朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

喜び歌いつつ御前に進み出て

2024-02-21 23:20:10 | 聖書から
喜びながら主に仕えよ。
喜び歌いつつ
その前に進み出よ。詩篇100:2



善を行い、
気力を失わないでいましょう。
怠ることなく励んでいれば、
キリストの時に至り、
私たちも刈り入れを迎えることに
なるのですから。ガラテヤ書6:9(ド)



 ヤコブ書4:1~10
 出エジプト記4:18~3 1(通読箇所)
     (ローズンゲン日々の聖句2/22;木)



   ―――― α&ω ――――



 聖書を通しご自身を啓示している方、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)に仕えるのですね。
私たち。
喜び歌いながらこの方の御前に出て行って。





 私たち人間は、元々、
この方、天の神、【主】の
「さあ、人を造ろう。
われわれのかたちとして、
われわれに似姿に」(創世記1:26)との御思いによって
創造されたものなのだそうです。



「われわれ」、
【父である神】、【御子である神】、
【聖である霊】と呼ばれる神が、
互いに愛し合っておられ、
自由意思で、自発的に、
「自分の思いが成ることよりも、
相手が思っていることが成るように」と願い、
思いを一つにしておられる、
その「一つ」の中に、
愛において、自由意思で、自発的に加わる者をとの
願いによって。
それが喜び、生き甲斐である者にと(ヨハネ6:38、8:28)。





 けれども私たちは、
この、「神と思いを一つにする」在り方を捨て、
「神の一人のようになり、
善悪を知る者」となって(創世記3:22)、
天の神、【主】と対立、対抗して、
自分の理性だけよる「善悪」の判断で生きる者に
なっています。
生まれたときから、神の創造の目的から「的外れ」な者に。





 イエスは、
私たちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受け、
私たちの、この「神の一人のようになろう。
自分の理性の判断だけで善悪を決めよう」とする
「的外れ」になった〔生まれたときからの私〕という霊を、
死刑が完了したもの、死んだものと
手続きしてくださいました。



そしてイエスは、死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活し、
40日にわたり弟子たちに何度も現れ、
神の国のことを語り、
御自身が生きていることを証明したあと、

オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。



そこで、【父である神】は、
かねてからの約束のとおり
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル11:19~20、36:25~28)、
このイエスを通して、
もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに遣わし、
この方によって御自身の思いを
私たちの心に置き、書き記して、
私たちのうちにご自身の思いがあるようにし、
私たちがご自身と思いを一つにして生きるようにと
回復してくださいました。

喜び歌いながら御前に出て、
自分の思いをしていくことよりも、

この方が思われることをしていく者にと。



気力を失い、あきらめてしまうことなく、仕え続けていれば、
キリストの時が来て、
御霊から永遠のいのちを刈り取ることになるのですから。







 イエスの弟のヤコブは手紙で書き送っています。

「あなたがたの間の戦いや争いは、
どこから出て来るのでしょうか。
ここから、すなわち、あなたがたのからだの中で戦う
欲望から出て来るのではありませんか。
あなたがたは、欲しても自分のものにならないと、
人殺しをします。
熱望しても手に入れることができないと、
争ったり戦ったりします。



自分のものにならないのは、
あなたがたが求めないからです。
求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと
悪い動機で求めるからです。


節操のない者たち。
世を愛することは
神に敵対することだと分からないのですか。
世の友となりたいと思う者はだれでも、
自分を神の敵としているのです。



それとも、聖書は意味もなく語っていると思いますか。
「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、
ねたむほどに慕っておられる。
神はさらに豊かな恵みを与えてくださる」と。



それで、こう言われています。
「神は高ぶる者に敵対し、
へりくだった者には恵みを与える。」



ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。
そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。


神に近づきなさい。
そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。
罪人たち、手をきよめなさい。
二心の者たち、心を清め(単一にし)なさい。
嘆きなさい。悲しみなさい。泣きなさい。
あなたがたの笑いを悲しみに、
喜びを憂いに変えなさい。


主の御前でへりくだりなさい。
そうすれば、主があなたがたを
高く上げてくださいます。」(ヤコブ4:1~10) 







