鲜奶,测试的标准主要是奶的蛋白质含量,说穿了就是氮的含量。尿素作为一种最普遍的氮肥,由于它独特的分子结构,记得好象是两个氮分子配个什么我忘了,氮的含量当然高了,混入奶中,提高氮浓度,价格自然也卖得高了;
      3、尿素怎么转化为三聚氰氨的,很简单,奶粉的生产过程就是将鲜奶放在封闭的环境高环境下,然后采取喷雾的方式直接转化成粉状就成了奶粉,而尿素在高下会产生变化,生成三聚氰氨,OK,有毒的奶粉就这样生成了。
      最后,我再谈谈我怎么知道这些内幕的。
      前几年,是2001年还是2002年,我记不太清楚了,在办理一件带B性质的案件时,他们主要罪状之一,就是把持我市某区的牛奶收购市场,长期以次冲好,我们在办案中就了解到,他们在牛奶中加入尿素、少量食用油,然后加大量水(良心好的加自来水,不好的就直接加池塘或者田里的水),最后,用专用的搅拌机进行搅拌,一批蛋白质浓度高的“鲜奶”诞生了!
      但最后几个犯罪分子都翻供,说他们这种做法是普遍的,并不是他们发明的。后来,我们专门去天友了解,确实如此,他们对牛奶收购中出现的这些问题,根本没有比较有效的检测措施,或者是因为收购站点太多,没有精力和金钱来负担这么大的检测开销。所以,对广大奶农的行为基本采取的是默认的态度。
      而且,据在天友的了解,这种现象,在全国的乳制品行业是普遍的,只要存在向奶农收购牛奶,就普遍存在次类现象,所以,三鹿事件的发生,就是必然的。
      而且,这次三鹿出了事,全国其他所有奶制品企业都保持沉默,没有一家跳出来指责,什么原因?
      大家看了我的帖,应该心里有数了吧!
      最后,弱弱的问大家一句,这样的牛奶,你们敢喝吗?!!!


出典:http://blog.sina.com.cn/s/blog_565be4b60100h4nm.html

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于建:社会安定のベースラインを守るために(4)

2010-03-25 11:57:10 | 中国異論派選訳
 では、2009年6月17日湖北省石首で発生した問題はどうでしょうか? しっかりと武装した武装警察隊が、街頭で民衆に殴られてヘルメットや盾を打ち捨てて逃げ出したのは、一体どうしたことでしょう? それと私がこれまで話してきた権利擁護活動は同じなのでしょうか? 違います。私はこれを「社会的鬱憤晴らし事件」と呼んでいます。この命名で私はトラブルに巻き込まれ、「査問」されました。2007年10月30日、私が米国のバークリー大学で講演したとき、私は中国で今新しい集団示威事件が発生している、それは権利擁護活動とは異なる、社会的鬱憤晴らし事件であると最初に話しました。その第一の特徴は参加者に利益要求が無く、おもに民衆が社会に対し心中の恨みを発散することです。彼らは何に不満なのでしょう? 公権力と金持ちに不満なのです。第二の特徴は組織動員が無く、盛り上がるのも沈静化するのも速いということです。

 11月8日に私が北京に帰ると面倒なことになっていました。携帯のスイッチを入れたら、うちの研究所の共産党委員会書記からメールが来ていて、すぐに連絡をよこせとありました。私はすぐに電話し、「帰りましたが何か御用ですか?」と聞きました。彼「帰ったか」。私「今飛行機を降りたばかりで、まだ通関していません」。彼「すぐに職場に来い」。私「何の用ですか?」。彼「大変なことだ」。私「明日じゃだめですか?」。彼「今日じゃなきゃだめだ。すぐに来い」。うちの職場は監禁しませんから、行かなければ誰にも管理されません。普段私は1年に何回も行きません。彼らはよく冗談で私が社会科学院に訪ねてきたと言います。ですが、彼にそう言われたら仕方ありません。非常に深刻だと感じました。私は研究所から給料をもらっているのですから、仕方なく荷物を受け取ったら直行しました。職場について書記に「何事ですか?」と聞きました。うちの書記は一枚の紙を私に差し出しました。それは中央に密告することを専門とするある機関が中央指導者にあて提出したレポートでした。表題は「社会科学院于建教授の米国での発言」。書き出しは于建が中国で鬱憤晴らし事件が起こっており、おもに公権力と金持ちに対する不満から来ているという内容の三百字ほどのレポートです。地方から中央に異動してきたばかりの指導者が、空欄に指示を書き込んでいました。上手く婉曲に書いています。「社会科学院に于建同志とよく話をさせなさい。有名な学者だから影響に注意するように」。これが面倒の原因です。

 このレポートが私の職場に送られて、大変なことになりました。職場のトップは不在でしたし、社会科学院の書記はすごく怒って、指導者の指示の脇に自分の指示を書きました。「農村発展研究所はよく于建と話し合うように」。我が国は社会主義国家だから、人民は政府を擁護しているのに、晴らすべき鬱憤なんかあるはずないだろう?! 人民に鬱憤がないのになんで鬱憤晴らし事件なんて起きるんだ、うそ八百じゃないか? うちの指導者は私に「でたらめを言わないように。君があちこちででたらめを言ってきたから厄介なことになってるじゃないか」と言いました。私「何が厄介なんですか」。彼「これでもまだ厄介じゃないと言うのか? 中央指導者が我々に君と話し合いをしろと指示しているのだから、必ず話し合わなければならないし、全ての談話記録を中央に送らなければならない。これは決まりだ。君が話さなかったらどうなると思う?」。私「あなたは私の講演原稿を見たことありますか?」。彼「見てない、君はあちこちで講演をしているが、一度も原稿を見せたことがないじゃないか」。私「私の講演テープを聞いたことはありますか?」。彼「聞いたこと無いね。米国で話したのに何で聞けるんだい」。私「それなら話しません」。彼「なぜだ?」。私「あなた方の開祖毛沢東は、調査なくして発言権なしと言っています。私は米国で3時間話したのに、なんで三百字であなたと話し合わなければならないんですか。調査しなければ、話し合いません」。私は部屋にあったソファーに横になって寝ました。私「時差を調整します」。うちの書記は静かに話していたのに、私が拒否したので、彼は困りました。結局研究所の共産党委員会会議を開いて、書記が私に会議の決定を伝えに来ました。彼「党委員会で議論した。君が今話さないと言うのも一理ある。我々社会科学研究に従事する以上道理をわきまえなければならない。今日は帰ってもいいが、いつでも呼び出しに応じられるよう、今週中は北京を離れてはならない」。私「それじゃ『査問』じゃないですか」。5日後、書記から電話が来ました。彼は私が動き回るのが好きで、どこかに問題が起きると必ず見に行きたがり、北京に閉じ込めておくと私がつらい思いをするのを知っています。私「書記もう話し合ってもいいですか?」。彼「話さなくていい」。私「何で話さなくていいんですか?」。彼「バークリー大学のサイトで君の講演の録音をダウンロードして、湖南方言の分かる人を呼んで、この録音を文字に起こしてもらった。党委員会で読んだら、君の言っていることは間違っていないと思う。君は憂国の同志だ」。今日の講演が終わって興味があったら私のバークリーでの講演を読んでみてください。『南方週末』と南方新聞グループの新聞でたくさん報道されています。

 今では、社会的鬱憤晴らし事件と言うのは普通の概念になっています。新華社や人民日報でも使っています。特に去年の「瓮安事件」と今年の「石首事件」以降、多くの人が冗談で私に「君は先見の明がある。君はいい定義、概念を発明した。たいしたもんだよ。」と言います。しかし実際は私には先見の明はありません。中国では以前からこの問題が起こっていましたが、誰も注目しなかっただけなのです。

 私が最初にこの問題に注目したのは、2004年10月18日重慶で発生した事件です。于という名の担ぎ屋が担ぐ肩を代えるときに鄭という名の女に当たりました。この女は于に向かって「この天秤棒も担げない開きめくら!」。担ぎ屋の于は町に出てきてもう何年にもなり世間を知っていたので、冗談でも言えば収まるだろうと思いました。そこで于は「なんでめくらなんだ。俺の目は前についてるが、あんたは後ろにいたんだ。後ろがめくらでも前はめくらじゃない」と言いました。これが面倒を招きました。鄭の夫が来て、于にビンタを喰らわして「お前がぶつかっておいて、謝るどころか、居直るとは何だ!」。于は荷物を置くと天秤棒を持って「何で俺を殴る? 俺があんたにぶつかってあんたが怪我をしたら、病院に連れて行くさ。あんたの服を破いたら、弁償するさ。何で俺を殴るんだ?」。口げんかになって、四方八方から人が集まってきて、「そうだ、何で人を殴るんだ? あんたら都会人のどこが偉いんだ!」と担ぎ屋に加勢しました。

 その時、この夫は一生後悔することになる一言を言いました。「俺は国家公務員だぞ。お前を殴ったからどうだと言うんだ」。大変です。野次馬がどんどん多くなり、「公務員だからなんだって言うんだ」。人垣の外側の人が中の様子が見えないので聞くと「大変だ。国家公務員が「天秤棒」(重慶で「担ぎ屋」のこと)を殴り殺した。とんでもない奴だ!」。こうしてますます多くの人が集まり、群衆が派出所を取り囲み、派出所に死体と犯人の引き渡しを要求し始めました。派出所が死人は出ていないと言っても、みんな人が死んだと言って聞きません。ついに派出所が打ち壊され、派出所は政府が管理しているんだからと、政府庁舎が打ち壊しに遭いました。

 この事件が発生すると、北京に激震が走りました。私はチームを組んで調査に行きました。当時私も一万人もの人が政府庁舎を打ち壊すなんて、昔のやくざみたいだと思いました。ですが、調査してみるとそういう背景はなく、全く偶発的な事件でした。

 事件はほんの小さなことから始まり、突然大きくなり、打ちこわしが終わると皆立ち去って、酒を飲みに帰りました。私たちは当初動員があったのではないかと調べましたが、組織されたものでないことが分かりました。正規の組織も、裏社会も、なにもない、非常に偶発的なものでした。重要なのは、彼らはきっかけとなったけんかと関係ないことです。当時逮捕者が出ましたが、私が彼らに「于という名の担ぎ屋を知っているかい?」と聞くとみんな知りません。「鄭という人は知ってる?」やはり知りません。「じゃあ何で君たちは政府庁舎の打ち壊しに行ったんだね?」。「役人が俺たちの仲間を殺しておいてまともに取り上げないから、不正を糺そうとしたんだ!」。

 続けてすぐにまた新しい事件が起きました。2005年6月26日、安徽省の池州です。ある社長の江蘇省のナンバープレートを付けた車が、交差点で一人の子供を轢きました。この子は劉亮という名です。社長の車は止まりました。運転手は非常に緊張しましたが、劉亮が立ち上がったのを見て、運転している人は分かると思いますが、最初緊張していても、立ち上がるのを見て気が大きくなりました。そしてその子を怒り始めました。「一体どこ見て歩いてるんだ、もし俺がブレーキをかけなかったら、お前は死んでいたぞ」。劉亮は高校生で、背は高いのですが泣きながら言いました「あんたが轢いたんだ、どうしてくれるんだ」。彼が車にしがみつくと、二人はもみ合いになりました。劉亮はバックミラーをひねって、多分曲げたのでしょう。車に乗っていた数人が彼を車から引き離しました。その時三輪自転車をこいだ人が二人やってきて、「あんた人を引いたのに、病院に救急で連れて行かないで、一体何をやってるんだ。何で殴ってるんだ!」と言いました。運転手はこう言ったそうです「轢いてなんかいないさ、怪我してないじゃないか」。三輪自転車の人は「病院に連れて行かずレントゲンも取らないで、なんで怪我してないと分かるんだ。いまなんともなくても、後で悪くなったらどうするんだ!」。このとき車に乗っていた人がこう言ったそうです「轢き殺してないし、たとえ轢き殺したとしても、安徽省じゃ三十万元じゃないか、ガタガタ騒ぐな」。大変です。人がどんどん集まってきて、外側の人が中の人に事情を聞きます。「えらいことだ。江蘇省の社長が車を運転していて地元の子供を轢いて、死体を蹴飛ばした。その上『安徽人が何だって言うんだ、一人死んでも三十万元じゃないか』と言ったそうだ」。この話はたちまち池州中に広がり、群衆は「安徽人が何だって、胡錦涛だって安徽人だ」と言いました。さあどうなったでしょう? 彼らの車を打ち壊し、彼らの関係するスーパーマーケットの商品を全部盗み出し、派出所に行って派出所も打ち壊しました。

 この二つの事件の調査から、私の心に一つの疑問が浮かびました。中国社会に何か変化が起きているのではないか。役人とか公務員と聞いただけで、金持だと聞いただけで、怒りがわいてくる。参加者ときっかけになった事件は全く関係なく、全く劉亮を知らないし、運転していた人も知らない。ましてスーパーを経営していた社長も知らない。彼らは金持ちが自分たちの仲間をひき殺し、自分たち貧乏人を馬鹿にしたと思っている。調査が終わってから、私はこの種の事件は権利擁護活動とは根本的に違うと思いました。新しい定義はないだろうか? いろいろ考えて怨恨、憤怒に思い当りました。そこでこういう事件を鬱憤晴らし事件と呼ぶようにしたのです。

出典:http://www.chinaelections.org/newsinfo.asp?newsid=169507

(転載自由、要出典明記)

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社会安定のベースラインを守るために(2)
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/68c0c153f2ed66b144393aa139edf448
社会安定のベースラインを守るために(3)
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社会安定のベースラインを守るために(5)
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/5256694e67569f7b220b51d73ad22604
社会安定のベースラインを守るために(6)
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社会安定のベースラインを守るために(7)
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社会安定のベースラインを守るために(8)
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社会安定のベースラインを守るために(9)
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社会安定のベースラインを守るために(10・完)
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王克勤:山西省の予防接種禍を埋もれさせないために(2)

2010-03-22 00:07:19 | Weblog

    8.晨晨 男 1998-6-20 11岁 免疫系统疾病 2006-6-16 麻腮风、乙脑疫苗 2006-7-1 太原市寇庄西路自来水宿舍3单元18号   其父刘新民 0351-7324609; 

    2009年9月14日,晨晨的母亲田霞,原山西省疾控中心疫苗供应站护士,向记者介绍了儿子晨晨发病的情况。

    晨晨2006年7月30日出生。“05年之前,我在省疾控中心工作,觉得那里的疫苗质量过硬,所以专门跑去为孩子接种。”2006年11月2日,晨晨接种百白破疫苗。一周后,体温高达37.2—37.4摄氏度,并伴有抽搐。2007年1月9日住进首都儿科研究所附属儿童医院,诊断为“婴儿痉挛症”。目前后遗症癫痫。

    9.莉莉   女  1999-6-21  10岁     抽风      2007-11-28   流脑疫苗   2008-2、3月      太原市小店区西温庄乡东温庄村    其父高径15333619469; 

    2007年10月25日接种流感疫苗、11月28日接种流脑疫苗。2008年春节时感到异样,3、4月份后问题更加明显,表现为:吐字不清,动作怪异,手、脚、头部常常不自觉抽动。各相关医院对病因一直查不清楚。

    10.妞妞  女 2007-9-25 11个月 病毒性脑炎 病前接种  见接种证  2008-9-21 山西省长治市壶关县龙泉镇大山闻村  其父贾海波13546518682;

    2008年7月7日接种了流腮疫苗、8月8日接种了乙脑疫苗。9月22日发高烧,浑身长满红斑。在山西省儿童医院诊疗,是血小板减少,疑似紫癫、脑炎,而具体病因始终不明。2008年10月7日到北京儿童医院进行了治疗,最终确诊为坏死性筋膜炎。目前留下肢体活动困难后遗症。

