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根岸子規庵と、恐れ入谷の鬼子母神

2017年05月21日 | おでかけ

レストラン香味屋さんで食事をした後は、以前から訪れたいと思っていた根岸の子規庵に足を運んでみました。香味屋さんから下町情緒あふれる住宅街を通って歩いて10分ほどのところにあります。

ここは、明治の俳人・正岡子規が、上京してから住んでいた場所です。もとは旧前田候の下屋敷の御家人用二軒長屋で、子規はのちに故郷松山から母と妹も呼び寄せました。子規はここで句会歌会を開き、高浜虚子や夏目漱石をはじめ、多くの友人、師弟が訪れました。

子規が結核で亡くなった後は、家族や師弟たちがこの家を守っていましたが、昭和20年の空襲で焼失し、のちに門下生たちによって復元されました。周囲の様子はすっかり変わってしまいましたが、ここだけは子規がいた頃の明治の面影がそのまま残っています。

以前、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」がきっかけで、子規の人生を追いかけていた時期がありました。ドラマ(のセット)で見る子規庵は、弟子たちがずらりと勢揃いする広いお座敷だったので、思ったよりこじんまりとしていて驚きました。

でも四季折々の花が咲く風流なお庭は想像した通り。好奇心旺盛で海外にも興味があった子規ですが、病に伏してからはここから見る風景が子規にとっての全世界でした。そして病に苦しみながらも亡くなる直前まで創作意欲が衰えることなく、情熱をもって作品を作り続けました。

これは子規が愛用していた座机の復元です。根岸の指物師に作らせたもので、曲がって伸びなくなった左足のために、立膝を入れられるくぼみがついています。

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ところで、江戸言葉の「恐れいりやした(=恐れ入りました)」をよく「恐れ入谷の鬼子母神」といいますが、鬼子母神といえば雑司ヶ谷なので、どうして入谷の鬼子母神というのか不思議に思っていました。行きの電車の中でふとググってみたところ、入谷にも鬼子母神があり、それが語源となっていると知りました。(Wiktionary)

子規庵のあと、入谷駅にもどりがてら入谷鬼子母神(真源寺)によってみました。途中、お豆腐懐石で有名な「笹乃雪」さんの前を通ります。

見たところ新しいお寺ですが、創建1659年と歴史があり、安産・子育の守り神として知られています。下谷七福神のひとつで、毎年7月にはここで入谷朝顔市が開かれるそうです。

入谷駅近くから正面にスカイツリーが見えました。この道をまっすぐ行くと浅草です。

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