続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

老化の花道。

2017-08-01 07:32:29 | 日常

 身体すべて劣化の進行中である。
 歩くのも下段の昇降も、すべて内心「リハビリ、リハビリ」と発破をかけて行動しているという健気さ(?)

「もう、いいよ」って神さまが声をかけてくれるまでの辛抱。
 辛い?(まあね、それほどでも)

 左足に血栓ができて膨れ上がり歩行困難に陥ったときは(いよいよ来たな)と思ったけど、薬の効能はすごい。
「一度こういう症状をきたした場合、半年は経過を診なくてはならないのです」と、医師。
 次回の診察は二か月後、つくづく江戸時代とは違い、まだまだ生きなくてはならないと思い知らされる。

 今は、右手首近くの筋が時折痛む(縫物のやりすぎかもしれない)

 だんだん不自由になり何かできる範囲も狭まっていく。これこそが老化の花道なのだと・・・。
 勇ましく元気にこの道を行くゾ! まだ70才なんだもん。

 


マグリット『発見』

2017-08-01 06:56:21 | 美術ノート

 『発見』

 裸婦の皮膚が部分的に板目(木目)の変化している。進行中であれば、彼女は板そのものに変化を遂げていくかもしれない。
 肉体と木材の接点は有機物で括られる、つまり燃えて無くなるという宿命である。

 果たして肉体が木目に見えるなどということがあるだろうか。異質なものが視覚の中で同化されていく現象・・・。

 もしあるとすれば、《棺に納められた亡骸》棺の木目の中にいるはずの生命活動を停止した肉体ではないか。
 肉体を被う棺、その棺の木目が中にいるはずの肉体と同化する心理作用。

 愛しい人、亡き母への想い、命を閉じた後の儀式・・・棺(木目)は、母への思いに交錯し、幼いマグリットの脳裏に刻み込まれたのに違いない。
 衝撃のシーン、視覚作用に心理作用が重複すると、時として起こりうる錯視(現象)である。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)