続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

わたしって年寄りなの?

2017-08-19 07:28:53 | 日常

 明らかに高齢者である。
 足に不具合が出たり風邪が長引いて咳が止まらないなどの症状を思うと、確かに老化している。
 鏡を見れば、ほうれい線のくっきりした白髪の老女然とした(わたし)が映っている。
 お腹周りの…ああ、これ以上はやめておこう。

 けれど、わたしは、わたしの姿や不具合を直視しながら生活しているわけではないので、忘れてる時間の方が圧倒的に長い。空想のなかでは女の子にだって変身できるし、そこまで遡らないまでも元気溌剌のアラフォーくらいには(簡単に)錯覚することができる。

 現実に目を逸らそうとしているだけなのだろうか。年寄りらしく…って案外難しい。
 年寄りらしい暮らし…確かに老眼が進み、眼鏡をかけて見る室内の汚れ具合に唖然とすることがある。

(自分の)目にはさやかに見えねども、確実に老婆に直進している。(すでに)と言った方が正しいかもしれない。

《わたしは年寄りである》という自覚、持つべきなんだろうか。いつの間にか、知らないうちに目出度くも《年より》になったんだよ・・・バンザイ!


マグリット『告知』

2017-08-19 06:59:51 | 美術ノート

 『告知』

 奇妙な実在しない風景である。
 大地の上のゴロゴロした岩石は複数寄り添っており、まるで遠い昔の家族の名残りが石化したとでもいうようである。
 唐突に立つ男女を思わせるポールは、どちらが前に立っているのか否かの錯視があり、男女における力関係を同等にしている。
 その背後にある(あるいは並んだ)例の切り紙は、遺伝子(DNA)を暗示している。理由は同じパターンが縦横に連続しており、あたかも延々繋がれていく素因に見えるからである。
 またその背後にある馬の鈴を模したものは、声であり言葉(主張・伝説・流言の流布など)である。つまりは社会的背景と換言してもいいかもしれない。
 それら立地を被うような青々とした木々の緑は、自然であり、生きる糧である。

 変幻の雲の散在(時間の経由)、淡いブルーの空(永遠)の下、一家(一族)の集合写真、自分(マグリット)のルーツ(あるいは先祖の墓標)であると確信する。

(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『城』2726。

2017-08-19 06:42:00 | カフカ覚書

これ以上当然なことがあるでしょうか。もちろん、この計画は非常に謙虚かもしれないが、不遜なところもあるということは、わたしにもよくわかっていました。


☆なるほどもっともな忠告です。この計画は総て謙虚ですが、僭越なところもあるという印象でした。