思考の部屋

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「もたい」というやまと言葉

2009年06月23日 | ことば

 「もたい」という古語について、ブックマークブログHIROMITIさんのブログに「東国の言葉ではないか」ということが書かれていましたので、長野県における「もたい」を書きたいと思います。話のきっかけは、「もたい」さんという女優の方の「氏」で「樽」という字の木片を「缶」に替えた字のようです。
 
 私の知る「もたい」という氏は、母袋、茂田井、甕などがあります。実際に長野県東部(東信)には歴史上にも登場する氏です。この氏名の発祥で重要なのは地名との関連です。
 
 日本語の氏名の特徴として同じ読み方で字が異なる場合があります。古い時代には同族ではあるが分家は本家と異なる漢字を用いるなどし、もとの呼称は生活地の地名を用いる場合が多くあります。
 
 長野県東信地区の地名で「もたい」となると今は佐久市茂田井(もたい)となっていますが、合併前は北佐久郡望月町茂田井、さらにその前は「北佐久郡茂田井村」ですが、さらに時代がさかのぼると平安時代の「和名抄」に佐久郡下七郷に「茂理(もたり)」という地名が出ており、この茂田井ではないかと郡史に記載されています。さらにこの「もたい」は「甕」という字も使われていました。鎌倉時代初期の承久の乱の望月氏(茂田井も含む旧望月町を中心を支配におく氏族)の氏族に「甕中三」という者がおり、幕府方の東山道軍の大将武田信光の部隊長として出陣しています。

 この茂田井地区ですが、字名で天神反というところがあり、この地籍からは奈良時代の鐙瓦(あぶみかわら)などが多く出土し清和天皇の貞観8年(866)に国分寺(現上田市)に準ずる五か寺の一つ佐久郡妙楽寺のあったところではないかといわれています。
 
「甕」ですが、これは須恵器のカメのことで周辺地区から多く出土しています。望月は「望月の駒」でも有名ですが御牧という官営の牧場があったところで、渡来人がその飼育を行なっていました。そのことを証明する一つとして須恵器土器の出土がいわれています。高温で焼く技術、これは渡来系の技術なのです。

 さてここで「和名抄」に出てくる「茂理(もたり)」と「茂田井(もたい)」の関係ですが古語では「持たり」という言葉があり「持っている」ことをいいます。またこごでは「持ち上げる」ことを「もたぐ・もたげ」といいました。ここで東国に残る古語が登場します。間違えなく東信だけではありませんが長野県では「持ち上げる」ことを「もたげる」という言い方が残っています。昨日確認のため各地区の出身者に確認しましたので間違いない事実です。

 「もったいない」という言葉があって「もたい」との関係ですが、長野県では「もったいない」という言葉は方言で「もってねえ」と言います。「持っていない」とも聞き取ることもできます。状況によっては「もってねえ」が「もったいない」「もっていない」時に使われるということです。以外に語源が同じかもしれません。HIROMITIさんはブログの中で「もったいない」まで語源を発展させていましたがそうかもしれません。

 最近郷土史から遠ざかっていましたが、語源学とともに古い言葉が地方に残っているおもしろいものです。

 今日は郷土史家の大澤洋三さんの本(出版社信濃路)を主に参考としました。大澤さんは茂田井の方です。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
もたい (ネアンデルタール)
2009-06-23 11:32:51
気楽に書いただけだったのに、このように発展充実させてもらうと、ちょっとした戸惑いというか、何か遠いところに来てしまったような心地がします。
語源を考えることは、そのころの人の暮らしや心の動きを想像することだから、できれば地方史というかたちの限定した場所で考えたほうがより緻密に接近できると思います。
東国のことばの多くは、武士の世になった鎌倉時代以降に広まっていったから、何か新しいやまとことばのように考えられがちだが、本当はとても古いのだという例は、たくさんあるように思います。
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民俗学 (管理人)
2009-06-24 05:49:50
コメントありがとうございます。「采女」を解説されていましたが、采女という女官は天皇の身の回りのお世話をする人です。その采女を歌に詠む志貴皇子が暗さを全くもたず晴れやかな気分で詠っています。したがっておっしゃるとおり民俗学者の折口信夫さんには、、解釈に暗さがあります。万葉解釈も勝れた人だとは思うのですが、迢空という名で詠っている歌もその暗さが出ています。 
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