「西蓮寺」(服部土芳墓所に百日紅)、「菅原大邊神社」(大野木) 、水田にオモダカ。

2023-08-07 17:59:29 | つれづれ思うまま
遠くでは「台風」の襲来があって、その余波か若干陽射しが少ない。
喜ぶべきことではないのだけれど、少し外に出ようかな…
という気になったのは事実。(昨日の話、ですが)

お盆前のこの時期、あちこち酷暑の中の草刈りが行われており、
通りすがりの道々はスッキリ、田んぼを覗けば稲は成長しているけど「水」?
稲など育てたこともない者が素朴に感じたこの時期に「水」?
調べると、凄く難しいタイミングがあることを知りました。
※参考落水と収穫のタイミング」(minorasuページより)

「お墓参り」はまだ行っていませんが、
家人から「蓮と百日紅」咲いていたよ、と聞きました。
『西連寺』、仁王さん前にて「蓮」。(少し訪問が遅すぎました💦)
   

西連寺内の『服部土芳墓所』、「薬師堂」はすぐそこ、
そこに「百日紅」があるのです。
  
思えば、毎年同じようなことを書いてる気がしますが、
今回は少しだけ「土芳さん深堀」…
  墓所

≪服部土芳は芭蕉の俳諧に傾倒し、藤堂藩士を辞めて貞享5年(1688)に蓑虫庵(県指定文化財)を開いた。
 享保15年(1730)に74歳で亡くなるまで、伊賀蕉門の中心として生涯を蕉風俳諧の普及に尽力し、
 今日の芭蕉研究の基礎を作ったことが評価されている。
 土芳の墓所は長らく所在不明とされていたが、
 昭和35年(1960)に郷土史家の山本茂貴によって自然石に「些中庵浄山土芳」と彫った墓石が発見された。≫
その「碑」がココ西蓮寺にあったわけです。

※参考:デジタルミュージアム「秘蔵の国/伊賀」より『服部土芳墓所

そのお隣には『藤堂元甫墓所』。

この方は、伊賀の歴史を紐解くときによく出てくる「三国地誌」の編纂をされた方。
※ご参考に:「三国地誌と川口維言」(三重県HPより)

この場所からの見晴らし、ほぼ伊賀盆地を見渡せます。
焼き尽くされた伊賀を、ここから見てそして「柏原城」まで行ったのかと。
左端に現・伊賀上野城のある「上野の台地」、
真ん中あたり「信長が戦況をみていたという『南宮山』」
雲がかかっているのは『霊山の山並』。
 
天正伊賀の乱」伊賀最後の激戦地『比自山』は、ココ西蓮寺の裏山一体かと思われます…

では、西蓮寺を後にして、山裾を進む感じで少し南下します。
数分走ると「石の鳥居」です。
『菅原大邊神社』、以前にも訪れているので詳しくは「過去ログ」で。
   
山の方に向かう細い道を行くと奥に駐車場があり、石仏さまお出迎えです。

大野木地区にある「天満宮」、
割拝殿と斜めの杉の木は御神木、
「狛犬」さんは後ろ姿、立派な尾っぽ、
拝殿横から「本殿」拝ませていただきました。
   

境内を出て田んぼを覗くと「水」がしっかり張られ、
その中に白く可愛い花が咲いています。
名前がわからないので、取り急ぎ写メ。
  
Y字型の葉っぱが特徴で、クワイの仲間の「オモダカ」らしい。
もう少しちゃんと撮れれば良かったのですが、
何せ「ハマってはいけない!柵」があり、そこから覗いていたので…

帰り道、さほど高くない場所からですが大野木の田園地帯が見渡せ、
そこかしこに「中世城館」があったなぁと思い出していました。


いつもの定番地の「木興遊水地」の田園風景、
場所を変えるとこんな風。
 

刈り取り前の田に「水」、多くの籾を付けるためには重要ポイントであるらしい、
また一つ、学習
雲行きは怪しげですが、そのおかげで出かけることができたので、
それはそれで感謝です。どうか大事に至りませんように~~

ではまた
コメント
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