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王力雄『私の西域、君の東トルキスタン』出版のお知らせ

2011-01-29 18:04:07 | Weblog
2008年に本ブログに訳文を一部掲載したことのある(2009年に版元の依頼で削除済み)王力雄の『私の西域、君の東トルキスタン』が、全文完訳で集広舎から出版された。ウイグル問題だけでなく中国の少数民族問題、ひいては中国問題を理解する上で必読の一冊だと思う。ぜひとも購入するか、近くの図書館にリクエストして読んでみてほしい。

本書の中で東トルキスタンで2003年ごろから始まったと報告されている漢語化政策が昨年からチベットでも本格的に推進され始めた。また、本書の中で触れられているカシュガル旧市街の破壊は、今では全面破壊目前であり、「西の深圳」の掛け声の下大量の漢人が流入しかつての「麗しき都」の面影を全く失いつつあると言われている。

そのような今につながる動きを2000年代にその根底からとらえたのが本書である。


以下、集広舎のホームページよりコピー。

私の西域、君の東トルキスタン

発行日/2011年01月24日
著/王力雄
訳/馬場裕之
監修+解説/劉燕子
発行/集広舎
A5判/並製/472頁
定価/3,486円(税込)

台湾での出版に続き、世界に先駆けて邦訳刊行
『殺劫-チベットの文化大革命(集広舍刊)』のツエリン・オーセルの夫、2010年ノーベル平和賞・劉暁波の畏友、中国民主化の鍵を握る著者が、「国家機密窃取」の容疑で入獄などの艱難を乗り越え、9年の歳月をかけて新疆ウイグル人の内心と社会に迫った必見の書。
台湾での出版に次ぎ、世界に先がけて日本語版刊行。 (日本の読者へ 日本語版序文より) 私から見れば、2009年のウルムチ事件は端緒にすぎない。現在のところ、新疆の情勢は落ち着きを見せているが、これはただ弾圧によるもので矛盾は解決されず、怨恨はむしろ強まりそのエネルギーは、蓄積しつづけ、将来爆発するときはさらに激烈になるだろう。
〈本書 解説より〉中国で混乱が拡大すれば、隣国の日本も無関係でいられなくなる。王力雄が、新疆ウイグルの民族対立がイスラエルとパレスチナのような出口の見えない民族紛争になると再三再四警鐘を鳴らしていることを傍観すべきではない。王力雄に限らず、新疆ウイグルは中国の火薬庫と呼ばれている。それが「パレスチナ化」にさえなり得ると警告した本書は、日本人にとっても見過ごすことはできない。

【著者】 王力雄(おう・りきゆう) 1953年、吉林省長春市生まれ。中国の著名な作家、民族問題研究者。1978年「民主の壁」に参加。1984年、単独で黄河の源流から筏で1200キロメートルを下る。1994年、中国最初の環境NGO「自然の友」を創設し、中心メンバーとして活動していたが、チベット仏教僧の死刑に疑義を呈したことから、自然の友は当局から圧力をかけられ、2003年に組織存続のため自然の友から除名された。著書に『漂流』(1988年)、『黄禍』(1991年)、『溶解権力』(1998年)、『天葬』(1998年)、『ダライ・ラマとの対話』(2002年)、『逓進民主』(2006年)、『我的西域、く的東土』(2007年)、『聴説西蔵』(2009年、オーセルとの共著)などがある。その言論活動は内外で高く評価され、2002年、北京当代漢語研究所から「当代漢語貢献賞」、独立中文ベンクラブにより「自由創作賞」、2003年、ヒューマンライツウォッチから「ヘルマン・ハミット賞」、2009年、チベットのための国際委員会より「真理の光賞」などを受賞。

【訳者】
馬場裕之(ばば・ひろゆき) 1957年、新潟県生まれ。東京都立大学中退。世田谷区役所勤務を経て1987~89年、上海同済大学に語学留学。1990年から2001年にかけて天津、上海、撫順、北京で計8年間ODAの技術協力プロジェクトで業務調整員として勤務。現在は通訳・翻訳業。

【監修+解説】
劉燕子(りゅう・いぇんず) 作家。現代中国文学者、桜美林大学北東アジア総合研究所客員研究員。中国北京生まれ。湖南省長沙で育つ。1991年、留学生として来日し、大阪市立大学大学院(教育学専攻)、関西大学大学院(文学専攻)を経て、現在関西の複数の大学で非常勤講師。訳書に『黄翔の詩と詩想』(思潮社)、『温故一九四二』(中国書店)、『中国低層訪談録─インタビューどん底の世界』(集広舎)、『殺劫─チベットの文化大革命』(集広舎/共訳)、『ケータイ』(桜美林大学北東アジア総合研究所)、編著訳に『天安門事件から「〇八憲章」へ』(藤原書店)があり、中国語著書に『這条河、流過誰的前生与后世?』など多数。

出典:http://www.shukousha.com/item_373.html
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于建:誰が下層青年のチャイナドリームを圧殺しているのか(2)

2011-01-29 17:59:40 | 中国異論派選訳
戸籍と農地改革についての4つの提案

 今の戸籍管理重点から人口管理重点に切り替える。「住宅で人を管理する」、「身分証で人を管理する」、「仕事で人を管理する」といった新たな方式を検討する。地方政府官吏の業績評価体制を改革し、地区ごとに官吏勤務評価を域内総生産成長率と一人あたりGDP成長率の重みづけを変える。

 東方早報:今は地方のレベルでは土地改革面での経済的インセンティブは非常に強いです。

 于建:今の状況では、利益衝動がなければ、改革を始動させるのは困難です。全ての地方政府は経済人〔経済活動において自己利益のみに従って行動する完全に合理的な存在。実際の人間の行動を近似したモデル〕であり、利益を見つけ出すために改革しているのです。

 東方早報:あなたの研究によると、戸籍制度と農地制度の改革の突破口は何ですか?

 于建:主に4つあります。

 第一に、戸籍制度の改革はまず社会保障制度の改革から始めるべきです。中国の都市と農村の戸籍二元制度の実質は、公共サービス、社会保障の二元化です。後者を止めれば、前者は象徴的な意義しか持ちません。本当の戸籍制度改革は、国家レベルでも地方レベルでも、必然的に公共サービスや社会保障のシステムを一体化する改革です。公共サービス、社会保障システムの一体化は二つのことを意味します。一つ目はすべてをカバーし、社会構成員全てが比較的公平な基準で各自の義務を負担し、比較的公平な基準でサービスと保障を受けることです。二つ目は富の再配分を通じて共同の発展を実現し、社会的脆弱層への適度な傾斜配分を通じて共同の受益、スタートの公平を実現し、保証機能の強化を通じて、社会の安定を維持することです。よって、旧制度から新モデルへの転換過程で、まず都市偏重を薄め、戸籍と社会福祉を徐々に切り離し、先に内容を改め後に形式を改めるというやり方で改革過程での利益衝突と摩擦を緩和し、さらに一連の経過措置を通じて都市と農村一元管理の戸籍制度を実現すべきです。直接戸籍制度を排除するのは適切ではありません。

 第二に、科学的に参入規制制度を制定し、人の合理的移動を促進することです。戸籍制度の改革を通じ、「割当量制御」の代わりに「参入条件」を導入し、国民の居住と移動の自由の実現のために市場調整を主とする制度的前提を提供することです。市場調整による居住と移動の自由は、合法的な住所、安定した職業ないし収入源を基本とする定住許可条件です〔大いに疑問、居住の合法性を前提にする発想は居住権の際限のない制限を許し現状と変わらなくなる危険あり〕。

 各地の経済レベル、社会開発、自然資源など条件の差が非常に大きいので、中国は多様な都市化を進め、比較優位を発揮しなければなりません。たとえば、東部の経済の発達した地域では、県役場所在鎮と中心鎮を開発の重点とし、都市農村一体の労働力市場を作るべきです。西部の後進地域は、人口密度が低く、生態環境を守らなければならないので、限られた資金を集中し、規模の効果を利用し、優先的に中心都市を開発すべきです。

 第三に、条件のある地区では、農業・非農業の戸籍の区別を取り消し、都市農村一体の戸籍管理制度作りに急いで取りかかるべきだ。現行の戸籍制度の主な欠陥は都市と農村分離のその二元構造です。現在、多くの地方で戸籍制度改革にすでに成果が表れ始めています。人為的、行政的な戸籍「審査」制度を廃止し、参入条件をもって計画管理に替え、属地化管理〔属人では?江戸から明治への転換は人を土地にしばりつけた属地管理から戸籍という文書上での属人管理に移し、移動の自由を実現したことだった〕と職業登記を実行し、都市農村統一の戸籍管理制度を作ることです。それを基礎として、省・自治区・直轄市を単位として漸次広げてゆき、省・市・自治区の範囲内で統一戸籍を実現します。戸籍登記制度を強化改善します。戸籍管理重点から人口管理重点に切り替えます。先進技術を使って、静的管理から動的管理に切り替えます。「住宅で人を管理する」、「身分証で人を管理する」、「仕事で人を管理する」といった新たな方式を検討します。

 第四に、戸籍と土地制度のワンセット改革を実施することで改革の統一性が増します。都市で生活し仕事をしている農村労働力が経済発展の成果を共有できるようにするために、また都市の経済成長の潜在エネルギーを高めるためには、土地制度と戸籍制度の連動改革が必要です。建設用地割当量の地区を超えた再配置を許すべきであり、同時に、より多くの建設用地割当量を得た沿海都市はより多くの外地戸籍定住者を地元戸籍に受け入れるべきです。具体的に言うと、全国統一計画の中に都市建設用地割当量と農村の住宅用地の整理と耕作再開によって増える建設用地割当量を新たに盛り込み、どちらも地区間で再配置できるようにすべきです。しかしその過程では、土地の再配置は戸籍改革と連動し、より多くの建設用地割当量の必要な地区は、必ずそれに応じて地元戸籍付与者を増やさなくてはいけません。とりわけすでに都市で仕事や生活をしている外地戸籍の人々を受け入れなくてはいけません。地区間の土地利用割当量の取引メカニズムは効率と平等を兼ね備えていなければなりません。労働力は土地割当量と一緒に動き、土地制度と戸籍制度の連動改革を促し、より多くの労働力が経済集積の利点を享受できるようにする必要があります。地方政府官吏の業績評価体制を改革し、異なる地区の官吏の業績評価は別々にGDP成長率と一人あたり成長率の異なる重みづけをしなければなりません。

 公務員試験の不公正は非常に大きな問題

 今の中国社会は排他的体制になっている。最大の特徴は社会構成員の階層移動に非常に大きな障害があることだ。下層からの垂直移動の障害はますます多くなっており、本当に上層移動を実現できる人はますます少なくなっている。