    一家四口暂住在自家的房子里,房子,已卖给别人了。给女儿治病的欠账,尚未还清。

    11.慧慧  女 1998-6-1 11岁  过敏性紫癫 2006-5-14 麻风二联疫苗  2006-5-29 高平市野川镇蒲沟村   其父韦惠民13935685652,爷爷韦雷生0356-3230915;

    2009年12月10日,在慧慧的家里,其爷爷韦雷生告诉记者,孙女1998年4月19日出生。2006年5月14日,在高平市野川村卫生所注射麻疹、风疹联合疫苗,2006年5月26日大便出血、两腿出现大量水疹。3天后被送高平市人民医院住院。6月2日后先后转入长治市和平医院、北京儿童医院抢救治疗,诊断为过敏性紫癜,并引发肾炎,孩子病情经治疗并未好转,反而转化为紫癜性慢性肾炎。

    北京儿童医院在抢救治疗中,帮助慧慧穷尽过敏原,寻找病因。

    ——食物组过敏原检测结果:总lgE、鱼、虾蟹、肉、牛奶、蛋白蛋黄、谷物全部阴性,食物过敏引起被排除;

    ——吸入组过敏原检测结果:总lgE、屋尘、螨虫、霉菌、草组、植物组、树木花粉全部阴性,吸入组过敏引起被排除;

    ——最后C13尿素呼吸试验,幽门螺旋杆菌也是阴性。

    韦雷生将孙女过敏性紫癜的过敏原最后归结到疫苗上了。“我豁上老命也得给孙女讨个公道回来!”为抢救孙女卖完了50多头猪的“养猪专业户”韦雷生,几年来坚持不懈地上访申诉。

       2009年3月28日,晋城市疾病预防控制中心委托的诊断专家组做出诊断报告,诊断报告称:“过敏性紫癜、过敏性紫癜性肾炎与接种麻风二联疫苗在时间上和可能发生的常见疑似预防接种反应疾病上有相关关系”。   

    于是,韦雷生一家将疫苗生产厂商北京天坛生物制品股份有限公司及疫苗接种使用管理机构晋城市疾病预防控制中心告上法庭。2010年1月13日,高平市人民法院判决“接种麻风二联疫苗而诱发过敏性紫癜及过敏性紫癜肾炎属接种疫苗后的异常反应。”判赔慧慧医疗费、精神损失费等156178.52元。

    12.靳中逸   男 1992-11-1 17岁  病毒性脑炎 病前学校接种乙脑疫苗 乙脑疫苗  2008-8-27 高平市三甲镇底池村   其父靳伟才13753619398;

    2009年11月18日,在山西省高平县城,记者见到了正在读高中的靳中逸。寡言少语,反应迟缓。

    其父靳伟才告诉记者,儿子14岁,响应政府应急接种乙脑疫苗号召,2006年8月26日下午,在三甲镇卫生院接种了乙脑疫苗,接种疫苗的医生是孙爱香。

    第二天,儿子感觉头痛得很,发高烧。在市人民医院住院治疗,8月28日,医生说退烧了,回家修养。但是,当晚又高烧不退。到长治市和平医院就诊,确诊为乙脑疑似病例。从这次患病后,就落下了一个后遗症头痛,时不时地发作,受异味刺激头痛易发作,非常痛苦。

    13.玲玲  女 1993-6-15 16岁  急性播散性脑脊髓炎   2006-12-8   流脑A+C疫苗  

2006-12-10  山西省临汾市洪洞县万安镇   其父易文龙13903572625;

    2006年玲玲考上了山西省临汾市新华中学,在43班读初一。2006年12月8日,校医给班里60余名学生集体接种流脑A+C疫苗。接种后第二天,发现孩子异样,两天后加重,孩子出现了严重的意识紊乱不良反应,送到临汾市人民医院进行治疗,住院3天后转入山西省儿童医院治疗,该院下达了病重通知书。十天后,转院中国人民解放军301总医院,结论是“急性播散性脑脊髓炎”。目前各医院均未查出发病原因。

    14.豪豪  男 2002-11-26  4岁   病毒性脑炎 病前接种  多种疫苗  2007-8-16 山西省运城市垣曲县新城镇矿管局   其母王建霞 13934095001;

     2007年6月27日接种了乙脑疫苗。8月16日出现发热、呕吐、抽搐症状,在垣曲县人民医院治疗,诊断为乙脑。2007年10月11日,转入北京儿童医院治疗,诊断:“症状性癫痫;肺炎?”。目前总计花费12.6万元,后遗症癫痫。

    15.蕊蕊  女 2008-6-11 1岁   瘫痪   2008-9-20 糖丸疫苗  2008-10-9 运城盐湖区

其父王武明 13466562797;

     2008年9月20日,接种了糖丸疫苗和百白破疫苗。19天后发烧,10月16日就诊于运城市中心医院,诊断为急性播散性脑炎。目前后遗症瘫痪。

    已经花了23万元的蕊蕊母亲张海霞说:“我最大的期望:只求女儿长大成人,能自己上厕所就行了。”

 

    其它相关人员及机构联系电话:

    陈涛安,山西省疾控中心原信息管理科科长,多年来不断上访举报,向媒体反映山西疫苗问题。电话:13834568060。

    卫生部总机:010-68792114。

    卫生部卫生产业企业管理协会 办公室电话:010-64018737。

    山西省卫生厅办公室电话:0351-3580521。

    田建国,北京华卫公司经理,山西省疾控中心生物制品配送中心主任。电话:13910890098。


出典:http://wangkeqin.blog.sohu.com/146526833.html?act=1269124487898 

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王克勤:山西省の予防接種禍を埋もれさせないために(1)

2010-03-22 00:01:58 | Weblog

当局側は欠陥ワクチンによる予防接種禍を否定。この件に関しては報道した記者、被害者家族に脅迫電話が寄せられているという。この文章が昨日発表されてから国内各紙の記者が現地に向かっている。ちなみに山西省は賠償責任を回避するために医原性エイズ患者も多数隠匿している。

公布山西部分患儿名单

呼吁更多的人求证真相

 

    自3月17日《山西疫苗乱象调查》一文刊发后,得到全社会多方面的积极回应。不断有读者及各地类似患儿家长通过多种方式联系我,反映全国各地更多与疫苗接种关联的患儿情况;也有许多媒体同行希望得到山西患儿家长联系方式,以便前往山西跟进报道;也有不少读者和公共卫生专业人士致电与我,表达问候并提供疫苗内幕与专业情况,期望提供专业帮助;还有不少充满爱心的人想对这些处境悲惨的家庭施予援手等等。

    为此,我在这里代表我所采访过的山西患儿及家长向所有关心他们的人表达由衷的谢意。同时也感谢广大读者对我们中国经济时报山西疫苗报道的认可与声援,也感谢众多同仁和各界人士对于我们报社的支持与鼓励。

    在文章见报当天晚上,卫生部表态,对此高度重视,立即展开调查工作,要求山西省卫生厅尽快报告接种异常反应新情况。与此同时,山西省卫生厅通过新华社作出回应,称我文中所反映的情况,早在2007年就有媒体报道,当时经省级专家组鉴定,认定不属于疫苗接种异常反应。并在后续回应中称,他们找到了我文中所提15个患儿中的10人,只有1人鉴定为疫苗接种异常反应。

    对此,我声明,我对自己报道中的每一个字负全责。在历时半年的山西全境地毯式搜索调查采访中,我获得了七十多份患儿病历,以及采访录音、录像、调查笔录,大量政府相关文件、法定文书,件件为证,可以说是铁证如山。

    谁能够证明是山西省卫生厅所说不实?是我报道不实?还是新华社山西分社在撒谎?这需要更多的人,更多的媒体与独立调查机构展开全面的调查核实。尤其是需要排除当事人----山西省卫生厅、中国经济时报及新华社山西分社之外,独立的第三方展开细致科学的调查。

    我在采访过程中遇到了大量患儿家长多年来试图通过法律途径维权,苦于无力请律师,还遭遇上诉难、立案难、审判难等重重困境。因此希望法律界爱心人士速速前往山西,为困境中的患儿家庭提供法律援助。

    一个文明开放的社会,是需要每一个公民都具有质疑精神的社会。

    因此,我在这里,经征求患儿家长同意,将我采访过的部分家庭联系方式公布出来,期望能够给更多独立调查者以方便。真诚期望更多的媒体及独立调查者本着质疑的精神,深入山西继续报道此事,还原事实真相。

    真正找出众多孩子致死致残的祸根,而不是纠结于之前的报道是否“基本不实”。真正为这些死残的孩子们负起责任,给这些家庭一个令人信服的答复,真正堵住问题疫苗管理混乱的漏洞,为更多孩子的生命安全负起责任来。

    祸根何在?我想“真的假不了,假的也真不了”。雪是埋不住尸体的!

    为了给这些山西孩子一个令人信服的说法,为了更多中国孩子的生命安全,我在此呼吁:让全社会一起来关注山西问题疫苗中的孩子们!

     ——我呼吁国家最高层尽快成立联合调查组介入调查,真正查清山西问题疫苗以及众多孩子死残的核心原因,给公众一个权威交待;

    ——我呼吁更多的媒体进入山西,调查这一事件,从而让更多核心真相浮出水面;   

    ——我呼吁更高层次、更有公信力、更加权威的卫生鉴定机构,尽快进入山西,做出科学、公允、独立的调查结果;

    ——我呼吁司法机关、公益律师尽快介入山西问题疫苗事件,为广大患儿家庭提供法律援助;

    ——我呼吁更多爱心团体和广大网友向处境悲惨的患儿家庭伸出援手!

     为方便各方展开工作,深入调查,我借博客公布一部分山西患儿家长、及在我采访中出现的部分相关部门和人员的联系方式。为保护孩子的权益,名单使用原文中的化名。

    下列15名儿童,皆为我在《山西疫苗乱象调查》中提及的患儿。

    注:下面的材料是按照:儿童在文中出现名字、性别、出生年月、年龄、接种疫苗后患病名称、接种日期、疫苗名称、患病日期、家庭地址、家长姓名、联系电话、患儿及家庭情况简介的顺序列出。

    1.王小儿 男 2007-11-24  死亡  抽风   2008-1-2 乙肝疫苗  2008-1-10 山西省柳林县柳林镇青龙村  其父王明亮 13994809666;

    王小儿出生当天医院即为他接种了卡介苗、乙肝疫苗。满月后不久,又接种了第二次乙肝疫苗。一周后,孩子便开始不断出现抽搐、呕吐,两个眼睛往上翻,脸上、身上发青,甚至呼吸暂停,频繁惊厥等症状。从3月开始,每个星期其父王明亮都重复着在“村庄——柳林县城——太原——北京;北京——太原——柳林县城——村庄”的路线,一个来回1400多公里。王明亮为了让医生准确了解孩子病情,专门购买了电脑、摄像机,每每孩子病情严重、抽搐颤抖时进行拍摄,拷到U盘,每次到北京香山医院时交与医生。2008年8月22日,9个月的王小儿死于进京求医招待所。

    2.刘紫阳 男 2006-6-24 死亡   过敏性紫癫 病前接种  附接种证  2007-7-28 长治市长子县南陈乡善村 其父刘云斌 0355-8455579;

    刘紫阳出生后,接种了卡介、乙肝、百白破及糖丸等疫苗。2007年2月28日晚9时许,8个月的刘紫阳开始发烧,第二天中午身上开始出现“斑”,皮肤青紫,呼吸紧迫。下午1时许送到长子县人民医院,被诊断为“过敏性紫癜”,采取抗过敏等措施,半小时后身体发青更加严重。在儿科诊断15分钟后,转传染科住院。就在护士铺床之际,孩子开始剧烈抽搐,抢救无效死亡。

    3.王仕超 男 2005-2-21 死亡   病毒性脑炎 2008-9-25 狂犬疫苗  2008-10-7 山西省阳泉市平台县南苑人家9号楼二单元216号  其母王文娟15934030315;

    2008年9月10日,三岁的王仕超被小狗咬破了上嘴唇。随即到阳泉市疾病预防控制中心,接种了狂犬疫苗,后来又接种了三次。本应10月10日接种最后一次,但10月7日晚孩子却突然发烧,8日上午,出现呕吐症状。10日转入重症监护室,14日早上抢救无效死亡。

    4.刘一   男  死亡   4岁   病毒性脑炎 病前接种狂犬等多种疫苗     2009-8-26 山西省阳泉市义井镇泊里村  其父刘彦13994516549;

    2009年8月10日,四岁的刘一被狗咬伤了右脸。一小时后注射了狂犬疫苗。8月24日,孩子接种第4次疫苗。两天后,开始发烧、呕吐。8月27日8时30分来到阳泉市第一人民医院。12时30分医院出具《病危通知书》,诊断为:“重症病毒性脑炎?化脑或乙脑不排除?” 17时30分,经抢救无效死亡。如今孩子的尸体还在医院的太平间里。

    5.燕燕   女 2008-4-30 1岁   抽风   2008-5-29 乙肝疫苗  2008-5-30 大同市天镇县南河堡乡顾家湾村  其父高二清13703521684,奶奶张建云13703521684;

    2008年5月29日接种乙肝疫苗后,沉睡不醒。5月30日早上8点出现喷射性呕吐,晚上9点多,开始抽风。5月31日早晨,在大同市第五人民医院,被诊断为病毒性脑炎。目前不哭、不闹、不笑、不玩、不说,不会走路,“像个植物人一样”。

    燕燕家现在仅有一间30平米的小平房,高家四代6口人全部睡在一个土炕上,15瓦的电灯泡和灶用鼓风机是家中仅有的两件电器。“本来要盖房子的,钱全部给孩子看病花掉了,连牛都卖了,还欠了一大堆的债。”燕燕的奶奶张建云如是说。

    土炕上,姥姥抱着燕燕。记者看到梳洗的干净、漂亮的女孩定定地坐在姥姥怀抱里,没有表情。记者试图与燕燕交流,给糖吃,却视而不见,面对摄影闪光灯没有任何反应,试图让孩子走几步,孩子却站不稳。

    6.强强   男 2002-5-18 7岁   病毒性脑炎 2006-7-17 乙脑疫苗  2006-8-7 吕梁市交口县回龙乡回龙村  其父高长宏 15935847788;

    2006年7月17日接种乙脑疫苗。8月24日开始发高烧,8月26日半夜开始抽风,后来发展到昏迷不醒、口吐白沫、鼻子流血、四肢发硬、持续抽搐。在太原市传染病医院,被诊断为乙型脑炎。家人称孩子目前会不定时地抽风。

    其父高长宏还告诉记者,小儿子吃了三鹿奶粉后,得了结石。

    7.君君   男 2005-3-28 4岁   抽风   2007-10-15  白破疫苗  2007-10-20  山西省柳林县孟门镇石安村23号   其父李常勤13834763375;

    2007年10月15日接种百白破疫苗。五天后出现不良反应,初期表现是腿拐,行走不稳,且日益严重,随后出现了头痛、呕吐症状。在山西省儿童医院,神经内科专家多次会诊,没有断清病症,住院期间核磁共振影像报告结果脑萎缩,住院一个多月总算保住了性命。治疗花了6万余元。

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于建:社会安定のベースラインを守るために(3)

2010-03-21 18:11:45 | 中国異論派選訳
 労働者、農民、市民の権利擁護行為には、違いがあると言いましたが、共通の特徴について簡単にまとめておきます。第一に、労働者、農民、市民いずれも権利擁護活動の最大の特徴は、それが利益の争いであり、権力の争いではないと言うことです。簡単にいえば金を要求しているのであって命を要求しているのではない。権力を要求しているわけではないのです。まだ誰も街頭に出て共産党に権力譲渡を、地方官吏に政権譲渡を要求してはいません。だれも文革の時のように奪権を目指してはいません。たとえ政府庁舎を破壊したとしても、利益を求めてであって、権力を求めてではありません。誰も今の政府を倒して、新しい政府を樹立しようとはしていません。利益の争いが今の労働者、農民、市民の権利擁護活動の主な特徴です。

