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劉暁波:「狼トーテム」が「龍トーテム」に取って代わった(1)

2006-12-01 22:23:10 | 中国異論派選訳
「狼トーテム」が「龍トーテム」に取って代わった

劉暁波(2006年2月12日)

原文:
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/
e/3b08063c8b7e57963e3392a8ba307f89

1、狼煙(のろし)がもくもくと上がる
 中国では、古代においても近現代においても、「オオカミ」は残忍・狡猾・横暴・信用ならないことの象徴であり、有名な寓話『東郭先生とオオカミ』は「オオカミ」に慈悲を施したら、オオカミに食われてしまうことの道理を説いており、時代を超えた子供たちの啓蒙書である。『オオカミが来た』の物語は、オオカミの残忍さを借りて子供たちにウソをついてはいけないといさめている。『灰色オオカミ』の物語は、もっぱら聞き分けのない子供を怖がらせるのに使われる。『オオカミと子ヒツジ』の物語は、邪悪な人の横暴を描いている。また、漢語の語彙の中で、「狼」の使われている言葉はほとんどが侮蔑の意で用いられる。例えば「狼狽為姦(悪人同士が結託して悪事を働く)」、「狼子野心(凶暴な本性や飽くなき野心の例え)」、「狼心犬肺(残忍冷酷なことの例え)」などである。
 毛沢東時代の中国は、全面的な「階級絶滅」政策を実行し、次から次へ巻き起こる政治運動の中で、これらの語彙は憎しみを吐き出す道具や「最も残忍な敵」を糾弾する武器となった。50~60年代、中国人は「アメリカ帝国主義のオオカミを打ち負かせ」(「中国人民義勇軍軍歌」=1950年11月朝鮮戦争に中国が全面介入したときのときの歌)という軍歌を高らかに歌い、第三次世界大戦において全人類を解放するという崇高な使命を担おうと準備した。文化大革命の大批判の中では、打倒された「階級の敵」とりわけ「走資派」はそのほとんどが「狼子野心」のレッテルを張られた。
 改革開放以降、知識人の間では文革の暴力崇拝・憎しみの植付けと闘争哲学に対する反省が始まり、まもなく「我々は狼の乳を飲んで育った世代である」という説が生まれた。しかし、90年代の中盤から、極端な独裁愛国主義感情の高まりに伴い、愛国者たちはおおっぴらに「オオオカミ気質」を宣伝し始めた。たとえば、一部のエリートは中国と西洋の文化の違いを語るとき、西洋は「オオカミ文化」で中国は「ヒツジ文化」だとし、中国人はグローバル化した競争の中ではより「オオオカミ気質」を発揮し、「ヒツジ気質」は抑えなければならないと主張する。1995年のベストセラー『ノーといえる中国』には、大衆文化の中の極端な民族主義が表現されており、与太者口調で民族的憎しみをあおり、大中国の野心を触れ回り、血に餓えた残忍な思想を美化している。この本はアメリカの覇権集団の中国と世界に対する大罪を数え上げ、アメリカ人と親米派は皆ろくでなしだと罵り、彼らに「放屁してはならぬ(勝手なことを言ってはならぬ)」と命じ、全力で憎しみと好戦的な民族感情をあおっている。たとえば、「和解が全く不可能になったら、我々は中国人民に憎しみを忘れないよう呼びかける!」。「報復を呼びかける!」。台湾海峡に「嘆きの壁を築く!」。「ワシントンがより大きな戦没軍人記念壁を作るよう我々は厳かに提案する……その壁はアメリカ人の霊魂の墓場となるであろう」。そして、中華民族の「偉大な指導者たちが立ち上がることは運命づけられており」、彼らの使命は血染めのたたかいにより「21世紀を導く」という野心を実現し、アメリカの覇権集団とその走狗は「くたばる!」に決まっているという。
 新世紀の初めの9・11の悲劇は世界を震撼させ、世界各国は大きな怒りと同情を表明した。しかし、中国の憤青(憤怒青年の略)はイスラム過激派と同様に、人の不幸を喜ぶ歓喜の声に浸っていた。2003年はちょうど中国の「未(ひつじ)年」だったが、この年の2月2日スペースシャトル・コロンビア号が墜落した。これはアメリカにとっての悲劇であるだけでなく、人類の悲劇でもある。しかし、中国のインターネット上では人の不幸を喜ぶわめき声があふれ、「オオオカミ気質」を十分に発揮し、「未年春節の最も美しい花火!!!よし!!!ざまあみろ!!!」などと叫んでいた。
 これに関し、私は『オオカミの乳を飲んで育った国民――「コロンビア号」のために訴える』という短文を書いた。
 2004年以降、姜戎(ジアン・ロン、きょう・じゅう)の小説『狼トーテム』がよく売れ続けたので、「オオオカミ気質」の呼び声がにわかに起こってきた。
 各種メディアは見渡す限りの「オオカミの吠え声」である。愛国憤青は「オオオカミ気質」を力説し、御用学者は「オオカミ文化」の熱弁を振るう。果てはある報道では、「多くの政府要人、産業界のリーダーが読んでいる」。たとえば、ハイアル集団の取締役局主席張瑞敏は、「『狼トーテム』を読んだら、オオカミの多くの信じがたい行動も見習う価値があると思った」という。
 遠くない昔、馬上の虐殺者チンギスハーンは、吸血剣で儒教の中原を征服し、漢民族を蔑視する元帝国を建設した。奇妙なことに、民族主義思想が高まるたびに、愛国者は必ずチンギスハーンを持ち出し、この漢民族の征服者をを漢民族の英雄に変えてしまう。彼の馬が中原を踏みにじったことは語らず、彼がユーラシア大陸を征服したことのみを語る。魯迅がかつて言ったように「チンギスハーンが中華に入り、ジュチ(チンギスハーンの長子)がモスクワでハーンに即位した時、中国とロシア両国の境遇は同じであり、共にモンゴル人に征服されていた。なぜ中国人は今では「元人」を自分の祖先として、とても自慢げに、同じように抑圧されたスラブ民族を見下すのか?もしこの論法で行けば、ロシア人もまた『わが国の中国征服の1ページ』として、元代に中国を領有していたと言えるであろう」(『わが国ロシア征服戦史の1ページ』)。
 現在、『狼トーテム』は再び馬上のチンギスハーンを盛り立て、とくにチンギスハーンとその遊牧民族の「オオオカミ気質」を強調している。『狼トーテム』の作者姜戎はインタビューに答えて述べている。『狼トーテム』が売れている「原因はオオカミが農耕民族が最も恐れる猛獣であり、恐れれば恐れるほどその真相を知りたくなる。つぎに、競争の時代には勇敢、進取、不撓不屈のオオカミ精神が必要である。第三に、中国の国民性の問題で、すでにこれを真剣に重視し解決すべきときである。」「中国病の病根は農耕と農耕的性格である。過去にも多くの知識人が中国病の病根がここにあることを指摘している」「中国の農耕土壌と狭隘な小農意識が濃厚なので、『狼トーテム』は必ずや強烈な批判に見舞われるだろう。しかし、こんにちの社会の市場経済と新しいタイプの人類の力は急速に成長している。私が推奨するオオカミ精神もまた多くの読者の力強い支持を得ている。」(『私の中にはオオオカミ気質もあればヒツジ気質もある』中国新聞網2004年6月16日)。