 東方早報:いま中国経済移行における「第二世代」農民労働者の苦境について分析しましたが、あなたは一線都市〔北京、上海など特大都市〕の「アリ族」についてどう思いますか? 卒業後仕事が見つからなかったり、賃金の低かったりするために一線都市の農村との境界域に集まって住む大学卒業生が「アリ族」と言われています。一方で、かれら大学卒業生は大都市が提供する市場環境で仕事をしたいし、もう一方で、大都市の生活コストが上がっても、彼らは二線、三線都市に退却することはできない。なぜなら二線、三線都市は縁故主義がもっとひどくて、市場のチャンスが少ないからです。彼らは将来の不安も抱えています。

 于建:「アリ族」が直面している問題の、第一は生存の問題です。大都市はチャンスは比較的多いですが、生活コストも高く、卒業したばかりの若者にとって、親の援助がなければ、苦しい生活を送るしかありません。ただ、仕事を始めたばかりならそれも当然です。根本的な問題は自分の努力でキャリアアップしていけるかどうか、上昇の機会があるかどうかです。まさにそこに問題があるんです。

 今の中国社会は、排他的体制になっています。最大の特徴は社会構成員の階層移動に大きな障害があることです。下層にいる人の垂直移動の障害はますます多くなっており、本当に上昇移動を実現できる人はますます少なくなっています。ですから、「アリ族」たちは今ほとんどがまた希望と我慢の入り混じった段階にいて、どちらかと言うと自分に「努力」や「意志堅固」などを要求していますが、もし個人がどんなに努力しても現状を抜け出すことがでず、不利益が構造化されたら、彼らが社会の現実を厳しく問い詰める方に向きを変えないとは言い難い。それが進んだら社会に対する不満によって、「憤青」意識に満ちた下層青年になるでしょう。「役人の二代目」と「金持ちの二代目」が無節操にチャンスを独占し、社会の基本的な公平と構成のルールを破るのを見て、下層青年の心の中の公平正義の理念は踏みにじられ、社会に対する反感が芽生えるでしょう。ですから、「アリ族」の本当の問題は、「農民」労働者「第二世代」と似たところがあり、これもやはり「希望」と「絶望」の問題です。

 東方早報:公務員試験の面接試験で不正が問題になっています。たとえば、公務員採用になぜ「声をかけた人」〔コネからの連絡〕がよくあるのかです。

 于建:どうやら、公務員試験の不正は大問題のようです。国家公務員試験は現在唯一庶民が上昇して体制に入るという希望をかなえられる制度です。もし公平公正が維持できなければ、この社会は非常に危険です。これは非常に重要な最低ラインです。もし私が農民の子で合格したら、それは社会に努力しさえすれば、社会的地位を得られるという実証効果を与えます。

 公務員試験の公平を維持できるかどうかは、中国においては任用制度の問題であるだけでなく、深刻な政治問題です。それは私たちの社会の下層社会の青年が、希望を感じられるかどうかの最低ラインです。もしもこの土台さえだめなら、反抗するしかありません。

 例えば「私の成績の方が良かったのに、なぜ採用されないんだ」となったら、どうなるでしょう? これは一人二人の将来の問題ではありません。社会に対する基本的な信任の問題であり、信頼の問題です。

 社会には二つの基本的信頼があります。一つは司法の公平であり、私たちの権利が侵害された時の救済を保証します。もう一つは社会的上昇の機会が平等に与えられているということ。多くの下層民衆の不満は剛性公平の公務員試験を通じて鎮めることができます。私は、下層民衆の上昇の最後の望みが断たれないことを願っています。

 社会の最低ラインはすでに形成されている

 「役人二代目」や「金持ち二代目」といった身分の形成は、中国社会の階層分化がすでにほぼ完成していることを示している。

 東方早報:あなたは最近下層青年と社会安定の問題を研究されていますが、それについて紹介してください。

 于建:その課題は中国社会科学院の委託課題です。今年初め、私が新華社のインタビューを受けた時、下層青年問題について話しました。彼らは私の見解を内部参考〔党幹部に提供する情報〕にまとめました。中央の指導者がそれ見て書面指示を出し、うちの社会科学院が私に詳細研究を委託したのです。私たちは主に社会安定の視点から、現在の社会の基本的感情、たとえば下層青年、芸術青年、社会憤青の意識、および彼らの感情が社会にどのような問題をもたらすのかを研究しています。

 例えば、個別の襲撃事件、「3・23南平小学校殺人事件」〔2010年の3月に福建省南平市の小学校校門前で起こった殺人事件。小学生8人が死亡した。犯人は失業していた中等専門学校卒の元医師。〕は明らかに重大な犯罪ですが、インターネット上の評価は違って、多くの人が殺して当然と言っていました。ニュースの評論も問題があり、一部の新聞は、タクシー内で、運転手があそこの学校は貴族学校で、金持ちか役人の子供だと言ったと書いていました。これは非常に簡単な対立の論理です。

 「南平事件」発生後、私は24日福建に行きました。私はこれは反社会的人格の問題だと思います。反官僚の問題だと考えるべきではありません。反社会的心情と反官僚的心情は違います。例えば上海の「楊佳事件」では、警官の制服を着た男という明確な攻撃目標がありました。警官の制服を着た女は目標ではありませんでした。湖南省永州の「朱軍事件」では、その明確な目標は裁判官でした。しかし、南平事件は違います。彼が目標を小学生に定めたのは、小学生が攻撃し易かったからです。ですからこの二種類の事件は違うのです。

 上述の社会意識を研究していて、憤青の最大の特徴は「官民対立」と考えることだという発見をしました。どんな問題が起きても、憤青は必ず「民」の側に立ちます。それには「遊侠」の含意もあります。「おれは正義を貫く。役人のやることには何でも反対する」という調子です。

 南平事件で「殺して当然」という見方は深刻な社会の精神不安定を反映しています。私が南平から戻ってから、ある国家級のメディアがわたしに編集者、記者への講義を依頼してきました。ある30過ぎの編集者が、次のように話したので私は意外で驚きました。「私は殺して当然だと思います。かれら金持ちの役人は生まれた時から多くの資源を握っているんですから、そのためのリスクを負担するのは当然です」と彼は言いました。

 これは一種の新しい「出身論」です。もし国家級メディアの従業員がこのような考え方をしているとしたら、憤青は下層の憤青だけでなく、全社会いで新しい対立感情が生まれているということです。それはいよいよ社会の溝が大きくなり、社会に下層が生まれ、上層と下層が分離しているということです。

 なぜ民衆は「金持ち二代目」と「役人二代目」を憎むのでしょう? 若者が官途についたら、大衆はすぐに「お前の親も役人だろう」と言います。なぜでしょう? なぜなら若者の中には、「親が役人でない」人が少ないからです。これは私たちの社会が関心を寄せなければいけない問題です。

 「チャイナドリーム」の意味
 
 チャイナドリームは誰もが民主的立憲制の政治体制の下で、自分の努力で自分の運命を変えることができ、公平に国家経済発展の成果を享受できることである。

 東方早報:米国が台頭する過程で、アメリカンドリームが生まれました。それは米国ではがんばり続ければより良い生活が得られるという理想、また人は自分の仕事を通じて勤勉、勇気、創意と決意で繁栄に至るのであって、特定の社会階級や他人の援助に頼るのではないというものです。アリ族大卒者と第二世代「農民」労働者にとって、チャイナドリームとは何でしょう?

 于建:私が思うに、チャイナドリームとはつまり経済的に発展した中国がより民主・自由・平等・公平になることです。彼らが民主的な立憲制の政治体制の下で、自分の努力を通じて自分の運命を変えることができ、公平に国家経済発展の成果を享受できるようになることです。この夢の前提は、中国の現在の排他的体制が徐々に解消し、一人一人の努力が報われるようになることです。

 収用条例は暴力的収用を止めることはできない

 一つの収用条例だけで違法な暴力的収用を解決することはできない。それは体制的な問題である。我々は末端役人だけを責めるわけにはいかない。中央政府は地方政府の多くの負荷を減らさなければならない。地方政府の負荷を減らすことで初めて中央の負荷を減らすことができる。地方の負荷を減らすことで初めて民衆の負荷を減らすことができる。

 東方早報:今年初めに国務院法制事務局が「国有土地上の家屋収用と補償条例(意見募集稿)」を発表〔2011年1月21日国務院が公布・施行〕しましたが、この条例が施行されたら、違法な暴力収用は減ると思いますか?

 于建:減りません。土地収用の代々の問題は地方政府の巨大な利益と結び付いていることです。現在の経済発展の中で非常に重要な方法は投資で、投資を最も増やすのは建物と土地です。土地が足りなければ家を壊す。この巨大な利益と経済発展方法は一つにつながっていて、この問題が解決しなければ、一つの収用条例だけで違法な暴力収用は解決しようがありません。これは体制の問題です。役人の個人的資質の問題ではありませんから、暴力的収用は減ることはありません。

 東方早報:あなたは末端役人についてどう考えていますか? 現在たくさんの末端役人の腐敗事件が起きていますが。

 于建:私たちは末端役人だけを責めることはできません。私が思うに、中央政府の末端政府機関に対する判断には問題があります。それは、末端は汚職役人で、中央だけがちゃんと仕事をしているとか、中央の幹部だけが良い幹部だという判断です。もし末端幹部が民衆のために仕事をしなかったら、上級政府が一票否決制〔業績評価で、多項目のうち1項目でも不合格なら再任しないという制度〕で首にするという考え方には大きな問題があります。

 中国の末端官吏が悪いのは制度が生み出したものです。例えば、税負担が重いのは制度で定められています。そうしなかったら今世界で二番目に豊かな政府でいられますか? しかし、中央政府は末端だけを責めて、勝手に税を徴収していると言っている。中央政府は国税が足りなかったら、地方税で補え、地方税が足りなかったら、財政で補え〔事業を減らせ〕、財政で足りなかったら、給料で補えと言っている。末端の郷鎮幹部は、農民からカネを集めなかったら、給料もない。ですから私たちは地方政府の困難も理解する必要があります。

 例えば陳情で上がってくる問題の多くは中央の政策が原因ですが、何年も前の未解決問題で、いまでは地方が解決しようもない。しかし中央政府は地方に対して問題を地元で解決しろと言うだけで、能力のありなしには関わりません。もう一方では地方政府に圧力をかけ、一票否決制を実行しています。ですから、官職を維持するために、末端官吏は陳情の民衆を捕まえ〔拉致監禁し〕ないで、カネを出して安定を手に入れないで、何か別の方法があるでしょうか? ですから私たちは地方役人の悪を全て人格の悪さだと判断すべきではないのです。職務の悪と人格の悪は関連はありますが、やはり別のことです。