一つ事例を紹介しましょう。2007年広東省で大きな問題が起きました。汕尾市のある農民が村幹部と郷幹部の家を捜索するために家捜し隊を組織しました。なぜ彼らの家を捜索するのかと言えば、勝手に村民の土地を売ったからです。家捜し隊ができて大勢の郷幹部、村幹部が逃げ出しました。その年の5月7日に、私はある国家指導者に同行して調査に行きました。5月8日、当時の広東省共産党委員会書記・中央政治局委員張徳江がその国家指導者に報告しました。彼の話だと、広東省ではここ数年多くの問題が発生しているが、省共産党委員会が調査したところ、それはすべて人民内部の矛盾だということでした。人民内部の矛盾とは何でしょう? それはつまり人民元で解決できる問題ということです。おかしな話ですが、彼が言っているのは正しいと思います。その日の夜私は南方週末と南方日報の二人の論説委員と会って話しました。私は彼らに張徳江のような中共の高官も中国の現在の問題が利益の争いであり、権力の争いではないことを知っていると話しました。利益の争いであるということが今中国で発生している集団示威事件の第一の特徴です。

 第二の特徴は、規則意識が権利意識より強いということです。(PPT)それはこの人が言った言葉です。彼女はエリザベス・ペリーという名の、世界的に有名な政治学者です。彼女は2007年に発表した「中国人の権利意識」という論文で、1989年のとき自分達西側の人間はみな中国が崩壊すると思ったが、20年近い年月が経つのに中国共産党はまだ崩壊していないと書いています。西側の人は中国の民衆が街頭に出ると欣喜雀躍して共産党が崩壊すると言うが、何日かすると民衆は家に戻ってしまう、なぜか? 彼女は自分達西側の学者は最も重要な原因について判断していない、自分たちは中国の民衆が何を思っているのか知らないと言います。中国の民衆が街頭に出るのは西側とは異なる。西側で街頭に出るのは権利のためだが、中国人が街頭に出るのは規則のためだと彼女は言います。

 この言葉は分かりにくいので、一つ例を挙げましょう。中国人はなぜ街頭に出るのでしょう? 中国の民衆は、「十元くれると言ったのに、なぜ五元しかよこさないんだ。約束破りじゃないか。政府が決めた法律じゃ村民は選挙をすることになっていて、土地収用は村民の同意を得ることになっているのに、何で選挙もやらず、俺たちの同意もなしに土地を売るんだ。地方政府は国の法律に違反してるじゃないか」となります。要するに政府が約束を守らないということです。では西側の人が街頭に出るときはなんと言うでしょう。彼らは「俺に十元をくれる根拠は何だ? 人権、自然権だろう。それなら百元よこすべきだ。規則が間違っている」となります。

 中国民衆の今の行動を私は法に基づく抵抗と呼んでいますが、彼らは政府の法律で政府に抵抗しているので、法律自体が間違いだとは言っていません。民衆はほとんど誰も法律が間違っているとは言いません。それを言うのは私たちです。あなた方が北京の陳情村に行ったら、陳情者がたくさんコピーした書類をもっているのを目にするでしょう。彼らはせいぜい地方政府の規則が中央の規則に違反していると言うだけで、誰も中央の規則に挑戦してはいません。ペリーはこれが中国が崩壊しないカギだとみなしています。彼女はもし中国の民衆がみな規則が間違っていると考えだしたら、この政権は危なくなると言っています。ですから、ペリーは共産党は自分の幸福を自覚すべきだ。中国の民衆はあまりにもお人よしだから、政府が規則通りやらないことに不満を感じるだけで、規則通りやれば政府を支持すると言っています。ペリーは2008年の7月に私をハーバード大学に招いてくれ、私たちは1週間議論して、文章を一つ書きました。興味があったら読んでみてください。「中国政治の伝統と発展――于建とエリザベス・ペリーの対話」という題で『南風窓』に掲載されました。昨日の『南方週末』にも「中国政治の活力とジレンマ」という題で、またペリーとの新しい対話を発表し、中国共産党の活力はどこにあるのか、どれぐらい続くのかについて議論しています。

 第三の特徴は、反応性の方が進取性より大きいことです。この観点の要点は、中国の民衆の問題は、彼らに害を加えなければ、彼らは政府に反抗しないということです。例えば、強制取り壊し、民衆は何で自分の家を取り壊すんだ、何で取り壊しておいて補償金を支払わないんだと言います。たとえ取り壊しが自分にとって利点があっても、絶対に何で自分の家を取り壊さないんだとは言いません。このように、政府が民衆に害を加えなければ、民衆は政府に要求を出すようなことはしません。

 第四に、目標の合法性と行為の非合法性の間に曖昧なゾーンが存在します。中国民衆の権利擁護活動は、多くの活動が合法性の曖昧なゾーンで行われています。以上が現在の集団示威事件の80%以上の権利擁護活動の特徴です。

出典:http://www.chinaelections.org/newsinfo.asp?newsid=169507

(転載自由、要出典明記)

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中国政治の活力とジレンマーー于建とエリザベス・ペリーの対話(2)

2010-03-21 17:35:13 | Weblog
裴宜理:然而,无论这些反抗是多么明显和激烈(有时甚至是暴力性质的),他们都最大程度地展示他们对中央政策和领导者的忠诚。他们的偏好和策略是根据中央政府的“合法”边界提出自己的要求。因而,中国的民众在抗争过程中有着一贯的“遵循规则”的倾向。尽管毛时期的“同志”这一“革命”话语已经被“公民”的“权利”话语所取代,但这两个时期的抗争者在心理和同中央政府的关系上好象没有根本性的改变。与其把今天的这些抗争解读为煽动性字眼的“权利意识”,即自发的市民反抗国家以维护自己的自主利益,不如将之解读为成熟的“规则意识”,即承认并巩固而不是破坏国家的权威。“规则意识”意味着采用官方的语言并表明抗争并不质疑和挑战中央政府的合法性。即使在一些极端的案例中,抗争者也为了获得中央政府的认可而表示服从国家权威。在现代中国,政府大力宣传“依法治国”,书店、电视和收音机广播都充斥着政府提供的法律信息,抗争者也一贯地以国家法律和规则来证明其行为的合法性。
在中国,权利往往被理解为是由国家认可的、旨在进国家统一和繁荣的手段,而非由自然赋予的旨在对抗国家干预的保护机制。在此情景下,民众对行使自身权利的诉求很可能是对国家权力的强化而不是挑战。因此,我主张将建构当代中国抗议活动的框架模式称为“规则意识”(rules consciousness)而不是“权利意识”(rights consciousness)。

于建嵘:确实,中国政府在处理群体性事件时显示出了一定的创造和适应能力。但对于今天中国社会获得的稳定而言,从“过程”的角度来看,体现的却是“刚性”。根据我这些年的研究,我最近提出一个新的解释框架:即当前中国社会的稳定是一种“刚性稳定”。这种稳定是以政治权力的排它性和封闭性为基础的政治稳定。其次,“刚性稳定”是以社会绝对安定为管治目标,把一切抗议行为如游行、示威、罢工、罢市、罢运等行为都视为无序和混乱,都要采取一切手段进行压制或打击。再次,“刚性稳定”以国家暴力、控制意识形态和社会组织为手段,具有非程序和非法制性。这种稳定状况有着十分大的政治风险的。

裴宜理:你关于刚性稳定的提法我是同意的。仅凭这一点,那种所谓的“中国模式论”也是不恰当的。在我看来,中国经济的成功具有一定的独特性和偶然性,并不是其它国家能够模仿的,这种夸大中国成功经验的普遍适用性的观点也是有些问题的。
 

中国的未来取决于务实主义的创新
 

于建嵘:中国政治发展的道路的确具有一定的独特性,认识这种独特性对于我们理解中国的过去和未来都是十分有意义的。从目前的情况来看,中国社会要实现长治久安,需要改变执政理念,更需要系统的制度建设。这其中如何充分利用传统的政治资源并使之与现代信息社会的结合就变得非常重要。

裴宜理:我一直认为,无论中国的政治历史还是当代的政治,都有许多非常积极的东西,比如中国注重基层组织建设,关心大众教育、关注大众福利等等,不妨把这些宝贵的政治传统作为未来政治发展的资源之一。但在这过程中也要注意摒弃某些负面的遗产,比如崇尚暴力等等。中国的传统统治模式是一种极富弹性的管理实践模式,即“务实主义”治理模式的历史传统。虽然这种治理技术还是一种新兴事物,但是其运用的基本技巧却并不新鲜,在中国历史传统中一直存在。因此,中国的体制有很强的自我创新和适应能力。

于建嵘:这届中国政府在农民问题的处理上,确实较为务实。从减轻税费、取消农业税开始,就标志着政府已经把“三农”问题的解决提到重要日程上来,“胡温新政”也成为许多中国人津津乐道的话题,“恪重民生、砥砺亲民”是中央政府处理三农问题的重要出发点。现在,农民种粮有补贴,针对农民的各种提留、摊派和不合理收费也被停止了;义务教育得到正式推行,农村的医疗卫生状况也有所改善。目前,政府正试图建立农村的社会保障机制。我觉得,政府政策的这些变化,正是从传统的治理模式中汲取了精华,它经过与现代政府执政理念的结合,逐渐融入制度的运作当中。
但是,我们也要看到,这种务实性的政策,在很大程度上是社会压力的后果。特别是在当前的科技条件下,信息化时代表现出来的特征迫使政府提高管治能力,改进管治技术,不得不重视现代社会信息发展和舆论传媒在社会管治的影响而表现出一定的开放性。或者说,在今天这样的网络时代,互联网技术的广泛应用对靠利用国家暴力、垄断信息、控制组织和压迫言论来达到维护稳定的目标形成了严峻的挑战。

裴宜理:你提到要重视信息技术和舆论传媒的作用,这一点在现代社会尤为重要。我们看到,随着通信技术日益复杂化和大众化,公众对一些问题的争论往往会在大范围内被迅速扩散开来,这也在一定程度上导致中国的治理方式变得更务实和更平民化。如孙志刚事件直接引发了政府进一步完善了对待流民问题的规章制度。重庆钉子户、山西“砖窑”、厦门PX事件等也是如此。这些都表明网上很多信息可以促使国家预见并及时消除群体事件,还可以促使国家修改规章制度(如制定新的环保法)。这些规章制度的修改直接回应了民众所关注的问题,从而提升了共产党领导地位的合法性。政府似乎已经发现了一种强有力的办法,即通过网络改善政治治理。

于建嵘:网络时代所表现出来的特征,使中国的统治表现出了一定的务实性。当然,我们也不能否定中国执政者试图从时代特性中寻找到中国社会统治更深远的逻辑。但是,从世界政治史,特别是国际共产主义运动史方面来认识,任何政治理念和统治方式都有可能被更先进更合理的所取代。这要求执政者有危机意识和创新精神,否则,就没有前途。

裴宜理:实际上与其他共产主义国家比起来,中国共产党的治理时间已经相当长了。从更为长远的角度看,中国帝国体制也是世界历史上持续时间最长的政治体制,它是如何设法生存下去的?在经历了几个世纪的改变中,它是如何应对大量政治和经济方面的挑战的?这些都应该成为我们关心并努力探索答案的问题。
孔孟理想中的“天命”代表了中国传统的统治者合法性的哲学理念,它强调统治的基本前提首先是要满足人民的基本生活,从民生出发。 同时,这也是一个十分务实的政治哲学,正如俗话所说 “成者为王败者寇”。在传统中国国家的治理中,不少具体制度是为了调节国家与社会机构间的利益而设的,这些制度非常务实并不断更新以便更好适应新的需求。如帝国制度中的各种临时赈灾措施、防范官僚腐败的措施、各种直接进谏皇帝的纳言渠道、科举考试制度以及为监管和征税而设的保甲和里甲体系等。这些制度进了精英与大众间的各种纽带,在各个时代都发挥着积极作用。

于建嵘:也就是说,从务实的角度来讲,在我看来,中国要有效地防范社会大动荡,需要进行一系列的社会改革,以使“刚性稳定”转变成“韧性稳定”,其中最重要的就是建立公平公正的社会分配体制,改变目前的行政压力体制,建立县级政治分权,并通过司法改革,树立国家的法制权威。目标是使中国县政建立在行政分权和政治分权基础上的民主自治,以此来解决威权政治的缺陷,使政治体制加韧性。

裴宜理:孔夫子说过,“六十而耳顺”;这用来形容新中国60年的国家体制也十分合适。中国国家体制的健康与否,在很大程度上依赖共产党治理的创新与适应能力,这与它是否持务实主义的态度密切相关。后冷战时代,实事求是的民本主义 处理方式替代了冷战时期尖锐的意识形态斗争,用邓小平话说,就是:“猫、白猫,能抓老鼠就是好猫。”重要的是,中国政府曾经认识到从实际出发的民本主义可以促进政治再生与强政治活力。我也一直认为,中国的社会发展更需要有稳定的政治环境,而社会要和谐稳定,就得关注大众参与和民众的利益表达。

(刊《南方周末》2009年12月24日,原题为《韧性稳定:防范社会动荡》

出典:http://blog.legaldaily.com.cn/blog/html/08/2443308-4434.html

 

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中国政治の活力とジレンマーー于建とエリザベス・ペリーの対話(1)

2010-03-21 17:33:59 | Weblog

中国政治的活力与困境:于建嵘对话裴宜理
 

《南方周末》编者按:2009年11月8日,世界著名的政治学家、哈佛燕京学社社长、哈佛大学政府系亨利.罗佐夫斯基讲座教授裴宜理到北京东郊宋庄东书房访问了中国社会科学院于建嵘教授,双方就如何认识中国政治体制和社会稳定问题进行了深入的讨论。现摘要发表如下,供读者参考。
 

                      “中国终结论”不符合事实
于建嵘:近一个时期以来,特别是自全球性的金融危机以来,有关中国经济体制和政治体制的评价出现了两种完全不同的意见。一种意见认为,从中国处理金融危机来看,中国政府具有强大的治理能力,这种能力和成效表明,一个具有普世意义的中国模式是存在的。另一种观点则认为,中国社会表面是强大的,但因存在制度性的缺陷,必然会产生十分严重的社会问题,而这些问题的积累,会使中国处于十分紧张的状况并有可能产生体制性的崩溃。
这两种观点,实际上是有关中国政治体制的活力与困境的问题。作为一位政治学家,你如何看待这个问题?

