由井さんの要請を受けた私の粟国安彦回想録はタイトルから一言一句、訂正されることなく、豊見山和行、安里進、渡名喜明、池宮正治、真栄平房昭、牧港篤三等々いまなお沖縄学泰斗連と名を並べ、1990年秋号の「新沖縄文学」85号に掲載されました。
この“疾走した寵児”追悼文は、時を経るほどに予想外の反響や縁を頂きました。
その一つは中学同期の宮城義明君が当時の琉球ゴルフ場に建てた粟国君の銅像除幕式取材の地元テレビRBCのインタビューに続き、追悼特別番組への出演を依頼されました。
また後日、首里高校の前身である沖縄県県立1中から京大へ進み、船舶会社専務に就任、在京県人会で“この人あり”と徳望家の山口國男「養秀会」東京支部長から「重田さんのあの記事、感激しましたよ」と言われ驚いたことです。後に新宿書房の川平さんから「あれを読んで、この人の書ならと」拙書「おきなわ就活塾」編集を決心したと言われたこと。さらに、当時「新沖縄文学」の編集窓口だった“ウチナー嫁”の牧志さんとはその後も何かと縁が続いていること。こうした数々の縁をもたらす機会を頂いた由井先輩には改めて感謝です。
(学生時代同居した中野・新山通りの下宿で粟国君と)