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王力雄:チベットの直面する二つの帝国主義――唯色事件透視(3)

2008-01-25 19:34:27 | 中国異論派選訳
王力雄:チベットの直面する二つの帝国主義――唯色事件透視(3)

原文:http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/2a7949a0595c162a8c0bb53b8aa3e721

サイードの鋭い分析にあるように、現在の世界の民主社会には依然として広く文化帝国主義現象が存在する。そのような帝国主義は政治的圧制も暴力的手段も必要とせず、自由民主制度が形成する「主流」に依拠するだけで、異文化を周縁に追いやり、それを枯れさせついには消滅させることができる。多くの人がグローバル化に反対するのは、このような「主流」に反対するからである。こうした状況の下では、少数民族の文化的抵抗は民族主義の支えを必要とする。政治的な民族主義に転化しなければ、民族主義は文化的抵抗においては積極的な役割を果たしうる。とりわけ暴力と衝突に訴える民族主義に転化させてはならない。公平な社会はこのような文化的民族主義に適切な位置を与えるべきである。

文化帝国主義の解消は民族表現によって決まる

 民族文化の最良の保護方法はもちろん独立民族国家を建設することである。しかし独立の難度と対価は高すぎる。とりわけ、民族間の実力格差が大きいときはほとんど不可能となる。しかし、独立を民族文化保護の手段とみなし、民族文化の保護だけを目的とするのであれば、独立するか否かは重要ではない。一つの国家の中で少数民族文化の保護を実現することは、政治制度の面で相応のメカニズムが必要であるのみならず、多数民族の帝国主義的意識の解消が必要である。なぜなら、国家の政治メカニズムの変更は多数民族の支持の下でのみ可能となるからである。

 単純に多数民族の自発的覚醒によって文化帝国主義を解消することを期待することはできない。それが可能であるとしても、非常に長いプロセスが必要である。少数民族は一方で自らの文化による感化と、意志の表出、忍耐強い説得によって積極的に多数民族の文化帝国主義を解消させなければならない。このことは、少数民族に高い自己表現能力を要求する。

 表現能力にはたくさんの側面がある。私が強調したい側面は、多数民族の言語である。それについて人は疑問を持つだろう。なぜチベット人は漢人の言葉を学ぶ必要があって、漢人はチベット人の言葉を学ばないのか? これは確かに不公平である。多数民族は文化的傲慢さと必要性の低さから、一般に少数民族の言語を学ばない。しかし、少数民族が平等を追求するために多数民族の言語を身につけることを拒絶したとすれば、自己表現能力を失ってしまう。帝国システムの中では、表現空間とメディアはすべて多数民族の言語によって占められているからだ。少数民族の言語を学び、自ら進んで少数民族を理解するよう多数民族に求めることは、確かに尊厳ある要求ではあるが、叶えられる可能性は大きくない。このような要求に固執すれば、少数民族が損をする。しかし考え方を変えて、相手の言語に習熟することを積極的な攻撃ととらえて、相手の発明した飛行機や軍艦を学習し使用するのと同じように考えれば、尊厳問題に煩わされることもない。

 表現とは自分で考えることではなく、他人に聞かせることである。沈黙して自民族の文化を堅持することは一種の受動的抵抗に過ぎない。それは最終的には多数民族文化の拡張を阻止できず、飲み込まれる運命を回避できない。暴力も文化帝国主義に対しては効果がない。たとえ満洲人のように中国を征服しても、やはり中華文化帝国に滅ぼされてしまう。文化帝国主義に反対するには文化自体を使うしかない。自民族文化の展示、感化により相手をひきつけることで初めて相手に文化帝国主義的意識を放棄させ、尊重を生み平等を確保することができる。このような自発的攻撃は自民族文化の最良の保護となり、また自民族文化の発展を促すことになる。この視点からすると、民族の表現がより重要になり、表現能力に対する要求も高くなる。そしてこの種の表現能力はかなりの程度は相手の言語を美学的レベルで使うことができるか否かによって決まる。

 歴史的要因によりチベット人にはこのような人材が多く育っている。なかでも漢語で著述するチベット人作家と詩人は数百人にも上り、チベット人の「漢語作家群」と称されている。その中で最良の人々、たとえば唯色、梅卓、色波、阿来、扎西達娃は、漢語の能力は多くの漢民族作家よりも高い。チベット民族の中ではこの現象に対してさまざまな評価がある。ある人は植民地主義の結果であるという。確かに、これら作家の状況を見てみると、植民地主義の色彩が相当鮮明である。まず、「漢語作家群」の多くが「四省チベット人地区」で育っている。四省チベット人地区は中国政府の意図的なチベット分割統治の結果であり、チベットの中国辺境地域を青海省、甘粛省、四川省と雲南省の4省に分割して併呑したものである。四省チベット人地区の漢民族化の程度は高く、チベット語教育は遅れている。上述の何人かの作家はまったくチベット語ができないか、会話ができるだけである。梅卓のほかはみな純粋のチベット民族ではない。唯色と色波は四分の一が漢民族の血統であり、扎西達娃は漢民族とのハーフ、阿来は回族(漢語を話すイスラム教徒のエスニックグループ)とのハーフである。彼らはみな漢民族風の名前を持っている。梅卓を含めて配偶者もみな漢人である。もう一つの特徴は、阿来が普通の農民の出身であるほかは、残り数人の両親はいずれも中共の幹部だということである。唯色、色波、扎西達娃の父(もしくは母)は共産党が最初にチベットに軍を進めたときに康巴チベット人地区で徴兵した先頭部隊のメンバーである。問題は、単純にこれらの作家を恥とみなすのか、あるいは彼らを民族の財産であり武器であるとみなすのかということである。もしも民族表現が文化帝国主義に対抗しそれを消滅させるのに役立つことを認めるのであれば、この問題の答えは難しくない。実際、チベット民族が持つ表現能力はすでにかなりの成果を上げている。とりわけウイグル民族と比較するとその違いは明らかである。