裴宜理:关于中国的政治体制是否具有活力的问题,一直存在着很大的争议。你所说的两种意见恰好反映了这两种观点的冲突。有观点认为中国政治体制具有很大弹性,是一种高效管理,也有观点认为这只不过是外资支撑下产生的幻觉。这里,我只想强调一点,即中国这个国家的体制远比某些人想象得更具活力。
为了能有一个更直观的印象,我们不妨简要回顾一下新中国成立以来出现的一些“中国终结论”。从30多年前毛主席去世,到新中国诞辰40周年期间,各种悲观论调愈演愈烈,甚至断言共产主义体系的终结指日可待。东欧巨变和苏联解体把国际社会主义运动推向最低谷,虽然中国没有受很大影响,但是“中国终结论”并没有因此而消失。1995年,社会学学者戈斯通(Jack Goldstone)在《外交政策》杂志上发表了题为“中国崩溃即将到来”的文章,此文后来被广泛引用和转载。作者在文章开篇提出了一个问题:“邓小平去世后,中国能否避免重蹈苏联覆辙?”对此他的回答是:“从各个方面看,中国都在走向重重危机……邓的去世可能会触发群体事件、党内权力斗争、某些省份联合……导致地方更大的自治权,……中国共产主义很可能会崩溃……未来10至15年间必将出现终结性危机。”
然而,事实证明,邓的去世并没有如戈斯通预言的那样造成终结性危机。可是这没有阻止或减弱类似的声音。此后还陆续出版了很多持类似论调的著作,如《中国即将崩溃》(The Coming Collapse of China)、《中国转型的陷阱》(China’s Trapped Transition)、《中国:脆弱的超级大国》(China: Fragile Superpower)、《中国的民主前景》(China’s Democratic Future)等等。

于建嵘:这些论述的基本观点较为一致。大都认为中国过于强大的国家权力压制了社会自发生长的空间,导致社会无法产生一种机制来弥补国家治理的缺失,因而当国家对社会的治理产生漏洞时,社会就会呈现出一种失序状态。
中国现在的确发生了一些社会冲突事件,其中因利益冲突引发的维权活动和因社会心理失衡发生的社会泄愤事件对社会秩序产生了一定的影响,但总体而言,这些事件并不能从根本上动摇中国政治的统一性和社会管制的有效性。在目前,群体性事件主要是民众表达利益诉求或情绪的一种方式,不是针对政权的政治性活动,虽然会对社会治理结构带来一定的影响,但不会带来政治结构的重大变化,不会影响到中国政治统治的完整性,也不会从根本上影响政府管治的有效性。但最近一段时期以来,中国出现了一些不同于一般群体性事件性质的社会骚乱事件,其中很多发生在边疆地区的少数民族地带。您觉得这些事件会不会对中国未来的局势造成重大影响?

裴宜理:回顾中国几十年发展历程,在领导人更替后的10年间社会局势总会出现一定范围的动荡,如1976年毛泽东去世13年后,即1989年发生了[过滤词],1997年邓小平去世11年后,即2008年西藏“3·14”事件,今年7月又发生了新疆的骚乱。但是,这些事件最终都得以平息,这反映了中国共产主义政体在处理一次次事件的过程中,自身也在不断得到完善,已经掌握了灵活的治理技术,特别是从悠久的革命传统中继承了创造性精神,能够针对变化的环境采用灵活的政策。中国共产党在处理其它突发性危机时也表现出相当的管理能力,如2003年的SARS和2008年的四川地震。如果中国过去的治理方式是僵化和一成不变的话,那么这些挑战中的任何一个都已足以将之打垮。

于建嵘:从这个意义上来讲,可以说,当前中国社会总体上是稳定的。在今后相当长的一段时间内,中国群体性事件仍然会以有限范围的孤立事件形式而存在,很难形成一个统一的、维持很长时间、能影响全局的社会运动。只要执政者治理得当,中国完全可以避免有可能发生的社会动荡。
 

                     关于“中国模式论”
 

裴宜理:这里我们需要关注的问题是:在过去几十年间,中国共产党最高层领导人的更新换代给其体制带来了一些不稳定因素,共产党政权是如何处理这些不稳定因素,确保其政治制度的延续的?它又是如何保持世界历史上从未有过的持续和快速的经济发展的?
解释制度的持久性很复杂。但我相信,这主要归功于中国政府强有力的治理能力,它能够巧妙地转化这些社会挑战,使之成为权力再生资源。在诸多挑战中,最引人注目的是民众的群体事件。大量群体事件往往被解读为共产主义制度脆弱性的表现。事实上,较为成功地处理了这些事件,其本身就证明了共产主义中国对问题的拿捏恰到好处,甚至还能化险为夷。在题为“规范化的骚乱”一文中,作者Peter Lorentzen指出,中国的中央领导人用战略性的大胸怀,容忍了一些程度非常严重的群体事件,甚至借此从草根阶层获取更多信息,来打击腐败。尽管我本人并不相信中国领导人在事实上鼓励民众抗议活动,我的确相信:如果中央政府对抗议者的要求给以同情和敏锐的回应的话,中国的政治系统将在这种互动中得到加强。在一个民主的政治系统里,选举是表达民众不满和替换不受欢迎官员的主要手段。而在一个非民主的政治体系里,抗议有时可以实现这个目的——如果领导人对抗议者的要求能够做到有智慧地回应。

于建嵘:我不同意“中国执政者是否容忍一些非常严重的群体性事件存在”这种观点。事实上,中国的执政者对任何群体性事件都有着高度的警和防范的。只是某些事件防不胜防。比如近年来发生的一些“社会泄愤事件”。 这些事件主要是因偶然事件引起的,一般都没有个人上访、行政诉讼等过程,突发性极强,从意外事件升级到一定规模的冲突过程非常短。更需要指出的是,中国公民自身的权利意识不断长,政府用来维护稳定的这些手段同时也在酝酿潜在的反抗势力。

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中国政治の伝統と発展――于建とエリザベス・ペリーの対話(2)

2010-03-21 17:25:37 | Weblog

于建嵘:是的,中国近代以来的社会运动的确有着十分复杂性。但在我看来,中国传统的许多东西还是在制约着中国的社会运动的领导人,使社会运动表现出一些共性的东西。孙中山亲自起草的《中华革命党誓言》就称,“为救中华危亡,拯救民生困苦,愿牺牲一己之生命自由权利,附从孙先生再举革命:务达民权民生两主义,并创制五权宪法,使政治修明,民生乐利;措国基于巩固,维世界之和平”,而且要求“如有二心,甘受极刑”之说。这有如埃里克·霍弗所说,群众运动虽然往往是打着自由的旗号对抗高压秩序的,但它们全速启动以后,却不会让个人自由有实现的余地。这是因为,当一个群众运动在与既有秩序作生死斗争,或是抵抗内外敌人以求自存时,它的首要之条是建立团结性和自我牺牲精神,而这两样东西需要个人放弃其意志、判断与利益。我认为,中国的共产主义运动作为一种暴力革命,它在白色恐怖时期只能用红色恐怖来作为它的方法。而且,其在历史过程中产生的领导人,也因军事上的胜利而获得了英雄般的称赞。在这两者的基础上产生的政权只能是威权体制。这实际上也是革命时代留给当代中国最重要的政治遗产。

裴宜理:这个问题应是十分复杂的。在中国近现代史上的社会运动对当代中国社会和政治有着不同的影响。有些是积极的,有的则有着非常负面的影响。而且同样的社会运动,在不同的时间,所表现出的传统也不是一样的。就好象我现在研究的安源工人运动一样,这个运动是共产主义运动。领导这个运动的毛泽东、李立三和刘少奇这些早期的共产主义者,在1925年9月前,他们非常注重大众教育、建立工会及消费者的合作社等,这些传统对中国政治发展有非常积极的影响。但在这一运动的晚些时期,同样是这些领导人,他们却改变这些做法,也改变了整个运动的意涵。比如,湖南的农民运动实际上主要是由安源工人领导的。这时的毛泽东就非常赞同农民运动的类似红色恐怖的“革命行为”,运动变得非常暴力。这说明,一个社会运动,随着时间推移、在变化了的外部条件影响下,有可能发生大的变化。正是在这样众多因素的复杂作用下,一个本来以注重大众教育、改善个人生存状况和建立基层社会组织的社会运动,变成了军事上的暴力运动。这时的运动,就开始宣传自我牺牲和对组织的忠诚。这种变化是我们应注意的。目前,对中国而言最大的挑战就是如何继承中国革命传统那些积极性的方面,而克服那些负面的东西。

规则意识和权利意识

于建嵘:是不是可以这样说,中国的政治是在长期的历史过程中形成的,不但有制度方面的还有政治文化方面的。对于历史学家而言,一切发展都是不能割裂传统的。中国政治发展也一定会受到政治传统的多种制约。这其中就有政治文化方面的。我注意到了你最近完成的一项研究,是有关中国式的“权利”观念的。你指出,两千多年来,中国政治思想、政策和抗议运动都把获得社会经济保障置于中心位置。结果是,在中国式的政治话语中,“权利”的意义与英美传统迥然相异。置于历史大背景中观察,中国当代的“权利”抗议活动所具有的政治威胁性似乎是相对微弱的。中国的政治体(polity)本身也显然并不像通常认为的那样空洞和虚弱。

裴宜理:是的。近年来,美国报刊杂志时常充斥着对中国林林总总的群众抗议活动的生动报道。这其中有在以农业收入为主的农村地区由受损害的农民发起的抗税暴动,有在重工业和制造工业地区由不满的工人发起的罢工活动,亦有愤怒的退休人员因为退休金低于预期水平而进行的请愿,还有村民因对集体土地被非法出售感到愤慨而进行的抵制,不一而足。从近期出版的许多关于此课题的著作中,我们可以读到一种深受英美人权语言影响的标准论调。一方面,很多新闻工作者(亦有不少学者)把当代中国的抗议活动描述成在这个国家无处不在的所谓“道义真空”的外在表象之一。这些学者和新闻工作者告诉我们,由于这个所谓的道义和精神的真空,数以百万计的中国人已开始寻求其他形式的慰藉(比如基督教的地下教会等等)——他们的人权本来就受保护不足;而参加这些非法宗教活动往往又导致国家对其权利的进一步损害。另一方面,许多学者 (以及另外一些新闻工作者) 从毛泽东之后中国群众抗议活动的兴盛之中发现了“权利意识”的萌芽。他们认为,这种对权利意识的觉醒标志着所谓自下而上的对公民权的诉求以及国家—社会关系的根本性突破。基于这些美国分析家的判断,中国抗议群众的“权利话语”乃代表着一种饱含力量的新社会现象——而这力量势必对共产主义国家政权的存在构成潜在的严重挑战。

于建嵘:就有西方学者认为,目前中国处于社会转型期,这么多的群体性事件发生,也许是中国再一次发生革命的前奏。

裴宜理:可我要指出的是,这种认识是有害的。这样的论调,在我看来过分估计了这些抗议活动的创新性以及它们所能够构成的政治威胁程度。根据我的研究,中国无论从古代还是现代都有层出不穷的民众抗议活动。但是这些抗议有一个传统就是都在遵守规则。抗议者非常关注国家放出来的信号。他们尽力按照国家的规则来进行,无论是正式的还是非正式的,他们都很注意。所以当规则发生变化的时候,他们的语言也发生变化。在文革中,有些造反行为虽然不是阶级斗争,但他们还是阶级斗争的名义进行,现在许多老百姓在抗议时提出“公民权”的口号,这实际上与是官方的用语保持一致的。这一点与西方观察家所用的“权利”一词的含义并不一样。在英美传统里,权利是指自然权利,是由上帝赋予的而不是国家赋予的。在中国盛行的以“权利”语言构建起来的道义经济式的抗议,往往要求撤换不受欢迎的低级官员(偶尔成功)。但这些抗议者极少质疑中国共产党或者它的意识形态的统治权威。就这个方面而言,当代的抗议者与封建时代的造反者有不少相似之处。在中国,权利往往被理解为是由国家认可的、旨在进国家统一和繁荣的手段,而非由自然赋予的旨在对抗国家干预的保护机制。在此情景下,民众对行使自身权利的诉求很可能是对国家权力的强化而不是挑战。因此,我主张将建构当代中国抗议活动的框架模式称为“规则意识”(rule consciousness)而不是“权利意识”(rights consciousness)。

于建嵘:对你这种分析我是同意的。我曾就用“以法抗争”和“以理维权”这两个分析框架来理解中国当代的农民和工人运动。在我看来,目前的中国工人和农民所进行的维权活动,实际还是在国家的法律或意识形态的框架内进行的。当然,我们要注意这些活动所具有的对国家政治合法性的消解能力。最近一个时期中国发生的多起“社会泄愤事件”就说明了这一点。许多非直接利益相关者参与到群体性事件中,而无视国家的治安规则进行打、砸、抢、烧活动,就是在社会不满大量存在的情况下,国家管治方面出现了一定的问题。

经济发展与政治转型

于建嵘:今年是邓小平先生倡导的中国改革开放30年,这30年是中国经济高速发展时期。这种经济发展,与当前中国的政治动员体制密切相关,因为目前中国这种威权主义体制具有巨大的动员能力。然后,也有学者认为,随着市场经济体制的建立,中国的政治体制也应有相应的改革。你是如何看待这个问题的?

裴宜理:首先我要指出的是,要预测政治的未来,是一个非常困难的工作。因为活生生的人总是做一些不可预测的事情,因此让预测变得不可能。我也不相信所谓经济的发展,必然会带来某个方向的政治变化这样的说法。中国是一个非常特殊的国家:它是一个很大国家,它比许多国家都要大。在人口方面与它相似的只有印度,但中国与印度有非常不一样的政治传统;在文化上与中国很相似的国家和地区,只有新加坡和台湾。但它们之间的政治也是不同的。我相信中国的政治会有发展,但我们很难预测向哪个方向发展。我不相信历史决定论。

于建嵘:历史决定论的确过于机械和教条。但经济与政治体制之间的某种对应关系也许是存在的。当然,我也不同意目前流行的“经济的自由化就一定会发展出政治民主”这样的观点。我们观察中国未来的政治发展应有多维视角。我们要重视历史传统的影响,也要重视偶然事件的作用,也不能忘记人们追求政治时的经济目的。

裴宜理:当然。但我要特别指出的,无论经济因素或历史传统对中国政治的现实和未来发挥如何样的作用,都不是自动产生的。历史传统要对现实产生影响,就要受到很多因素的制约,这其中的关键之一就是我们如何看待历史、如何解释传统。政治传统是一个非常复杂、多层面的东西。所以我们要用十分小心的态度来看待中国的革命传统,尤其要科学、正确地吸收弘扬中国政治传统中最优秀的部分。我一直认为,无论中国的政治历史还是当代的政治,都有许多非常积极的东西,如我前面所提到注重基层组织建设,关心大众教育、关注大众福利等等,不妨把这些宝贵的政治传统作为未来政治发展的资源之一。但在这过程中也要注意摒弃某些负面的遗产,比如崇尚暴力等等。我总认为,中国的社会发展更需要有稳定的政治环境,而社会要和谐稳定,就得关注大众参与和民众的利益表达。

(原刊《南风窗》2008年9月24日第20期,有册节)

出典:http://blog.legaldaily.com.cn/blog/html/08/2443308-4084.html

 

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中国政治の伝統と発展――于建とエリザベス・ペリーの対話(1)

2010-03-21 17:24:04 | Weblog

中国的政治传统与发展——于建嵘对话裴宜理


  核心观点

 

      l 在中国,权利往往被理解为是由国家认可的、旨在进国家统一和繁荣的手段,而非由自然赋予的旨在对抗国家干预的保护机制。在此情景下,民众对行使自身权利的诉求很可能是对国家权力的强化而不是挑战。在这种意义上,当代中国抗议活动的框架模式称为“规则意识”而不是“权利意识”。

 

编者按:2008年7月,中国社会科学院于建嵘教授应哈佛燕京学社社长、哈佛大学亨利·罗佐夫斯基政治学讲席教授、美国文理科学院院士、亚洲学会(Association for Asian Studies)前主席裴宜理博士(Elizabeth J. Perry)的邀请访问美国。双方就中国近现代以来的农民起义、共产主义革命所形成的政治传统、以及当前中国的政治文化与发展等相关问题进行了深入的探讨。裴宜理教授的学生、哈佛大学政府系博士研究生阎小骏担任现场翻译。现将对话整理摘编如下,供读者参考。

 

农民起义与共产主义革命

于建嵘:我们知道你是西方学界研究中国社会与政治的代表人物。你的博士论文《华北的叛乱者与革命者》就是研究19世纪和20世纪淮北地区的基层反抗运动的,随后你又写了一系列有关工人运动及中国共产主义革命的著作。如果从历史的发展来看,你认为,中国历史上传统的农民运动与共产主义革命之间的联系及其区别是如何样的呢?

