思考の部屋

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「聖(ひじり)なるもの」について

2016年12月18日 | ことば
 「聖なるもの」と書くと「聖」という漢字は、「せい」と音読みされ、「せいなるもの」と誰もがそのように読む。この場合漢字が輸入元の中国語の発音に似た読み方になるわけでこの漢字「聖」には訓読みの「ひじり」があり、先の「聖なるもの」を訓読みすれば「ひじりなるもの」と読むことになる。

 「聖なるもの」という文章をブログに書いた時に別にルビを付けなかったが、よほど何かのこだわりがない限り大方の人は「せい」と音読みする。

 これをあえて「ひじり」と読むと私の場合は、僧侶や修験者そして聖高原を想起する。

 岩波の古語辞典では、

ひじり【聖】[名]
①神聖な霊力を左右できる人。天皇をいう。
②神通力のある人。仙人。
③優越した能力ある人。
④高徳な僧。
⑤行者。修験者。
⑥遁世廻国の僧。時宗の僧などをいう。
⑦特に、高野聖。
⑧下級の僧・陰陽師の称
⑨儒教でいう聖人。

とあり別辞典(三省堂詳説)には、


ひじり【聖】「清酒」の別名

も付加されている。

とあり、「聖(ひじり)なるもの」の「もの」は、者、物ということになる。古語には当然上記の儒教の「聖人(せいじん)」も含め「聖賢」「聖代」「聖目」があり「聖目」は碁盤の目にある九つの黒点をいう。

 日本語においては「聖」という漢字は、人が(ひじり)を紡ぎ出す。それは「聖(ひじり)の道」という言い方があり、「聖言葉(ひじり・ことば)」は、僧侶のよく使う言葉をいう。

 最近のブログの「聖(せい)なるもの」について、ドイツのルードルフ・オットーは『聖なるもの』(1917年)の中の次の一説を引用した。

 例えばカントは動揺することがなく、義務的動機から道徳律に服従する意志を、聖なる意志と名づけた。しかしそれは、単に完全な道徳的意志というに過ぎないだろう。かようにして人は、ある義務を守る必然性のある場合、またはある普遍妥当的な拘束性を持つ場合に、その義務または道徳律を「聖なる」と呼ぶのである。(オットー著『聖なるもの』岩波文庫旧版p14・新版p19)


教育基本法については根強くカントの倫理道徳思想が組み込まれてきた。それは制定者の学びによるものだ。

 律とともに行(ぎょう)が達成されなければならないという「聖(ひじり)」の思想が、律という教条的な事柄の履行、履践のみに重点が置かれ形に変化し今日の法治国家の根底にもなっている。

 「行」は「おこない」ではあるが、「聖(ひじり)」には、修験的な苦行があってこその達(いたる)が内包されている。

 「聖(ひじり)の道」には「人の道」が私には重なって見える。瞑想的の実践が安易な心の安らぎを伴うものとして「人の道」をも説いているように語られ、重大なる決断において、冷酷的な動揺なき行い、冷血的な行為をニヒルに挙行に走る人間作りに聞こえる。

 重大なる決断とは何か、その選別的な際の軽重判断も必要であり、自分にとってのためになる経験をも意味づける。

 「あまりにも安易な言動に、感動し行動してしまう」

 「安易な判断に直ぐ走る」

 このとうな冷酷、冷血な人が多く見られるようになってきている。世の中の現象がそれを示すかのように、精神の苦楽の苦を失う、手法が薬物や瞑想法の蔓延(はびこ)りの中に見える。

 大麻を吸って瞑想する。覚せい剤に依存する。

 それがいかに「聖(ひじり)の道」とは異なるものかを自覚しなければならないのではと思う。

参考
ここに国語学者の大野晋先生の『古典基礎語辞典』(角川学芸出版)から「ひじり」の解説を引用したい。この辞典は少々お高いが座右の辞典として私は置いています。
ひじり【聖】名
ヒは「日」または「霊」、シリは「知り」(シルの連用形名詞)であろう。ただし、「日知り」の場合も、暦日をつかさどる(古代では農作業上、特に重要であった)意とも、日の吉凶を知る意とも、太陽がこの世の隅々まで照らすようにこの世のことをすべて知る意ともいう。
『名義抄』には「聖・傑・僊」にヒジリ・ヒシリとある。
人間離れした不思議な力をもつ人が原義であろう。徳行・知識に秀でた聖帝・聖人などから、、不思議な力をもつ僧・修行者などを表すようになる。しかし、時代が下がると、貧乏など下級の僧を表すに至るなど、僧の活動・形態の広がりと共に、ヒジリも尊敬の対象から軽蔑の対象へと大きく変化していく。
 僧を表す場合、初めは、高徳の僧として「大徳」と同義語に使われたほか、険しい山岳などでの苦行を通じて得た特殊な力を有する僧を表した。それらの僧は、予言・病気平癒・怨霊鎮魂・除災などの力を有し、尊敬の対象であった。仏教寺院に所属する正統の僧とは異なった存在としてとらえられた、「仙」「上人」ともいった。この修行者的僧は中古から中世にかけて、その活動・形態をさまざまに広げていった。
 人里離れて隠遁して住む僧、各地を遊行し寺の修繕や造像・写経などの勧進をする僧、説経や絵解きを行い唱導する僧、念仏・巡礼する僧、さらには、連歌師・琵琶法師・細工師などの特定の仕事に従事する半僧半俗の者や、墓地に建てた三昧堂に従事する「三昧聖」などまで出現する。
 ヒジリは単独・集団の両方あるが、寺院に所属していても、官職につかない場合が多く、民衆に最も近い存在として、仏教以外の世俗的信仰を多く教養として説いた。修業した場や、隠遁した場、所属の場の名をとって「・・・聖」と呼ばれるが、中でも「高野聖」はとくに有名である。このような世俗的ヒジリは、平安中期の空也上人に代表されるように、阿弥陀仏の名を唱えながら各地を回り(「阿弥陀聖」と呼ばれる)、各種の工事を行うなど、同時にいくつものことを行っていたらしい。『今昔物語集』などの仏教説話集には、このようなヒジリが多く登場する。また、『梁塵秘抄』にはヒジリに関する歌がいくつも見える。(同辞典p1020から)

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