 多くの場合、中央政府は多くの面で地方政府の負荷を減らす必要があります。地方政府の負荷を減らすことで、初めて中央の負荷も減り、地方の負荷を減らすことで、初めて民衆の負荷も減ります。中央は末端官吏について正確な判断をすべきです。末端官吏にはもちろん腐敗があり、飲み食いは大きな問題です。しかし本当の大きな腐敗は末端ではありません。私たちは末端官吏について新たな判断をすべきです。全ての悪を末端に帰すべきではありません。

 人民代表の専任化

 末端から始めて、人民代表の専任化は多くのことを変えることができる。民衆が人民代表の選任をコントロールできるようにし、空間をもって時間に替え、一歩ずつ社会を進歩させなければならない。

 東方早報:末端官吏の問題について分析を続けてください。現在一部の末端官吏のヤクザ化現象が暴露されています。例えば広東省雷州のある鎮の人民武装部長はヤクザの幹部でしたし、重慶市公安局の元副局長の文強らもヤクザ事件に連座しました。

 于建:末端官吏のヤクザ化にはいくつかの原因があります。第一に、長年の利益対立で、利益のためにやむを得ずヤクザと組む人。第二に、一部の幹部がなぜヤクザを利用するかと言うと、ふたつあって。まず、ヤクザを利用して利益を得る。次にヤクザを利用して事業を進める。例えば収用、収用はヤクザを利用して官吏が儲けるのではなく、家を壊させるのです。

 ヤクザは非政府の暴力組織なのに、なぜ末端官吏と結び付くかと言えば、利用関係です。農民が〔その後廃止された農業税の〕徴税に抵抗していたころ、一部の官吏はチンビラに徴税を頼み、1万元集めたら2千元をチンピラに渡したりしていました。役人は暴力をふるってはいけないので、チンピラに頼んで、チンピラが政府の代役をしたのです。

 東方早報:あなたは今の末端人民代表大会をどう見ますか? メディアではよく人民代表が酔っ払い運転で人をひき殺したとか、不法行為を行っていたとかという記事をよく目にしますが。

 于建:それは大きな問題です。誰が民衆の家を壊しているのか? それは彼ら人民代表です。多くの人民代表は政府・裁判所・検察庁の役人が兼任しています。ですから人民代表を使って末端の問題を解決することはできません。

 私たちは、人民代表の専任化を通じて、政府・裁判所・検察庁の監督を行うことを提案しています。民衆が政府を信用する社会、民衆が人民代表の選任をコントロールできる社会を作らなければいけません。この方法を通じて社会の進歩を推進します。

 この人民代表職業化は、人民代表を兼任して自分に箔をつけようとする人を駆逐することができます。4年間は専任の人民代表で、事務室も給料も与え、毎日事務室に行って民衆を迎え、民心民意を理解させる。四川省の羅江県ではすでに始めています。末端から始めて、人民代表を職業にし、社会保険も科級〔係長級〕幹部の給料も払い、民衆のために仕事をさせる。人民代表を職業化することによって、多くのことを変えることができます。社会を一歩ずつ前に進め、空間をもって時間に替え、末端から改めて行けます。

 現在の安定維持のコストはどれほどでしょう? 陳情受付事務局のコストはどれほどでしょう? 国家にはある種の和解、ある種の政治的な相互信頼が必要です。社会を新しい構造に作り変え、新しい問題を解決しなければなりません。

 私たちは、なんとかして社会に方向を示す必要がありますが、人民代表の職業化は民衆と政府の関係を強め、政府・裁判所・検察庁を制約し、民衆のために役立つサービスを提供することができます。

原文出典:http://www.rmlt.com.cn/News/201007/201007151239332210.html

(転載自由、要出典明記)
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于建:誰が下層青年のチャイナドリームを圧殺しているのか(1)

2011-01-29 17:57:07 | 中国異論派選訳
于建:誰が下層青年のチャイナドリームを圧殺しているのか(1)

2010年07月15日

初出:東方早報 作者:于建

 「農民」労働者〔原文「農民工」、日本語文脈でもそのまま使われることが多いが、ここではあえて直訳してこの言葉の奇妙さを強調した〕「第二世代」と「アリ族」大学生が「チャイナドリーム」を実現できるか、自分の努力で仕事で成功することができるか、社会的上昇実現の「希望」があるか、それは中国の経済移行を左右するカギだ。

 中国社会科学院農村発展研究所社会問題研究センター主任于建教授は最近本紙の記者の単独インタビューを受けた時にそう語った。

 今年48歳の于建は7月6日社会安定問題についての中国浦東幹部学院での講義の合間に本紙記者の単独インタビューを受けた。于建は、「チャイナドリーム」とは個人が自分の努力で自分の運命を変えることができ、公平に国家経済発展の成果を享受できることであり、この夢を実現する前提は、中国の現在の排他的体制を徐々に解消し、一人ひとりの努力が報われるようにすることだと力説した。

 于建によると、現在の中国社会は排他的な体制であり、その最大の特徴は社会構成員の階層間移動に巨大な障害があることだ。下層の社会構成員の垂直移動の障害が多ければ多いほど、上昇移動を実現できる人は少なくなる。「役人の二代目」と「金持ちの二代目」が恥知らずに機会を奪い、社会の基本的な公平と構成のルールを破ることで、下層青年の心の中の公平正義に対する信念は破壊され、社会に対する反感が生まれる。

 近年、于建は何度も沿海部の工場調査を行い、「農民」労働者「第二世代」が「将来はどこにいるか」、「将来は何をしているか」という質問に対する回答が非常に悲観的であることを発見した。「彼らは毎日仕事をしているが、将来に希望を感じられず、前途を悲観している」。

 于建によると、「アリ族」大学生が直面する問題と「農民」労働者「第二世代」の問題とは共通点がある。つまり「希望」か「絶望」かという問題だ。

 于建は国家社会科学基金重要課題「都市農村経済社会一体化新枠組戦略の中の戸籍制度と農地制度ワンセット改革研究」の主席専門家だ。彼は学界では有名な足で実証研究をする学者で、長年下層を歩いて来た。2001年、博士論文『岳村政治――移行期中国農村政治構造の変遷』の出版で、于建は学界の新星となった。

 2004年後半、彼が主宰する研究チームは「陳情の制度的欠陥とその政治的危害」と題した調査報告を発表し、陳情制度をどうするのかという論争を引き起こし、上層部の注意を引いた。

 ここ数年、于建は観察的インタビューを基礎に、制度資料と歴史文献研究を結び付けて、あいつで多くの中国の労働者と「農民」労働者に関する著作を発表している。著作には『中国工人階級状況:安源実録』、『当代中国農民の権利擁護抗争:湖南衡陽考察』、『漂流する社会:「農民」労働者張全収と彼の事業』などがある。

戸籍制度改革は要点を把握していない

 戸籍制度背後の問題はまだ解決していない。戸籍と職業選択、賃金、医療、住宅、社会保障、福祉は分離されていない。いま多くの地方の戸籍改革は問題解決のためではなく、農民から土地を奪い取ることに焦点を合わせている。

 東方早報:国家社会科学基金重要課題「都市農村経済社会一体化新枠組戦略における戸籍制度と農地制度のワンセット改革研究」の主席専門家として、いまの研究の進捗状況を教えてください。

 于建:これは期間3年の課題で、いまは2年目です。この1年余り、私たちは全国の多くの地方の関連政策と実践について調査し、いくつかの経験の取りまとめを行いました。これまでの研究から見て、全国各地で行われている戸籍制度改革は問題の要点を把握していません。

 東方早報:あなたの言われる問題の要点とは何ですか?

 于建:現在、多くの地方の戸籍制度改革は表面的なものです。たとえば戸籍簿を農村戸籍ではなく都市戸籍と表記したり、外地の人が家を買ったり仕事に就くことで現地の戸籍を得たり、ひそかに戸籍を移せるようにしたりという改革をしている。しかし、戸籍制度の背後の問題には手をつけていない。戸籍の上に張り付いた職業選択、報酬、医療、教育、住宅政策、社会保障、福祉は分離されていない。もし都市と農村の一体化の中でこれらの問題を解決せず、農民に戸籍一枚を与えるだけならば、多分何の解決にもなりません。たとえば、都市戸籍を得た農民の社会保障と、もともとの農民の土地問題はまだうまく解決されていません。

東方早報:例を上げてもらえますか。

 于建:私が以前書いた文章の中で、戸籍制度改革は農民に実益がなければならないと主張しました。しかし、いま多くの地方の改革は問題解決に目を向けず、農民から土地を奪うことを目的にしています。

 例えば近年深圳で推進されている「居住証」制度は、都市と農村の戸籍差別を「曖昧化」し、居住証で一部の優遇政策と福祉を受けられるようにしています。役人たちは農民に、「もうみんな都市戸籍で、都会人なんだから、農民みたいに土地を要求するな」と言っています。改革の目的は農民から土地を取り上げることで、改革の目的は人々の自由な移動を促進し、都市と農村の二元構造を改めることではありません。多くの地方の戸籍制度改革の動機は不純で、ほとんどが農民から土地を取り上げるためです。

 もうひとつ例を上げると、甘粛省のある県は都市化ノルマを達成するために、県指導部が頭に血が上って、14万人の「農村戸籍」を「非農業戸籍」に変更し、「うちには農民はいない。農業していても関係ない。みんな都会人だ」と言いました。この変更は新たな問題を引き起こしました。現地の農民は、農村戸籍だったら、農村の補助金を受けることができたかもしれないのに、〔金融危機後の内需拡大策の〕家電下郷では補助の対象から外れていたのです。そこで政府は「お前たちは農民じゃなくて、都会人なんだ」と言いました。ですが農民たちは「おれは毎日農業をしている」と言いました。このような改革は問題があります。

 盆栽式改革は「隔膜」を作っている

 都市化の道は付随する戦略的改革を進めなければならず、盆栽式改革ではだめです。もし大きな背景を持つ社会改革がなければ、戸籍制度の改革は問題が起きます。

 東方早報:戸籍制度改革と都市化プロセスとはどんな関係があるんですか?

 于建:国内の一部の地方の戸籍制度改革は、農村発展問題を解決できないだけでなく、農民の生活問題も解決できず、農民の土地問題も解決できません。農民が農村を離れ、都市に移った時、土地は返納すべきか、どう返納するか?

 中国の都市化は、付随する戦略的改革を進めなければならず、盆栽式改革ではだめです。もし大きな背景を持つ社会改革がなければ、戸籍制度改革は問題が出ます。

 戸籍制度を改革するということは正しいですが、今は都市と農村の統一が欠けています。全ての人が自由に移動できる社会保障が欠けています。現在農民は平等な社会福祉を享受することができません。ですから、社会の一体化を進め、農村住民に最低限の公平公正を与えることが必要です。

 東方早報:戸籍制度改革に必要な付随的戦略的改革とは何ですか?