裴宜理:我1980年出版的博士论文是以淮北地区的捻军、红枪会和共产主义革命为研究对象的。在把这些既孤立又有联系的运动进行比较后,我发现这它们之间有一个很大的不同之处。从陈胜吴广的农民起义到元末的红巾军起义,再到明清两代连绵不断的社会动乱, 淮北地区一直被认为是中国最具叛逆性的地区之一。我的研究提出,我们可以把这些地方性的农民起义解释为在特定的自然环境下,农民为了生活和生存而开展竞争活动。我把这个地区的农民反抗归纳为两种生存策略的体现,其一可以称为“掠夺性策略”(predatory strategy),就是以本地区其他人为代价、非法攫取资源,从偷窃、走私、绑架到有组织的仇杀;其二就是“防御性策略”(protective strategy),也就是面对强盗式抢劫而采取保护个人财产的行为。在这些生存策略基础上形成的农民起义,虽然也会发展出政治性的诉求,但他们的目的主要是为了生存。而共产主义运动,以新四军为例,它则是完全不同的一种社会运动。共产主义运动是以政治意识形态为基础的,它是一种政治斗争,而不仅仅是为了生存权的斗争。我在研究中就发现了一个现象,新四军最初来到淮北,遇到了在集体反抗方面富有传统的淮北农民;但当他们去发动农民参与共产主义革命的时候,就发现他们所主张的共产主义的理念和当地的农民的反抗传统实际是有鲜明差别的,某些地方甚至是冲突的。他们花费了很大的精力才与淮北的农民建立关系。可见共产主义运动和淮北地区历史上的农民运动之间是存在相当大的不同之处的。

于建嵘:正如你所指出的那样,社会结构对集体暴力的模式会产生重要而复杂的影响。但是,如果要真正理解这种影响发生的方式和程度,则需要更为深入的考察,其中应注意到社会文化的作用和意义,更应关注政治集团的动员和组织。以20世纪初大革命时期的湖南农民运动为例,总的来说,其一,这场农民运动,就是在体制内权力资源大量丧失,国家权威受到冲击并被政党权威所取代的情况下,作为军阀政权体制对立面的共产党及国民党组织所发动的农村社会革命。这场农民运动并不是一场乡村社会自发的冲突,而是由现代政党直接发动和控制的社会革命。其二,这个时期发展起来的农民协会,是一批共产党人利用乡村社会之外的意识形态力量借用工业化的组织方式而建立的新的农村基层政权组织。这种以暴力和意识形态力量组织起来的农民革命组织,彻底改变了传统乡村社会所存在的皇权(政权)、族权和绅权的平衡结构,在政权和族权受到冲击和否定的同时,地方权威让位于外来政治势力,形成了以共产党组织和革命军为依托的新的权力结构。其三,这种新的权力结构和组织形式,虽然利用阶级权力文化取代了宗族权力文化,通过阶级的区分将政权和族权彻底否定,共产党人也占据了农村社区的领导权,但是,由于当时共产党对农民运动的认识不足,并没有触及封建土地所有制这一传统乡村社会政治结构的基础,在农村小农经济体制基础上,按“一切权力归农会”这一政治动员性口号建立起来的高度集权的农会组织,就必然存在着基础性的障碍。因为,在封建地主土地所有制没有改变的时候,控制土地的地主在事实上仍然拥有了乡村社会的经济权力。尽管农会已在许多方面力求限制这种经济权力,但是,所有权的意义并不因这些限制而消失。当小农生产者还需要依靠土地进行生产和生活时,乡村社会的权力种类和来源并不能简单地归结为一种体制性的权力,不然乡村社会就会在失序和失控中走向进一步的混乱。这正是决定大革命时期农民运动最终失败的最为根本的原因。

裴宜理:我的第一本书比较的是不同的农民运动,而第二本书《上海罢工》研究的则是同一运动中不同参与者之间的差别。在这本书中,我研究的是工人内部,比如熟练工人、半熟练工人与不熟练工人等对工人运动的不同态度。我发现,虽然共产党说要发动最贫苦的产业无产阶级,但实际却是上海的熟练工人与共产主义运动有着天然紧密的联系。这个原因何在呢?我的研究发现,上海的熟练工人与共产主义运动的组织者们往往来自同一个地区,他们也通常与共产主义组织者来看有更多相同的地方:他们的受教育背景相似、文化程度相若、思想观念接近,对政治意识形态、工人组织的看法也很一致。结果,共产主义者们宣称他们发动的是产业无产阶级,可实际上他们最能发动的是无产阶级中那些在经济上和教育上最占优势的熟练工人。再比如,在我的第三本书——与上海总工会的李逊女士合著的《无产阶级权力》——中,我主要研究了上海的不同工人派别在文革的表现。当时上海主要工人组织有三个,工总司也就是造反派,赤卫队也就是保守派,另外还有一派叫做经济主义风。我发现这三部分工人运动是有很大的差别的,特别是他们的斗争目标是不一样的。工总司的造反派主要目标是为了推翻掌权者,保守派的赤卫队是为了维护当时的掌权者,经济主义风这一派的主要是为了改变他们自身的经济状况。那么前两者他们是有政治目标的。第三派“经济主义风”则是真正的无产阶级,他们主要是一些合同制工、临时工等等;他们的主要目标是为了改善自己的经济处境。也就是说,在我研究中国的社会运动特别是共产主义运动时中,我特别注意的是参加者之间的重大区别,我发现了中间有很大的区别,或者更加明确地说,凡是大型的社会运动,都包括了很多部分,而且这些部分之间有着巨大的区别。有些部分与共产主义运动有着很密切的关系,在1949年后,这种关系主要表现为与共产主义体制之间的联系。有的则不一样,他们只是要求改变其自身的经济状况,与政治上没有多少关系。其他的部分有的甚至是反对共产主义运动。总之,中国的社会运动是十分复杂的社会现象,在把握总体目标和性质的同时,还需要对运动中的不同参与者有更为细致的研究。

社会运动中的群体和个体

于建嵘:美国社会学家埃里克·霍弗的《狂热分子(The True Believer)》一书在中国很流行。他在这本书中说,无论是农民运动还是工人运动,都是社会运动。如果从群体心理来说,所有的社会运动都要强调团结和牺牲个人利益。如果按照这种理论,在中国的社会运动中,由于群众心理的存在,参加的人会失去自己,形成集体心理。这种集体心理在很大程度上使运动的参加者具有高度的同质性。你怎么看?

裴宜理:首先要说明的是,我完全不同意这种说法。在我看来,所谓所有的社会运动都会让参加者失去自我认同的说法是错误的。社会运动中的群体心理这种理论在美国上世纪五十到六十年代很流行。就象你刚才说到的霍弗所说的那样,大型社会运动都会形成相似的大众心理。但从上世纪六十年代开始,美国的社会学家更注意到各种不同社会运动之间的差异。这是因为这些学者大都是这个时期社会运动的参与者——包括民权运动、妇女解放运动、环境保护运动及以同性恋权利运动等——所以他们更能体会到不同群众运动之间的差异。在我看来,首先分析社会运动的目的非常重要,我们需要研究不同目的的社会运动——工人运动、农民运动和各种文化运动——社会运动的目的是一个有决定性的变量。第二个因素是谁是领导人,谁在主导着社会运动也是十分重要的。有些领导人要求对他个人的绝对服从,一些宗教运动或政治运动也是这样的,当然不是所有的宗教运动和政治运动都这样。社会运动的参与者成分也是很重要的。不同的领袖人物、不同的人员组成、不同的目标都会对社会运动起到决定性的影响。社会运动有着十分的复杂性,这是不能用一个运动中的大众心理就可以解释的。 

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秦暉:戸籍問題の本質は人権問題

2010-03-19 22:49:29 | 中国異論派選訳
秦暉:戸籍問題の本質は人権問題


貧しい外地の農民が都市に「流れ込む」と、最初は農民の身分によって差別され、後には外地人の身分によって差別され、そして現在は貧民の身分によって差別されている。よって戸籍問題は人権、公民権の視点から全面的に再考し、農民を国民として処遇しなければならない。

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全国人民代表大会と政治協商会議の開会直前に、全国11省市の13の新聞が「共同社説」を発表し、「人民に賦与された手中の権力を行使し、関係当局に1958年公布の『戸籍登録条例』を廃止し、戸籍制度改革を推進するよう促す」と呼びかけた。中国においては、このように民間世論を「共同社説」の方法で発表するということはこれまでになかったことである〔ただし、中国において合法的に発行される新聞は全て共産党および関連団体の機関紙だから、共同社説が出るということは政権内の戸籍改革推進派の動きと思われる〕。それは、一方で中国の改革〔1978年の政策転換をさす〕以降の言論開放面での進歩の反映であり、もう一方で現行「戸籍制度の害悪」が人々が耐えられないほど大きくなっていることの反映でもある。

だが、周知のようにいわゆる「戸籍制度」は「流動人口管理」だけの簡単なものではない。それは実際には政治権力が市民的権利を侵奪することにより一連の問題を生んでいる。移転の自由・財産権などはひとまず置いて、まず「生存権」を例にとってみよう。当局は生存権が一番重要な権利で、そのためなら他の多くの権利を犠牲にしてもいいとみなしているし、批判者たちはそのような人権観はあまりにも低俗であり、「ブタの権利」だとみなしている。確かに、生存権は権利の一つとして確かに非常に重要だし、中国で生存権に問題がないわけでもない。まず「生存権」は生存することと同じではないことを知るべきだ。例えばブタは生存しているが、ブタに「生存権」があるとは言えない。なぜならブタは飼育者の意思によって「生存」させられているにすぎず、もし飼育者が屠殺したいと思えばブタは生存できないからだ。ゆえに、生存権を「ブタの権利」と貶めることはできない。以前の専制時代においても、臣民は生存しており、ある者(寵臣、寵妃、寵奴の類)の生活は非常に豊かだが、それで彼らが「生存権」を有しているとは言えない。なぜなら彼らの生存は自らの権利ではなく、主人の好き嫌いに基づいており、「君主が死ねと言えば、死なざるを得ない」からだ。

では我々の「外来者」はどのように「生存している」のだろう? 強制収容の時代〔2003年に「収容遣送弁法」が廃止される前〕には、街角で出稼ぎ労働者は好き勝手に「三証」〔暫定居住許可証、計画出産証明、就業許可証。これが全部そろっていないと「三無者」〕の有無を調べられ、証明書をもっていなければ拘束されるのがごく普通の情景だった。そのために蘇萍、程樹良、黃秋香、張正海、樸永根……などなどが犠牲となる次から次へと悲惨な事件が起きた。「604号列車から逃げるために飛び降りて死亡した女性出稼ぎ労働者」や宝安区で囚人列車から「餃子を投げ入れるように投げ落とされて」死傷した「外地人」など名も知れぬ犠牲者が出続けた。「収容」の網をかける範囲はどんどん広くなり、物乞い・売春婦から「三無者」〔三つの証明書のうちどれかが欠けている人〕へ、出稼ぎ労働者から大学生へ、「盲流」〔国家計画外で移動する人〕から「不法陳情者」へ、そしてついに2003年大学卒業生で正式な仕事もあった孫志剛までが「収容」禍で殺されてしまった。これが大衆の怒りを買い、民意が天に伝わった。この事件がきっかけで「収容悪法」〔実際は法律ではなく政令〕が廃止されたことは、疑いもなく中国の人権面での進歩であった。

しかし、廃止してから何年も経つのに、人々は今でもときどき「貧乏な外地人」が街で権力の暴力にさらされる事件を耳にする。とりわけ行政の研修教材『城管執法操作実務』に、都市管理局取締員が行商人は無慈悲に取り締まるべきで、「簡単に赦免してはならず」、「徹底的に」「全ての力を使って」なおかつ「顔からは出血させず、体に傷をつけず、目撃者がないように」やらなければならないと書いてあるのがネットワーク上で暴露されると、世論は騒然となった。以前の暴力的収容は身分証明書類の検査を名目に行われた。改革前は「戸籍検査」(その当時は「暫定居住許可証」さえなく、農民が街に出てくるにはそのたびに政府の「証明書」を発行してもらわないと、「盲流」として逮捕される危険があった)。改革後は都市に戸籍のない人も証明書を得れば「出稼ぎ」できるようになり、「三証検査」になった。「戸籍検査」も「三証検査」も戸籍に直接関係している。だが今の「都市管理局取締員」と「違法建築撤去」は「都市景観」維持を名目にし、「無許可露店営業」とスラム(当局は「違法建築」という)を対象としているので、「戸籍」とは直接の関係はないと言える。だがだれもが知っているように、被害者は同じ人たちだ。これはすなわち、貧しい外地農民が都市に「流入」(当局は彼らを移民とは認めない)すると、最初彼らは農民身分(「農村戸籍」)で差別され、後には外地人(「暫定居住」者)の身分で差別され、そして現在は貧民の身分(高尚な職業ではない「無許可露店営業」もしくは高尚な住宅でないスラム住民)として差別されている。

取壊しの進歩と借家人の権利

この三段階の変化にこの間のある種の進歩が体現されていないとは言えない。彼らは改革前はほとんど都市に行くことはできなかった。その後「暫定居住」して出稼ぎすることができるようになったが、「証明書」を常時携帯しなければならなくなった。そうしなければ面倒なことになる(証明書を持っていても面倒が避けられるとは限らないが)。今はもしうまくして高尚な職業と住宅を手に入れれば、「証明書検査」で暴力をふるわれる機会は少ない。だが、もし困窮していれば「都市景観」にふさわしくないとして都市から拒絶される。しかし困窮していることは罪なのだろうか? 誰も困窮したいとは思わない。もし故郷で十分豊かになれるなら、彼らは都市に頼ることはない。だがそれができないのに、我々の都市はなぜ貧しい人を拒絶するのだろう?

現代都市はもちろん計画と管理が必要である。「違法建築」は使ってはならない概念ではない。だがそれは人権尊重の前提の下でなければならない。筆者はそれには3つの条件があると考える。まず「法」は一方利害関係者(たとえば自分たちの職員だけに豪華な住宅を提供しようとする政府)が発する「命令」のように、建物を撤去し人を追い出し、さらには火を放ったり拘束したりという基本的人権を侵害する「法」であってはならず、きちんと立法したものでなければならない。しかも立法過程には全ての利害関係者が参加しなければならず、代議制であれ公聴会であれ、「流動人口〔移民〕」の参加がなければならない。次に、この「法」は常識に沿ったものでなければならない。少なくとも、もしその「法」に反したら「暫定居住者」はどこに住めるのかという質問に、立「法」者は答えなければならない。最後に、その「法」は厳粛性がなければならず、朝令暮改して以前に立ち戻ってはならない。苦力〔クーリー〕がほしいときは掘立小屋を建てさせて「定住」させ、使い終わったら小屋を「違法」扱いして追い出したり、土地利用計画がないときは放置しておいて、土地を使って金儲けをしたくなったら「違法」扱いして追い出したりということがあってはならない。

指摘しておかなければならないのは、これは単なる財産権の問題ではないということである。中国の強制的「収用・撤去」問題はまだ完全には解決していないが、大衆の不満の圧力によって多少は改善してきた。まだ市場取引にはなっていないが、多くの資金潤沢で地価が高額な大都市の近年の「移転補償」基準は大幅に上がっている。地元戸籍「農民」が家主のいわゆる「城中村」〔都市計画の過程で市街化に取り残され市街地に囲まれて残った村〕は、「城中村改造は村民が満足するものでなければならない」という方針の下で多くの「収用成金」の「村民」を生んでいる。今日のこの種の「改造」に存在する主な問題はすでに「村民」の権益が侵害されるという問題ではない(この種の問題はまだ完全には解決されていないし、とりわけ資金力の弱い「二線都市」ではまだこの種の問題が目立つとはいえ)。だが、周知のように今の「城中村」はほとんど外来出稼ぎ労働者の集住する劣悪な借家地区であり、地元戸籍の家主はふつうそこには住んでいない。これは実際は中国式の「スラム」である。そこに住む「外来」の貧しい借家人の人数は家主である「村民」の数倍から数十倍に上る。彼らこそ「城中村改造」の最も重要で最も膨大な利害関係集団である。だが「移転補償」は彼らに全く関係ない。彼らは以前同様、無条件で駆逐されている。さらにしばしば「城中村改造」の第一歩は「身分証明検査」に名を借りて借家人を追い出すことから始まる。それによって貸家の「家賃収入」機能を失わせ、家主の補償額を値切るのだ。

深圳で数年前「関外」〔特区エリアの外〕で大規模にスラムを撤去し、その結果「流動人口」百万人が追い出されたと言われている。中国は「外来者」が「空き地」に自分で小屋を建てることを禁じているが、これら郊外の小屋は実際は戸籍のある住民が建てて出稼ぎ労働者に賃貸しているものだ(場合によっては土地だけを貸し、借家人に自分で小屋を建てさせることもあるが)。当時深圳当局はこれを「違法賃貸」だから城中村のような補償はせず、無償撤去を行うと言って、多くの批判を招いた。だが、補償するかどうかは戸籍住民についてだけのことで、貧しい借家人にとっては「城中村」から追い出されるにしても「関外」の小屋から追い出されるにしても、全く補償はない。だが、彼らが城中村から「関外」へ、さらにもっと辺鄙なところに追いやられるたびに、生活の質は著しく低下し、大きな打撃を受ける。しかも、今日強制収用をめぐる不正に対する批判の声が大きくなっていると言っても、基本的に地元戸籍の家主の権益侵害批判に留まっている。一番ひどい被害を受けるのは、追い出される貧しい借家人――外来の出稼ぎ労働者だが、誰も彼らの声を代弁しない。ある人はこれを悲しんで「百万人の失語」と言っている!