 わずか2~30年前は、漢人のチベット文化に対する認識は人の皮をはぎ、目玉をえぐる「もっとも暗黒、もっとも野蛮」な社会というものだった。それが現在では、数千数万の漢人がチベットを聖地と憧れ、チベットの文化と宗教に傾倒している。この変化はかなりの程度チベット民族の自己表現が推し進めたものだ。一方で、亡命チベット人の国際社会における数十年に及ぶ絶え間ない努力の結果が、西側の架け橋を通じて開放後の中国に流入したが、もう一方での、チベット本土での漢語を使う文化界、宗教界の人々の功績も忘れてはならない。しかしこの両方向の表現がウイグル民族にはない。ウイグル人の日常生活において漢語の必要性はチベット人より高い。なぜなら新疆は多民族地域で、共通言語の必要性がより高いからである。現実にも漢語のうまいウイグル人を多く見るが、漢語で著述するウイグル人作家や漢語で布教するウイグル人宗教者を見たことがない。この点はチベット人と大きく異なる。この現象を解釈すると、ウイグル民族の文化的な守りの堅さが原因だろう。ウイグル知識人は期せずして一致して、公共の場では漢語を排除する。60~70年代に(共産党によって)改革された新しいウイグル語は今では文字の上で廃棄されただけでなく、当時口語の中に吸収された大量の漢語語彙も徐々に英語語彙に置き換えられた。この置き換えは組織的になされたものではなく、民族主義の社会的雰囲気が自発的に推進したものである。監獄の中においても、ウイグル人の囚人が漢語語彙を使うと他の囚人に嘲笑される。一人の私のウイグル人の友人は子供のころから北京で育った。あるとき両親は彼を新疆に送って、ウイグル語を学ばせようとした。しかし、彼のウイグル語が下手だったため、他のウイグル人の子供に民族性を失ったとみなされ、誰も彼のウイグル語学習を助けてくれなかっただけでなく、しばしば軽蔑され排斥された。その友人は結局ウイグル語がうまくならなかった。そのような社会的雰囲気の中では、当然誰も漢語で著述する作家になろうとはしないだろう。

 新疆はチベットに比べて漢人ははるかに多いが、民族言語の保存、言語同化の回避という点では、ウイグル民族はチベット民族より成功しており、民族の凝集力も高い。しかし、民族表現の角度から見ると、成功しているのはチベット民族である。ウイグル人は第一に、漢人に向けて表現しようとしない。たとえ政治的迫害の心配のない国外においてさえ、亡命ウイグル人は漢人との対話を拒否し、漢人関係の活動には参加しない。第二に、美学的レベルに達する(漢語)表現能力に欠けており、限られた漢語表現もほとんどが政治的要求とスローガンであり、漢民族に対して感化力と説得力を持たないばかりか、かえって反発を引き起こす。

 一つの典型的な現象は、中国内地の一流書店にはチベット民族関連の書籍がたくさんあって、よく売れているのに、ウイグル民族関連の書籍はほとんどなく、顧みる人がいないということである。ウイグル民族の人口はチベット民族より多く、同じように悠久の輝かしい文化を持っているのに、何でこんなに違うのだろうか? 1980年代中国の漢民族地域の出版社はウイグル民族とイスラム文化に対する興味を持ったことがある。しかし、何冊かの漢人の書いた本にイスラム教徒が不満を持つ内容があり、ウイグル民族を含むイスラム教徒の激しい抗議とデモが発生し、ホメイニのラシュディに対する殺害命令の模倣まで現れ、作者と編集者を脅迫したので、それ以降内地の作家とメディアはイスラム教関係の内容を避けるようになった。そしてウイグル人にも自分たちの漢語作家はいない。このようにして囲いができてしまい、いよいよウイグル民族に関する漢語出版物が少なくなり、漢民族のウイグル民族に対する理解も少なくなった。そうして興味と市場を引き寄せられなくなると、漢語メディアはいよいよウイグル民族に関心を向ける動機を失っていった。現在の局面は漢人がまったくウイグル民族の歴史や文化について知らず、新疆問題に対する認識も当局の宣伝の枠内にとどまっている状況である。大多数の漢人はウイグル民族について理解していないし理解しようともしていない。恐怖と敵意だけである。しかし、このような状況はウイグル民族自身にとって実はもっとも不利である。チベット民族は、宗教の包容性(また漢民族の宗教とも通じる)、ダライラマの積極的な漢人との和解路線、それに加えて多くの漢語で著述するチベット文化人がいることで、漢民族との間の文化交流が密接であり、絶え間なくチベット文化を漢民族に紹介し、それが話題となり、流行になったりして、大勢の「チベットファン」を生んでいる。美学的レベルにおける文化表現もまたチベット政治問題を漢人の視野に持ち込み、漢人が徐々にチベットの立場を理解し同情するようになって来た。このような柔によって剛を制する力は他の少数民族にとっても参考となるだろう。かつて、チンギス・ハーンの大軍は無敵を誇ったが、チベットは(モンゴル人の侵攻によっても)滅びなかっただけでなく、逆にそれ以降モンゴル人はチベット仏教に帰依した。それは他でもない文化の力であった。

関連ページ
(1)http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/ebc323a2b3be7dd75473b82b664f5e5b
(2)http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/36717e1833957b1a2c68912ff4ce4059(4)http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/9bd9ea8708b8baf49d17f3f30df8b758
 

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