 作者の予言に反して、『狼トーテム』は激しい批判に見舞われないばかりか、熱烈な追っかけに遇っており、この本は何週間も小説分野のトップで、100万部以上売れたという。さらに、一連の「オオカミ」ものの本の出版もうながした。それらは、『狼トーテム』に続いてよく売れ、出版界にオオカミの吠え声が満ちている。『狼』、『狼道』、『狼魂』、『クールな狼』、『チベット犬』、『狼の物語』など「オオオカミ気質」を誉めそやす作品が次々と生まれ、『狼のように考える――奇跡のビジネス法則』という本を書いた人もいて、「狼トーテム崇拝」はまさに大国の勃興のスローガンのもとで広まっている。ある人が「中国は本当に狼の災厄に見舞われている!」と言っていたのはゆえなきことではない。
 さらにインターネットの『狼トーテム』連載のコメント欄を見ると、批判的な声もあるものの、主流は賞賛であり、「狼煙(のろし)がもくもくと上がる」という例えも誇張ではない。ネットユーザーはオオカミの精神と国民性・民族性・伝統文化の関係を討論し、オオカミの戦術と習性を研究している。あるユーザーのコメントは次のように書かれていた。「これは草原における万物が生死を争う抗争史であり、感動的な草原の賛美歌である。ここには人類の善と悪、自然界の愛と憎しみが充満している。名作中の名作といえる」。また別のユーザーは、「オオカミを師とし、オオカミを父とすれば、不屈・自尊・自彊・誓って屈しない……のオオオカミ気質が身につく!」と書いている。また別のユーザーはまとめて「オオカミの多くの信じがたい戦法は見習うに値する。その一、準備なしの戦いはせず、下調べ、待伏せ、攻撃、包囲、行く手を遮る……。その二、最もよい時に出撃し、戦力を保存し、敵を油断させ、敵が逃げにくいときに、突然出撃し、敵を絶体絶命の窮地に置く。」