 于建:戦略的改革には3つの問題を解決しなければなりません。
 
 第一、都市と農村一体の、全ての住民もしくは市民が同等な公共サービスを受けられる体制を構築すること。

 第二、中国は農村を全て都市に変えることはできません。中国の農村はやはり存在し続けます。いかにして都市化過程で農村を良くしていくか、それが緊急の課題です。

 第三、全ての改革は人間を尊重し、人々が幸福と平等を享受できるようにしなければなりません。しかし多くの改革は実際は「隔膜」を作っています。例えば、住宅建設。今の「農民」労働者の飯場のような住宅ではだめです。例えば、上海市宝山区のある公立学校は、地元戸籍の学生と「農民」労働者の子弟を、様々な規則を作って東西に分け、互いに交流しないようにしています。また北京市大興区は一部の農村を封鎖式管理をし、外地人を隔離しています。これらはみな人為的な階級差別です。

 未来の「農民」労働者第二世代はどうなるのか

 「農民」労働者第二世代は農村に帰属感はありませんし、帰ろうとも思っていません。都市と農村の一体化には、彼らの特徴を考慮する必要があります。しかし、「農民」労働者の賃金は彼らが都市に根を下ろすという夢を実現するには足りません。

 東方早報:「農民」労働者向けの住宅建設は強い身分属性がある?

 于建:そうです。それはだめです。第二世代移民の問題に関わります。第一世代の出稼ぎ労働者は、農村への帰属感があり、出稼ぎでカネを貯めたら最終的には村に戻って家を新築しようと考えていました。第二世代「農民」労働者は農村に全く帰属感はなく、帰ろうとは思っていません。いま都市と農村の一体化、戸籍制度改革を進めるにあたって、第二世代「農民」労働者問題を考慮しなくてはなりません。

 何年か前に大勢の第二世代「農民」労働者のインタビューをしたときに、「将来はどこにいると思う?」と聞いたら、多くが「分かりません」と答えました。続いて、「農村の実家に戻るだろうか?」と聞くと、彼らの回答は「戻らない」でした。彼らにとって将来の最良の計画は小さな町に家を買って、小さな店を出すというものでした。この彼らの回答は将来に対して非常に悲観的なものです。

 東方早報:第二世代「農民」労働者調査の時の具体例を紹介してもらえますか?

 于建:2008年、私が深圳で調査をしていたとき、ある紙箱工場で3人家族に会いました。父親と娘と息子、3人ともその工場で仕事をしていました。父親に将来どうするか聞くと、彼はあと何年かしたら家に戻ると言いました。次に彼の娘に聞くと、娘の回答は最大の希望はいい旦那にめぐり合うことで、「旦那はできれば町の人がいい、そうすれば出稼ぎしなくていいから」といっていました。最後に息子に「将来何をする?」と聞いたら、「分からない」と答えました。

 この家族は特に印象深かったです。息子は「何でおれに将来のことなんかわかるんだ? どっちにしても(農村には)戻らない」と言っていました。この家族はもうすでに故郷に家を新築していました。続けて息子に「故郷で嫁さんを探すかい?」と聞くと、「故郷で嫁さんなんか探せないよ。結婚式は村でやるかもしれないけど、農村にはすまない。農業したこともないし、土地もないし。」と答えました。続けて「深圳に居続けたいと思うかい」と聞くと、かれは「思う」と答えました。

 比較すると、都市で仕事のある大卒者は、生活は予測可能です。仕事があることで、給料で家を買い、そこに居続け、結婚して子供を産むという予測が可能です。例えば上海ですでに仕事のある大卒者は、住宅がいくら高くても、手を尽くして家を買い、仕事を続けようとします。しかし、第二世代「農民」労働者はそうはいきません。なぜなら彼らの賃金では彼らの夢を実現できないからです。

 漂流する社会

 今は社会全体が漂流し、人が漂流し、人心も漂流しています。都市化過程での農民に対する対応の一部は人間性が欠如し……人を機械扱いしています。
 
 東方早報:あなたの調査によると、第二世代「農民」労働者は生活の展望がなく、将来性がないという問題は、社会の発展にどのように影響するでしょうか?

 于建:第二世代「農民」労働者の問題について、私は数年前に「漂流する社会」という定義をしました。これは最初は私の書いた『漂流的社会:農民工張全収和他的事業』の表題です。

 今は社会全体が漂流し、人が漂流し、もちろん人心も漂流しています。都市化過程での農民に対する対応の一部は人間性が欠如しています。

 私が深圳でインタビューした第二世代「農民」労働者は、毎日仕事をしていますが、未来に希望を感じられずにいます。その非常に重要な原因は工場の管理に人間性が欠如していることです。

 富士康事件は多くの問題を暴きだしました。その中でたとえば住宅問題は、知ってか知らずか、工場は河南人、広州人、江西人を同じ部屋に集めていました。お互い生活習慣が違い、甲はトウガラシが好き、乙はニンニクが好き、言葉が通じず、お互い話をしません。

 このような人を機械のように管理するやり方は、人間性が欠如しています。このような居住条件の下で、第二世代「農民」労働者はもともとの生活と引き裂かれます。もし同郷人と一緒に住めば、お互いに交流できます。マントウを食べる習慣の人を一緒に集めることがなぜできないのでしょう? 「組織」や「グループ」があることが管理にとって不利と言えるでしょうか? いまは無理やりマントウを食べる人と、麵を食べる人、小麦を食べる人と、米を食べる人を一つの部屋に住まわせています。これは単に戸籍の問題だけでなく、第二世代「農民」労働者をどのように農村社会から都市社会に溶け込ませるかという問題です。

 東方早報:中国経済移行という背景の下で、第二世代「農民」労働者がぶつかっているとは問題は何でしょう?

 于建:いま第二世代「農民」労働者のぶつかっている問題は主に3つあります。

 第一、カネがない。賃金は都市に溶け込む支えとしては足りません。

 第二、コミュニティの生活に溶け込めない。ですから毎日の仕事はまるで機械です。毎日の最大の願いは休暇に帰郷することです。毎年の最大の願いは年越しに家に帰ること。たとえ3日間の休暇でも、たとえ切符が買いにくくても帰りたい。何日かして戻ってきたらまた機械に変ります。毎年毎年、これで前途に希望が持てますか?

 第三に、最も重要なことですが、戸籍などの制度的な原因で、かれらは都会人になる望みがない。第二世代「農民」労働者は都市化の過程で、土地と戸籍の問題にぶつかるだけでなく、人間性の問題にもぶつかります。これは何とかしなくてはならない問題です。

 都市の破片

 「農民」労働者を都市に溶け込ませることは、機械の操作とは違います。政府は彼らを都市の「孤島」に隔離したり、破片のように都市の主流生活の外に追いやるのではなく、しっかりとした計画を立てなくてはなりません。長期的に見たら、住宅も必須です。

 東方早報:技能訓練と職業学校を通じて、うまく第二世代「農民」労働者を都市に溶け込ませることはできませんか?

 于建:それらの研修は職業技能研修の機能だけで、都市社会に溶け込むのをサポートする機能はありません。「農民」労働者が都市社会に溶け込むのは、機械を操作するようにはいきません。政府は、彼らを都市の中の「孤島」に隔離したり、破片のように都市の主流生活から遊離させるのではなく、しっかりとした計画を立て、彼らに都市を理解させ、都市社会に溶け込むよう支援し、都市のコミュニティ生活を送れるように支援する必要があります。また、「農民」労働者が都市社会に溶け込むには、長期的に見て住宅も必要です。今の社会は第二世代「農民」労働者の移動に、まったく住宅支援をしていません。たとえば、私がインタビューした工場に働く夫婦は、工場の規定で宿舎内では一緒に住むことを禁止され、また外に部屋を借りるカネもなく、会うたびに気持ちが沈むということでした。私は深圳でたくさんこのような状況に出会いました。夫婦が同じ工場で仕事をしていても、工場側が人為的に夫婦を引き裂いているのです。そうでなければ一部の工場が「夫婦宿舎」を提供したことがニュースネタなどにはならないでしょう。

 私はこうした工場の責任者にもインタビューしました。彼らは自分たちが正しいと思っています。工場の宿舎は夫婦同居を保証する場ではなく「ここは仕事する場所なんだ」というのです。しかし、労働者の賃金では部屋を借りるのは無理で、政府も住宅支援はしません。これは大きな問題です。

 東方早報:あなたは工業化した地域では、政府は中低所得層向け住宅を作るときは「農民」労働者のことも考慮すべきだと言われるのですか?

 于建:まず「農民」労働者家庭の別居を避け、彼らが都市社会に溶け込めるようにしなければなりません。彼らが自分の努力で都市に足場を築くことができると感じられるようにする必要があります。たとえば夫婦が都市で働いて月3000元を稼ぎ、月500元を払えば公営住宅を借りることができるのであれば、彼らは子供を連れてくることができ、子供を親元で学校に通わせることができます。都会で予測可能な生活を送ることができれば、その夫婦は、故郷の土地を手放すことも考えるでしょう。

 今はっきりしているのは、「農民」労働者は総じて都市に足場を築ける可能性がありません。可能性のない人はどう感じるでしょう? もしいま農民に向かって、お前が都市に来たら戸籍をやると言って、何の役に立ちますか? 住むところもない、子供を受け入れる学校もないんです。これは政策的に対応する必要があります。

 農民の土地を削り取るだけではいけない

 毎日農民の土地を削り取ってばかりではいけません。農民が自分で転出できるようにすれば、その土地は自然に空くじゃないですか? 今の多くの地方政府の改革は、「庶民」から見たら、「改革を通じて、利益を収奪している」のです。

 東方早報:現在都市住民のための中低所得層向け住宅、教育、医療などの公共財と公共サービスの提供の面でも不足しています、短期間のうちにこれらの公共財の提供を拡大するのは困難です。

 于建:一気に解決することはできません、方向は明確にすべきです。毎日農民の土地を削り取ってばかりではいけません。農民が自分で転出できるようにすれば、その土地は自然に空くじゃないですか? 今の多くの地方政府の改革は、実際は農民から土地を削り取ることです。例えば、重慶で行われている宅地取引は問題があります。

