朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

私の魂を陰府(よみ)に渡すことはしないで

2019-05-30 13:07:23 | 聖書から

あなたは私の魂を陰府(よみ)に渡すことはありません。詩16:10

 イエスは常に生きていて、
人々のために執り成しておられるので、
ご自分を通して神に近づく人たちを、
完全に救うことがおできになります。ヘブル書7:25

 ルカ24:(44~49)50~53
 使徒1:3~11
 詩110(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句5/30;木)
 
 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちの魂を陰府(よみ)に渡し、捨て置かれる方ではないのですね。

 私たちにいのちの道を知らせ、
御前で喜び、楽しませようと思っていてくださる方なのだそうですから。

 それで、イエスは、
私たちの身代わりとなり、一度、死なれましたけれど、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
今は、天の【父である神】の右の座についておられるのだそうですから。

 そして、ご自分の命をもって
私たちの「的外れ」の責任が果たされていることを証明し、
弁護してくださっているのだそうです。

 それで、ご自分を通して神に近づく人たちを
完全に救うことがおできになるのですね。
いつまでも生きていて。

 「【主】は、私の主に仰せられる。
 『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、
わたしの右の座についていよ。』
【主】は誓い、そしてみこころを変えない。
『あなたは、メルキセデクの例にならい、
とこしえに祭司である』」(詩篇110:1、4)と記されているとおりに。

 十字架刑での処刑を受けられたイエスは、
近くにあった、
アリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に葬られたのですが、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で、
手を上げて弟子たちを祝福しながら、あげられ、
彼らから離れて行かれたのだそうです。
「さあ、わたしは、
わたしの父が約束してくださったものをあなたがたに送ります。
あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、
都にとどまっていなさい」と言い残して。

 それで、弟子たちは、非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り、
いつも宮にいて神をほめたたえていたのですね(ルカ24:49~53)。

 私たちも。
今日も。

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恵みにより、神の永遠の計画の中へと

2019-05-29 10:05:25 | 聖書から

 主の企てはとこしえに立つ。詩33:11

 パウロの手紙:
神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。
このお言葉は、あなたがたを造り上げ、
聖なる者とされたすべての人々と共に
恵みを受け継がせることができます。使徒20:32

 マルコ9:14~29
 サムエル下24:1~25(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句5/29;水)

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方の企て、ご計画は
とこしえに立ち、世々に至るのだそうです。

 イエスより2000年ほど前のこと、
この岩の上で、アブラハムは、
神の命令により、独り子のイサクをほふってささげようとし、

 1000年ほど前、ダビデは、
この場所をエブス人アラウナから買い取って祭壇を築き、
全焼のいけにえをささげ(Ⅱサムエル24:18~25)、

 この場所に、その子、ソロモンは神殿を建てていけにえがささげられ、

 そしてこの付近で、イエスは、
私たちの身代わりとなり、
私たちの罪を贖(あがな)うために屠(ほふ)られる贖いの小羊として、
十字架刑での処刑を受けられたのだそうです。

 私たちは、神の約束のことば、恵みのことばによって、
このイエスの受けてくださった十字架刑での処刑で、
私たちの、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている、
〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑済み、死んだものとしていただいていることを知り、

 墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣していただいて、

 この方によって、
神の子の身分を与えていただき、
イエスと同じように神を「父」と呼び、
その【父である神】が私たち一人一人に思っておられる御思いを
心に置いていただき、
【父である神】と思いを同じくし、
心を一つにして生きる者としていただける約束
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17:21~23)
を受ける者ともなったのですね。

 ただ、恵みにより、プレゼントとして
御国の国籍を与えていただき、
やがて実現する新しい天、新しい地を相続する者とも。

 あの、てんかん(と思われる)病気の子を持った父親のように、
「信じます。不信仰な私をお助けください」(マルコ9:24)と願いながら、
神のご計画の中へと。
今日も。

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喜びの叫びをあげて

2019-05-28 09:42:11 | 聖書から
 主に向かって喜び歌おう。
救いの岩に向かって
喜びの叫びを上げよう。詩95:1

 使徒たちは
毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、
家ごとに集まってパンを裂き、
喜びと真心をもって一緒に食事をし、
神を賛美していたので、
民衆全体から好意を寄せられた。使徒2:46~47

 ルカ18:1~8
 サムエル下23:1~7(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句5/28;火)

 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、
イエスは彼らにたとえを話されたのだそうです。
「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。
その町に、ひとりのやもめがいたが、
彼のところにやって来ては、
『私の相手をさばいて、私を守ってください』と言っていた。
彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに
『私は神を恐れず人を人とも思わないが、
どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、
この女のために裁判をしてやることにしよう。
でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。」

 主は言われた。
「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。
まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のために
さばきをつけないで、
いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。
あなたがたに言いますが、
神はすみやかに彼らのために正しい裁判をしてくださいます。
しかし、人の子が来たとき、
はたして地上に信仰が見られるでしょうか」(ルカ18:1~8新改訳)、と。

 私たち人間は、やがて、
生きている者も死んだものも、
大きな白い御座と、そこに着座しておられる方の御前に立って、
自分の行いに応じてさばきを受ける時が来るのだそうです(黙示録20:11~12)。

 けれども、イエスが受けてくださった十字架刑での処刑を、
私の処刑としていただき、
〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑されたもの、死んだものとしていただいている者は、