都市農村統一計画の落し穴

中国では今日多くの都市が、都市整備は農民の利益をも考慮しなければならないと言っている。とりわけ「都市農村統一計画」モデル事業の指定を受けたいくつかの都市は「改革の先端」として、多くの地元「農民」に恩恵をもたらす措置が打ち出されている。その中の一部の措置(中でも重要なのは移転補償と再定住基準)は高く評価できる。だがすべてのこれら「都市農村統一計画」は実は地元戸籍の「農民」身分と非「農民」身分の格差縮小策に過ぎない。それはもちろん当然だ。だが、中国の「流動労働者」制度がかくも発達した今日においては、主に「外来出稼ぎ者」の血と汗によって都市の地元の「農民」にも利益を分配するのは決して難しいことではない。出稼ぎ労働者の数が戸籍人口の数倍から数十倍に達する広東省東莞市などの戸籍人口は十年も前にとっくに「都市と農村の格差」を解消し、地元「農民」は高額の小作料を手にし、実情は多くの「市民」よりもっと豊かになっている。だが地元戸籍人口と出稼ぎ労働者の身分障壁は非常に高いままだ。もし今日の「都市農村統一計画」がこの現象を繰り返すだけなら、どれほど「先端」性があるのか疑問である。

それだけではなく、これら「改革の先端」都市の成否の評価基準も同様な問題がある。今の基準では、これらの都市に他の都市と比べて豪華な広い道が四方八方に通じているとしたら、それは成功であり、多くのスラムがあったら、それは失敗である。ゆえに、これらモデル指定都市は他の都市よりさらに力を入れて再開発を進め、「城中村を改造」し、「田園都市」を建設し、はては仇和〔共産党昆明市委員会書記の名〕式の強権的手段で「鉄腕都市改造」を行っている。前に述べたように「都市農村統一計画」の新たな措置は地元「農民」の利益に配慮することはできるだろうが、貧しい借家人――出稼ぎ労働者の境遇は良くなるだろうか?

明らかに中国の「戸籍制度の弊害」は戸籍だけの問題ではなく、「農業戸籍」の廃止だけで解決するものでもない(それを行うのは当然としても)。この制度が差別しているのは「農民」だけではなく、むしろますます「外地人」に比重が移っており、とりわけ外来の「貧民」を標的にしている。後ろの二つの問題を解決せずに「農業戸籍」を取り消すだけでは、大した意義はない。

農民から非農民への転換も差別を生むだろう

実際、近年役人と商人が結託した「土地囲い込み運動」が猖獗を極め、多くの地方で「逆向きの」戸籍政策が登場している。すなわち農民を強制的に「農転非」〔農民戸籍から非農民戸籍に転換〕したり「(行政)村の居民委員会への改組、鎮の街道弁公室への改組」をしていることである。「村を居民委員会に改組」すれば、農民の土地を没収することができる――なぜなら、現行の土地制度によれば、「農地」は「農民」の「集団所有」〔村有〕だからだ。そして「非農業用地」は「国有」と決められているからだ。だから「農転非」されてしまえば土地に対する権利を失う。そのため今多くの地方で農民が逆に「農業戸籍」を守るために闘っている!

市民的権利保護のメカニズムと権力分立のメカニズムのない現状では、「農業戸籍」の取り消しも「農業戸籍」の創設と同様に差別を生みだすことは明らかだ。何年か前、中国のある大都市のある役人が外国の記者から「あなたの市では将来スラムは発生しますか」と聞かれて頭から否定していた。主な理由は中国の出稼ぎ労働者はみな「両生人」で、家族を村に残し、一人で都市の飯場に住んで、三十すぎになったら村に帰るから都市に大量の貧しい家族が住む「スラム」が出現することはないというのだった。だが同じ役人が、一年後には「両生人」に対する自慢を改め、「両生人」の土地使用方法は不経済だから、彼らを市民に変えなければならないと言い出した。人々は彼が「出稼ぎ労働者」を市民にしたいのかと思ったが、よく見ると彼は地元戸籍の農民に土地を差し出させるために「市民」にしたいと言ったにすぎなかった。

だから、農民が都市で仕事をしたければ望むと望まざるとに関わらず「両生人」にならざるを得ないが、一旦政府が彼らの土地に目をつけると、農民は「両生人」でいることさえできなくなる。戸籍改革がもしそのようなものになるとすれば、余りにもひどすぎる。

だから戸籍問題は人権・公民権の視点から全面的に再考し、土地制度・社会保障制度・居住移転制度の関連改革を同時に行わなければならない。都市について言えば、戸籍制度改革は地元戸籍の「農民」を大切にするだけでなく、「外来者」とりわけ外来の貧民を大切にしなければならない。そして国家について言えば、改革目標は農民を国民とし、農民の土地を国民の〔私有〕財産とし、「出稼ぎ労働者」を(「流動労働者」ではなく)労働者にし、「帰郷した出稼ぎ労働者」を(保障すべき)失業者にすることだ。
■(秦暉は清華大学歴史学部教授)

出典:http://www.yzzk.com/cfm/
Content_Archive.cfm?channel=ae&path=385921171/11ae2.cfm

(転載自由・要出典明記)

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秦暉:戸籍問題の本質は人権問題だ

2010-03-17 19:21:52 | Weblog

戶籍問題本質是人權問題 :秦暉

(初出:『亜洲週刊』)
 
一個貧苦的外地農民「流入」城市,最初是以農民身份被歧視,後來以外地人身份被歧視,而現在以窮人的身份被歧視。因此戶籍問題應該從人權、公民權角度加以全面考慮,把農民當成公民。


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兩會召開前夕,中國十一個省市的十三家報紙發表「共同社論」,呼籲兩會「運用手中人民賦予的權力,敦促有關部委廢除一九五八年頒布的《戶口登記條例》,加快戶籍制度改革」。在中國,像這樣民間輿論以「共同社論」方式發言,是前所未有的。它一方面反映了中國改革以來在開放言路方面確實有進步,另一方面也反映了現行「戶籍制度之害」確實到了人們難以繼續忍耐的程度。

但眾所周知,所謂「戶籍制度」絕不僅僅是「流動人口管理」那麼簡單。它實際上涉及到官府權力侵奪公民權利所造成的一系列問題。遷徙權、財產權等等先不說,就以「生存權」為例,官方認為它第一重要,以致為了它可以犧牲許多其他權利,而一些批評者則認為這樣的人權觀太低下,是「豬權」。其實,「生存權」作為一種權利確實非常重要,而在中國這也並非不是問題。要知道,「生存權」不等於生存著。例如豬生存著,但不能說它有「生存權」,因為豬只是依飼養者的意志而「生存」,如果飼養者要屠宰它,它就不能生存了。所以,生存權是不能貶斥為「豬權」的。過去在專制時代,臣民雖然生存著,而且有的(寵臣寵妃寵奴之類)還生存得很滋潤,但仍然不能說他們有「生存權」,因為他們的生存也並非基於自己的權利,而是基於主子的好惡,「君要臣死,不得不死」嘛。

而我們的「外來人員」又是怎樣地「生存著」?在強制收容時代,街頭隨意盤查農民工「三證」、無證就抓走,是很平常的都市景觀。於是有了蘇萍,有了程樹良、黃秋香、張正海、樸永根……等等一樁又一樁慘案,有了「六零四次列車上跳車逃跑摔死的女民工」和寶安區囚車上「下餃子似的一個個摔下」死傷的「外地人」等不知名的冤魂。「收容」之網越撒越大,從流浪乞討、賣淫嫖娼而「三無人員」,從農民工而大學生,從「盲流」而「非法上訪者」,直到二零零三年大學畢業而且有正式工作的孫志剛也死於「收容」之禍,以至釀成群情激憤,上達天聽。這次事件引起的不滿導致「收容惡法」被廢除,這無疑是中國人權方面的一個進步。

可是廢除後的這幾年,人們仍然不時聽到「外來窮人」在城裏遭遇權力暴力的事。尤其是培訓教材《城管執法操作實務》關於「城管」抓小販時出手要狠,「不能輕易放過」,要幹得「乾淨利落」,「將所有力量全部使用上」,做到「臉上不見血,身上不見傷,周圍不見人」的說法在網上披露後,引起輿情嘩然。過去的暴力收容多以檢查居民證件的名義:改革前就叫「查戶口」(那時連「暫住證」都還沒有,農民因事進城都要一事一開「證明」,否則就有作為「盲流」被抓的危險),改革後允許非本地戶籍者持證「打工」了,就叫「查三證」(通常指暫住證、務工證和計劃生育證),兩者都可以說是直接與「戶籍」有關。而現在的「城管」、「拆違」暴力則以維護「市容」為名,以「無證攤販」和貧民窟(我們叫「違章建築」)為對象,可以說與「戶口」本身並沒有直接關係。可是大家都知道,其實受害者基本上還是那些人。這就是說:一個貧苦的外地農民「流入」(我們反正不承認他是移民)城市,最初他是以農民身份(「農村戶口」)被歧視,後來他以外地人(「暫住」者)身份被歧視,而現在他以窮人的身份(沒有高尚職業的「無證攤販」或沒有高尚住宅的窩棚客)被歧視。

拆遷的進步與租戶權利

不能說這三者的演進沒有體現這些年來的某種進步:這個人在改革前幾乎是根本不能進城的。後來可以來「暫住」打工,但你要隨身「持證」,否則就會遇到麻煩(雖然持證了也未必就不會遇到麻煩)。現在假如你混得好,有高尚職業與住宅,被「查證」遇暴力的機會就少了。但是假如你仍然窮愁潦倒,那你就有損於「市容」而為「市」所不容。然而問題在於:窮愁潦倒就是罪過嗎?沒有人願意窮愁潦倒,如果在家鄉能夠富裕,他們不會「」在城裏;但如果不能,我們的城市為什麼就容不下窮人呢?

現代城市當然要有規劃、講管理。「違章建築」的概念不是不能使用,但必須在尊重人權的前提下。筆者認為這包括三個條件:首先這「章」不能只是利益有關一方(例如想給自己的官員找地方蓋豪宅的某衙門)下個「紅頭文件」就算,像扒房趕人、甚至燒房抓人這樣事關基本人權的事,怎麼能不立法?而且立法過程也應該有各方參與,無論代議制還是聽證制,都應該有「流動人口」的聲音。其次,這「章」也應該合乎常人情理。至少立「章」者要回答:如果不違這個「章」,「暫住者」能在哪裏安身?最後,這「章」還應該有點嚴肅性,不能朝令夕改而且改了還追溯既往,不能我想用苦力就讓你蓋棚子算是「安置」,用完了你這棚子就算「違章」了,或者我沒打這地的主意時不管你,我想用這地賺錢了就說你「違章」了。

必須指出:這還不僅僅是個產權問題。中國的強制性「徵地拆遷」問題近來雖然還未完全解決,在公眾不滿的壓力下還是有所改進的。雖然仍非市場交易,但在許多財力雄厚、地價高昂的大城市,近幾年「拆遷補償」的標準還是大幅提高了。包括由本地戶籍「農民」為房主的所謂「城中村」,在「城中村改造要讓村民滿意」的提法下也產生了許多「拆遷致富」的「村民」。應該說,如今這種「改造」存在的主要問題已經不是「村民」權益受到損害的問題(雖然這類問題並未完全解決,尤其在一些財力不那麼雄厚的「二線城市」,這種問題仍很突出)。但是眾所周知,如今「城中村」幾乎都是外來打工者聚居的廉租私屋區,本地戶籍的房主常常不住在這裏,這裏實際就是中國式的「貧民窟」,其「外來」貧苦租戶人口常常數倍乃至數十倍於房主「村民」。他們才是「城中村改造」中最主要也最龐大的利益相關群體。但是「拆遷補償」與他們毫無關係。他們與過去一樣,仍然是被無條件驅逐的。甚至在不少情況下,「城中村改造」的第一步就是以「查證件」等方式先把租戶趕走,使這些房子失去「生財」功能,以削弱房主的要價能力。

深圳前些年在「關外」大規模「梳理」棚戶區,趕走的「流動人口」據說達百萬之眾。由於中國實際上禁止「外來者」在「空地」上自建棚戶,這些遠郊棚屋其實也是戶籍居民建了出租給他們的(有的甚至只出租了一塊地皮,由租戶自行搭棚)。當時深圳當局說這是「違法出租」所以實行無償拆除,不像城中村那樣給予補償。因此引起許多批評。其實,補償不補償都只是對戶籍居民而言,而對於那些貧苦租戶,無論是從「城中村」被趕走還是從「關外」棚戶被趕走,都沒有絲毫補償。但他們從城中村到「關外」再到更邊遠偏僻之地,生活質量是明顯下降,受打擊不可謂不沉重。而且,如果說現今對於拆遷不公的批評呼聲已經頗大,但基本都是就本地戶籍房主權益受損而言。真正受損害最嚴重的、被驅趕的貧苦租戶—「外來」打工者,沒什麼人替他們說話。有人悲哀地稱之為「百萬人的失語」!

城鄉統籌的陷阱

中國如今許多城市都說城市建設要顧及農民利益,尤其是被作為「城鄉統籌」試點的幾個城市作為「改革前沿」,出台了不少惠及當地「農民」的舉措。應該說其中的一些舉措力度(很重要的就是提高拆遷補償與安置標準)還是可圈可點,值得讚賞。但是所有這些「城鄉統籌」其實都是就本地戶籍中的「農民」與非「農民」差別的縮小而言。這當然也應該。但是說實在話,在中國「流動工人」制度已經如此發達的今天,主要依靠「外來打工者」的血汗而讓本地「農民」也得到好處,並不是什麼難事。像外來打工者數倍至十倍於戶籍人口的廣東東莞等地,戶籍人口中可以說早在十年前已經消滅了「城鄉差別」,當地「農民」由於分享高額級差地租,實際境況往往還優於不少「市民」。但是本地戶籍人口與外來打工者的身份壁壘卻非常突出。如果今天的「城鄉統籌」只是重複這種現象,就很難說有多少「前沿」性。

不僅如此,由於這些「改革前沿」城市成敗的評價標準仍然是:如果城市充滿比其他城市更為豪華壯麗的通衢廣餬,那就是成功,如果出現很多窮人街區,那就是失敗。所以,這些城市都還比一般城市更起勁地大拆大建、「改造城中村」、建設「花園城市」,甚至使用仇和式強權手段進行「鐵腕改建」。雖然如前所述的「城鄉統籌」新舉措可以照顧到本地「農民」的利益,但那些貧苦租戶—外來打工者的處境會更好嗎?