 東方早報:重慶の農村土地取引所は設立1年になりますが、世論は重慶は土地の権利取引を通じて、都市が農村を養う新たなルートを切り開いたとみなしています。

 于建:重慶の宅地取引改革の実質は、国家の農地に対する剛性保護政策を背景に、一部の宅地を取引し、宅地化割当量を集中し、国家の耕地保護目標を打ち破っているのです。

 重慶のやり方は農地転用の一形式です。基本農地ではないので、明らかに農民の住宅用地も上場することができます。しかも一部の用地目標の問題を解決することができます。それには一定の意義があります。しかし、そこにはトリックがあります。例えば、辺鄙な農村に1ムーの宅地を持っているとします。それは上場できます。しかし人が買うのはあなたのその土地ではなく、その広さの割当量です。当該の宅地を農地に戻したら、都市郊外に1ムーの農地を借りることができます。これは一種の農地の交換です。その結果、郊外の農地が宅地となります。肥えた農地のムー当たり収量は500kgにはなるが、宅地を農地に変えたら、ムー当たり収量はせいぜい50kgだろう。違いは大きい。

 このような改革に対して、私は慎重であるべきだという意見です。特にそこにおける利益分配問題に注意し、農民の土地権益略奪の手段に変えてはなりません。

 重慶は2007年に農地株制度改革を行い、その後廃止しました。農地株制度は農民に農地を現物出資させましたが、実際に大きな問題になったのは会社が利益配当しなかったことで、農民は自身の利益を守れませんでした。雲南省孟連のゴム栽培農家事件も教訓になります。いま多くの地方政府の改革は「庶民」からすればみな、「改革を通じて、利益を奪う」ものです。私はこの問題を非常に心配しています。

転載自由、要出典明記

誰が下層青年のチャイナドリームを圧殺しているのか(2)
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滕彪:分裂の真相ーー銭雲会事件に関する対話(2)

2011-01-18 22:44:29 | Weblog
(3)

乙:你也知道你掌握的只是一部分真相。你掌握的所谓真相其实只是权力默许你掌握的那些真相。比如你能看到村民打警察的录像,但是警察打村民的录像你看不到,或者根本没有录。问题是——必须说出全部真相吗?如何说出真相?
甲:不说出全部真相和说谎有区别吗?能用谎言对付谎言吗?
乙:你可能说出全部真相吗?真实的东西那么多。给你一万年也说不完。尼采说,真相是最深刻的谎言。新闻学上讲,“报道就是遮蔽。”你必须不说一些东西才能说出一些东西。政府非法征地、警方非法抓人、村民被侵权、办案违反程序,这个社会需要你说的,是这些东西。否则和人民日报有什么区别?政府做好的、做对的,早有人说上一万遍,用得着你去凑热闹吗?一个官员不腐败、拒绝贿赂,还是新闻吗?姜瑜说100多国家和国际组织抵制和平奖颁奖,这也许是真的;可是没有被说出来的事实是,全世界总共有58000多国际组织。矿难中救人、感恩、奇迹都是真的,可是你看不到尸体、看不是泪水、看不到腐败、看不到血煤经济、看不到遇难者的名字,这不是更应该说出来的那部分真相吗?
甲:负责任的公民应该做到不偏袒,不能唯恐天下不乱。政府有进步也应该肯定。我们和政府的关系不应该是敌对关系。虽然它没有经过选举,缺乏起码的合法性,可是政府也是来自我们周围的一个个人组成的,我们应该和政府一起改变这个制度。
乙:你要搞清楚自己的角色:是知识分子,还是政治家?是法官,还是旁观者?是公民记者,还是某一方的律师?
甲:那有什么区别吗?我有责任说出真相。
乙:当然有区别。不同的角色决定了你要说出不同的真相。记者要为采访源保密、律师不能告发在办案中了解到的自己委托人的犯罪事实,政治家要考虑选票和政治后果,公众人物要考虑责任伦理(造成影响的不是动机,而是行动的结果)。法官和陪审团,必须保持被动和中立,不能主动启动、也不能亲自参与调查。你不过是个被围观的围观者,被调查的调查者。——何况,我们前面讨论了那么多,你应该知道所谓“真相”是多么靠不住、多么分裂。
甲:那些谣言!毫无根据的谣言!索尔仁尼琴说,不能让谎言通过我兴风作浪!我们任凭这些谣言弥漫整个网络和整个社会吗?因为这次受到伤害的是政府,我们就对谣言听之任之、幸灾乐祸吗?何况,受到伤害的还有被关押起来的公民?
乙:谣言也是真相的一部分。政治越不透明,谣言就越多。没有谣言的自由就没有真正的言论自由。研究谣言的卡普费雷认为,谣言是“第一自由广播电台”,是一种“反权力”,它揭露秘密,提出假设,对当局提出质疑。
甲:谣言是病毒、是虚伪和阴谋诡计。
乙:不。谣言若能传播,一定有真实的因素在内。尤其是它反映了深层次的社会意识和社会问题。谣言就是现实,如同小说就是现实一样。比起真实发生的事情,人们愿意相信的事情甚至包含了更多的信息。维基解密说,每个中央高层官员都由瑞士帐户,其实没有证据之前,人们一直相信这一点。维基解密没有让国人震惊,人们早知道。就钱云会案而言,人们愿意相信这是谋杀,不愿意相信交通事故。
甲:也许认为谋杀的人没有你想象的那么多。心理学上有“沉默的螺旋”,每个人都有能力判断周围的“意见气候”。人们如果感觉自己的想法和观点,越受赞同或欢迎,就越愿意发表和扩散;如果感觉自己的观点处于少数或将受到广泛抨击,就更倾向于保持沉默。意见一方越沉默,越造成另一方意见的势。
乙:不错。
甲:再有,民众、弱者、受伤害者就能免于批判吗?反抗不等于正确,苦难不等于正义。就钱云会案而言,村民故意把交通事故说成谋杀,并希望引起公众对村民长年遭受的不公正的关注,这种可能性并不排除。
乙:钱云会被谋杀、被自杀还是被交通事故,已经不重要了。人们不再需要真相了,或者说,真相早已大白,那就是,政府谋杀钱云会被认为是最可能发生的,它发生过、正在发生,也将会继续发生。真相就是这个政府没有起码的合法性。真相就是这个体制失去了提供真相的能力。仍然有人寄希望于由中央出面直接调查此案,其实中央如果调查,会得出不同的结论吗?杀人的、毁尸灭迹的、颠倒白的,是这个吃人的制度,中央是吃人中心。即使中央想要真相,也得不到。中央的真相就是相信下岗者住的都是77块一个月的廉租房。长期的虚假宣传骗了民众也骗了他们自己。这是个没人负责的体制,若是传统皇权制,天下是皇帝家的,相信皇帝还有理由。而现在天朝是集体犯罪制、划片分赃制、帮权贵制、裸官制、革命前夜的乱七八糟制。相信中央还不如相信癞蛤蟆。我非常赞同孙立平先生的判断,中国的问题不是社会动荡而是社会溃败:全局性腐败和不义、体制性短视、道底线失守、社会向心力流失、政治无能、绝望、仇恨和非理性情绪蔓延。


(4)

甲:你说,真相被毁了。我们怎么办?
乙:记忆、记录。不要着急拿出结论。给你介绍个牛人,这个人走遍六十多个国家,一生亲身见证二十七场革命和政变,四次被判死刑,四十余次被关押,六次被提名诺贝尔文学奖。他可以在采访之地走上一整天而不与人交谈一句话,他认为,认真地去看、去听、去感觉,比录音、记笔记、纠缠细节更重要。这样的记录和见证是有深度的、有力量的。
甲:你说的是波兰国宝卡普钦斯基。
乙:我们需要这样的深度。艾略特说,人这种动物承受不了太多的真相。我们应该直接面对自己身处的时代,不能视而不见,不能急功近利,不能轻描淡写。我们应该对得起自己的苦难。这需要耐心、勇气和自我反思。没有对苦难和罪行的记忆,就没有一个民族精神的成长。没有对历史事件的记忆和理解,就没有历史事件。
甲:好在互联网时代使得垄断信息、垄断历史话语和历史解释越来越不可能了。民众参与公共事件和历史书写已经不可避免。皇亲国戚的历史,将变成平民的、网状的历史。
乙:没错。互联网天生是多元的权力系统。没有一个人能说自己所见到的是全部,任何真相都是多元的、沟通的、互动的、流变的真相。网络促成公众的想象和见证。在互联网时代的后极权社会,对某个事件的见证、围观、言说,形成了意义重大的“公众”。共同转发、评论某一个事件的帖子、分享同样的情绪,这把匿名的、分散的、未曾谋面的网民连接起来。——互联网连接的远远不止于信息,而是信念、情感、政治诉求和行动本身。前面我说,真相就是公检法、中宣部、档案馆、保密局和监狱;但屁民也并非没有权力。网络的权力将对传统的暴力系统、宣传系统形成最有力的冲击。公民在人数上、技术上都具有明显优势,尤其是,说出真相是无权者最重要的权力。
甲:可以说网络不仅新闻方式,而且改变了事件本身。
乙:网络也将改变政治运行方式、改变人对世界和对自身的认识。
甲:我们有了一些共识,不过分歧仍然很大。也许是行动者和思考者的区别?
乙:我和你的差别,极而言之,是精英主义和民粹主义的区别,是知识分子和政治家的区别,是批判者和建设者的区别,是后现代主义和现代主义的区别,是理性和激情、纳尔齐斯和歌尔蒙的区别。也许我们每个人身上都有这种分裂吧。

2011-1-17

出典:http://tengbiao89.fyfz.cn/art/893982.htm
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滕彪:分裂の真相ーー銭雲会事件に関する対話(1)

2011-01-18 22:37:50 | Weblog
分裂的真相——关于钱云会案的对话
发表时间:2011-1-17 21:32:00


滕彪

在一个分裂的年代,一个分裂的事件,掺乎进去一群分裂的人。我分裂了。你将看到,下面两个对话者都是我。你可以把下面讨论的钱云会案件当作是虚构的,只是碰巧和这一段时间的热点案件名字相同而已。再说,用“甲、乙”对话的形式写出来的东西应该是相声才对,用相声体裁来讨论苦难和死亡,是多么分裂,和残酷。

(1)