2、オオカミの伝承者
 姜戎は、自分の創作は小説であるだけでなく、「世界の謎」を解くものだと自負している。彼は、『北京青年報』の記者呉菲(ウー・フェイ、ご・ひ)のインタビューに次のように答えている。「私は命の半分を使って『狼トーテム』を書いた」なぜなら「狼トーテム自体が一つのマクロ概念、大テーマ、世界的なテーマであり、つまり、世界の謎の一つなのだ」(『北京青年報』2004年5月25日)。
 小説自体について見ると、作者は多くの本を読んでから書き始めたようだ。小説は「オオオカミ気質」と「ヒツジ気質」の対比を主な観念的枠組とし、各章の初めには「古典からの引用」を置いている。作者が引用する古典は『史記』、『漢書』、『資治通鑑』など、現代の歴史論文では陳寅恪(チェン・インケ、ちん・いんかく)1890-1969)、范文瀾(ファン・ウェンラン、ハン・ブンラン)(1893-1969)などの著名な歴史家、さらにはフランス人とイギリス人の歴史論文まで取り込んでおり、古今中外に渡って「オオカミ文化」の正統的合法性を捜し求めたといえる。その一部の歴史記述の荒唐さは一目瞭然である。しかし、作者は全く意に介さないようで、それら愚昧時代の伝承をもって漢民族がもともとはオオオカミ気質の血統であることを証明しようとしている。たとえば、「匈奴の女がオオカミに嫁いで子を産んだ」とか「突厥の子とオオカミが野合した」などが、なんと作者の論拠となっている。しかし、このような「古典からの引用」は、あたかも2000年余り前の漢の高祖劉邦が自らを「真実の天子」であると証明するために、自分が母親と巨大な龍(みずち)の野合によって生まれたのであり、みずちが生き延びて、白帝を切り殺したようなものだと騙(かた)るようなものである。
 作者が古典から引用する目的はその思想を表現するためである。彼が言いたいのは、1、大昔の中国では狼トーテムを崇拝しており、中国人もオオカミ気質に満ちていた。秦の始皇帝や唐の太宗など業績のあった皇帝は、みな遊牧民族のオオカミ気質が遺伝している。2、中国の宋代以降の衰退は、農耕が遊牧にとって代わり、ヒツジ気質がオオカミ気質にとって代わったためであり、ついにはオオカミ気質に満ちた西洋列強に敗北した。作者は作中人物に次のように言わせている。「現在の西洋人は、ほとんどがチュートン(ゲルマンの一支族)、ゲルマン、アングル(ゲルマンの一支族)、サクソン(ゲルマンの一支族)など狩猟蛮族の子孫だ。……彼らの食器はナイフとフォーク、彼らの食物はステーキ・チーズとバターだ。だから、現在の西洋人の原始的野性と獣性は、古くからの農耕民族よりはるかに多く保存されている。百年余りの間、中国の家畜性は当然西洋の獣性にいじめられ続けてきた。数千年来、膨大な漢民族は常に草原の遊牧小民族に馬鹿にされ続けてきたのも、もっともなわけだ」。
 つまり、作者は一方ではモンゴル人は世界でもっとも狼トーテムを信仰する遊牧民族であり、子供の名前にもオオカミを使うから、チンギスハーンは凶暴なオオカミ気質でユーラシア大陸を席巻し得たのだという。また一方で漢民族は世界でもっともオオカミ気質が少なくヒツジ気質の多い民族であり、中国人の名前には「仁」「慈」「義」等の字が好んで使われるから、漢民族は異民族の侵入に負け続けてきたのだという。
 作者はオオカミ気質は競争で勝つための必須の気質であると考えるため、彼自身がオオカミ気質を提唱するだけでなく、自分の祖先もオオカミ気質の一族に含めようとする。彼自身は漢民族であるとはいえ、彼が「姜戎」というペンネームを使うのは祖先にルーツを求めたからである。彼はいう。「私の祖父の姓は姜である。私の父は姜姓ではない。私のこのペンネームは范文瀾の『中国通史簡論』の中の『炎帝は姓を姜という……姜姓は西戎(漢民族にとって西の野蛮人)羌(きょう)族の一支族であり、西域で遊牧していて中部に移動してきた』から取った。私が思うに、戎とは草原の民族であるから、私は姜姓の祖先のこのような精神を非常に崇拝する。」
 作者が自らを「オオカミの伝承者」と認めるからには、この本を書く目的は自らが「オオカミの子であるから、そのことを忘れない」ためである。


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