 通読箇所、出エジプト記の続きです。

 ヘブル人(イスラエル人)の男の子が生まれたら
ナイル川に投げ込めとのエジプト王の命令で、
葦のかごに入れられ、
ナイル川の葦の茂みの中に置かれた赤ん坊は、
水浴びに来たエジプト王女に拾われ、
モーセ(水の中から引き出したもの)と名づけられ、
王女の子として育てられることになりました。



大人になったモーセは、
苦役の中にある同胞を救おうと願い、
ヘブル人(イスラエル人)を打っているエジプト人を打ち殺し
砂の中に埋めました。



しかし、それがエジプト王の知るところとなり、
また、同胞からは、
「だれがおまえを、指導者やさばき人として任命したのか。
おまえは、あのエジプト人を殺したように
私も殺そうというのか」と拒否され、
ミデアン(シナイ半島の
アカバ湾をはさんだサウジアラビア側)の地に逃げ、
羊を飼う者となっていました。
そして40年、イスラエルの人々は苦役にうめき、
神に叫びました。



モーセは、ミディアンの祭司、
しゅうとイテロの羊を飼っていて、
神の山ホレブ(シナイ山)まで来ました。
そこで燃える柴を見て
「なぜ柴が燃え尽きないんだろう」と近寄ったとき、
神がモーセに現れ、
「わたしは『わたしはある(I am)』という者」と名乗られ、
モーセをエジプトに遣わすと言われました。



モーセは答えた。
「ですが、彼らはわたしの言うことを信じず、
私の声に耳を傾けないでしょう。
むしろ『【主】はあなたに現れなかった』と言うでしょう。」



【主】は彼に言われた。
「あなたが手に持っているものは何か。」
彼は答えた。「杖です。」
すると言われた。「それを地に投げよ。」
彼はそれを地に投げた。
すると、それは蛇になった。
その蛇の尾をつかむと杖に戻った。



また、モーセが手を懐に入れるとツァラートに冒され、
雪のようになり、
もう一度、懐に入れ、出すと元の手に戻った。



さらに、ナイル川の水を汲んで乾いた地に注ぐと
血となるしるしを与えました。



しかし、なお、「私はことばの人ではないから」と
尻込みするモーセに、
「人に口をつけたのはだれか。
だれが口をきけなくし、耳をふさぎし

目を開け、また閉ざすのか。
それは、わたし、【主】ではないか」と答え、

雄弁なモーセの兄、レビ人アロンが会いに来るから、
「彼に語り、彼の口にことばを置け。
わたしはあなたの口とともにあり、
また彼の口とともにあって、
あなたがなすべきことを教える。
彼があなたに代わって民に語る。
彼があなたにとって口となり、
あなたは彼にとって神の代わりとなる。

また、あなたはこの杖を手に取り、
これでしるしを行わなければならない」と
モーセを説得します。



そこでモーセは行って、しゅうとイテロの元に帰り、
「どうか私を、
エジプトにいる同胞のもとに帰らせてください」と伝え、
イテロから送り出されて、
モーセは妻子を連れ、エジプトへ帰ることになりました。



さて、【主】はアロンに言われた。
「荒野に行って、モーセに会え。」
彼は行って、神の山(シナイ山)でモーセに会い口づけした。
モーセは、
自分を遣わすときに【主】が語られたことばのすべてと、
彼に命じられたしるしのすべてをアロンに告げた。


それからモーセとアロンは行って、
イスラエルの子らの長老たちをみな集めた。

アロンは、【主】がモーセに語られたことばをみな語り、
民の目の前でしるしを行った。
民は信じた。
彼らは、【主】がイスラエルの子らを顧み、
その苦しみをご覧になったことを聞き、
ひざまずいて礼拝した。(出エジプト記4章より)





 若い時、同胞を解放する熱意に燃えていたモーセ。
失意のうちに40年の時が過ぎ、熱意も気力もなくして、
尻込みするしかない弱いモーセを神は選び、
エジプトへ遣わされました。



私たちも、ありのままの、実体そのもので、
神の働きの現れを運ぶ手足、口、耳として
用いていただくのですね。
神が思われる思いと思いを一つにして。

喜び歌いながら単一な心、

悲しいなら悲しいだけ、
怒りなら怒りだけの私で御前に進み出て。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~



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