甲: 我们这个社会充斥了太多的虚假和谎言。假奶粉、假疫苗、假警察、假案件、假历史、假新闻、假报告。显然这是一个不健康的社会,生活在谎言中的人也不可能是一个健康的人。我们应该去寻找真相,我们太需要真相。
乙:谎言是这个体制的支柱,寻找真相就是寻找麻烦,就是挖社会主义墙脚。
甲:难道说谎不是更麻烦吗?为了圆一个谎,你就得撒更多的谎。制造谎言是为
了掩盖矛盾,结果却制造了更多的矛盾。
乙:真相和谎言是反义词吗?
甲:那还用问。历史上有很多谎言,但历史必将证明,真相战胜谎言。
乙:历史要是这么简单就好了。
甲:我的意思是,需要人的努力才能让真相战胜谎言。真相并不是自动获胜的。
乙:真相和谎言根本是无法截然分开的。真相本身在谎言包围中,谎言本身也包含了部分真相。有时候真理同时就是谬误。
甲:你这是庸俗的辩证法外加变态的后现代。
乙:别绕弯子了,你是不是想跟我讨论钱云会案件?一个多年上访维权、深受爱戴的村主任,蹊跷地死在重型车下,在网络上引起轩然大波。这让你着迷,这激发了你的正义感和好奇心,是不是?
甲:难道你的心灵没有被这个照片所震撼?难道真相不重要?如果是被谋杀的,你不为钱云会的命运感到悲哀、不为凶手的暴行感到愤怒吗?难道不应该将凶手绳之以法?如果不是谋杀,难道网民未经任何调查就认定的“谋杀”结论不会使无辜的人遭遇不幸?就不会出现另一个被冤判死刑的聂树斌?
乙:你以为你是谁?你是良知和正义的化身?你是真理的最终裁判者?你是福尔摩斯?你以为想得到真相就可以得到?你以为真相像是个挖宝游戏——有足够的时间、足够的人员和足够的技术,总是能找得到?
甲:没有谁是正义的化身。但我坚信我的正义理念。我可以做到问心无愧,没有私心。再说了,正义有那么复杂吗?不能杀人,不能拆别人的房子、不能剥夺别人的信仰,这不是不证自明的吗?如果一个社会竟然要嘲笑良知和真诚,那不是太可悲了吗?
乙:明显的东西不会成为人们关注的焦点。“杀人者死、张三杀人、所以张三死。”——如果法律就是这样的话,律师、法官、检察官、法学家、刑侦专家、法医专家,全自杀算了。
甲:可没有真相就没有正义。至少,钱云会案是交通肇事还是谋杀,都不弄清,还有正义可言吗?

乙:问题是,谁家的正义?哪一种真相?


甲:真相还分谁家的,还分哪一种?
乙:那当然了。真相就是权力。真相是生产出来的。寻找真相的主体(人)并不外在于历史、话语,并不外在于生产真相的体制。
甲:什么?真相成了权力的奴仆,真相成了任人打扮的小姑娘、无法捉摸的魔术?那正义不是虚无缥缈的扯淡了吗?那人的生命还有价值么?
乙:别急,兄弟。你的超乎常人的、纯粹的正义感让我佩服。但你恐怕没有意识到这东西的破坏力。这个以后再谈。关于钱云会案,据说你做了一些调查。
甲:没有调查就没有发言权,有一分证据说一分话。综合我所调查的全部情况,我的结论是——
乙:慢。我对你的结论没兴趣。我问你:你看到了尸体吗?你去看守所见到了目击证人吗?你见到了现场的录像资料吗?你见到了司机吗?你检验了轮胎痕迹吗?
甲:没有。可是——
乙:你当然没有。就算你是其中一个人的律师,你也不可能同时是被抓的重要当事人的律师。你是刑侦专家吗?你是法医专家吗?你是警察吗?你是痕迹专家吗?都不是。就算你见到了尸体、检查了汽车,由于你不具备专业知识,恐怕你也看不出个所以然。
甲:谁能同时具备这些能力和资格呢?你的要求未免太过分了。
乙:我要说的就是,真相是和这些专业知识、能力和资格密不可分的。除了强制力之外,知识也是一种权力。“权力”产生了真相。真相就是侦查权、鉴定权、调取证据权、会见权、阅卷权、立案权、拘留权、检察权、审判权。真相就是历史编写权、档案管理权、新闻权、出版权,就是中宣部、教育部、保密局和监狱。想想《1984》里的真理部、忘怀洞和101号房间,你就知道真相是什么东西。再举个例子,一些热点的杀人案件里,可能有精神病的人法院拒绝为其做司法鉴定,邱兴华,马加爵,何胜凯,杨佳,等等,最后被判死刑。另外一些没有精神病的、有钱有势的杀人犯,可以花钱让司法鉴定机构说他们有精神病,从而不用坐牢。——权力是真相之父,说权力就是真相也行。真相就是,现有的这些权力都在涉案的其中一方手里。一个公民调查团如果是为了掌握真相,从一开始就错了。
甲:权力是真相之父,那权力就是正义的爷爷了。枪杆子里出真相。你这“强权即公理”的老调调几千年了,早臭大街了。
乙:“权力就是真相”,和“权力应该是真相”是不同的,我并没有急匆匆地加以价值判断。我只是说,客观上就是这样。真相离不开权力和制度。“客观上”这个词也不准确,没有什么纯客观。客观就是主观。
甲:我相信公义、相信人性。它看不见,摸不着,甚至说不清,但它存在。历史从某种意义上说就是由这些看不见的东西推动的。
乙:你看看,主观就是客观。
甲:哈哈。
乙:就算你找到了法医专家,他们肯定在某个研究所或大学吧,他们敢得出和政府不一样的结论吗?交警、刑警、法官、记者,都一样。


甲:人是铁板一块的吗?体制是铁板一块吗?你应该看到了,记者也有很多不同的声音和不同的结论。你自己不就是体制内的学者吗?但我知道你从来不为了体制而说违心话。有人宁愿进监狱也要说真话、宁愿得罪绝大多数同胞也不愿意说谎。有良心、不说谎的专家,怎么可能一个都找不到呢?良知固然少见,总不至于绝迹吧。
乙:它可能少到你的寻找成本大于你的收益。
甲:正义是可以计算的吗?钱云会的命值多少钱?被冤判死刑的人命(如果本案有的话)值多少钱?
乙:当然可以计算。只是计算单位并不一定是钱而已。回到钱云会案。真相就是——没有真相。因为没有权力。周老虎、杨佳案、刘涌案、高莺莺案、聂树斌案、汶川地震、八乘八、文革、镇反……真相是什么?每次我们最有兴趣知道真相时,每次我们都进了“罗生门”。有人去调查汶川地震,但是他们得到了什么真相?真相就是谭-作-人、黄-被关进监狱、艾未未脑袋开瓢儿了。没有权力就没有真相。
甲:你似乎对价值、意义、真理、标准、良知一股脑儿抛弃了。再往前走一步就是法西斯。
乙:必然性、道、正义、人民、真理,这些东西离极权主义的距离似乎比我更近。你比我近。
甲:你不喜欢我用“大词”,但你也不能走得太远吧。咱们一起生活了快四十年,你竟然迷恋分裂、碎片、虚无。
乙:我迷恋细节。上帝在细节之中,魔鬼也在细节之中。细节是最有力量的。如果没有细节,苦难、死亡、正义、真理、自由、民主这些概念,一文不值。
甲:“只见树木、不见森林。”细节是一座迷宫,有时候你不俯瞰全貌,走不出来的。你说到《罗生门》,同一个事件,却有几种不同的描述,若只看细节,越看越糊涂;但作为法官,综合各种说法,可以比其他人更接近真相。而且泽明走了一圈又回来了,借行脚僧之口说出“相信人性”的主题。


(2)

乙:问题是,谁是法官?你自封为法官吗?你没有私利吗?法官独立、法官终身制和高薪制、当事人申请回避的权利,这些司法制度安排,就是为了尽可能防止法官的私利在案件中产生影响。
甲:但是我们的司法体制已经腐烂了。颠倒白的判决太多、政治谎言太多,对人民欠债也太多。这个政府已经丧失了最基本的公信力,以至于它在说真话的时候都没有人信。乐清的警察说:“我们现在都不知道怎么处理好了,怎么处理都是我们错。”“人死了,我们不开新闻发布会,说我们不透明了。我们开新闻发布会,又说‘要是普通车祸你们开什么新闻发布会,此地无银三百两’。”政府堕落到这个份上真够惨的。公民调查团本身不就很明显地说明这一点么?一个正常的社会,有基本公正的司法机关、有开放的媒体和民主的议会、有作为政治紧急出口的游行示威权利,怎么可能出现“公民调查团”这种怪物?吃饱了撑的是不是?
乙:我们记得“狼来了”的故事。信任关系不是一天建成的。不信任也不是一天就产生的。平时作恶太多、公信力几乎破产、利益牵涉太多,这种情况下当地政府迅速把此案定性为交通肇事,谁信呢?这一次政府是否说了真话,也不得而知。比如该案现场监控的摄像头有问题,网友说:胡斌飙车案,摄像头因角度问题只拍到事发前没拍到事发过程。李刚门,摄像头刚好拍不到事发地。躲猫猫案,摄像头损坏未修复。做梦死案,监控因电脑硬盘故障不能调看。盖被死案,摄像头不知为何空白了20分钟。张凯律师在北京被追杀,摄像头也有问题。这么巧?如果不是做贼心虚,为什么抢尸体、不测速、抓证人、打证人、删帖子、骚扰调查者、折断手机卡……
甲:是啊。所以公民调查团和网络的持续关注有助于发现真相……
乙:真相!真相!真相死了!这个事件,从网络上疯转钱云会照片那一刻,真相就死了,永远死了!开国大典的照片都能造假,还有什么造不了假!录像也许已经毁了,尸体腐败了或做手脚了,电话记录被消除了,证人也许被恐吓永远保持沉默或作假证了,车也许换了,懂技术的专家也许都被买了,让敢说真话全闭嘴、不闭嘴就关起来。你知道天朝最擅长的就是把“也许”变成真的。还有删帖、封网、抓人、灭口。真相,他妈的,死了,永远没了。
甲:有网友说,对乐清事件就一句话:只要你丫敢删,我就敢信,继续删就继续信。大多数人只相信他们愿意相信的东西。这种非理性的力量只能使我们离真相越来越远。而真相是正义的前提。
乙:正相反。正义才是真相的前提。这里的正义也不是什么抽象概念,而是一系列制度:司法独立、证据制度、诉讼程序等等。“真相死了”,首先指的是那种唯一的、客观的、完全复原的真相是不可能的。在司法的意义上,没有那种真相。真相是一系列程序、一系列证据,是和人定的规则分不开的,和人的认识能力、推理、观念分不开的,甚至和人的想象、价值观、社会语境分不开的。进而言之,司法正义并非那种绝对的、纯粹的实体正义。因为案件一旦发生,就只能靠事后的证据、规则和人的分析推理来还原,绝对真相不可能,绝对正义也不可能。而程序正义是不完美的。人们长期的实践可以逐步改进诉讼程序。律师制度、专家鉴定制度、直接和言词原则、非法证据排除规则、证人保护制度等等,都是为了那种不完善的真相和不完善的正义。在我们的国家,政法制度达不到最起码的正义标准,离及格线还远着呢。真相的前提不存在。
甲:你是说,制度若是非正义的,真相就是不可能的?
乙:言论自由是最重要的和最基本的。真相在对话之中、在过程之中,没有自由交流,就没有真相。每个人看到的都只是一部分真相,要和别人看到的相互参照、沟通才行。福柯解构理性、主体和真理,而提出交往行为理论的哈贝马斯则对这些东西没有失去信心,人们可以按照一定的规则,通过理性的语言进行真诚的交流和反复的互动,用不着宣判主体和真理的死刑。
甲:别弄这些词来吓人,弄点实际的。你每多用一个“主体间性”,就会吓倒一部分读者。不用“主体间性”你会死啊?不就是“换位思考”吗?
乙:哈哈,差不多,但不一样。我跟你的区别:你希望读者多一些,我希望读者的层次高一些。——回到钱云会案。真相是一种制度。比如源自英国的死因裁判法庭(Coroner's Court)制度,只要死因不明,或死者亲人或律政司覺得死者的死因有疑,就可以向死因庭要求裁判,以決定死者的死因。受到政府看管关押者在看管期間死亡,也要由死因法庭作出裁決。死因裁判官有權發出埋葬命令、屍體剖驗命令和聆讯命令等,经过传召证人作证、经过法庭论辩,并作出死因裁定。有理性、规则、程序,由各方表达意见的机会,这就是追求真相的制度。如果我们借鉴死因裁判法庭制度,那么多类似躲猫猫案的载羁押场所非正常死亡案件,官员被双规期间被自杀案,莫名其妙的死亡案件(黄静案、钱晓玲案、钱云会案等),就不会变得如此糊涂、如此分裂。
甲:有道理。
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劉暁波:滑稽な愛国ストーム