顯然,中國的「戶籍制度之弊」並不僅僅是戶籍本身的問題,也不可能僅僅通過取消「農業戶口」來解決(雖然這也是該做的)。由於我們這個制度歧視的不僅是「農民」,而且越來越更重要的是歧視「外地人」,尤其是外來「窮人」。後兩個問題不解決而僅僅是取消「農業戶口」,並無太大意義。

農轉非也可能造成歧視

事實上,近年來隨著官商結合搞「圈地運動」之風大盛,許多地方已經出現了「反向的」戶籍政策,即強迫農民「農轉非」、「(行政)村改居(委會)、鎮改街(道辦事處)」。一旦「村改居」了就可以把農民的土地收走——因為官家規定你已經不是農民了,而按我們現行的土地制度,只有「農地」可以由「農民」「集體所有」。而「非農土地」鐵定就是「國有」的。所以你「農轉非」了就得失去地權。於是不少地區農民反而為捍衛「農業戶口」而抗爭!

顯然,在沒有公民權利維護機制和權力制衡機制的情況下,取消「農業戶口」和設立「農業戶口」一樣都可能造成歧視。前些年,中國某大城市有官員曾針對外國記者的提問「貴市將來會不會出現貧民窟」予以斷然否認,主要理由是中國農民工大都是「兩棲人」,即把家庭留在鄉村,自己在城裏住集體工棚,打工到三十多歲就回鄉自生自滅,這樣城裏就不會有大量窮人家庭形成的「貧民窟」。可是同一位官員,一年後他又一改對「兩棲人」的津津樂道,提出「兩棲人」的土地使用方式不經濟,必須促使他們變成市民。人們初看上去以為他是要讓「外來農民工」成為市民了,仔細一看不是的:原來他只是要求本地戶籍農民交出土地變成「市民」。

於是,如果他要你打工,你不管願不願都得當「兩棲人」,但他一旦看上你的地了,你想當「兩棲人」也當不成。戶籍改革如果變成這樣,就太糟糕了。

因此戶籍問題應該從人權、公民權的角度加以全面考慮,實行土地制度、社會保障制度、遷徙居住制度的配套改革。就一個城市而言,戶籍制度改革不僅要善待本地戶籍的「農民」,還要善待「外來人」尤其是外來貧民。而就國家而言,改革目標應當是:把農民當成公民,把農民的土地當成公民財產,把「農民工」當成工人(而非「流動工人」),把「返鄉農民工」當成(需要保障的)失業工人。■(秦暉是清華大學歷史系教授)
 
出典:http://www.yzzk.com/cfm/Content_Archive.cfm?channel=ae&path=385921171/11ae2.cfm

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于建:社会安定のベースラインを守るために(2)

2010-03-17 18:48:26 | 中国異論派選訳
 ここまで農民問題について話してきましたが、次に労働者問題に移ります。この問題について私は『中国労働者階級の状態』という本を書きました。それはかつて毛沢東が労働者の階級運動を組織した安源炭鉱です。共産党が本当に労働運動を行ったのは安源鍛鋼です。ここで共産党の最初の労働者組織が成立し、共産党の最初の労働者支部が設立されました。中国共産主義青年団も少年先鋒隊も安源と密接な関係がありますし、中国共産党の主な指導者はみな安源を訪れたことがあります。そこで私は4年間調査し、安源の労働者が何をしているのかについて本を1冊書きました。調査してみると、労働者問題は農民問題と比べてより複雑でした。国有企業の再編により賃金未払いなど多様な問題が生じており、農民問題の60%以上が土地問題であることとは対照的でした。労働者の抵抗方式も陳情・座り込み・ストライキ・デモ行進・交通遮断と多様です。最新の二つの重要な闘争方式は、散歩と旅行です。(PPT)見てください。これは2009年4月3日保定市の労働者が北京に散歩したときのものです。保定市から北京市までは137キロあります。私が情報を聞いて行ってみたら、彼らはもう徐水県の料金所まで来ていました。当時北京も石家荘も保定市も非常に緊張し、大勢の人を派遣して労働者と交渉しました。いわく、「お前たちはこのまま北京に入ってはならない」と。労働者は「自分たちは北京に旅行に行くのに何が悪いんだ。北京への旅行を禁止している法律がどこにある?」と答えました。説得側は、「こんなに大勢で北京に旅行に歩いて行ってはだめだ」と言いました。労働者は「金がなかったら北京に行ってはいけないのか?」と答えました。雰囲気が非常に険悪になり、保定市は仕方なく労働者に対して、君たちの問題は全部我々が解決すると言いました。労働者は、「俺たちは今は問題はない、旅行しているだけだ。見てみろ陳情書も持ってないし、横断幕も持ってない。問題はないし、陳情も告訴もしない。旅行しているだけだ。」と答えました。最後はその場で彼らの会社の代表取締役を逮捕したと言って、やっと労働者達は帰りました。散歩をみなさんが最初に聞いたのはアモイでしょう。実際はもっと早く安源炭鉱で始まっています。私が安源炭鉱に興味を持ったのはそのためです。一部の熟練工が賃上げを要求しましたが、会社は相手にしませんでした。裁判所に提訴しても受理されず、警察署にデモ行進をすると通告しても、警察は相手にしませんでした。仕方なく彼らは北京に陳情に行きましたが、5人以上だったので〔中国では当局の許可を受けない5人以上の屋内屋外の集会、集団行動は禁止されている。〕、彼らは逮捕されました。最後に彼らは日を決めて2万人の労働者が同時に安源炭鉱のある萍郷市に行きました。萍郷は地区級市ですが、2万人が路上で散歩するというのはどういう状況でしょう? このような合法か非合法化の線引きが難しい行為について、私は最近研究しています。

 さらに深刻なのは、労働者問題の暴力化の傾向です。2009年7月24日、通化製鋼所でストライキが発生し、社長が殴り殺されました。その後少なからぬ旧国有企業で横断幕が掲げられました。そのうちの一つには「通化の兄弟は行動した、我々はどうする?」と書かれていました。多くの再編民営化された旧国有企業の経営者は出社できませんでした。なぜでしょう? 殴り殺されるかもしれないと恐れたのです。この事件の後私は続けて3つ文章を書きました。最初の文章の題名は「労使協調には制度整備が必要だ」です。全国総工会〔共産党指導下の御用組合もしくは互助会〕は9月に上海浦東で重要な研修会を開催し、全国各省市の総工会の主席・研究室主任を浦東に呼んで学習させました。私はそこで講義しました。工会の人はみんな、なぜ今の労働者は自分たちの命令を聞かなくなったのかと聞いてきました。私は「なぜあなた方の命令を聞くんですか、あなた方は彼らの利益を代表していないのに、聞くわけがないでしょう。騒ぎが起こって、あなた方はやっと労働者が命令を聞かないのか考え始めたんです。」と答えました。私の判断では、労働者の暴力化傾向は一定期間顕在化するでしょう、元々解決されたはずの問題も再び出てくるでしょう。安源炭鉱では数年前に騒ぎがありましたが、いったんおさまって、また始まっています。安源の労働者はまた散歩や旅行、各種の活動を始めています。以前からの問題がまた出てきたのです。

 タクシーストライキも深刻です。代表的なのは2008年11月の重慶です。重慶市共産党委員会書記は当時二つのことをしました。一つは彼らに会ったこと、もう一つは彼らに分け前が減ったら労働組合を作ってもいいと言ったことです。彼がこう言うと、全国で歓迎されました。しかし二つ問題が残りました。第一に、他の地方はどうするのか? 国はどういう態度をとるのか? 2008年11月10日、三亜市でタクシーストライキが発生しました。ここの江沢林という名の市共産党委員会書記は、私たちの社会科学院農村発展研究所の博士課程卒業生です。彼は非常に緊張し、会うべきかどうか迷いましたが、仕方なく会いました。重慶の市共産党委員会書記は中央政治局委員ですが、彼は海南省の省共産党委員に過ぎません。重慶の書記さえ会ったのに会わないわけにはいかなかったのです。結局会って、組合を作ることを認めました。しかし、中国のタクシー業界に本当に運転手の利益を代表する組合を作ることができるのでしょうか? 当時私たち少数の人が北京大学法学部で会議を開きました。そこで私は、私の中国共産党に対する理解と中国の現在の高官の統治理念に対する分析によれば、私はそのような組合を作ることはできないと言いました。共産党が最も恐れているのはそういう組合ができることです。第二に、重慶のタクシー業界がこれにより健康に発展していくことができるのでしょうか? 現在は状況が変化して、全てのリーダーが争議の当事者に会わなくなりました。そして20年の懲役刑を受けたヤクザの親分黎強の、最大の罪状が重慶で「11・3タクシーストライキ」を組織したということだとされたのです。

 2008年以降、教師のストライキも深刻になっています。教師は賢いですから、誰もストライキとは言わず、休講と言うだけです。なぜストが起きるのか? 主な原因は法律で教師の賃金は同じ地区の同類型の公務員の賃金より低くてはならないと定められているのにそれが守られていないことです。また最近では業績給の不公平も引き金になっています。

 労働者の問題について簡単にまとめると。国有企業の再編による労資衝突が労働者問題のカギです。出稼ぎ労働者を含む労働者と資本の衝突がこれからの主な問題になるでしょう。

 市民の問題について、私は研究をしたことはありません。私には博士課程時代の妹弟子がいますが、彼女は今は共産党党学校の教師をしています。彼女の博士論文は市民の権利擁護運動でした。今年人民大学国際政治博士課程卒業生の学位論文発表会に行きましたが、3人いた博士候補はみんな市民の権利擁護運動について発表していました。現在、ますます多くの学者が市民の権利擁護運動に関心を寄せるようになっています。彼らの研究によると、住宅取り壊し問題が市民の権利擁護運動の中心問題です。取り壊しをめぐる紛争が最も深刻なのは甘粛省隴南市です。去年の11月17日には市共産党委員会が打ち壊しに遭いました。私たちは市民の権利擁護活動を契機とする集団示威事件が増加するだろうと分析しています。最近の事例は昆明市螺糸湾での住宅取り壊しをきっかけとする集団示威事件です。少し前に私は螺糸湾で何が起こったのか知るために昆明に調査に行きました。

出典:http://www.chinaelections.org/newsinfo.asp?newsid=169507

(転載自由、要出典明記)

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沙葉新:人の尊厳を高めよう

2010-03-17 17:23:22 | Weblog

沙叶新:提升人的尊严

来源日期:2010-3-17


    沙叶新按:我这篇文章是应《中国新闻周刊》之约而写的,该刊属于中国新闻社,简称中新社,它和新华社一样,是国内仅此两家的著名的官方通讯社。隐约记得多年以前他们曾向我约过稿,我没写,是自惭形秽,怕上不了这个档次。这次是该刊的主笔Z先生来电、来信,说温总理在政府工作报告中再次提到“让人民更有尊严”,他们想约请几位社会知名人士笔谈“我的尊严观”。他还说他们的总编很喜欢我前年在香港所做的一次演讲《我在香港学习温总理的讲话》,并特地推荐给他看了,总编很希望我用那次演讲的风格来点评温总理的这次关于尊严的讲话。Z先生殷切而诚恳,我被打动,答应写了。我为文一向认真,不想写成应景文章。但目前中国,认假而不认真;认假大行其道,认真寸步难行。说话、著文也是如此。我担心我认真去写,必然有所阻碍,或被删改,或被和谐。数天后,3月10日,我的文章登出。大部分被保留,删掉最后一段,这已经很不容易,因为尺度不一样,我能理解。现在全文发在我博客上,并做了某些补。

  为什么到这么晚的时候人的尊严才受到尊重?——格尔

  温家宝总理是历届总理中具有悲悯之心和人文素养的一位,所以他常含泪水,我宁愿相信他是真诚的;所以他言辞动人,我宁愿相信他不是卖弄。他的公开演讲或即席答问,每每引用自己或别人的诗句,脱口而出,文采斐然:“我仰望星空,它是那样寥廓而深邃;那无穷的真理,让我苦苦地求索、追随。”“为什么我的眼里常含着泪水?因为我对这土地爱得深沉。”都传诵一时。即便在严肃刻板的政治报告中,也有一些情意甚浓的警句格言,令人遐想。孔子说:言之无文,行之不远。温家宝言之有文,所以行之遐迩,这在高层官场中实为少见。

  最近温家宝总理有句话,却并不因为文采,也不因为诗意,而是因为这句话的内容引起广泛热议。2月12日他在虎年团拜会上说:“我们所做的一切,都是为了让人民生活得更加幸福、更有尊严。”信言不美,至言不繁。3月5号,在政府工作报告中,他又重复了这句话,而且这次是在最高权力机构全国人民代表大会上再次宣告的,是代表中央政府郑重陈说的,是要印制在“国情咨文”式的重要官方文件上的,可见此时此地重复此话的重要性非同一般。

  这句话中的“让人民生活得更加幸福”,是中国共产党的一贯宗旨,3年以前的中共十七大的报告就告知人民:“我们党自诞生之日起就勇敢担当起带领中国人民创造幸福生活。”如此算来,成立于1921年的中国共产党已经为中国人民创造了89年的幸福生活了,四代以上的亿万中国人民早已生活在幸福之中。2008年有一官方网站为了证实中国人民的幸福,独家对某一地区居民的幸福感进行调查,调查结果告知大家:93.9%的人认为非常幸福或者比较幸福,只有2.1%的人认为不太幸福或者很不幸福。按以往的政治统计术语,这2.1%的人显然是“一小撮”的“一小撮”,完全可以忽略不计。还有一个据说是英国人对全球幸福指数的调查,在被调查的178个国家中,中国人的幸福指数高居全球的第31位,远在韩国和日本之上!如果中国人再说自己不幸福,那真是身在福中不知福了!