 そして、墓に葬られ、
三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の【父である神】の右の座に復帰されたイエスが派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えし、
この方が心に置いてくださる【父である神】の御思いを受け取り、
【父である神】と思いを同じくし、心を一つにして、この地上の人生を歩む者は、
「いのちの書」に名が記されてり、
このさばきを過ぎ越して、
新しい天と新しい地(黙示録21:1~4)とを受け継ぐようにしていただけるのだそうです。

 イエスによって完了された(ヨハネ19:30)この出来事をもらった人々は、
この救いの岩に向かって喜びの叫びをあげ、喜び歌うのですね。

 イエスの弟子たちが、毎日ひたすら心を一つにして
エルサレムの宮に集まり、
家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、
すべての民に好意を持たれていたように。

 イエスが心配しておられたように、
このイエスを通り過ごして別の教えに行くことをしないで、
ダビデが、「【主】の霊は、私を通して語り、そのことばは、私の舌の上にある。
イスラエルの神は仰せられた。
『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者は、太陽の上る朝の光、
雲一つない朝の光のようだ。
雨の後に、地の若草を照らすようだ。』
まことにわが家は、このように神とともにある。
とこしえの契約が私に立てられているからだ。
このすべては備えられ、また守られる。
まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる」と歌っているように、
私たちも喜びの叫びをあげて。
今日も。

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見て、聞いて、体験して

2019-05-27 13:30:23 | 聖書から

 主よ、国々の中で、
私はあなたに感謝をささげ、
御名をほめ歌う。詩18:50

 私たちは、
見たことや聞いたことを
話さないではいられないのです。使徒4:20

 マルコ1:32~39
 サムエル記下21:1~14(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句5/27;月)
 
 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と 名乗られる方に、
私たちは感謝をささげ、その御名をほめ歌うのですね。

 この方が、あのイエスを通してなさった御業、
完了された救いの御業を(ヨハネ19:30)宣べ伝えて。

 イエスがなさったように、
今、ここに来ている神の国、
神の統治を受け取るように(マルコ1:32~39)と。

 イエスは、ご自身が持っておられる神の御子の権威において、
ご自身の所に来た病人をいやし、
悪霊につかれた人から悪霊を追い出され、
そして、その神の国、神の統治の到来の喜びの知らせを
ガリラヤ全地、ユダヤ全地に告げ知らされたのだそうですから(マルコ1:32~39)。

 そして、ダビデの時代に、
サウル王がギブオン人を殺した罪によって、三年間、飢饉があったのですが、
ダビデがギブオン人の求めのとおりに
サウルの子ども7人をギブオン人に引き渡し、
ギブオン人はこれを処刑し、さらし者にしたのだそうです。

 それで、ダビデが、彼らの骨と
ヤベシュ・ギルアデにあったサウルとその子ヨナタンの骨を、
ベニヤミンの地のサウルの父キシュの墓に葬ったとき、
神はこの国の祈りに心を動かされたのだそうです(Ⅱサムエル21:1~14)。

 そのように、イエスが、
私たちの身代わりとなって十字架刑による処刑を受けてさらし者なってくださり、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑されたもの、死んだものとしてくださっている今は、

 そして、墓にほむられ、
三日目、日曜日の早朝、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の父である神の右の座に復帰されたイエスが派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が来てくださり、

 私たちの心に【父である神】の御思いを置いてくださり、
受け入れる者が【父である神】と一つ思いになって生きるようにしていただける今は、
イエスによるこの喜びの知らせは、
エルサレムから始まってユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで(使徒1:8)、
この東の果てに住む私たちのところにまで伝えられているのですね。

 それで、これを受け取った者は、
この方に感謝と賛美をささげ、
自分の見たこと、聞いたこと、体験したことを話さないではいられなくなっているのですね。

今日も。

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万物を支え、保っておられる方に向かって

2019-05-24 17:12:46 | 聖書から
 神は人ではないから、偽ることはない。
人の子ではないから、悔いることはない。民数記23:19

 御子は、
万物を
ご自分の力ある言葉によって支えておられます。ヘブル書1:3

 黙示録5:6~14
サムエル下18:19~9:9a(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句5・24;金)

天の神、主、
「『わたしはある(Iam)』という者」と名乗られる方は、
偽ることのできない方、
悔いることのないお方だそうですね。
人ではないから。

 この方は、言われたことを必ず実行なさる方、
約束されたことを成し遂げる方、
祝福すると言われたら祝福なさる方なのですね。

 【御子である神】は、神の栄光の輝き、
神の本質の完全な現れであり、
その力あるみことばによって万物を支え、
保っておられるお方なのだそうです。

 この宇宙、この自然界が混沌にならず、法則通りに動いていること、
また、私がきょう、こうして生きておられるのも、この方の支えによることなのだそうです。

 そして、この方は、私たち人間の罪のきよめを成し遂げて、
今は、すぐれて高い所の大能者の右の座に着いておられるのだそうです。

 そして、【父である神】が、この地上にこれからしようと思われることを
そのとおりに実行なさる方。

 十字架刑での処刑を受け、ほふられて、
その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、
神のためにあらゆる人々を贖い、
のためにこの人々を王国とし、祭司とされ、
この地上を治めるようにされるのだそうですから。

 それで、御座の回りにいる、
万の幾万倍、
千の幾千倍の御使いたちも、
この方に賛美を捧げるのだそうです。
「ほふられた小羊は、
力と、富と、知恵と、勢いと、
誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です」、と。

 それで、私たちも言うのですね。
「御座にすわる方と、小羊とに、
賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように」(黙示録5:6~14)、と。

 イエスの支えの中で。
今日も。

(近くの教会を知りたい、
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