2011-01-16 15:38:47 | Weblog
刘晓波:可笑的爱国狂飙——抵制法国货解决不了中国的国际困境
(2008年4月に発表された文章)

西藏危机触动了中国人的爱国神经,他们愤怒于3·14拉萨骚乱中的打砸抢烧,更加愤怒于西方媒体的失实报道,奥运火炬传递在西方国家遭遇的干扰,CNN嘉宾卡佛蒂的出言不逊,官方的“达赖集团阴谋论”扩张为爱国者的“西方阴谋论”,于是,海内外华人掀起新一轮反西方浪潮。创建反CNN网站,发动网络签名和抵制家乐福,举行示威游行、围剿长平和王千源,……

爱国主义之于今天的中国,确实是最好的作秀舞台,从政府到精英再到愤青,都可以在五星红旗的布景前尽情作秀。这种群起而争夺爱国花环的贪婪,让每个表演者的吃相太难看,也让小小的舞台拥挤不堪,就连律师们也想挤上来抢点儿残羹败。,君不见,海内外华人律师分别在北京和纽约起诉CNN。

六四后,中共政权重新祭起爱国主义旗帜,把“爱祖国”列为钦定道之首,以弥补其道义合法性严重流失,在官方的大力提倡和垄断灌输之下,爱国主义逐渐变成了绝对的"政治正确",唯一可以尽情宣泄的感情是爱国情绪,唯一得到官方默许的游行示威是针对外国的爱国游行。所以,在当下大陆,做一个爱国者是幸福的,那些满口的暴力语言和流氓腔调的网上爱国者就尤其幸福。他们可以无视基本事实和泯灭一切普世价值,陶醉于虚幻的自信自傲,尽情宣泄着仇恨好战的情绪。特别是借助于网络的言论空间,发言的方便和匿名的安全,使之可以肆无忌惮的逞口淫之快,爱国在道上迅速堕落为嗜血的下流的蒙面的阴暗的流氓主义。

这样的暴力化流氓化爱国主义,已经爆发过N次了。 现在,西藏危机提供了又一次机会,国人又可以表演爱国了。看似火山喷发般的爱国主义,与1999年、2001年、2005年几次爱国主义大爆发一样,既是独裁者的避难所,也是奴才的道面具。

此次反西方的民族主义狂飙之掀起,按照爱国者的说法源于西方媒体对中国的不公正的妖魔化。在我看来,此次中西冲突,与其说是源于西方对中国的妖魔化,不如说来自中国人的自我妖魔化。中共当局对拉萨的新闻封锁和驱外国记者,中共官员对达赖喇嘛的文革式指控,网络愤青的流氓化暴力化的口水,现代义和团式的抵制家乐福运动,海内外爱国愤青针对王千源本人及她的父母的野蛮围剿,甚至海外华人拥护中国政府的游行示威,即便假定其主观意愿是真心爱国,但其客观效果肯定是最绝妙的自我妖魔化。

尽管现在的中国自称为崛起的大国,但在此次反西方爱国狂飙的底色仍然是输不起的弱国心态;尽管“中国自古就是礼仪之邦”的滥调不断重复,但愤青们的表演却处处露出阴暗的尾巴,遍布MSN上的爱国红心包裹着千百年遗传的厚。所以从政府到民间的爱国者尽出洋相。中国愤青只敢向偶尔失误的西方媒体狂吼,却不敢向一贯瞒骗的自己国家的媒体嘀咕,已经凸显出国人的犬儒式聪明,让清醒的旁观者感到滑稽。满腔的爱国热情只敢发泄到小小的家乐福身上,这家以中国员工为主、主要卖中国货的廉价超市遭此劫难,完全是爱国者的愚蠢导致的自我作贱。美国CNN的某位嘉宾出言不逊,的确冒犯了国人,愤青们喊几嗓子“要求道歉”,也就罢了。但一贯以堂堂大国自居的中国政府偏要出来为愤青们撑腰,居然在三天内连续三次要求CNN这样的独立媒体道歉,且次次义正辞严。这种完全不对等的交锋,严肃点儿说,实在中国政府的自我矮化;戏谑点儿说,这叫中国政府的“自我恶搞”:声音越高亢,形象越渺小;面孔越庄严,效果越滑稽;用词越刻薄,心态越阴暗。

再看那些号召抵制家乐福的愤青想出的高招——“逛家乐福最新程序”——无疑是爱国者们自我妖魔化的经典:“最大的车,装满冰激凌、雪糕、速冻食品,一小时后走到热的角落,车一扔走人”;“去鱼市,选上等的鱼买一车,让其给切好,最后找个地方一扔,鱼全死全坏”;“拿针将包装食品全部扎孔,放气”……

这还不算,更有愤青用造谣的手段煽动进一步的反法思潮:“法国政府准备拿出二千万美金,用于家乐福五一降价促销,……要让中国人在促销中挤破家乐福,最好踩死几个人。法国电视台也在积极做准备,拍摄中国人到家乐福疯狂购物”。

面对这则短信,法国驻华大使苏和大使只能表示哭笑不得,他说:“这很荒唐……同时,我也有点难过”。

著名时评家长平先生发表短评《西藏:真相与民族主义情绪》,无非是用“言论自由”的常识来批评中国的新闻封锁和垄断信息的体制,即便是最难被愤青们接受的“ 言论自由天然包括说错话的自由”,也是普世性的基本常识。今日中国之所以需要不断地重复这类常识,不仅在于中共独裁仍然敌视这样的常识,而且在于意识形态灌输造就了大量愚民,致使中国的爱国愤青之智力大都低于常识水平。

没想到,长平先生立马遭遇铺天盖地的网络口水,“汉奸”、“反华势力代言人”、“西方走狗”等大帽子满天飞,完全是文革式大批判的翻版。更由于长平先生是《南都周刊》副总编辑,愤青对长平的声讨扩张到《南方都市报》。《北京晚报》的主编以“文峰”的笔名发表短文《造谣自由的南都长平》,就已经是“脑残”了。这位大主编居然把“言论自由天然包括说错话的自由”称之为“骇人听闻”和“恐怖”,只能说明他的智力已经低于 1+1=2的水平。

更可笑的是海外的留学生和华人所表达的爱国热情。爱国的大本营在中国国内,但爱国游行却出现在西方民主国家的大街上。那些在西方国家走上街头抗议西方媒体的留学生,即便在国内偶尔有机会被恩准游行,也未必有多少人敢于走上街头。再说了,在西方国家,民间游行从来都是针对政府的抗议,起码我从未见过拥护政府的示威游行。但某些中国留学生却隔着广阔的大洋举行拥护中国政府的游行示威集会,这让习惯于向政府发难的西方人很难理解中国人的这种遥远的爱国行为。

还有更荒唐的爱国情绪泛滥。在巴黎遭遇抢夺火炬的中国残疾火炬手金晶,马上被大陆爱国者塑造成“民族英雄”、“中华女神”、“ 圣火维纳斯”、“史上最美丽的火炬手”。然而,当金晶公开表示反对抵制家乐福时,这位“民族英雄”和“中华女神”瞬间变成“汉奸”和“卖国贼”。

另一位留学美国杜克大学的中国姑娘王千源,虽然年仅二十岁,却具有独立思考的能力和敢于迎风而立的勇气,但她的独立声音不但没有得到愤青们的最低限度的尊重,反而遭到海内外愤青的野蛮围剿,披露她的个人隐私,对她进行匿名的漫骂和恫吓,甚至向她在青岛的父母家门前泼粪;中央电视台网站4月17号还在首页以《最丑陋的留学生》刊登了她的照片和视频;她的母校青岛二中还懦弱地与她划清界线。

无论以什么样堂皇的理由,只要是拥护独裁政府的集会游行示威,只能带来强化奴役制度的效果。这种被独裁权力恩准的爱国狂飙,只能爱得颠三倒四、泯灭是非。与其说是勇气的表现,不如说是懦弱的表演;与其说是表达强烈的“爱”,不如说是发泄满腹的“恨”;与其说是独立思考的结果,不如说是被操控的盲目。而盲目而激进的民族主义将产生极为危险和富于侵略性的群体意识,当它以多数要求或国家利益的面貌出现时,对任何人都是一种无理的却是强有力的要挟甚至敲诈。无论多么杰出的智慧,只要第一次吸食民族主义的精神毒品,就会越陷越深地驯顺于这种要挟和敲诈,自愿出卖人的起码良知和平等待人的最低公正,先在视野上变成惟我独尊的井底之蛙,最后甚至变成狂热的好战分子。

在飘飘然的自我感觉的,这类爱国颠狂症还会不时爆发,但只有大国心态,没有大国风范。随着大国崛起的鼓噪,如果任由这种独裁化的民族主义泛滥,中国的崛起必将变成世界的灾难!