  因为“让人民生活得更加幸福”在中国已不成问题,所以没引起多大注意,倒是“更有尊严”这后半句激起国内外极大反响。为何?因为罕见,因为珍希,89年来,从未听说;解放之后,更是讳莫如深,使得“尊严”一词好似来自外星,新奇耀眼,不胫而走。

  何谓“尊严”?2月27日,温家宝总理和网民在线交流时有所阐明,共三点,说的很好,不赘述,只补充几点以附骥。我以为:

  一、若要让人有尊严,首先让人有金钱。

  中国政府如今有的是钱,中国的GDP已雄居前四名之内,国家的钞票是大大的有,财大气粗,连美国也向中国借钱。但中国老百姓有钱吗?中国的人均GDP如何呢?据学者刘植荣先生研究,中国的人均GDP竟在世界排名第99位,而我们最低工资在世界183个国家和地区中排在了第158位,甚至低于32个非洲国家的最低工资。尽管中国百姓的生活水准有所提升,但总的来说还是“国富民穷”!据官方杂志《瞭望》报道,脱贫依然是非常严重的任务,中国贫困人口尚有4000多万,这个数字是否“缩水”值得怀疑;即便准确,也可能此处脱贫,另处又贫;甚至贫未脱,反而更加贫,致使贫困人口越来越多。

  如果很多贫民没钱读书,没钱买房,没钱就医,哪来尊严?更遑论社会底层的农民和农民工!如果到西北去看看,到山区去看看,有些贫户,家徒四壁,而且是破壁,真可谓“筚门圭窬,蓬户瓮牅,易衣而出,并日而食。”这不是回到了“解放前”,不是回到了“旧社会”,当地老人说,“解放前”和“旧社会”也比现在好多了!如此贫困,怎能奢谈尊严!再说曾被称为“天之骄子”的大学生、硕士生、博士生,“十年寒窗”之后,好不容易找到工作,住的却是蜗牛屋,甚至是蚂蚁铺,连基本的体面都没有,更别说尊严了!政府有钱并非坏事,但必须藏富于民,而不是与民争利;更重要的是让大多数人富起来,而不是先让贪官、衙内、奸商、帮富起来,这才是利民利国之道,也才是人民确有尊严之关键。

  二、若要让人有尊严,必须让人有民权。

  “民权”是国民党信奉的“三民主义”的核心,而在大陆是为敏感辞汇,不许说,不许论,甚至不能见之于书籍报章,看也不能看见这个词,所以在大陆绝迹多年,连词汇量最为完备的权威辞典新版《辞海》竟然也不收此词。多年以前我们还竭力讳言通行世界的“人权”一词,都是可笑的闭目塞听的鸵鸟政策。而如今“人权”已经喧腾于口,见诸所有媒体,“民权”也剥去意识形态的硬壳,不再视为洪水猛兽。

  其实民权就是公民在政治领域里享有的民主权利。廖仲恺有个通俗的解释,他说“民权在法律上说,就是人民有不许别人侵犯他的身体、言论、信仰、住居、集会种种自由的权。”我们现行的《中华人民共和国宪法》第三十五条也有类似规定:“中华人民共和国公民有言论、出版、集会、结社、游行、示威的自由。”只是在实际生活中,看不到这些自由,因为所有的“自由言论”都被视为“非法言论”、所有的“自由出版”都被看作“非法出版”、所有的“自由组织”都被打成“非法组织”、所有的“自由集会”都被判为“非法集会”;好像中国所有这些自由都是“非法”的,没“合法”的。即便最为普通的游行示威的自由,数十年来在当代中国也没真正有过一次,因而如今只得把“游行”统统改成“散步”、改成“荡马路”了。如果没有这些自由,尊严何在呢?对于尊严而言,自由比民主、比平等更重要。不真正实施《宪法》所规定的以上诸种自由,尊严便是道道地地的空言。

  三、若要让人有尊严,根本要把人当人!

  中国是世界人口最多的国家,但对人的生命并不尊重,难道是物以稀为贵、人以多为贱?当代始皇曾主张第三次世界大战要早打,大打,打核战争,在中国打。还说中国可能会死掉四亿人口,但换来一个大同世界还是值得的。这段伟论未见之官方文件,有人在内部书刊上见过。但就其暴戾恣睢、敢冒天下之大不韪而言,这番言论非发动过无法无天的文化大革命者莫属,仅就语言风格而言也非他莫属。当代始皇坐天下之时,他是不把人当人的,只当内外战争和政治运动的炮灰。

  尊严来自对人尊重,根本的、最起码的是要把人当人,要切实尊重人的生命,尊重人的权利。

  所以:不能把人当螺钉,不能把人当齿轮。不能把人当傀儡,不能把人当牺牲。不能把人当砧板上的肉,不能把人当磨盘中的油。不能让人只准举手,不能让人不准摇头。不能把人打成“右派”,不能把人打成“胡风”。不能把人划作“五类”,不能当把人定为“七种人”。不能强行拆毁人的房屋,不能禁止人的嘴巴发声。不能把人打死说成是“躲猫猫”,不能把人判刑是因为他的言论。不能把代表人民的代表当作投票机器一台,不能把委以重任委员当作御用花瓶一尊。不能禁止得奖的作家出国领奖,不能把返国的公民堵在国门。不能让人随便地请喝咖啡、请喝茶,不能让人任意地被代表、被替身。什么时候真正的以人为本,什么时候真的把人当成人,中国人的尊严就成真!

  2010、3、9上海善作剧楼

出典:http://www.chinaelections.org/NewsInfo.asp?NewsID=171765

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沙葉新:天下の興亡はだれの責任か(国家のことなんか知ったことか!)

2010-03-17 17:17:16 | Weblog

国家事管他娘! 
 
作者:沙叶新
沙叶新按:一些网友来电和来信,问我前不久发在我博客上的《天下兴亡谁有责?》一文为何被屏蔽了,我想这是最近有关方面为了大力建立“河蟹”社会,而特别加强网络控制所致。该文发布之后,短短时间,点击数万,评论数百,海内外众多网站纷纷转贴,反响良好,影响甚巨。屏蔽实在可惜,沉默于心不忍,只得“改头换面”,再贴一次,看看我尊敬的《博客中国》能否高抬贵手,得以放行。谢谢了!2010、1、23


在学校,老师念:“天下兴亡,匹夫有责。”问一同学什么意思。该同学以为“天下兴亡”是“天下‘姓王’”,便脱口答道:“王是大姓,老师你姓王,我也姓王,我们班很多同学都姓王,是姓王的天下,所以天下姓王。”老师目瞪口呆,又问:“那匹夫有责呢?”他以为是“‘皮肤’有责”,便又答道:“天下姓王,皮肤怎么能不负责呢?老师你想呀,只有我们中国人才有姓王的,中国人是黄种人,是黄皮肤。外国没姓王的,是白种人,是白皮肤,所以天下姓王,皮肤是有责任的。”老师哭笑不得,对他说:“唉,你呀,不假思索!”他还以为老师赞扬他,越说越来劲:“谢谢,我一点不假,我是真思索。”老师昏倒!

“天下兴亡谁有责?”这在中国是关乎爱国主义的大问题,而中国人一向被认为、也自认为是最最爱国的;不爱国者,是汉奸,是国贼;十恶不赦,狗彘不如。中国长期以来,尤其是近60年,也是世界上对国民进行爱国主义教育最广泛、最持久、最不厌其烦、最大张旗鼓的国家;从幼儿园,到敬老院;从中央电视台黄金频道的节目,到乡村小茅房破败墙壁的标语;从少先队的“五爱”教育,到全社会的“五讲四美三热爱”的宣传运动,无一不有神圣的“爱国”的内容。

但“国”是什么?是“祖国”?是“国家”?是“政府”?是“政党”?是“政客”?是“领袖”?……教育者从未向被教育者说清楚,也不让大家清楚,就胡里胡涂地被代表了。更别说“国”是什么性质的国了:是民国?是王国?是极权国?是共和国?……也含糊其词,也一律被代表。

王同学将“天下兴亡”误为“天下姓王”,他把崇高的爱国名言,像是里达似的后现代地给解构了。这倒也是歪打正着,可以让每一个单纯、善良的爱国者,在热烈地爱之前先冷静地问一问,问问这个国姓什么,问问这个天下究竟是谁的天下。如若“天下姓王”之“王”是帝王之“王”,那么“兴,百姓苦;亡,百姓苦。”匹夫(平民百姓)总是受苦,凭什么要为帝王的天下承担兴亡之责?凭什么要爱“普天之下”的“莫非王土”?

在我过往的70年中,在我生活的国之中,经历过两次极为惨烈的战争,一次是在我童年,交战双方是中日;一次是在我少年,交战双方是国共。前一次为抵抗日本的侵略,是抗日。后一次是国共两党的争霸,是内战。两次战争并非都与“天下兴亡”有关,“匹夫”并非都应“有责”。

抗日战争攸关国家之命运,失败了,中国就要“亡国灭种”。这乃大是大非,事关民族存亡,所以那时传遍全国大地的《义勇军进行曲》高唱:“中华民族到了最危险的时候,每个人被迫发出最后的吼声!”所以当年震动校园内外的《毕业歌》呼唤着:“同学们大家起来,要担负起天下的兴亡!”这才是真正的“天下兴亡,匹夫有责!”

国共之间是内战,是两党争“王”,再怎么打,打翻了天,至多是一个党兴,一个党亡;至多是政权的交替,王朝的更迭。这不是“天下兴亡”,只是“改朝换姓”:是姓“国”的为王,还是姓“共”的为王。

国民党的“国”叫“中华民国”,其实并非“民国”,它不姓“民”。当时流行的说法是“蒋家天下陈家党”,信奉的是一个领袖,一个政党,一个主义。正因为它专制独裁,抗战胜利之后,便冲昏头脑,发动内战,更加上严重的吏治腐败,终于在1949年输给G产D,龟缩在台湾这蕞尔孤岛,但仍称中华民国,其实还是“党国”,并非“民国”。只是等到蒋经国去世前,废除了党禁,还政于人民,又经过岛内的蓝绿两党的较量和全民的普选,台湾的民主之花才逐渐开放结果,如今倒很有点“民国”的样子了。

上一世纪,G产D创立之后的10年,也有个国,它是在共产国际扶持下,于1931年11月7日(和前苏联的国庆同一天)建立的,叫做中华苏维埃共和国,首都在江西瑞金,M泽D是苏维埃主席,副主席是项英、张国焘。这个国,当然姓“苏”,是外国姓;这个“国”也确实拿过外国银子,卢布。可惜国祚短暂,终结于1937年9月6日。

后来被M泽D感谢过的日本的侵略,在当时确确实实帮了G产D的大忙,使得G产D能以“七分发展、二分观望、一分抗日”的“持阄战”,赌徒似的和“日寇、蒋帮”持阄一赌,从而在“日蒋相争”中“渔翁得利”,发展和壮大了自己,得以东山再起;日后并以“人民民主”为旗帜,以“为人民打江山”作号召,打败了抗战八年而元气大伤的国民党,终于“枪杆子里出政权”,建立起“中华人民共和国”。

1949年建政伊始,G产D不乏开明作风,颇有民主气象,纲领也能共同,政治也能协商,政府也能联合,选举也能照章,所作所为,也都像模像样。

可是马上得天下,并非马上就能治天下,到后来,一直到如今,已一个甲子,G产D恐怕是越来越难以逃脱历代王朝的兴亡周期率:“其兴也勃焉,其亡也忽焉”;如今已很不像立国之初的那个样儿了,不是“人民共和”,而是“一党专政”了。所有的民主党派早就有了“跨党”的中共“地下党”;文革期间,甚至公开地干脆从“地下”走到“地上”,使得“民主党派”完全可以倒着念了,成了“派党主民”(派G产党主宰民主党派)。到如今,尤有甚者,任何机关单位都有党的组织,都有党的领导,无远弗届,无孔不入;不但民主党派,甚至连宗教团体、佛门净土也难以幸免!国民党独裁时期,尚不能控制所有媒体和所有学校,而今在G产D的天下,所有报纸都形同党报,所有学校都类似党校,连军队也成了比希特勒的“党卫军”还忠诚于党的“卫党军”了!

这样的国家究竟是谁的天下?早在1957年储安平就说过这是“党天下”,他说了实话,却被打成右派,以后生死不知,至今也下落不明。如今半个多世纪过去了,有7千多万党员的G产D成了“天下的第一大党“,有960万平方公里的中国也成了世界“第一大的党天下”。

这样的党天下,这样的国家,匹夫能负其责吗?匹夫首先要有权,才能有责。“兴”时匹夫无权,“亡”时才想到匹夫有责;不把匹夫当主人,只当炮灰,谁干?除非“裸”干。

须知国家和祖国,内涵虽有交叉,但是区别甚大。

国家不同于祖国。国家即政府,政府即国家。国家有庞大的机构,有法院、有军队,有监狱,有警察,还有很多政客和官僚,也就是当官的。这些当官的必须是经过民主程序由全体公民直接选举出来的,才是合法的。否则你再怎么解释,再怎么辩解,再怎么给自己涂脂抹粉,都是非法的。由这些政客、官僚,当官的所组成的政府当然也是非法的。这样的国家有个名称,就是极权国家。

需知,祖国并不同于国家,更不是极权国家:祖国是生我养我之地,是我家族繁衍之所,

是我先人入土之家;祖国是黄皮肤,是乌眼珠,是头发;祖国是东海潮,是黄河浪,是长江峡;祖国是甲骨文、是毛笔字、是水墨画;祖国是中餐菜,是茅台酒,是龙井茶;祖国是《梁祝》的传说,是《西厢》的剧情,是《西游》的神话;祖国是春节,是端午,是中秋;是兰草,是牡丹,是梅花;祖国是轩辕帝,是孔夫子,是普普通通、千千万万的你我他。
我无条件的爱我的祖国,但我只能有条件的爱我的国家。我绝不可能不爱我的祖国,但我很有可能不爱我的国家。

祖国不是国务院,不是裆中央;祖国不是八宝山,不是纪念堂;祖国不是共青团,不是太子党;祖国不是最近报废的“周济”导弹,祖国不是深不可测的一片“汪洋”;祖国不是三军官兵的阅兵方阵,祖国不是四代领袖的巨幅画像;祖国不是大裤衩,不是水立方;祖国不是漂着死鱼的湖泊,不是埋葬矿工的煤窑,不是压死汶川无数学生的“豆腐墙”。

祖国不会强拆你的祖屋,国家会推倒你的房梁;祖国不会窃听你电话,国家会阻止你上网;祖国不会拒绝你申诉,国家会对你强行截访;祖国不会抢夺你的耕地,国家会巧取你的钱囊。祖国不会禁止你出入境,国家会为你制造“柏林墙”。祖国不会指控你有泄露机密、危害安全罪,国家会控告你颠覆政府、反对裆中央。

唉……我多么想爱我的国家噢。我也曾真心实意地爱过,爱得发狂发飙;我何止是“爱国贼”,简直就是一个“爱国盗”。可如今要我再说一声爱,就怕言不由衷,理不直气不壮了;虽然我还是想说,只盼着我可以由衷地大说一声、十声、百声、千声、万声“我爱你”的那天来到。可如今,真的抱歉了,你已不那么神圣,不那么崇高。正如开国之君M泽D的教导,你只是秦始皇和马克思的杂交。起先还可以,“一唱雄鸡天下白”,“时间开始了”,心潮逐浪高;可是,越到后来越糟糕,时间停滞了,甚至倒退了,今天你已是由金钱铸造的利益集团所组成的现代王朝。请问,你为何至今不敢公布官员们的财产,不敢晒晒衙内们的生财之道?再问,60周年的超豪华国庆,究竟花了多少钞票?那是党的钱吗?不,都是民脂民膏!切莫给整齐划一的方阵迷惑了,切莫给流光溢彩的烟花忽悠了,那只是为了扬威,只是为了耀,只是为了掩饰空前的虚弱和万分的焦燥。那些龙吟虎啸,那些男欢女笑,说穿了,只是紧闭门窗的卡拉OK,只是刺刀护卫的假面舞蹈。“盛世”,为何紧张得对行人盘查搜包;“和谐”,为何恐惧得禁止商店卖刀。何不干脆再下禁令一道:全国人民都不许笑,因为笑里也会藏刀。你还要我为你骄傲,还说你的名字比我生命更重要。不,我真的要含泪相告,60年过去了,你何时有过反省?何时下过罪己诏?最后,尊一声我的国,60年来,为什么你总与良民为敌,总拿好人开刀?以往的李九莲、林昭,眼前的许志勇、师涛……还有那胡佳和刘君呀,都是那么有爱心的好人一个呀,他们或被打被压,或被关被抓,或被宰被杀,他们究竟触犯了你王法的哪一条!

至今我还没选择放逐和流亡,今后也不永别家乡,这实在是我无比热爱我的祖国,也实在是我对这个国家还心存一点希望。可我要说,如此下去,国将不国,这样的天下,我怎能负责它的兴亡!

2009、11、2上海善作剧楼
—— 原载: <<观察>>
本站刊登日期: Monday, January 25, 2010

出典:http://www.chinainperspective.org/ArtShow.aspx?AID=4729

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