2008年4月22日于北京家中

作者:刘晓波
来源:http://liulaoxia.blog.sohu.com/106095294.html

出典:http://gaopichina.blogspot.com/2008/12/blog-post_2461.html
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余傑:秦暉と金雁--最も思想のある教授が最も貧しい

2011-01-01 21:13:59 | Weblog
秦晖和金雁——最有思想的教授最清贫

初出:2007年07月11日14:40   南方网 

余杰


秦晖和金雁夫妻,双方都是“术业有专攻”的人文学者。秦晖是当代中国最有影响力的学者、公共知识分子,现为清华大学人文社会科学学院教授。一九八一年,秦晖作为中国文革后首批硕士毕业于兰州大学,师从赵俪生教授研究农民史,特别是土地制度史与农民战争史。自八十年代后期,他转向研究经济史,主要为古代商品经济史及中外比较经济史。九十年代,他致力于结合历史研究与现实研究,在结合社会调查与历史文献分析的基础上建立农民学,并成为自由主义知识分子群体中的中坚人物。金雁是中国政法大学教授,对苏联和东欧的历史与社会转型问题有深刻而独到的研究。这两位学者相濡以沫、同甘共苦,在清贫与寂寞中保有着中国知识分子的尊严和独立。



秦晖先生言行从不高调,却始终坚守知识分子的道底线,他有名言曰:“高调再高,苟能律己,慎勿律人,高亦无害。低调再低,不逾底线,若能持守,低又何妨。”这便是自由主义者待人接物的基本准则。九十年代以来,大学教授的生存环境大有改善,愿意去当官和商的帮忙、帮闲的学者,想要过上“居有屋、食有鱼、出有车”的优越生活,突然变得易如反掌。对于大部分身处名校的教授来说,八十年代那种“脑体倒挂”的困难生活,已经成了一种遥远的回忆。秦晖和金雁夫妇却是其中少有的例外,他们没有去“走穴”,没有去申请那些投官僚之所好的学术基金,他们的学问与生命是融为一体的,他们抓住的问题都是中国历史与现实中的真问题。这样的学问当然很难在那些“核心期刊”发表,也不能获得官方的若干奖项。


在今天的教育界和学术界,最有思想的教授最清贫。九十年代中期,当秦晖和金雁夫妇刚刚调到北京,因多篇观点新颖和思想深邃的文章而引起学界注意的时候,我曾经和友人一起前去拜访和讨教。那时,他们住在北京外国语学院附近一套破旧狭窄的、名副其实的“陋室”之中,屋子的总面积大概不到三十平方米。一间小小的书房,四壁都是顶到天花板的书籍,还有更多的书还装在纸箱里,根本无法上架。秦晖幽默地对我们说:“有时候,为了查找一份资料,不得不搬开几个大箱子,满头大汗,如同大海捞针,也算是一种写作间隙的体育锻炼吧。”书架与书架之间的空隙,大概只能容一个人侧身而过。那时许多大学生都拥有了笔记本电脑,秦晖却告诉我们,笔记本电脑对他来说,还是一个计划:“本来早就想添置一个台式电脑,但是家里实在没有多余的地方放置。以前笔记本电脑太贵,买不起,据说现在降价了,也想买一台。”


这是一套七十年代的老房子,房间的设计甚至连客厅都没有,一进门的地方是不足三五平方米大小的过道,我们便在这个过道里交谈。在旁边卫生间的门口,金雁正在一丝不苟地洗衣服,他们家中居然连一台洗衣机都没有“装备”。女儿则在另一个角落里安安静静地做功课。除了书以外,家里差不多没有一件值钱的物品。这两位当代中国视野最开阔、思想最活跃、问题意识最敏锐的中年学者,生活水准却在北京的普通居民的平均水准之下,这一现象真让我产生无限的感慨。而与之形成显明对比的是,那些学会讨好既得利益群体的学者们,那些带着洋博士学位耀武扬威地回来的海归们,个个不是“学富五车”,而是“金玉满堂”。他们的生活品质是秦晖夫妇望尘莫及的,但他们的学术品质呢?


“自由之思想”、“独立之人格”是不能商业化和市场化的。谈起居住条件来,金雁苦笑着告诉我,就是为了改善住房条件,他们夫妇曾经三次试图“离婚”。我大吃一惊,如此恩爱的夫妻,怎么会选择离婚呢?而且是“三次”!原来,三次都是无奈之下赌气的“假离婚”,三次都被领导的“火眼金睛”识破而“未遂”。


第一次,是在他们两人在同一所大学念研究生的时候。当时,学校有明确的规定,研究生一人一个房间。因为他们是夫妻,便让他们合住一间。金雁向校方反映说,两个人应当分两个房间,凭什么减少一间?校方却说,谁让你们是夫妻呢?金雁气愤地说:“那我们离婚,一人一间行不行?”校方断然回答说:“不行!”


第二次,是在他们在西部某大学评职称的时候。虽然两人都是学校的学术骨干,发表的论文最多,上课也最受学生的欢迎,但是高级职称僧多粥少,系里的领导便来作他们的工作:“你们是夫妻,应当发扬发扬风格,两人只能上一个教授。”金雁感到莫名其妙——评教授是看个人的学术水平,难道评教授也要“学雷锋”吗?她愤然回答说:“我们离婚,然后一起参加公平竞争,行不行?”领导回答说:“不行!”


第三次是他们到北京之后单位分房的时候。好不容易等到金雁当时的单位中央编译局有机会分房了,她却再一次失望了:单位规定,假如配偶已拥有副高以上的职称,住房就由对方的单位解决,分房资格则自动失去。然而,秦晖所在的大学却表示,暂时无法解决住房问题。在万般无奈之下,金雁再次想起离婚这一招,老实人也有置之死地而后生的时候。但是,协议离婚需要单位开证明,单位明明知道他们是恩爱夫妻,也知道他们“离婚”的目的是为了分房,哪里会给他们盖章呢?于是,他们只好放弃这个绝决的想法,一家三口一年又一年地挤在这套房子里。


屈原当年的追问今天仍然成立:在今天的中国,教授学问的多寡、思想的的锐利与迟钝,却与拥有的物质条件的好坏成反比。看看那些有名有利的教授,张维迎、林毅夫等人,别墅豪车,一场演讲便可获得数十万报酬,但他们从不面对中国的真问题。而秦晖、金雁所关注的,正是转型期的中国最迫切需要解决的真问题,如农民问题、土地问题、转型正义问题、国企私有化问题等。但是,在这些问题上说真话,当官的不喜欢,经商的也不喜欢。如果没有坚持真理的勇气,如果没有安于贫穷的心态,这样的学问是无法做下去的。秦晖先生青年时代便生于忧患,与暗擦肩而过,因此他对身处“陋室”并无多少抱怨,也不曾尝试通过写作谄媚之文来改善物质条件。他说,现在已经很好了,比呆在农村的那九年时间好多了。


秦晖一出生的时候就是先天性青光眼。在广西看不好,后来又到湖南去,传教士创建的湖南湘雅医院有一个很有名的眼科医学中心。那里的医生说,这么小的孩子动手术很危险,建议维持一段时间,长大了再动手术。回到广西之后发现不行,眼睛的情况一直在恶化,父母又带他到了很多地方,包括同仁医院、中苏友好医院等等。后来在上海的汾阳路医院,终于做完了手术。现在他每次做眼科检查,医生都说这手术现在也不容易做。当时如果不做,或者动坏了的话,他就会永远在暗当中了。虽然动了手术,但还是留有视神经萎缩,直到现在视力仍然很差,右眼失明,左眼只有零点二的视力。他在农村插队,插那么久,也跟视力有关,招工的机会他是轮不上的,体检总是不合格。


后来,秦晖考研究生,他的导师做了很多工作。赵俪生先生说:“如果不招秦晖,我就一个都不招了。”秦晖此前没有受到过多少课堂教育,只在“文革”前上过六年小学。一九六九年下乡,在农村待了九年。不过父母都是知识分子,家中的藏书很多,对他的影响很大。另外,农村那几年,他也学到了不少人生经验,他开玩笑说在农村读的是“早稻田大学”。也许正是这段经历,使他对农民问题不能忘怀,使他甘于清贫和寂寞,也有勇气抗拒各种干扰和压力。在清华他一度被停止授课,工资也只能领取一半。对此,他一笑置之。后来,有一位中央领导人在讲话中提及他研究的“黄宗羲定律”,大学的领导人才大吃一惊,立即部分恢复他的待遇。


作为一名历史学家,秦晖对中国历史真相的概括是:“儒表”之下的“法道互补”。在帝制中国的两千多年中,士大夫少有“纯儒”,多为“法儒”和“道儒”。中国人说的是儒家政治,行的是法家政治;讲的是性善论,行的是性恶论;说的是四维八,玩的是“法、术、势”;纸上的伦理中心主义,行为上的权力中心主义。他认为,中国要走出连续的历史、循环的怪圈、行政不正义的惯性,应当以“西儒会通”,解构“法道互补”。他指出,新儒学(以黄宗羲、谭嗣同为代表的“纯儒”的思想脉络)有可能为人类“超越现代性”提供有益的思想资源。这种可能性要实现,第一新儒学必须走出形而上的象牙塔,从心性之学发展为制度之学。第二更重要的是,新儒学必须摆脱历史上被“法道互补”强奸的梦魇,真正成为“新”儒学。尽管我对儒学的“起死回生”颇为怀疑,但我认同秦晖对中国历史真相的透视。


金雁的学术成就也并不比秦晖逊色。她的专业就是苏联东欧研究,自一九七八年读研究生时起,她在这一领域默默耕耘已经二十多年了。金雁在波兰华沙大学的两年,正好是经济“休克”的最困难时期,当时写过一本书叫《新饿乡纪程》,以后她还发表过多部关于前苏联和东欧问题的著作。她的研究纠正了许多中国人对苏联、东欧社会转型的似是而非的看法,比如那里的右派倾向于“新自由主义”、“休克疗法”,比如那里后来又出现了“左派复兴”,这些看法并不符合苏联和东欧的实际情况。而苏联、东欧面对的许多难题,是中国将来也要面对的挑战,中国的所谓“渐进改革”之路,并不能避免这些问题的凸现。因此,金雁的苏联和东欧研究对中国而言具有相当的前瞻性,其重要性至今仍未被学界充分认识到。


陋室之陋,并不能伤害秦晖和金雁学术的激情。他们各自发表的论文,皆让学界刮目相看。而他们两人在研究中又有相当的重合部分,于是他们合作以“卞悟”的笔名发表了好些文章。十年的光阴一晃而过,进入新世纪之后,秦晖和金雁终于在北大和清华合建的兰旗营教师宿舍分到了一套新房,尽管入住其中的教授们纷纷抱怨这些楼房的建筑质量太差,但是对于秦晖和金雁一家来说,毕竟有了那么大的面积可以将所有的藏书都放上书架。这本该是学者做学问的最基本的条件,现在却变成了他们的“最高理想”。不过,我仍然由衷地为秦晖和金雁感到高兴。我更希望,中国的知识分子们不必再用“离婚”这样的策略,来曲线获取一套属于自己的住房。但愿杜甫当年“愿得广厦千万间,大蔽天下寒士俱欢颜”的梦想,早日成为触手可及的现实。

出典:http://view.news.qq.com/a/20080711/000026.htm
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